例えば、出会った瞬間に何かを感じて、そしてそれが最初から二人を惹きつける何かがあるとしたなら、きっとあの頃の私達は『運命』を感じていたんだろう。
「………また来たんですか」
「まぁまぁそう言わずに。相変わらずつれないねー、ナマエちゃん」
「あの、いい加減にしてくれません?何度も言いますけど、私先輩と付き合う気なんて一ミリもないんで」
「わーかってるって。分かってる分かってる!じゃなくて、はいこれ」
「え?」
「休憩室に落ちてたよ、それ。確か大事な物だって前に言ってたよね?」
「………あ、りがとうございます」
「いいえー、あ。お礼にお茶だけ貰うね」
「………」
やっぱ夏は麦茶に限るよねとか何とかかんとか言いつつ、彼は自然に冷蔵庫の中にあるペットボトルに手を伸ばして、器用に空中から自分の口の中へとお茶を流し込んだ。親指でギュっと滴を拭い、本当にお茶だけを貰ってすぐに「またね」と優しく私の頭を撫でてその場から去って行く。
「……なんでそんな事覚えてんのよ」
そう小さくなっていくその姿を後目に、一人呟く自分の声はこの狭い空間内へと消えた。
…そう、彼はいつだってそういう男だった。
始まりは何てことはないただのバイト先の先輩。暇つぶし+お小遣いの金額に不満を覚えた春休みに、街中に転がっていた求人情報誌に手を伸ばした事がきっかけで出会った。
「俺、今生まれて初めて運命を感じたんだけど」
そんな嘘か本当かよく分からない台詞を吐き、その直後ベタに目をハートマークにしてこちらに飛び込んできた彼の腹に、ボディーブローをかました事は未だに私の武勇伝だ。
「良いんじゃない?人にどう思われようが自分の好きにしてみれば。ほら、案外みんな良い意味悪い意味自分の事以外見えてないもんだし」
若かった、と言われればただそれだけの事なのかもしれない。当時の私はいわゆる遅すぎた反抗期街道まっしぐらだった。今思えば、青春時代とは案外キラキラしたものなんかじゃなく、もっとドロドロとした黒い感情に包まれた日々だった気がする。少なくともあの頃の私にとって、当時のことの重大さは計りきれない大きさだった。
「自分のやりたいようにやってみな。人生一回きりだよ」
そう言って少しだけ困った顔をしながら微笑んだ彼の目尻の皺が、まるでその人柄を現している気がした。人生相談、とまではいかないけど、将来に不安を覚えていたある日、たまたまバイト帰りに彼に話を聞いてもらった事がきっかけで私達の関係は始まった。
正直、それまでどこか年下のような気がしていた、彼のしっかりとした発言に驚いた事は未だによく覚えている。ギャップに惹かれた、と言えば浅はかで単純な理由だったかもしれない。だけど気付いた時には、自分の中で彼の存在はとてつもなく大きな物となり、そして瞬く間に心を奪われてしまったんだ。
彼が放つ空気感が、彼の持つ安心感が、ぽっかり空いた私の心の隙間に埋まっていく感覚。それは紛れもない事実で、そして満たされていく度に実感していった彼への感謝の気持ちと増していく想い。幸せだった。ただ単純に。これ以上の物なんて無いと思った。想いは途切れる事はなく、恐い程募っていく。彼を失ってしまったら私は一体どうなってしまうんだろう。そんな若さ特有の不安が胸を突き刺す夜もあった。だけどその度に、彼は優しく頭を撫でながら、こう言ってくれた。
「大丈夫だよ、ナマエを独りになんてしないから」
その言葉を胸に抱きしめながら、いつものように彼の腕の中でぐっすりと眠りにつく。そんな日々がこれからもずっと続いていくんだと思っていた矢先、あの忘れられない夏の日が迫ってきていただなんて、あの時の私は微塵も予期していなかった。
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