RRRRR....


もう何度、その無機質な機械音を耳に聞き入れた事だろう。電話の向こう側に居るであろう人物と連絡が取ろうにも取れない。もはや幾ら発信画面をタップしようが何をしようが、あいつが応答しない事は分かっていた。

「チっ…」

決して認めたくはないその現実に苛立ちが募る。やがて複数回繰り返したコール音は途切れ、画面はいつものTOP画面へと戻っていった。そのまま背後にあるソファーへと携帯を投げ捨てる。思わず零れた溜息を吐きながら、その場に仰向けの状態のまま勢いよく後ろに倒れた。

『うん、またね』

ナマエと最後に交わした言葉は、いつもと変わらない同じやりとりだった。それは間違いない。だがその反面、何故かあの時のあいつは少し寂しそうに笑ったような気がした。苦笑いでもなく、かと言っていつもの穏やかな笑顔でもない。ただ寂しい、そんな感情をさらけ出すかのように。

「……………くだらねぇ」

瞼を閉じて、グッと握りしめた拳を目に当てる。脳裏に過るのは、いつだってあいつの嬉しそうに笑った顔だ。いつの間にこんなにも惹かれていたのだろうか。そんな事を考えながらいつかのペンギンとの会話を思い出す。


『本当は今すぐにでも、その女に会いに行きたいんじゃないんですか?』


……………俺だって会いてぇよ。それが出来たら、今こんなに苦労してねぇ。





「これ、宜しくね。あんたぐらいしかお願い出来ない案件だから」

ドサ、と大量のA4用紙をデスクに置かれ、そのままその声の主に視線を向けた。結果的に睨みつける形となったせいか、その女は面倒臭そうに眉を寄せ、「なによ。何か文句でもあんの?」と俺に不満を吐いた。

「文句大ありだ。おいナミ屋てめぇ…俺を殺す気か。何だこの量は。こっちに回すとしても限度ってもんがあるだろうが」

「うるさいわねぇ。別にいいじゃない、それだけ仕事を買われてる証拠よ」

「お前如きに買われても意味なんざねぇんだよ。失せろ」

「なによもう。ケチくさい奴ね。信じらんない」

そう言って、その場で文句を吐き捨てる彼女を無視して自分のPC画面へと視線を戻す。そのまま仕事の続きを再開させようとキーボードに手を掛けた所で、バン!と強く、そして鈍い音が部署内に響き渡った。

…………あぁ?

「………てめぇ、何してやがる。その手を退けろ」

「ちょっと顔貸して」

「あぁ?」

「あんたに話があんのよ。そんなに時間掛けないから、いいから顔貸して」

さぞかし不機嫌そうにそう口にした彼女は、俺の顔を睨みつけつつも部署外の方向へと親指を指し示した。面倒臭ぇ事になりそうだと心の中で溜息をつき、席から離れる。ナミ屋の後を追って出た外の風は、ビュウビュウと激しく吹いていて、その勢いに任せて風に乗る2羽の鳥が俺の目の前を横切って行った。……あぁ、そういえば久しぶりに見たなあいつら。そんな事を考えつつも、ふと視線をナミ屋へと向ける。

「なんだ、急に。言っとくが本当に手短に済ませろよ。俺はお前と違って暇じゃねぇ」

「あんたさ、あの子に何してくれてんの?」

「……………あぁ?」

「キス、したでしょ。ナマエに。どういうつもり?」

その発言に、一瞬で自分の動きが止まった。驚きからか、目を見開いて俺の真正面に立つナミ屋へと無言のままその場に立ち尽くす。

「本気なの?あんたあの子に」

「……………」

「私、前に言ったわよね?ナマエには手を出すな、って」

「……………」

「それとも全部知った上でのその行動なの?どうなのその辺」

何も応えない俺に痺れを切らしたのか、ナミ屋は心底不機嫌そうに俺に向かって「何か答えたらどうなのよ」と応えを急かす。そのまま暫くしてやっとの思いで口にした言葉は、「あいつから聞いたのか」という、可でも不可でもない台詞だった。

「聞いたわよ?でもそれは私があの子にしつこく答えを迫ったから。多分あのまま私が何にも聞いてなけりゃ、きっとあの子は今も何も私には説明をしてないままだったと思う」

「……………」

「単刀直入に言うわ。中途半端な気持ちならさっさとあの子から手を引いて」

「………あ?」

「もうこれ以上、あの子が辛い想いをする姿は見たくないのよ。私」

「……………」

あの子が前に付き合ってた昔の彼の話は聞いてるわよね?そう言いながら、ナミ屋はカツカツとヒールを鳴らしつつも、そのまま外に組み敷かれてある手摺りに身体を預けた。そして溜息交じりに小さく息を吐き、そのまま頬杖をついたまま話の続きを口にする。

「あぁ…」

「あの子ね、泣かないの。私の前ではただの一度も」

「……………」

「多分…私に心配を掛けさせまいと気を使ってるんだろうけど、でも逆にその姿がたまに痛々しくてね。なんていうかこう…辛くなるのよ、たまに見てて。あぁ、この子はまた無理して笑ってるんじゃないか、とか、また何処か私の知らない所で辛い想いをしてるんじゃないか、とかね」

「……………」

「その度に思うの。もうあの子には悲しい想いなんてして欲しくないって。もう2度とあんな辛い経験なんてさせたくないな、…って」

「……………」

「だから、あんたがあの子に対する気持ちが本気じゃないとしたら私は阻止するだけ。ただでさえ大きな傷を背負ってるのに、これ以上重い荷物なんて持たせらんないから」

そう言って、ナミ屋はもう一度深い溜息を吐いた。彼女のその姿は、俺に背を向けたまま前を向いている状態で、いまいちはっきりとした顔の表情は読み取れない。だが別にいちいちその顔を確認しなくとも、今俺の目の前に立っている彼女の表情がどんな顔をして語り掛けているのかなんて、それこそそれは容易に想像出来た。

「…………半端な気持ちな訳ねぇだろうが」

「え…?」

「遊びだったら今こんなに苦労してねぇんだよ…本気だからこそ今こんなに手こずってる」

「………トラファルガー」

「正直、自分でもかなりの誤算だった。たかが一人の女にこんなにも入れ込む日がくるなんざ」

「……………」

「分かってんだよ、そんな事自分が一番。何やってもあいつは手に入らねぇ事も、どんな言葉をくれてやろうとも、あいつの中にはその男しか存在してねぇ事も」

「……………」

「……分かってんだよ、自分が一番。それこそ嫌になるほど」

その言葉を口にした瞬間、何かが音を立てて俺の目の前から崩れ落ちていった。……そうだ。そんな事いちいち忠告されなくとも自分が一番よく理解していた。どんなにキスをしようが、どんなに抱き締めてやろうが、あいつの心の中を支配するのはいつだってその男だ。その相手は俺じゃねぇ。

『俺が潤してやろうか』

隙を見てその時だけ一瞬手に入れた気になっても、どうせ次の瞬間にはそこに俺の存在はなくなる。何度繰り返した所でそれは同じだった。そしてその事実はいつだって変わる事はない。

「………本気、なのね。あの子に」

「あぁ…残念ながらな」

「そう、なら安心だわ」

「……………あ?」

何時の間に此方に踵を返していたのだろうか。地面に向けて少しだけ俯かせていた頭を真正面に向けると、そこには安心したような顔を俺に向けたナミ屋が少しだけ微笑んで立っていた。

「………どういう意味だそれは」

「そういう意味よ。あんたが本気なら別にいいの、それで」

「あぁ?」

「私はただ、あの子に中途半端な思いで同情した男に振り回されて欲しくなかっただけ。だから今その言葉を聞いてホッとしたわ」

「……………」

「それに、」

そこまで口にして、ナミ屋は手摺りに預けていた背を離し、此方に近付いてくる。そして俺の目の前まで辿り着き、俺の肩に手を乗せてこう言った。

「あんたが一番分かってるんでしょ?あの子には勝てないって」

「……………」

せいぜい頑張ってね。陰ながら応援してるわ。そう言い残して、ナミ屋はもう一度何かを確認するよう2度俺の肩に手を添えた。よく分からねぇが何となくその行動に苛ついた俺は、「やめろ」と文句を口にしつつも軽くその手を払い除ける。

「トラファルガー、あと最後にもう一つだけ忠告しとくわ」

「……あぁ?」

俺の横を通り過ぎたナミ屋が、背後にあるドアノブに手を掛けたままピタリとその場に足を止める。そして何かを躊躇うかの如く、俺の方に振り返って言葉を濁しつつも、真剣な面持ちでじっと俺の目を見つめる。そしてこんな捨て台詞を吐いた。

「あの子は、彼の事忘れたりなんかしないわよ。……この先ずっと、何年、何十年経っても」

その覚悟があるんなら、是非ともナマエの事を幸せにしてあげてよ。そう言って、彼女は俺の前から姿を消した。

「…………だから、んな事はとっくの前から分かってんだよ」

まるで自分に言い聞かせるかのように、ただ一人、誰も居ないその場で独り言を吐く。何かから顔を背けるように、無意識に見上げた空はどんよりとした曇天だった。そのうやむやな天気が何だか今の自分の心情と重なった気がしてやるせない気持ちになる。そんな俺を洗い流すかのように、その何時間後の外は見事なまでの土砂降りへと姿を変え、何度も何度もコンクリートの地面を強く叩きつけては、俺の心に大きな傷跡を残した。





RRRRR…

仕事帰り、いつものように革靴を地面に響かせつつも、無機質な機械音が俺の鼓膜まで何度も何度も繰り返しコール音を伝える。その音を背景にスーツの胸ポケットから煙草を一つ取り出し、夜空に向かって勢いよく白い煙を吐いた。土砂降りの雨に掻き消されるように、白い煙がそのまま高く舞い上がっていくその様は、何故か今の自分のように行き場所がないように思えて、一人苦笑いを溢す。


『…それに例えそうだったとしても、想い出なんていつも都合が良いように蘇るじゃないですか』

『だから私、こう見えても意外と過去は振り返らないタイプなんです』


………正直、今なら分かる気がした。あの時そう口にした、あいつの考えが。


『あの時、何でか予感がしたの』

『彼にもう二度と会えない…そんな予感』


そこまで思い返して、その場にピタリと足を止める。


「…………現実逃避しなきゃならねぇ程、そんだけ惚れてるって事か」


そう口にして、未だ無機質な音を響かせていた携帯を耳から離す。そのまま終話画面をタップしてコートのポケットへと収納させた。傘を手にし、くわえ煙草をしたまま目的地へと向かうその先をぼんやりと見つめる。そしてそのまま、俺はただ一人無心でその場所に立ち尽くしたまま、ナマエの言葉を思い返していた。


『そんなに身構えなくたって大丈夫ですよ』

『昔の話ですから』


「……………何が昔の話だあのバカ。全然忘れてねぇだろうが…」

行き場のないこの俺の想いは、一体今後何処へ向かうのだろうか。右を見ても左を見ても、はたまた前を向いても後ろを振り返った所でその答えは一向に見えてこない。それともいずれ全部粉々に砕け散り、そして何時かこの想いは風化していくのだろうか。一人そんな事を考えながら止めていた足を動かして前に進む。

――止めるなら今のうちだ。

そう俺の何処かで、もう一人の冷静な自分が警告音を鳴り響かせる。だが何度繰り返しサイレンが伝わってきた所でもう遅い。

『もうこれ以上、あの子が辛い想いをする姿は見たくないのよ。私』

昼間、寂しそうにそう口にしたナミ屋の言葉が脳裏に過った。……あぁ、その意見は俺も同意見だな。あいつにはいつだって笑っていてほしい。


願わくば、俺の隣で。

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