「すいません、少し失礼致します」


パーティーが開始して、はや一時間。相手が求める完璧な受け答えにもいい加減疲労が溜まり、何とかこのくだらねぇ場から逃れられないものかと思考を巡らせてみた結果、結局何の捻りもない、便所に行くフリというよくありがちなパターンに収まった。相手側に軽く会釈をして直ぐ様その場を立ち去れば、直後に俺の視界に飛び込んできたナミ屋の嬉しそうな横顔。人がこんなにも不得意の営業スマイルをこなしているというのに、てめぇは呑気に知人と世間話とは良い身分だな。

「おい、てめぇ何優雅にここで談笑なんざしてやがる。さっさと専務の隣にでも行ってご機嫌取りしてこい」

歩くスピードを早めて背後から首根っこを掴んでやれば、「いたっ…!もう!あんたいきなり何なのよ!」と、こちらに振り返ったナミ屋が涙目で俺を鋭く睨みつける。そりゃこっちの台詞だ。てめぇこそいい加減にしろよ。

「あ、彼が噂のナミの同僚の人?初めまして、私レッドフォース社の秘書をやっております、ミョウジナマエと申します。宜しく」

「あ…?」

未だジタバタと俺の手元から逃れようと首を振るナミ屋の影から顔を覗かせてきたのは、世界でもあの四皇と呼ばれる程の大企業、レッドフォース社の社員、ナマエと言う女だった。だが、俺が目を丸くしたポイントはそこではない。何故なら、今俺に名刺を渡してきたこの女こそ、さっきホテルの受付にて椅子に座っていた張本人だったからだ。

「社長、並びにナミからよくあなたのお話は伺ってます。何でも凄くキレる営業マンだそうで」

「さぁ…そりゃどうだかな」

「あはは!謙虚な方ですね。もっと自信もたれたら良いのに」

くすくすと口に手を当てて笑みを溢す女に調子を狂わせられながらも、ようやく掴んでいたナミ屋の首根っこを離し、顎で会場内奥へと目くばせをする。ちっとわざと舌打ちをし、早歩きでこの場を後にしたナミ屋の表情はなかなかのもんだ。まぁ、そんな事知ったこっちゃねぇがな。

「お前も秘書ならさっさと赤髪の元に戻れ。あんな性悪女の相手なんざしなくとも、いくらでもやる事くらいあるだろうが」

「性悪だなんてとんでもない。ナミは私にとってかけがえのない、学生時代からの親友よ?それに、心配には及びません。ほら、見て下さいよあれ」

「あ?」

女がすっとかざした人差し指の行方を追うと、そこにはある一人の男の周りに、わんさかと群がる人の山があった。その中心核を探しあててみれば、四皇とは名ばかりの陽気な赤髪の男が笑っている。…なるほど、あれじゃ逆に手も足も出せねぇな。恐らくあれがあの男の営業スタイルなんだろう。何ともラフなやり方だ。

「ね?シャンクス社長っていつもあんな感じなんです。持前の明るさとカリスマ性で、あっという間に会場内のスターになっちゃう。秘書の私の役目なんて、あってないようなものなんです」

「まぁ、確かにな」

「それより、あなたこそ戻らなくて大丈夫なんですか?やり手の営業マン、トラファルガー・ローさん」

「あぁ?俺の名前知ってんのか」

「勿論、知らない訳ないじゃないですか。あなたはうちの会社でも男女問わず有名ですから」

「はっ…そりゃどうも」

嫌味たっぷりの受け答えで軽く鼻で笑ってやれば、「何でそこで不機嫌になるんですか」と、女はまたクスクスと喉を鳴らす。何がそんなに楽しいのかこっちとしては理解不能だが、俺がさっきから気になっているのはそこじゃない。はぁ、と小さく息を吐き、壁に背を預けたまま俺の隣に立つ女に声を掛ける。

「…さっき、受付にいただろ」

「え?」

「やけに物思いに更けってやがったな。見てるこっちが恥ずかしくなるくらい」

「み、見てたんですか…!?いつの間に…!」

恥ずかしい!と、頬に手を当てたままワーワー喚く女の横顔を気付かれぬよう盗み見る。最初にも感じたが、やたら表情がコロコロと変わる女だ。不思議と見てて飽きねぇ。

「このホテルに何か深い想い出でもあんのか」

「え、」

「さっきのお前の顔。そんな感じだった」

「…………」

未だ壁に体重を預けたまま、女に小さくそう問いかければ、「さぁ…?物思いの秋だからじゃないですか?」と、はぐらかされる。それがやけに勘に触って、「そうかよ」と、愛想なく相槌をうった。

「…それに例えそうだったとしても、想い出なんていつも都合が良いように蘇るじゃないですか」

「あ…?」

「だから私、こう見えても意外と過去は振り返らないタイプなんです」

「…………」

そうポツリと、まるで何かを確かめるように頷いた女の表情はどことなく遠い目をしていて、俺は柄にもなく声を失くしてしまった。女の言葉の意味を解読するとしたなら、強さの裏にある弱さ、そんな所だろう。

「なーんて!…あ、じゃあまた!ほらあれ、社長が珍しく私を呼んでるんで」

「あぁ…」

そう言って壁から身を離した女は、少し遠くに見える赤髪に向かって指を差しつつも、こちらに対してにっこりと笑う。その屈託のない笑顔が何故か強がりのように思えて仕方がなかったが、これと言って引き留める理由もない。そう思い、手にしていたグラスを持ち替えて、にこにこと微笑む女に向かって軽く手を振った。

「また、どこかでお会い出来ると良いですね!」

まるでまた近い内に再会すると確定しているかのようにそう強く言い残した女の後ろ姿を無意識にじっと見つめる。カツカツとヒールの音を鳴らし、上司に掛け寄る女を暫く目に焼き付けた後、残り僅かな制限時間の戦場に戻る為、俺も負けじとその場で踵を返して歩むスピードを上げた。

「……また、か。変な女」

そんな独り言を呟いて会場内奥へと戻れば、不思議と気持ちが軽くなった気がした。下手すりゃ始めより幾分か、胡散臭い奴等に対して上手く笑えてる感覚さえある。

恐らく原因はあの女だ。その時の俺は、ただ漠然とそう思った。

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