「おい、ここまた間違えてるぞ」


夜20時過ぎ。外廻りから社内へと戻ってきて直ぐに、デスクの大半を陣取って置いてあった書類に目を通す。A4用紙に連なる文字を追い、案の定間違えてばかりの内容に、内心、ちっと舌打ちが溢れた。直ぐに部下のシャチへと的確な指示を出せば、「あ!いっけね!すぐ直します!」と後頭部を叩くシャチに対して、はぁ、と大きな溜息が漏れる。返事だけはいつも立派だが、いい加減見直しという単純作業にも目を向けてほしいもんだ。

「…あ、そういえばキャプテン!今日これから何か予定とかあります?」

「あぁ?」

「折角の花金なんで、久々にこれでも行きませんか?」

「…………」

指示を出して数分後。部署に二人しか居ないこの状況に気を緩したのか、デスクワークをこなすシャチが俺に声を掛けてきた。恐らくこれ、というのはこいつの指の動きからして、飲みに行かないかという誘いだろう。どこにそんな余裕があるのか理解不能だが、これと言って断る理由もない。「お前の仕事の成果次第だな」と答えてやれば、「うぇえーキャプテン冗談きついっすー」と、もはや上司に向かって話し掛ける雰囲気ではない軽いトーンで、眉を下げつつもシャチはその場にガクっと肩を落とした。

「いいからさっさと資料纏めろ。ミーティングは週明けだ」

「うぃっす〜ひとまず頑張りまーす…」

語尾に力はないが、ようやく目の前の状況を理解してくれたらしい。胸を撫で下ろすように一息ついて、今日の昼間に取引先と交わした名刺の整理をしようと、胸ポケットから名刺入れを取り出す。と、同時に、ある一枚の名刺に、自分の指先と脳の動きが停止した感覚がはっきりと分かった。

椅子の背もたれに体重を預けて、背後にあるビルの夜景側へと身体ごと方向転換をする。そのまま肘置きに頬杖をついたまま一枚の名刺に視線を集中させれば、先日のパーティーにて少しだけ言葉を交わした、あの女の横顔が思い浮かんだ。

『また、どこかでお会い出来ると良いですね!』


また、だなんて言葉。あの時あの状況でよく出てきたもんだ。確かにうちとレッドフォース社は多少取引はあるが、営業マンと秘書という立場上、よっぽどデカい商談がなければお互い顔を合わす事なんて滅多にない。いくら自分が会社のエースだともてはやされようが、歳的にもまだ社会的立場としては微妙な位置付けだ。だが、例え社交辞令だったとしても、あの女の表情は中々の本気さだった。つくづく変わった女だ。

「キャプテン、出来ました!…って、あれ?おーい、キャプテーン」

自分でもよく分からない感情に包まれつつも名刺に釘つけになっていれば、背後から俺に呼び掛けるシャチの掛け声に、珍しく少しだけ反応が遅れた。「あぁ…そこに置いておけ」と小さく指示を出せば、横に首を傾げて、不思議そうに頭を掻くシャチの後ろ姿が窓越しに写る。その姿を確認した後、名刺をデスクの端へ置き、書類へと目を通した。するとようやく俺が待ち望んでいた内容と合致して、今度はさっきとは違う安堵の息を吐く。

「上出来だ。おら、さっさとパソコン閉じろ」

「え、」

「これ、行くんだろ?」

「キャ…キャプテン…!」

何分か前にこちらに対して指をクイっと曲げ、嬉しそうにジェスチャーを示したシャチの真似をしながら返事を返してやる。すると何故か涙目で俺を見つめるシャチの背後に、一瞬本気でお花畑が見えて一歩退きそうになってしまったが、まぁそれもまたこいつの良い所だ。自分とは違っていつだって素直で、上司という立場から見てもこいつは扱いやすく、癖の無い奴だ。たまには息抜きがてら褒美を与えてやっても良い。

「行くぞ」

「あ、ちょ、ちょっと待って下さい!今シャットダウン中なんで…!」

そう言って俺に掌をかざすシャチに思わず弧を描けば、ふと、さっきデスクの端の置いた名刺が俺の視界へと鮮明に写り込んでくる。

『レッドフォース社 秘書課 ミョウジナマエ』

綺麗な明朝体で印刷された文字を辿り、一番上の段の引き出しに収めて鍵を掛ける。「シャチ、これ以上時間掛けるなら置いてくぞ」と、その場を立ち上がり、部署の電気をパチ、と消せば、「あ!ちょっと待って下さいよ、キャプテン!」と、後ろから慌てた声を出しつつも俺の背中を追うシャチの声が聞こえて来た。

そんな慌てふためいたシャチを急かしつつも、さりげなく歩くスピードを緩めて、俺の隣に並ぶ、出来が悪くて憎めない部下の肩をガシ、と勢いよく掴み低音で呟いてやる。

「俺をこんな時間まで残業させたって事は、シャチ、てめぇ分かってんだろうなぁ?」

そう冗談交じりに、だが至って顔は本気っぽく強く脅せば、ヒィっ!と肩を竦めたシャチに無意識に口角が上がった。本当にこいつはからかいがある男だ。まぁ、今日はそんなこいつに免じて奢ってやるか。そんな事を考えつつもビルを出れば、木枯らしが吹く風に目を細めた。あぁ、もうすっかり秋だな。なんて、一人そんな事をぼんやりと考えつつも人混みで溢れ返る街中をポケットに手を入れ、男二人肩を並ばせながら華やかな街を歩く。

どうせ明日は休みだ。たまには男同士、仕事や人生観について語る事だって悪くねぇな。そんな事を一人、考えながら。

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