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カフェイーグル 1



 とあるヤクザのヒプノシスマイクのせいで全壊した叔父の喫茶店が営業を再開することになった。
 一年近くの空白期間を経て、ようやく店が再建されたのである。
 久々に手放しで喜ぶことのできるニュースを報された私は早速母が贔屓にしている生花店に祝いの胡蝶蘭を用意してもらうとヨコハマへ向かった。
 叔父の生きがいと言ってもいい喫茶店はどんなふうに生まれ変わったのだろう。叔父の実の姉でもある私の母は店の再建を知ると「周囲の景観を壊すようなとんでもない店を作るに違いない」と断言していたが、私は叔父がそんなことをするとは思えなかった。
 叔父は母の言葉を借りれば「働いて金を稼ぐ義務を果たすことができない人間」だ。けれども、センスのいいものを見つけ出すことに関しては人より秀でているという言葉では収まりきらない、天賦の才を持っている。そんな叔父がゼロから自分の思う通りの喫茶店を作るのだ。中王区やアオヤマにあるような流行りのものや写真映えのする食べものが食べられる店ではなく、高台から自分の街を見下ろした時のようにどこか新しい気持ちになれるような居心地の良い店ができているにちがいない。加えて、叔父のおいしい料理を紅茶と一緒に楽しむことができるのだ。そんなところでリラックスタイムをとることができたら日頃のストレスなんて吹き飛んで、次の日から押し寄せるようにあるたくさんの仕事や課題を乗り切れるだろう。
 私は叔父の生まれ変わった店で得られるであろう素敵な時間への期待を膨らませてながら、いつもよりカーステレオの音量を大きくして、気持ちよく車を走らせた。
 季節外れの夏の定番曲や高校生の時に聴きすぎて身体に染み付いてしまったロックのリズムに体を揺らしたりとほとんどカラオケルームのようにして一人きりのドライブを存分に楽しんでいたが、高速道路を降りてヨコハマディビジョンに入ったあたりからそんな呑気なことをできる状態ではなくなっていた。高速から一般道へ移って信号や道路標識に注意を払わなければいけなくなっただけではない。覚えのない感覚に襲われていたのだ。
 このあたりを訪れたのは実に一年ぶり、碧棺が店をヒプノシスマイクで壊してしまって以来のことだ。碧棺があたり一帯を更地にしてしまった以外に、これといった事件は起きていないはずだ。なのに、あたりには以前にはなかった風化していくような心細さがついてまわっていた。
 LEDに切り替わっていない古ぼけたあたりの電球の信号機に、シートに伝わるほど凹凸がひどくなっているアスファルト。目につく建物の壁や窓には建物の四軒に一つはテナント募集か入居募集の看板をくくりつけてある虫食い状態。かろうじて開いている店も閑古鳥が鳴いていて、出歩いている人もいない。活気というものがまるでなかった。私の頭の中では少し前まで夢中になって見ていたゾンビ映画で見た、主人公たちが逗留したゾンビに襲われて荒廃した街が思い出されていた。
 言の葉党が政権を握り、霞ヶ関を中心に壁を築いてからというものの東京は再開発が行われ、目に入るもの全てが真新しいピカピカした街に生まれ変わった。 反対に都から遠く離れている地方は戦争の被害を受けたあとも復興のための支援らしい支援を得られないせいでインフラの整備が追いついていないという話は耳にしていた。それが、まさか中王から来るまで一時間ほどの距離しか離れていないこのヨコハマでも起きているとは夢にも思わなかった。
 叔父はとても商売が出来そうにないこの地で店を再開しようとしているのか。寂しい街並みを目の当たりにして、私の頭の商売をする部分が叔父の店の再開を不正解だと告げている。が、ヨコハマは叔父と母が育った地でもあるのだ。金勘定とは別に自分が多くの時間を過ごした土地で店をやることに意義というものがきっとあるのだろう。私はそう自分に言い聞かせながら車を走らせ続けた。
 やたらと空き家が目につくせいか、スカスカとした風が吹いているような街並みと私の記憶している街並みを照らし合わせながら車を走らせていると、奇妙な建物が目についた。それは一目ではどんな建物か判別がつかない。ただの黒い直方体が人知れずににょきりと生えてきたとでも言うように、ぼんやりと建っていた。看板でもついてればまだいいものの、本当になにもないのだから余計に得体のしれなくて一層不気味であった。それが叔父の店がある方向に建っているのがわかると、私の中にいる母が「ほらね、私は正しいのよ」と得意顔を浮かべた。だが、実際にこの目で確かめない限りはわからない。
私は母が抱いていたものと同じであろういやなの予感が当たるゾワゾワとした感覚を無視して走り続けた。
 結論から言うと、私の期待は大きく外れ、初めから結果を知っていることをただ告げるように言っていた母の予想が現実になった。
 かつて、叔父の店があった場所には喫茶店とは思えない、それどころかそれが建築物であるかどうかさえわからないものがそびえ立っていた。
 車を降りてその建物へ近寄ってみるとその異様さは増して、思わず息を呑んだ。
 建物を見て、真っ先に思い浮かんだのは墓石だった。が、目の前にあるその墓石は花を供えて故人を偲ぶために作られた小さなものではなく、二階建ての一軒家ほどの大きさでそびえ立つように建っている。窓も通気口も、建物にあるべきものは何一つなく店の看板らしいものもない。建物を見上げるほど近づいて、壁面に店の名前である「CAFE EAGLE」という文字と店が壊される前は通りに立てていた看板に描かれていた鷲の絵が彫られていることに気がついてようやくこの奇妙な建物が叔父の店であることに気がつくのに精一杯だった。だが、店の名前がわかっただけで店へ入るためのドアは見当たらないのだからなにも意味はない。一見さんどころか何度も訪れているはず私でさえ店に入るのを拒もうとしている叔父の姿勢に私は呆れて、ため息を漏らした。この店が叔父の店と気が付かなければ、私は回れ右をして帰っていただろう。
 店の入り口を探すため、私は胡蝶蘭の鉢をかかえ直して、建物をぐるりと一周するように歩き始めた。が、十歩もあるかないうちに入り口は見つかった。私が墓石のようだと思った壁は一面だけだったようで、回り込むとすぐに螺旋階段と「OPEN」のプレートが提げられた扉が見つかったのだ。
 叔父はまだ客商売をしようという気持ちがあるようだ。そのことに私は安堵しながら、店の扉に手をかけた。
「叔父さーん、お母さんからのお祝いのお花もってきたよ!」
 叔父のことだから、店にいても目のつきにくいキッチンか引っ込んでいるのだろう。私は店中に聞こえるように声を大きくして店に入ったが、遠慮のなく出した声はタイミングが悪く店を出ようとしている人に向けて発しただけになってしまった。
 私の大声を浴びる羽目になってしまったのはすらりとした印象のスーツを着た、叔父の店の客ではなかなかいないような若い男だった。