荷物の整理は、案外早く終わった。二年前押し掛け女房のように、あれやこれやと実家から持ってきた私のコレクションは、どうやら意味を成さないガラクタばっかりだったようだ。

一人じゃ眠れないからと言って、学生時代クレーンゲームでGETした熊のぬいぐるみは、征ちゃんの腕枕へと変貌した直後用済みになってしまったし、常に彼と一緒だと実感したくて持ってきたお揃いのマグカップも、半年前うっかり床に落としてしまい、あっけなく他界させてしまったから。

今こうしてふと冷静に振り返ってみれば、彼と私を繋ぐ物なんて、案外何にも無かったんだ。




「征ちゃん、今ちょっといい?」

コンコン、と二回恒例のノックをして、ドア越しに彼からの返事を待つ。普段なら何にも躊躇せずに、半ば強引にズカズカと部屋に上がり込む所だけど、どうやら珍しく今の私にはそんな陽気な気分になんてなれない状態のようだ。はぁ、と小さな溜息をついて床に視線を落とせば、「あぁ、構わないよ」と言う征ちゃんの了承を得て、恐る恐る静かに部屋の中へと入った。

「どうした?」

「…荷物の整理、終わったよ」

「あぁ、お疲れ様。じゃあ後は僕がダンボール箱を玄関に運んでおくから、今日はもう寝ていいよ」

「うん…」

「お休み」

書斎の前に配置してある大きな椅子に座ったまま、そう淡々と告げた征ちゃんの表情は依然として堅いままだ。何だか本当にこれで最後のような気がして急に不安になる。ねぇ、征ちゃん。私達、本当にこれで終わりなの?こんなにあっけなく、まるでこの3年間が始めから存在してなかったかのように、明後日からまた元の他人に戻るの?そんなの絶対嫌だよ。

「まだ何かあるのかい」

「……え?」

「さっきからそんな顔をしているだろう」

「…………」

そう言って、パタンと鈍い音をたてて本を閉じた征ちゃんは、背凭れに預けていた自分の身体を少しだけ前のめりにしつつも、ドア付近に立ち尽くしている私へと方向転換をした。そして暫しの沈黙。やばい、何だか無性に泣きたくなってきた。

「ほ、本当にこれで終わりなの…?」

「何の話だい」

「何のって…その…私達2人の関係の事」

「……あぁ、本当に終わりだよ。」

「そ、そっか…やっぱこの前のは本気だったんだ…」

やれやれ、とでも言う様に、あからさまに重たい息を吐く征ちゃんのご機嫌は、見る限り呆れモード全開だ。…どうしよう。こんな時、一体どう言えば正解なんだろう。彼の中では既に終わった事でも、肝心の私が全く納得していない。「それでも良いから傍にいたい!」も何かちょっと違う気がするし、かと言って、「今までありがとう!」と、胸張って言える自信もない。あぁもう…馬鹿だな私。こんなんだから征ちゃんに嫌われちゃうんじゃない。

「ナマエ、お前はどうして僕が良いんだい。ましてや僕に何を期待している」

「……え?」

「始めから分かっていた事だろう。いつか終わりが来る事なんて」

「ち、違う…!それは違うよ征ちゃん…!」

「…………」

重苦しい空気と沈黙を先に破ったのは、征ちゃんの方だった。そしてその切り出した内容は、今のこの状態を否定するには十分な理由だった。『終わりが来る事は見えていた事』と彼はそう私に突き付けるけど、少なくともかれこれ10年間彼を追い続けてきた私からしてみれば、そんな単純な話じゃなかったからだ。

「私…幸せだった。征ちゃんの傍にいられて。…ううん、今だってずっとそう思ってる」

「…………」

「例えそれが征ちゃんにとって、ちっぽけで、この長い人生の中で一瞬の通り道だったとしても、私にとっては大切な道しるべだったんだよ」

「道しるべ?」

「そう、道しるべ」

深く頷き、確認するようにもう一度同じ言葉を繰り返した私を、彼は悩ましげに横に首を傾げる。…そう。この10年間は私にとって、かけがえのない道しるべだ。何度も何度も迷子になりかけた私に、いつも決まってその場に立ち止まっては足踏みをしてくれた征ちゃん。すっ転んで怪我をして、立ち上がる気力さえ無かった私を、その度に救い出してくれたのも、いつだって征ちゃんただ一人だけだったから。


『ありがとう、赤司君』


あの時だってそうだ。本当は10年以上慣れ親しんだ街に手を振る事は、幼かった自分にはとても恐い出来事だった。新しい街にはちゃんと慣れる事が出来るのだろうか。仲の良い友達もちゃんと見つかるかな。不安を吐き出せばキリが無かった。


『初めまして!今日からこのクラスの一員なる事になりました、ミョウジナマエと言います!皆さん、どうぞ宜しくお願いします!』


ドキドキしながら登校した、転校初日。なるべく大きな声で自己紹介を終え、正直その後どうやって自分の席に着いたか覚えていない。辛うじて覚えている事と言えば、黒板と教壇の間に挟まれて、緊張を少しでもほぐす為に指を交差させながらクラスメイトに挨拶をした事ぐらいだ。無事に任務を終え、ホっと息をつく間もなく直後に鳴り響いたチャイム。当然のように机から教材を取り出し、あれよあれよと教室を後にしていく生徒達の後ろ姿を眺めながら、私はただ自分の席で俯く事しか出来なかった。

初っ端から失敗したか、丁度そんな後悔の念に囚われ始めた時だった。

『ミョウジさん、次の移動教室はあっちの第二校舎だよ』

そう言って、彼が俯いていた私に優しく声を掛けてきてくれた出来事を、きっと私は生涯忘れる事はないと思う。



「征ちゃん覚えてる?10年前、私が転校してきた日のこと」

「……いや」

「私ね?本当はあの日物凄くドキドキしてたんだ。あぁ、自己紹介ってどうやってやるんだっけ?とか、友達ってどうやって作るんだっけ?とか、もうそりゃ色々」

「…………」

「始めの挨拶が終わって、正直めっちゃくちゃ焦ってた。だって誰も私に話し掛けて来てくれないんだもん。ヤバイ!まじ何かミスった!…って」

「へぇ…」

「でもその後、そんな焦りまくってる私の前に、ある一人の神が現れたの。…それが征ちゃん」

「…………」

「嬉しかったなぁー…何かその時、すっごくすっごくホッとした。あぁ、良かった!私は間違ってなかったんだな!って、まるで背中を押された気分だった」

「相変わらず、偉く単純な発想だな」

そう言って、はっ、とでも言いたげに息を吐く征ちゃんの表情は、いずれも呆れモード継続中のようだ。

「でしょ?でもそのくらい、あの時の私にとっては衝撃的な出来事だったの。きっと征ちゃんは私にとって、最初からスーパーマンみたいな人だったんだよ。…だから終わりなんて来る訳がないって思ってた」

「…………」

「だってヒーローは、いつも困ってる時にタイミング良く登場してきてくれるものでしょ?」

へへ、と乾いた私の笑いがその場に残って、何だかまた急に空気が入れ替わったかのようにどんよりと重たくなった。下手したらこの雰囲気の波に押し流されてしまいそうだ。目尻なんて出したくもない涙が溜まっていて、ぐす、と言う何とも情けない鼻水を啜る音が、二人きりの部屋に静かに響き渡った。

「ヒーロー…か。僕がそんな立派な役柄なんて皆目見当もつかないな」

「…っ…そう?私にはピッタリな配役だと思うけどなぁ…」

「買い被りすぎだよ。僕はもっとドロドロした汚い人間だ」

「そんな事ないよ!征ちゃんは綺麗で聡明な人だよ!」

「ありがとう。じゃあ素直にそう受けとっておくよ」

「うん…」

もはや何の話をしているのか、自分で自分の思考回路が読めない。だけど一つだけ胸を張って言えるとしたなら、今も昔も変わらず私は征ちゃんを愛していると言う事だ。上手く伝わっているかなんてもうどうでも良い。ただ征ちゃんと出会って過ごしてきたこの10年間は、私にとってかけがえのない時間だったと彼に伝わってもらえればそれで良い。例えその形がどんな結末を迎えようがそれはただの結果論。全部が全部消えてなくなる訳じゃない。


「……ナマエ、明日二人で何処かに行こうか」

「え?」


唇を少し噛んだまま俯いていた私に向かって、征ちゃんは物腰の柔らかい口調でそう言った。思わず顔を上げてただ真っ直ぐ征ちゃんの言葉の意味を追えば、「よく考えてみれば、僕はあまり君を外へ連れて行ってあげたりしなかったね」と彼は少し困った顔で笑う。

「仕事終わった後に待ち合わせをして、ナマエが行きたい所に行こう」

「え…い、いいの?」

「あぁ、構わない。寧ろ僕も珍しく気分転換をしたい気分でね。近々憂さ晴らしをしたいと考えていたんだ」

「へ、へぇー…征ちゃんが?め、珍しいね…」

「父親の圧力が物凄くてね。まぁ、だからと言って気を抜きたい訳でもないが」

「…うん、よし分かった!行こう!!いやてか行きたい!だってこれが本当に最後のデートだもんね!」

「…………」

その言葉を口にした瞬間、どこか和やかモードだった私の脳がピタリと停止した。『最後』、そのフレーズがやけにリアルに感じて気付けば足元は真っ暗だ。…あぁ、でもリアルで当然か。だってこれは紛れもない現実なんだから。


「……そうだな、これで本当に最後だ」


そう小さく呟いた征ちゃんの横顔が、目の奥から溢れ出てきた水のせいで一気に視界が揺らいだ。しまいには嗚咽なんて出しながらその場にしゃがみ込んだりして私馬鹿みたい。

止まれ、止まれ、何度もそう自分に言い聞かせては脳に指令を出してみるけれど、涙は一向に止む気配がない。そんな自分が情けなくて恥ずかしくて「ごめん…ごめんね征ちゃん」と、顔を覆ったまま謝り続けた。床に蹲って子供みたいにヒックヒックと泣く私はどれだけ弱い人間なんだろう。

本当はいつだって自分が大好きな人の背中を押してあげたい、ただそれだけなのに。


「おいで」


彼が何を考えているかなんて分からない。冷たくされたり優しくされたり、その行動はいつだって私の想像を遥かに超えているから。だけど彼が右だと言えば右になり、左だと言えばそれは左になる。だから私にとってこの理解しがたい現実は、きっと彼なりに何らかの結論を出した結果なんだろう。例えそれがどんなに自分の納得いかない結論だったとしても。

「征ちゃん…大好き。大大大だーいすき…」


彼の胸の奥までこの気持ちが届きますように。そんな七夕のような祈りを込めつつも、何度も何度も自分の想いを征ちゃんに伝え続ける。

今はまだこの腕の温もりを感じて明日に備えよう。だってきっと、今こうして私の後頭部を優しく撫でてくれる彼の手のぬくもりは、嘘じゃないと思いたいから。

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