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 ご愁傷様。
 まるでそう言っているかのように言うと、スーツの男は店を出ていってしまった。鈴々と男が出ていったドアベルが虚しく鳴ると、今度こそ叔父とあのヤクザの繋がりを断つ手段はないのだとはっきりと告げられているようで私はおおきなため息をついていた。
「また随分とあの人も立派なものを用意してくれたね」
 スーツの男が出ていったのを待っていたらしい。人目の入らないキッチンから出てきた叔父は、私が持ってきた胡蝶蘭の花弁を指先で突いて揺らしていた。
「お母さんが用意したんだよ」
「見ればわかるよ。あの人もさ、加減ってものが頭の中にないんだよ。こんなでかい鉢、どうすんだよ」
 叔父は店の中とカウンターの上の胡蝶蘭を見比べて、肩を竦めた。
 自分の店の新装開店を真正面から祝われて照れくさいから不器用な言葉をついこぼしたということはしない。純粋に実の姉へ向けた苦言なのだろう。
 叔父の言う通り、生花店が母からの依頼だということで用意してくれた五本立の白の胡蝶蘭は店の中にあるなによりも存在感を放っており、喫茶店らしからぬ店内の空間の無分類さはさらに増していた。
「お祝いはお祝いなんだから」
「それぐらいわかってるよ。あなたのお母さんには立派な胡蝶蘭どうもありがとうとでも言っといてよ」
 私を伝書鳩にしてやりとりをする母と叔父のディスコミュニケーションぶりに閉口しかけたが、今更私から働きかけたところでこの姉弟はそれを改めることは決してしないだろう。利口な私は話題を胡蝶蘭から離れることにした。
「叔父さんが喜んでたって伝えとく。ところで、さっきの人はよくお店に来るの?」
「さっきのって?」
「私が話してたスーツの男の人。警察の人だって言ってたよ」
 どんな話をしたのかとも伝えると叔父は、ああと声を上げた。
「あの人ね。あれは左馬刻さんのお友達」
「オトモダチ」
 叔父の言葉を繰り返したが、絶対に合っていない気がする。暴力を躊躇なくかざせるような碧棺に友人と呼べるような人がこの世に存在していることはもちろん、ヤクザと相対する人間ともいえる警察官がそのような間柄になるとは思えなかった。
 だが、先ほどの軽口(と言うにはあまりにも物騒であったが)を交わしているのを見ると、気の置けない間柄であるようなのは確かなようだ。実は幼なじみだったりしたのするのだろうか。
 一見なにもかもが違う二人の意外な関係を勝手に想像していると、機嫌の悪そうな声が私と叔父の間に割って入ってきた。
「あんなのが友達なワケねえだろ。気色悪ぃ。頭湧いてんのか」
 他人の会話を盗み聞くだけでなくそこに横槍を入れる失礼極まりない男に、叔父はなんでもないように笑った。
「えーでも、左馬刻さんがいるときは絶対同じ席でコーヒー飲んでいくよ。ここを新しくする前からしょっちゅう来てくれてるし」
「本当に友達なん、ですね」
「俺じゃなくて、ここの客なだけだろ」
 碧棺は吐き捨てるように言うと、叔父に断ることもなくカウンターに入ってレジのあたりをゴソゴソと漁り始めた。
 まさかレジのお金を抜き取るんじゃないだろうか。目の前で強盗が起きている。あまりの光景に私は思わず叔父の顔を見た。だが、当の被害者になろうとしている叔父本人はのほほんとそれを眺めているだけで、碧棺が舌打ちをしながらレジのそばを離れてカップが収納されているあたりをうろつき始めてようやく声をかけた。
「左馬刻さん、どうしたの。火?」
「火じゃねえ。煙草が切れた。いつもここにカートン置いてたろ」
「ああ、そっちか。ちょっと待って」
 叔父は碧棺の問題行動を一つも咎めもしないで、煙草を探しに店の奥へ行ってしまった。そして、一分もしないうちにへらへらとした顔つきで戻ってきた。
「左馬刻さん、ごめん。昨日渡したのが最後で、買い忘れちゃった」
「アン?」
 自分がヤクザに数百万に及ぶ貸しを作っている立場というものをまるで理解していない叔父の無神経な振る舞いがニコチンが切れかけた碧棺の神経を逆撫でたのは言うまでもない。店内にピシリと氷に亀裂が入るような緊張感が走った。私は飛び跳ねるように手を高く挙げていた。
「叔父さん! 私が煙草買ってくるよ」
「買いに行けるの?」
「煙草なんだから、すぐそこで買えるでしょ」
 命を守る為ため動物並みの反射神経を見せた私に、叔父はどういうわけか顔を渋らせた。元はと言えば、自分が自分の一番の客のための煙草を切らしてしまったのが悪いのにそんな顔をされるのは実に不服だ。その一方で、碧棺は私の申し出に少し驚いたように両眉を上げると口の端を吊り上げた。ヤクザという人間はどうしてこういう時でも素直に笑おうとしないで、こちらに怖気を抱かせるようなものを含んだ顔をするのだろう。
「なんだよ。お前、気が効くじゃねえか」
「本当に行くの?」
「煙草ぐらい誰でも買えるよ」
「そこまで言うなら、お願いするけど。
 カートンで二つ買ってきて。お金は後で払うから」
「カートン二つ分ね。それで、」
 私は碧棺の方を向いた。
「あの、どの煙草を買ってくればいいんですか」
「ん」
 尋ねると空になって握りつぶされたソフトボックスが私の胸元に飛び込んできた。広げてみると煙草は叔父が吸っているのとは別の銘柄のものだった。
「それとおんなじの買ってこい」
「わかりました」
 おつかいの内容がはっきりしたところで、私はカバンからスマートフォンと財布だけを取り出してドアの方へ向かった。ドアを開けた瞬間、叔父が私を呼び止めた。
「永遠子、傘立てのところにバールがあるから持っていきな」
「バール?」
 ドアのすぐ横にある傘立てを見てみると、傘数本と一緒に先端が朱色に塗られたバールが一本挿してあった。
「バールって持っていかなきゃだめなの?」
「あった方がいいよ」
 ただ煙草を買う用事を済ませるのにドラマの殺人事件の狂気に使われるようなものを持っていく必要がどこにあるのだろうか。まったくもって意味がわからなかった。
「バールなんか使わないよ」
「持っていきなって」
「いらないよ。それじゃ、行ってくるから。それより、帰ったら飲むから紅茶淹れておいてよ」
 やたら私にバールを持たせようとする叔父をあしらうようにそう言うと、私は着ていたジャケットのポケットに財布とスマートフォンを入れて手ぶらの状態で店を出た。