「以上。お前ら明日からまた気引き締めていけ」


パタン、とファイルを閉じ、「お疲れ様でした」という全員の掛け声が室内に響き渡ったと同時に騒がしくなるプレゼンルーム。先週末シャチに指示を出した内容も案の定何の問題もなくスムーズに事が運びホッと胸を撫で下ろした。飲み掛けのインスタントコーヒーを喉に流し込みそのまま部屋を後にすれば、壁に寄り掛かったまま不敵に笑う女と目があう。

「お疲れ様。ど?調子の方は」

「別に。特に何の問題もねぇ。この資料今日中に纏めといてくれ」

「ばっか、違うわよ!あの子の事!先週あれからどうだったわけ?」

「あぁ?」

「あ。まさかあんた、ナマエに何か変な事してないでしょうね?」

「な訳ねぇだろ、馬鹿かてめぇは」

ハッ、と鼻で返事を返してやれば、「そ?なら良かった」とナミ屋の安堵の息を吐く声が聞こえた。そんな事よりお前に言いたい事がある、そう先週末の文句を言おうと声を掛ければ、「あ、ちょい待ち!電話掛かってきたから!」とタイミング悪くナミ屋はポケットから携帯を取り出し、勢いよく自分の耳に押し当てた。

「え?うんうん、あー別に気にしなくていんじゃない?トラファルガーも気にしてないでしょ」

「あ…?おいてめぇ、誰と電話してやがる」

「今丁度横にいるから変わろうか?はいはい、ちょっと待ってね」

そう言い残して、ん、と顎で差し出された携帯を軽く睨みつけ舌打ちをする。深く溜息を吐いて半ばヤケ気味に電話を変われば、「あ、もしもし?この間はご迷惑をお掛けしてすみませんでした」という、どこか聞き覚えのある声が聞こえた。

「あ…?あぁ、お前か」

「お前じゃないです、ナマエです。あの後無事に帰れました?」

「んなもん目瞑ってでも帰れる」

「わー嘘ばっかり」

クスクスと笑うナマエの表情こそは見えないが、そのやんわりとした口調と適度な度合の冗談さは彼女が復活をしたという何よりの証拠だろう。「次はない」と告げれば、「はいはい、分かってますよ」と軽く流されて舌打ちをする。

「…あ、トラファルガーさん今日の夜って空いてたりします?」

「あぁ?」

「もし良かったら、この間のお礼に一緒にお食事でも行きませんか?」

あくまでもトラファルガーさんが良かったら、ですけど。そう再度念押しをしてこちらの答えを待つナマエの言葉に声が詰まる。確かに面倒は掛けられたが、かと言ってそこまでしてもらう義理もない。どうしたものかと頭を悩ませていれば、「じゃ、19時過ぎくらいにお迎えにあがりますね」とだけ残して、彼女は半ば強引に通話を切った。

「ナマエ、なんて?」

「……19時過ぎに迎えに来るらしい」

「あはは!あんたもすっかりあの子に振り回され始めてるわねー」

「冗談じゃねぇ…何でこの俺が」

「まぁまぁ、悪い子じゃないから。相手してあげてよ」

そう言って俺の肩を軽く叩いて去っていくナミ屋。さすがは親友同士、その強引さは同格だ。段々掴めてきた二人の性格に呆れながらも腕時計に視線を逸らし、次の会議までの時刻を確認する。煙草でも吸うか。そう決め込んで踵を返す。今日は珍しく、あの今にも不安に押し潰されそうな鳥の鳴き声は聞こえなかった。




「トラファルガーさんって、もしかしていつもそんな感じなんですか?」

「あぁ?」

「ここ、いつも皺寄ってません?」

「………」

トントン、と自分の眉間に人差し指を当てて不思議そうに首を傾げたナマエは、「友達とかちゃんといます?」と、何とも失礼な質問を俺に投げかけた。おい、てめぇ。初っ端からそんな感じか。俺にそんなふざけた質問するとはいい度胸してやがる。

「お前こそナミ屋以外に友達いんのかよ。どう見ても癖があって同性に好かれるタイプには見えねぇがな」

「私は大丈夫ですよー。世渡り上手ですから」

「はっ…どうだか」

「あ!ほらまたその顔!もーそれ恐いですってー。よくそんな表情で毎日営業してますね」

「馬鹿か、外面だけは完璧だ」

「なら今も外面モードで対応して下さいよ…」

そう不満を溢す彼女を後目にワインを喉に流し込めば、ふとある事に気が付いた。よく考えてみれば、最近は以前にも増して仕事に追われ、こうして週の半ばに酒を飲む余裕さえなかったなとぼんやりと考える。

「ね?美味しいでしょ?来て良かったと思いません?」

「……百歩譲ってな」

「はいはい、じゃあ褒め言葉として受け取っておきます」

「好きにしろ…」

はい、好きにします。そう言って微笑んだナマエは、店員が持ってきた料理に手をつけて「美味しい」と嬉しそうに笑った。まるで大きな子供だ。喜怒哀楽の差が激しすぎて、一緒にいる自分が下手したら仕事の倍以上疲労が溜まっていく感覚さえある。

「ほら、トラファルガーさんも早く口にしてみて下さい。このお肉すっごく柔らかいですよ」

…だが逆も然り。コロコロと変化してくれるお陰で、その分臨機応変に対応が出来そうだ。案外慣れたら扱いやすい女なのかもしれない。そう考えつつも彼女から施された料理に手を付ける。すると想像以上の肉の柔らかさと食感、並びに絶妙の味に驚きさえ覚えた。……うめぇ。

「ね?やっぱりここのお店は当たりです」

「……あぁ。まぁ確かに」

「喜んでもらえたみたいで良かった!遠慮なくじゃんじゃん食べて下さいね」

「………」

んー、これも美味しい!と、まるでグルメ番組のリポーター顔負けの感想を述べながら、軽快に箸を進める彼女をじっと見つめる。そんな俺の視線に気が付いたのか、それまで順調に料理に目をやっていた筈のナマエとばっちり視線が重なり合い、彼女は不思議そうに横に首を傾げた。

「?何か私の顔に付いてます?」

「………いや」

「変なの。人の顔ばっかり見つめて」

「…一つ質問していいか」

「ん?どうぞどうぞ」

にっこりと口角を上げて微笑む彼女は、今度はテーブルの端に置いてあるワイングラスへと手を伸ばす。高層ビル街の中心に位置する雰囲気の良い店内に、ナマエのゴクリと言う小さな喉の音が響き渡った。

「……あの写真に写っていた男が原因か?」

「え…?」

「先週、お前がヘコんでいた理由は」

「………」

その質問をした瞬間、彼女の表情を見て俺は悟った。あぁ、これ以上は触れてはならない領域なのだ、と。

「………なんで?」

「…いや、別に無理に聞こうって訳じゃねぇ。悪かった、変な事聞いて」

「………」

「酒追加していいか。こんなシケた量じゃ俺のアルコール度数は足らねぇ」

「……えぇ、どうぞ。遠慮なく」

そう言ってメニュー表をこちらに渡してくれたナマエの表情は堅い。シクったな、そんな事を考えつつも店員を呼べば、「待って、」という控え目な声が聞こえ、視線を彼女の元へと戻した。

「…これと同じ奴、もう一つ追加で」

「あ、あぁ…」

てっきり何か文句を言われるだろうと踏んでいた彼女が、予想外の発言をした事により思わず肩の力が抜ける。眉を下げて力なく笑うナマエの表情は少しだけ復活を遂げていて俺は柄にもなく安堵を感じた。人にはどうしても触れられたくないテリトリーって物があるもんだ。そんな簡単な答えさえ導けなかった自分は愚かとしか言いようがねぇ。普段自分が一番嫌っている行為なだけに尚更。

「そんなに身構えなくたって大丈夫ですよ」

「あ…?」

「別に大した話じゃないですから。確かに原因は彼と言えば彼ですけど」

「………」

『昔の話ですから』そう言って瞼を伏せた彼女は、少しだけ自嘲気味に笑った。

「ね、理由知りたい?」

「……いや別に」

「嘘つき、さっきは聞きたがったくせに」

「あの言葉に深い意味はねぇ。ただ何となく」

「気になったから、…でしょ?」

「………」

「………ビンゴ」

拳銃のように人差し指をかざし、弾を撃った素振りをするナマエは、今度はさっきとは違い口の端を上げつつもこちらに向かって妖美に笑う。そんな彼女を店内の間接照明が更に演出感を醸し出し、その何とも言えない儚げな表情に目を奪われたと気付いたのは、それから数秒後の事だった。

「トラファルガーさん、次の休みは是非予定を空けておいて下さい」

「……あぁ?」

「ドライブに連れてってほしいなぁ、と思って」

「何で俺が…」

「続きはその時にお話します。だから…ね?」

そう言って、互いのグラスを鳴らしたナマエの興味は再び料理へと戻っていった。

…何なんだこの女は。先が読めねぇにも程がある。しかも一番自分で自分の驚きを隠せない箇所といえば、この俺が一人の女に振り回されている、という現実だ。こんな経験は20数年生きてきた中で一度も覚えはない。前代未聞とは正にこういう状況を差すのだろう。

「お待たせ致しました」

そんな脳の活性化が衰退しつつある俺をよそに、先ほど注文した酒がテーブルの上へと置かれていく。店員の手から離された際におきた僅かな振動に、グラスの中のワインが小さく波打てば、不思議と自分も一緒に揺られている感覚に陥った。その光景をぼんやりと眺めつつもゆっくりと思考を巡らせてみる。そういえば久しく洗車しに行ってねぇな。なんて、頭の片隅でそんな事を考えた俺は、既にこの女に何か洗脳されつつあるのかもしれない。

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