「あ?立食パーティー?」

「そ、勿論相手は取引先ばっかりだけどね」

ピピ…と、休憩室にあるポットからお湯が沸いた電子音が響く。それを見計らうかのように女はインスタントコーヒーに向かって慣れた手付きで注ぎ、そして少し眉を下げて力なく笑った。

「冗談じゃねぇよ…誰がんな面倒な場所に行くか。他当たれ」

「って、言うと思ったわ。でも無駄よ?既に私の部署であんたと専務の同行スケジュールを組んでる真っ最中だから」

「あぁ?」

「大事な集まりに優秀な部下を連れて行きたいのは、普通の上司なら当然の思考でしょ?」

「…………」

ほんと、いい加減上手く生きなさいよ。と、女は小さく呟き、手にしているマグカップに口を付けた。その動作に気を取られるように目を向けた後、部屋の奥にある喫煙室へと歩を進める。ドアノブに手を掛けた所で「あと、」と女はゆっくりと口を開いた。

「当日は高級スーツで宜しくね。身なりを整えるのも、大事な仕事の一環よ」

「…ナミ屋、俺はまだ一言も行くとは言ってねぇ」

「そのナミ屋って言うのも流行んないから、さっさと改名してよね。じゃあ、また」

何ともいたたまれない自分の意見を言うだけ言って、ナミ屋は休憩室を後にした。ちっ、と軽く舌打ちをしてようやく喫煙室の扉を開け、煙草に火をつける。天井に向かって大きく息を吐き出すように煙を燻らせれば、ある一定の高さで空気と一緒に同化して消えていった。

立食パーティーなんざご免だ。今まで何度も立ち合った事はあるが、あのいびつで上辺だけの会話には到底慣れそうもねぇ。社会と言うものはそういうもんだ、と言われればそれだけの事だが、どうも自分には合う気がしない。ただ居心地が悪く、長居すればする程息苦しくなるだけだ。

「……面倒くせぇな」

社会人になって早数年経った。学生時代に戻りたいだのそんな幼稚な事はいちいち考えないが、毎日の激務に追われ狭まる時間。憂鬱さだけはどうも拭えない。煙草を咥えたまま窓の外に視線を逸らせば、雲かがったどんより空に目を細めた。こんな天気の悪い日に思い出すのは、いつも決まってあの断片的な雨の日の記憶だ。

『あぁ、有難う。でも気にしないで。私、好きでここに居るから…』

…あの後、あの女は無事に家に帰れたのだろうか。何故か不思議とその後の記憶がすっぽりと抜け落ちている。土砂降りの雨の中、まるで誰かの帰りを待っているかのように、ただあの場所にて立ちつくしていた不思議な女。もう顔も思い出せねぇのに、こんな天気が悪い日にいつもチラつく記憶。例え思い出せた所で、あの女と俺は何の関係性もねぇのに。

「……まさか、幽霊じゃねぇだろうな」

自分でもらしくない発言に鼻で笑い、吸い終えた煙草を灰皿に押し付け、壁から身を離す。とりあえず幽霊だろうが何だろうが、訳が分からねぇ何年も前の記憶を追いかけている場合じゃない。何て言ったって社会人はそれこそ毎日が戦いで、仕事と僅かに残されたプライベートを行ったり来たりで暇がねぇからな。

「行くか」

大きく背伸びをして、ドアノブに手を掛けたその時。窓の向こう側で鳥の鳴き声が聞こえ、何となく踵を返して辺り一面を見渡した。電線に小鳥が一羽、心なしか不安そうに鳴いている。親鳥と離れてしまったのだろうか。何故かその小鳥があの雨の日の女とリンクしている気がして、俺は暫くその場所で、視線を逸らす事が出来なかった。


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