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 叔父が海に沈まないためにも嫌でもなんでもインチキナポリタンを運ぶしかなくなってしまった。私はあれこれがないと呼び出されることがないように、トレイの上には叔父の言われたものが全て乗せたのだが、飲食店で働く人のように片方の腕だけで運ぶのは、どうしても盆をひっくりかえす自分の姿が浮かんで来てしまってとても出来そうになかった。私は幼い子が配膳をするようにトレイを両手で抱えるようにして叔父の料理を運んだ。
 サマトキさんは注文を終えた時と変わることなく窓の外を眺めて寛いでいた。そこに私はトレイをテーブルに置いてガチャンと不躾な音を立てて、穏やかな空気に邪魔入りをしてから、配膳を行った。
 それらしく並べていったものの、ペーパーを巻かれていない抜身のフォークをどこに置いたらいいのかわからずオタオタしていると、横からサマトキさんの手が伸びてきて私が持っていたフォークを抜き取ってしまった。
「すみません」
 サマトキさんはヘタクソにもほどがある私の店員ぶりに文句を言いたそうにこちらを見上げてきたが、私は肩をすくめてごまかした。アルバイトどころか学校の文化祭でさえも接客の経験がない私に、自分の落ち度は「仕方がない」の一言で片付けられる些細なことでしかない。
 そうやって開き直る私に、サマトキさんはあきらめをつけて出されたインチキナポリタン向き直ることにしたようだ。味見をすることになくケチャップの味を掻き消してしまうような勢いでタバスコを振りかけ始めた。
 あっという間にインチキナポリタンは辛味の赤に染め上げられていき、叔父の凝らした工夫など最早関係のないものとなってしまった。こんな食べ方をするなら叔父が小細工をせずともあれが冷凍食品だとバレてしまうことはないだろう。ひとまず安心した私は「ゴユックリドウゾ」とそれらしい言葉を置いてサマトキさんの元から離れた。
 カウンターに戻ってくると、ホコホコと湯気を上げているホットケーキに生クリームを添える叔父が一仕事終えた私を迎えてくれた。
「タイミング良かったね。ちょうど今、出来上がったよ」
 甘いお迎えに私は思わず顔を綻ばせた。
 ホットケーキはカップのソーサーほどの大きさの丸型に人差し指の半分ほどの高さまでふっくらとキツネ色に焼き上げたのを二つ重ねており、上段の中央には裏メニューのトッピングとして固めに泡立てた生クリームをまん丸にくりぬいてきたように乗っけられていた。
 小麦粉と砂糖が焼けた食欲をかきたてる香りとホットケーキの生地の熱で溶け始めた生クリームの甘やかな香りが私に迫ってくる。別腹ではすまないその一皿には多幸感がこれでもかと盛り付けられていた。
「いただきまーす」
 私は他では味わえないとびきりの一皿の一口目にありつこうとするために、ナイフでホットケーキを切り分けていった。カウンターテーブルを挟んで向かい側でアイスコーヒーを飲む叔父は本来であれば常連客にするはずだった話を勝手に始めた。それどころじゃない私は叔父の話をウンウンと相槌を打って叔父の話を聞き流してい。そしてようやく待ちに待った最初の一切れを口に運ぼうとした時だった。
「そういえばさ、左馬刻さんのアイスコーヒー出してくれた?それとも食後に出すの」
「あ!」
「もう、やるならちゃんと最後までやってよ」
 アイスコーヒーを出すのをすっかり忘れていた。ホットケーキを食べるために開けた口で声を上げた私に、叔父はため息をついてグラスにアイスコーヒー出してを注ぐと、どこからともなく小さな器にこぼれてしまいそうなほどにフルーツが盛り付けられたプリンを出してきた。
「どうしたの、これ」
 指を差して訊くと、叔父はそのプリンにクリームを盛り付けて私のホットケーキの皿の方へそっと寄せた。
「叔父さん特製プリン。今日のおまけ。食べていいよ」
「やった。ありがとう」
 両手を上げて喜んでいるとカウンターにもう一つプリンが出て来た。こちらは私のものよりは質素だと感じてしまうほどシンプルに生クリームとさくらんぼが添えられているだけだった。
「こっちは誰のプリンなの」
「左馬刻さん」
 さも当たり前だと言わんばかりの答えに私は後ろを振り返ってサマトキさんの様子を見て伺った。ソファの背もたれに隠れてしまって何もわからないが、インチキナポリタンにダバダバとタバスコをかけていたのを思い出して、前に向き直るとすぐに首を振った。
「ヤクザがプリンなんて食べるわけないでしょ。頼まれたものだけ出せばいいでしょ」
「いいじゃん。せっかく作ったんだし。サービスですって、アイスコーヒーと一緒に提供してきてよ」
「……叔父さんが自分で持っていきなよ」
「言っとくけど、俺からしたら永遠子の分がついでなんだよ」
「これのどこが?」
 私のプリンとサマトキさんのプリン。プリンそのものこそ同じであるが、守られたトッピングを見ればどちらが「ついで」にプリンをおまけされたのか考えるまでもない。それでも、叔父の秤はサマトキさんの方に傾くのが理解できなかった。
 納得のいかない気持ちをあらわにする私に叔父は意地悪くニンマリと笑った。
「だって、サマトキさんはちゃんとお金払ってくれてるけど。永遠子は払う気ないでしょ」
 タダメシ。と私の胸に罪悪感を強く抱かせる魔法の言葉を吐いた。
 なるほど。これは納得せざるを得ない。叔父からすれば、目の前のホットケーキもプリンも私がやったこともない上に、危ないヤクザ相手の接客をすることで生じる労働に対する報酬なのだ。
 叔父の意図することをようやく理解した私はアイスコーヒーとプリンをトレイに乗せて再びサマトキさんの席へと向かった。
 サマトキさんは顔に赤い点をつけているのも構わずインチキナポリタンを夢中になって食べていた。この店のパスタメニューにはじめから大盛りというオプションは存在しないので、叔父は加減することなく二人前のそれを大盛りとして皿に盛っていた。実質二人前のインチキナポリタンをサマトキさんは食べているということになるのだが、サマトキさんはよほどおなかが空いていたのだろう。白い皿に盛られた大きな山はすでに半分程の小ささにまでなっていた。
 私は、フォークの先が皿に当たってカツンと音を立てさせて麺を巻き取っているサマトキさんへ白いコースターをそっと滑らせた。
「食後のコーヒーです」
 アイスコーヒーのグラスの底の型を取るようにコースターに水がしみたと同時に、私は時が止まったように身体が固まった。サマトキさんも口に入れたナポリタンを咀嚼するのをピタリと止めて私を見た。
 明らかなミスだ。
 サマトキさんは今、まさしく私の目の前でお食事中だ。何が食後のコーヒーだ。
 自分が言っていることと動作としてやっていることのあまりの違いに、私は自分のことだというのにおかしく思えて、腹の奥がむず痒くなって笑ってしまいそうになっていた。声には出すまいとどうにかこらえたが、その代わりに指先が震えて続いて出したサービスのプリンは私の動揺をそのまま表しているかのように揺れた。
 おかしな所しかない私に、サマトキさんはジッと見、未だに余震で揺れているプリンへ視線を移してから、再び私を今度は刺すような眼差しを私へ向けてきた。何か言いたそうにしているが、ことばを聞くための口は欲張りにも大きくて頬張ったインチキナポリタンで塞がれていた。
 恐らく頼んでもいないのにプリンが出されたことを問いたいのだろう。私は自分のミスをひとまず棚に上げて、トレイでカウンターにいる叔父を指した。
「プリンは叔父……店長からのサービスです」
 そう説明をしてみたが、サマトキさんのいたたまれくなる視線は依然として私へ向けられたまま。鬱陶しそうにプリンを顎をしゃくった。
 言葉はなくとも言わんとするのはわかった。いや、プリンを出す前からある程度の予想はついていた。元から赤いナポリタンを大量のタバスコでさらに赤く染め上げてしまうような人だから、サービスとはいえ甘いものを食べる気になんてならないだろう。それにそんなものを食べるなんて柄じゃないだろう。
 けれども、私はおままごとのレベルにすら満たない素人の店員だ。お客さんが店長の過剰なサービスを不要だと告げてきた場合のマニュアルなんて持ち合わせているわけがない。
 サービスのプリンがどうのと面倒なのでやり取りをヤクザ相手にするのか、ヤクザはヤクザでももう二度と会うことはない相手だと割り切って、失礼を覚悟でその場を逃げるか。二つを秤に掛けてから、私はトレイを胸に抱えなおして、口を開いた。
「えーと、顔にケチャップついてます」
 あからさまに話を逸らしてやろうと、見て見ぬ振りをしようとしていた事を出してみる。サマトキさんは面を食らった顔をするとお冷で口の中のものを流し込んでから、フォークを持ったままの手でその口元を拭った。だが、サマトキさんの顔には依然としてケチャップが着いたままだった。
「取れてないですよ。右のほうについてるんです」
 サマトキさんにわかるように私が自分の顔を指差して教えると、サマトキさんはもう一度、今度は親指の腹で拭った。
 これでサマトキさんの顔は綺麗になるだろう。そして、私は「取れてますよ。それでは、ごゆっくり」とプリンのことを有耶無耶にしてサマトキさんの前から五体満足で退場。お預けになっていたホットケーキを食べることができる。とっさに考えたにしてはなかなかにスマートな段取りだ。
 しかし、顔を上げて私に顔を向けたサマトキさんによって私の脱出計画は一瞬にして水泡に帰した。サマトキさんの顔のケチャップは拭い切られておらず、白い頬にケチャップの赤い線を引いただけになっていただけだった。
「ン」
 大の男から頬についたままのケチャップを見せつけられてしまったとき、店員というのはどう振る舞えばいいのだろう。考えなしに、笑いでもしたら叔父に代わって私がヨコハマの海底に沈められることになるだろう。
 私は頬の内側の肉を噛んで吹きだしてしまいそうになるのを堪えながら、告げた。そしてすぐにカウンターに戻って新しいおしぼりをとってくるとそれをサマトキさんに押し付けた。
「これでちゃんと顔拭いてください」
 そう告げてからサマトキさんがどんな反応をしたのかわからない。それを見る前に私は叔父のところへ逃げ帰ってきた。
「左馬刻さん、プリン食べてくれた?」
 やっとの思いで帰ってくると、叔父は期待で眼を輝かせながら尋ねてきた。
「テーブルに置いてすぐ戻ってきたからわかんない」
「そんなわけないでしょ。なんか二人で楽しそうに話してたじゃん」
「話してない」
「またまたー」
 叔父はプリンだけでなく、起こりもしないことまで起きているだろうと訊いてきたが、私は首を振って知らないと頑固として言い放った。
 このサマトキさんとの一連のやりとりのおかげで、ホットケーキはできたてのあの柔らかなあたたかさを失い、満月の様に綺麗に盛られた生クリームは溶けて半分以上は形を失い液体になってホットケーキに染み込んでしまっていた。あれだけ楽しみにしていた特別は違う何かへと変わり果てていた。母のおつかいが用事でもあったが、ここでデザートを食べるのも叔父の店を訪ねる用事の半分でもあったのだ。せっかくの楽しみを思わぬ出来事ですっかり不意にしてしまった私は出されたものを片付ける様に腹に入れると叔父の店を後にした。帰ることを告げると伯父は「またきてよ」と叔父は言ってくれたが、再びこの店のドアベルを鳴らす自分を全く想像できなかった。少なくとも次にここを尋ねるのは、サマトキさんが叔父の店からすっかり足が遠のいてからのことだろう。
「それじゃあね」
 帰り際、最後にもう一度だけソファ席の方を見て見るとあれだけ盛られていたインチキナポリタンも叔父の自慢のプリンの器もすっかり空になった状態で
テーブルの端の方に寄せられて、ソファー越しにはまたたばこの煙が細く長く
上っていた。