大学生になって直ぐに始めた一人暮らしも、ここ何年間で完全に板についてきた。最初は面倒で仕方がなかったゴミの分別も今ではお茶の子さいさいだし、週末に一度はする部屋の掃除だって案外好きな作業なんだと気が付いた。唯一料理だけ未だに苦手分野ではあるけれど、気分転換にたまに作ると頭の中がリセットされたような気がして気分が良い。あぁ、一人最高!なんて思いつつも食べ終えた食器洗いをしていると、ピンポーンと部屋の呼び鈴が鳴ってルンルン気分のテンションが一気に下がった。何故なら今来た訪問者が誰か見当がつくからだ。

「寒ぃ…早く開けろ」

そう言って、モニター越しにギロりとこちらを睨みつけるある一人の男に対して無意識に眉間に皺が寄る。そしてここで溜息を一つ。もはや最近この動作が習慣化してきている気さえして危ない危ないと自分に喝を入れた。別にパタパタと急いで玄関まで歩く訳でもなく、至って普通の速度で歩を進めてガチャリとドアを開けた瞬間「遅ぇ」と、本日2度目のご不満を頂いたがそんな主張なんてフル無視だ。せめてもの抵抗を示す為にはこのマイペースな速度が必要不可欠なのである。

「腹減った。飯」

「ないです。私はローの飯炊き女でも彼女でもないんだからしません」

「あ?」

「………クリームシチューでいいかな」

「あぁ、先に風呂入る」

まるで自分家かのように、彼のトレードマークとも言える黒いロングコートとフワフワの帽子を脱ぎ捨て、乱雑にソファーに投げ捨てたローの後ろ姿をただぼんやりと見つめる。


『まぁまぁそう言わずに。相変わらずつれないねー、ナマエちゃん』


その遠ざかる背中を眺めながら、記憶の中の彼とローの後ろ姿を並べ一旦思考が停止した。どうして何もかも違うのに、どうしてたまにふと二人を重ね合わせてしまうんだろう。

「………全然似てないのにね」

そうポツリと一人呟いて、ソファーに横たわるコートと帽子を手に取り丁寧にハンガーに掛ける。結局ローの我儘を断りきれなかった為、よっこいしょ、なんてババ臭い独り言を言いながらキッチンの冷蔵庫を開けて右に左に視線を泳がせた。えーっと…一応サラダと…お酒もいるのかな。まぁいいや、適当に置いとこう。そんな女子力の低い考えをグルグル張り巡らせながら、たまたま今日作りすぎていたクリームシチュー(その他諸々)を淡々とリビングのテーブルに用意していると、お風呂から上がってきたばかりのローが丁度戻ってきた所だった。

「ビール飲む?」

「あぁ」

カシっ、と開けた缶ビールのプルタブを鳴らしてコポコポとグラスに注ぎ、そしてゴクゴクと勢いよく自分の喉に流し込む。……って、し、しまった…!ついいつもの癖が…!

「くく…自分で飲むのかよ」

そう言って、怒る訳でもなく口元を押さえながらクスクスと笑うローの表情筋はいつもより数段緩んでいる。…あぁ、そうか。だからたまに彼と比べてしまうんだ。こうして屈託もなく笑うこの笑顔が少し、あの頃の彼に似ているから。

「なんだ、まだ結構あるじゃねぇか」

「え?…あぁ、ビールの事ね。うん、まぁ仕事から帰ってきてからの唯一の楽しみだからね。毎週末結構買い置きしてるんだ」

「へぇ。そりゃ懸命な判断だな」

お風呂上がりでまだ少し残る水滴をタオルで拭きながら、ローはスタスタとキッチンからこちらへと戻ってくる。そしてさっきの私と同じ動作で軽快に缶ビールのプルタブを開け、そのままゴクゴクと美味しそうにビールを堪能した。

「……なんだ、人の顔ばっか見やがって。キモち悪ぃ」

「んーん。別に」

「お前の事なんざ無視して食うぞ、俺は」

「どーぞどーぞ。たーんと召し上がれ」

ある程度喉を潤したローは、余程お腹を空かせていたのだろう。クリームシチューを始め、数々の料理へと箸をつけていく。その微笑ましい姿を眺めながら、彼の端正な顔をただジーっと見つめ続けていた。


『黙って俺の胸の中にいろ』


……あの夜から少し変わった事がある。それはローと私の関係だ。別に付き合ってる訳でもない。身体の関係がある訳でもない。ただこうして頻繁に彼が家に来る機会が増えた。細かい事まで指摘すれば、お互いの敬語が無くなった事や、(彼に至っては最初から敬語なんてなかったけど)私が彼の事を、ロー、と呼ぶようになった事も含め全てだ。始めは何事かと彼のその行動に疑いを持ったもんだが、気付けば直ぐにそんな疑問は消えていき、不思議とローが我が家に存在する事に何ら不安はなくなっていった。

『お前なら暇してると思ってな』

そう一言余計な言葉を添えて、ズカズカと私のテリトリーに土足で入り込んできたこの男は、意外に優しい一面もあり、一人暮らしの女には厳しい電球の入れ替えやら何やらと世話を焼いてくれる事も多々あった。現に助かってるから良いとして、ただ一つ思うのはもしローに彼女がいたらこの関係はマズいな、と言うことだ。……よし、もし何か面倒な事が起きたら嫌だから先に聞いておこう。

「ねぇ、ローは彼女とかいないの?」

「あぁ?」

「いや、もし居たらその彼女に悪いなと思って」

「……………」

未だ頬杖をついたまま、まるでぬいぐるみにでも話し掛けるかのようにぼんやりとした表情で彼に語り掛ける。するとそれまで箸とスプーンを止める事なく胃を満腹まで近づけていたローの手がピタリと止まった。そして何やら悪い事でも思い浮かんだような顔をして、「気になるか」と、私に向かって返事を返す。

「いや別に。まぁ…気になるって言うより面倒な事に巻き込まれるのだけはごめんだな、と思って」

「今は特にハッキリとした関係の奴はいねぇ」

「そうなんだ。うん、なら良いんだ。ちょっと聞いてみただけだから気にしな」

「それに、」

「……え?」

「今は危なかっかしくて見てらんねぇ、ある一人の馬鹿のお守りで手一杯だからな。他の女なんざ目に入らねぇ」

「……………」

そう言って、動きを止めていた右手を缶ビールまで伸ばし、ローはゴクリと一口アルコールを摂取した。その動作に何故か彼の色気を感じ、さっきのローの言葉の意味を理解して赤面してしまった自分を誤魔化すように、つられるようにテーブルの端に置いてあった缶ビールへと手を伸ばす。

「俺が潤してやろうか」

「え…?」

「喉、乾いてんだろ?」

その言葉を皮切りに、目の前に座っていた筈のローの身体が徐々にこちらに近付いてくる。どうやら椅子から身を離してテーブルを挟んだこちら側に乗り出してきたようだ。まるで壊れ物を扱うかのようにそっと私の頬に触れ、そのまま優しくスルリと撫でる。その突然の行動と彼の妖美な視線を追った瞬間に悟った。次の瞬間、私達は一線を飛び越える、と。

「口開けろ」

いかにも慣れた感じで私の後頭部に腕を回し、掠れた声でそう指示を仰いだローに対してドキドキさが増した。手にしかけた私の缶ビールを前から簡単に奪い取り、口に含んだ微量の液体と彼の形の良い唇がゆっくりと近付いてくる。

「………ロー」

無意識に名前を呼んだ瞬間、勢いよく互いの唇が重なった。次第に大きくなっていくときめきと彼の大きな背中にしがみつき、気付けば甘えるように彼にキスを強請る。始めは控えめに、そして次は啄むように、ただ無心で、ただ彼に全てを預けるかのようにがむしゃらに深く深く舌を絡めあう。キスを繰り返す最中、ゴトン、と床に何か物が落ちたような気がしたけど、そんな事を考える余裕なんて一つもなかった。

「ナマエ、」

はぁ、と色っぽい声と熱い吐息を含ませてローが私の名前を何度も呼ぶ。いつの間に移動して来ていたのか、行儀悪くテーブルに身を乗り出して完全にこちら側へとやってきた彼の腕を捕まえて深く深くその身を委ねた。目を閉じたまま卑猥な水音を耳に聞き入れながら、「あぁ、もう戻れないんだ」と頭の片隅でそんな事を思う。キスをしながら涙を流す人間は、一体世の中にどれ程存在するんだろう。もう二度と味わう事はないだろうと諦めていた幸福感に包まれながら、ふと一人そんな事を思った。

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