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 ヨコハマから帰ってきたその足で私は中王区の母のところへ向かうと、何もかも隠すことなく報告した。
 母は叔父の金回りの良さがヤクザによるものだと知って瞬間、母はいまにも怒鳴りつけそうなほど怒りを露わにしたが、サマトキさんの名前が出た途端いつもの氷菓の様に涼しげな顔つきに戻ってしまった。
 叔父がサマトキさんとの黒い関係を断つようにうまく立ち回ってくれるだろうと大いに期待をしていたのだが、その期待は物の見事に外れてしまった。それどころか母はすっかり上機嫌になっていて、仕事で自分の企み通りに事が進んでいると知った時のように悪い笑みを浮かべていた。私にはその笑みが何やら不吉な事の前触れのような気がしてならなかった。

***

 サマトキさんが来なくなるまで叔父の店には行くまい。
 ヤクザに給仕をするという恐ろしい目に遭った私は胸の内でそう誓ったが、その誓いは週も明けないうちに「仕事だ」という母からの緊急出動の号令によって自ら破る羽目になってしまった。
 今が昨日か今日なのか判断がつかない時間に母からの電話で叩き起こされた私は「なんでもやります!」と素晴らしい意気込みを持つ頼もしいアルバイト二人を伴って、叔父の店へと向かった。
 高速道路を走りぬけて辿り着いた店はなぜか瓦礫の山と化しており、私が数日前に訪れた時の光景は消え去っていた。瓦礫紛れて、店の中央に置いてあったカウンターと大きな業務用冷凍庫の二つだけが、ここに叔父の店があったということをかろうじて証明していた。
 店のあまりの変わり様に呆然としそこに立ち尽くしていると、叔父がカウンターの影からひょっこりと姿を現して私を手招いた。
「俺がパスポートを作るのに必要な書類を持ってくるのは死ぬほど遅いクセして、自分の儲け話になると秒速で人を寄越してくるなんて。永遠子のお母さんはすごいね。ソンケーするよ」
 叔父は顔をあわせるなりにっこりと笑みを浮かべながら、随分なごあいさつをこちらにぶつけてきた。見れば、その手には店で出している缶ビールとミックスナッツの小さなパックがあった。叔父の機嫌は酒のご利益によるものらしい。
「一体どうなってるの」
「いやあ、すごかったんだよ。カチコミだよカチコミ。永遠子知ってる?」
「殴り込みでしょ。それでこんなになったちゃったの」
 訊ねると、叔父は欲しがっているオモチャの素晴らしさを親に懸命に語ろうとする子供と同じ目で滔々と語り出した。
「それがさ、聞いてよ。店にサマトキさんが入り浸ってるって情報がどこかから漏れたみたいでさ。
 サマトキさんもオシゴトが終わったっていうから、うちもぼちぼち閉めようかなって思った時にでっかいワゴン車が店の前に止まったんだよ。そしたら、車からスモウレスラーみたいなでっかい男が三人出てきてさ、いきなりマイクぶっ放してきたんだよ。
 窓が破られたと思ったら、電球も弾けてったよ。パンパーンって。
 もうね!映画みたいだったよ。三十秒も経たないうちに店の中がめちゃくちゃになったよ」
 身ぶり手振りで我が身に起きた事を叔父は話してくれているが、その内容と世界の終末を迎えてしまったように何もかもが薙ぎ払われてしまっているこの惨状は釣り合いが取れていなかった、
「あのさ、周り見てみてよ。店の中どころか建物ごとめちゃくちゃになってるじゃん。叔父さん、その場にいたのによく無事だったね」
「ちょうどカウンターにいたからさ、その下に潜ったんだよ。だから、無傷」
 俺も運がいいよねー永遠子もすごいと思わない?
 ウンウン。ソウダネ。スゴイスゴイ。
 興奮が一向に覚める様子がない叔父の話を適当に流して、私は話を本筋に戻した。
「とにかく叔父さんが無事で良かったよ。それで、お母さんに仕事だって言われてここに来たんだけど、私はなにをすればいいわけ?」
「とりあえず、瓦礫の山を片付けてここを更地にしてほしいな。あとこの冷凍庫も行政じゃ引き取ってくれそうにないから永遠子のところでどうにかしてもらいたいんだよね」
 叔父が指で差した先にある冷凍庫の扉を開けてみると、十数メートル先にある街灯の明かりだけでははっきりと捉える事はできないが、ナポリタンスパゲティがぎっしりと詰まっていた。店が壊されるほどの衝撃を受けて、中の食材がシェイクされてしまったのだろう。この状態では、粗大ゴミとして行政が処理をしてくれないのも当然だった。
「了解。冷凍庫はこのままウチが持って帰っていくとして、瓦礫の方はまた別の日に片づけるって事でいいかな?」
「任せるよ。どうせ、しばらくはお店出せないしね。それよりさ、さっきの話の続きしていい?」
 片づけのことなんてどうでもいいと言わんばかりに叔父は訊いてきたが、結局私が返事も待たずにひとりでに話を再開した。
「スモウレスラーが窓ぶち破った後に店に乗り込んできたんだよ。それで、もうここからがすごくってさ!
 左馬刻さんが、テーブルの上に飛び乗ってさヒプノシスマイクでそのザコ三人をあっという間にぶっ潰したんだよ。
 やっぱりさあ、TDDの名前はダテじゃなかったよ。レジェンドだよレジェンド。三フレーズも歌わないうちに店は建物ごと粉々にぶっ飛んだし、まともに食らったザコ三人はパアになったよ」
 自分の話に自分で笑いながら、叔父は握りこぶしを自分の顔の前で作って、花火のようにパッと開いて見せた。そしてヒイヒイと笑い過ぎて引き攣る腹を抱え込んでしまった。
 今の話のどこに腹がよじれて息苦しくなるほど可笑しなところがあるのか。私はアルバイト二人と顔を見合わせたが、彼らは「自分達にはわからない」と首を傾げるだけだった。
 やはり、店を失ったことがショックだったのだろうか。
 私や母からすれば叔父の店なんて、道楽でやってるとしか思えないものだが、叔父にとっては皿一枚にだって拘りと愛着を込める事を怠らなかった大事な店だ。それがヤクザのイザコザに巻き込まれて一瞬にして壊されてしまったのだ。自分の城を失った辛さは計り知れない。自分が好きなの映画のようだとおもしろおかしく話していないと、まともに立つことさえままならない。それだけの深手を叔父の心は負ってしまったのだろうと思うと、店のストックのビールで酔おうをする叔父が気の毒に見えて仕方がなかった。
 私は叔父の震える肩に手を当てて、静かに尋ねた。私にはやらなくてはならないことがある。まずは金だ。補償、弁償、慰謝料、迷惑料。叔父に代わって、取れるものはとってやらなくてはいけない。
「叔父さん、それでお店を吹っ飛ばした張本人はどこいったの?まさか、なにも言わないで帰ったわけじゃないよね」
「左馬刻さん?あの人なら、あっちにいるじゃん」
 叔父は缶を持ったままの手で道路がある方を指した。その先には、横転した車とそのすぐの瓦礫の上に座り込んでタバコをふかすサマトキさんがいた。
「ヒプノシスマイクで自分の車ひっくり返して動かせなくなっちゃったから、組の人が迎えに来るの待ってんだって。スモウレスラーも連れてくって言ってたけど、あんなでかい人どうやって車に載せんだろうね」
「え?」
 叔父の言うことがいまいちわからず、サマトキさんをもう一度よく見てみれば、スモウレスラーと言うにふさわしい大男がミノムシのように縛りあげられてサマトキさんの足元に転がっていた。
「自分を襲ってきた人を連れてってなにするんだろう」
 なんの気もなしにそう言うと、叔父は自分のこと腕を抱えてわざとらしく身体を震わせた。
「なにするんだろうねー考えたくもないよ」
 きっとスモウレスラーはサマトキさんに連れていかれた先で、私が考えるよりもずっと単純だが、芯から凍えるほど恐ろしい目に会ってしまうのだろう。深い暗闇に飲み込まれてしまうような恐怖を想像して、わたしは思わず唾を飲み込んだ。それと同時に妙な違和感が私に疑問を呼び起こした。私はビールを呷る叔父の腕をゆすった。
「ねえ、襲ってきた人って確か三人だったよね」
「そうだけど」
「向こうにいるのは一人だけじゃん。あとの二人は逃げたの?」
 まさか!と伯父は笑い声をあげた。
「左馬刻さんが逃すわけないだろ」
「じゃあ、あとの二人はどうしたの?」
 そう訊くと、叔父は自分とわたしが寄りかかっている冷凍庫の扉を叩いた。
「この中」
「ウッ」
 叔父が言っていることの意味がわかった瞬間、胃の中のものがせり上がってきて私の胸を強く押した。なんとかそれを抑え込むと私は叫んでいた。
「なんてもの見せてくれてんの!」
「人間をサイコロみたいに展開して、裏返しにしてまた組立てたみたいになってたろ」
 叔父は私を見てケラケラと笑い、さっきのように握った手を花火のように広げてみせた。
 うっかり見てしまった冷凍庫の中のものがどうやってできたのか想像してしまった私はさっきよりも強い吐き気に襲われて、慌ててそれをこらえた。しかし、私の後ろにいたアルバイトは堪えることができなかったようだ。口を押さえていた手の隙間からビタビタと吐瀉物をこぼしていた。
 風にそよいで、独特の酸っぱい臭いがこちらにまで届いているのにもかまわず叔父は残りの缶ビールを実に美味しそうに飲んでいた。こんな状況下で飲む缶ビールの味を想像して、私はまた気分を悪くした。
「俺さ、スモウレスラーが冷凍庫の中に詰め込まれていくの全部見てたんだけどさ」
「お願いだから、もう喋らないで!これ以上聞いたら冷凍庫が開けられなくなるでしょ」
「だって、永遠子がこの冷凍庫片付けてくれるんでしょ」
 叔父の言う通り、わざわざ深夜に車を飛ばしてヨコハマに来たのはそのためだが、そういう問題ではない。それにしても、
「叔父さん、お店の方はどうするの?ちょっと壊れたところを直すだけならどうにかなりそうだけど。建物を建て直すってなると簡単にいかないでしょ。お店、やめちゃうの?」
 私はここに来てからずっと訊きたくても訊けずにいたことをとうとう叔父に尋ねた。
 目の前の光景は悲惨の二文字が当てはまる散々なものだ。
 あたりを見回しても、コーヒーの香りとあまりにも偏っている叔父の好みの音楽に囲まれる居心地のいい叔父の店は跡形もない。あるのは、埃と土が混じった臭い。少しむこうで走っていく車の音が虚しく耳に入る夜空の天井。そして、年忌だけがたっぷりこもったビンテージのバーカウンター、開かずの冷凍庫だけだ。
 こんな状態から店を再建、今まで通りに営業を行えるようになるまでどれほどの金がかかるだろう。
 私の想像の中で母は「ビタ一文も出さない」とにべもなく言い放っている。叔父には母以外に店を再建するための金を工面する手立てがないはずだ。その母に断られるのは目に見えている。再建なんて夢のまた夢だろう。
 しかし、当の叔父は自分の店を失ってしまった悲しみにくれている様子はひとかけらもない。あっけらかんとしていた。
「永遠子の母さんにも言われてたし、正直なところお店やめちゃってもいいかなって思ったんだけど、借りができたからもう一回最初からやってみるよ」
「借り?」
 借り、という不穏な意味を持ち合わせた言葉に、私は眉を顰めた。叔父は嬉しそうに頷いて、サマトキさんを指した。
「左馬刻さんがあのスモウレスラーをダシにして、お店の再建費出してくれるって。すごいね。こんなに頼もしい後ろ盾はそういないよ」
「何考えてんの?!」
 私は夜空に目一杯響くのもかまわず大声をあげて、叔父のシャツの襟を掴み揺さぶっていた。
「ちょっとビールこぼしちゃうよ」
「お金なら、お母さんに出してもらえばいいじゃん。なんでわざわざヤクザから借りようとするの」
「借りないよ。弁償とか迷惑料としてもらうんだよ。左馬刻さんはその仲介人」
「借してもらうとか、弁償してもらうとかじゃないってば!ヤクザと関係を持つのがダメだって言ってるの」
「そんなこと、三日に一回は銃声が聞こえてくるような場所で店を構えてる時時点で今更だよ。名前、ここの客層知ってる?全員そういう筋の人たちだよ」
「そうだけど、そうじゃないでしょ」
「そうなるしかないの。
 しょうもない組からばかりだったから話も聞かないで断ってたけど、買収や融資の話を持ちかけてこられるのなんて店を始めてからひっきりなしだったし。ヤクザにお世話になるのも時間の問題だったんだよ。
 というか、ここが落とし所だと思うんだよね。左馬刻さんがいる組なら悪い気がしないというか、むしろ歓迎だね。後ろ盾についてくれるならオレの店は安泰だよ」
「お店はその後ろ盾になってくれる人にぶっ壊されたんでしょ……」
 ヨコハマの知られざる闇の一端に触れてしまい、私はますます混乱した。母にはこの状況をなんと説明すればいいのだろう。いくら考えたところで母の怒りを買わないようなものがひとつとして浮かんでこなかった。
 うなだれるしかできなくなってしまった私をよそに叔父は淡々と続けた。
「お金の話はほとんど建前なんだけどさ。本当のことを言うと、俺の店を好きだって言ってくれる人がいるから時間と金がかかってももう一度やりたいんだよね。
 永遠子にはわかんないと思うけど、頑張って作った店をそう思ってくれる人がいるならどんな苦労があっても頑張りたくなっちゃうんだよね」
「その、叔父さんの店が好きって言ってくれる人って誰なの?」
「左馬刻さん」
 本当?そんなわけないでしょ。
 叔父の信じがたい言葉に疑いをかけるが、叔父は「本当だ」と自信たっぷりに頷いた。
「いつ言ったの?」
「直接ってわけではないけど。なんというのかな、雰囲気がね」
「それ、言ってることにならないよ」
「言葉が全てじゃないよ」
 叔父はまた意味のわからないこと言うと、サマトキさんを見てからニヤリとよくない笑みを浮かべた。
「それにさ、左馬刻さん。永遠子のこと、ちょっと気になってるみたいなんだよね。ここは叔父として、店長としてお節介を焼きたいじゃん」