ナマエと初めて出逢った時、とてもじゃないが論外だと思った。声は大きい、動作も大袈裟、どんなにこちらが拒絶しようがお構いなし。どれをくみ取ってみても自分の理想とはかけ離れ過ぎていて、女性としては疎か、ただの友人でさえも、出逢った当初は心から願い下げだった。元々何かに頼らなくとも、幼い頃から何でも完璧にこなせる自信はあったし、勿論大人になった今でもそういった考えは根本的に変わってはいない。そんな彼女の何処に惹かれたのかと人に問われてしまえば、きっと僕は直ぐに横に首を傾げるだろう。

だが逆に、彼女はどんな人間なのか、と問われた時。僕は直ぐにこう答えると思う。

『彼女はいつだって、真っ直ぐで前だけを見ている素敵な女性だ』と。



PiPiPi…PiPiPi…

「…………」

浅い眠りから引き戻されるように意識を現実へと切り替えてみれば、サイドテーブルに置いてある携帯が、振動、アラーム音と共に朝を知らせてくれる。まだ少しだけ残る眠気を振り払うようにアラームを停止し、薄く開けていた瞼をハッキリと見開いた。そのまま上体を起こそうと身体を動かしてみれば、いつもと何かが違う。その原因を確かめるようにベッドの左側に視線を向けてみると、こともあろうにナマエが僕の腕の中で安心するように寝息をたてていた。

「…………」

薄く口を開けて、気持ちよさそうに眠るその子供のような寝顔に無意識に笑みが溢れる。身体を反転させ、少しだけ顔にへばりついた彼女の髪を優しく退かしてやれば、「うぅん…」と小さく彼女が唸り声をあげた。

「…本当、お前はいつまでも変わらないな」

ゆるゆると暫く彼女の頭を撫で、最後に彼女の綺麗な額に一つ唇を寄せる。そのまま極力音をたてぬよう彼女の首元からそっと腕を引き、目線を落としてみれば、床一杯に互いの衣服が散らばっていた。そこでようやく冴えてきた脳で昨夜の行為を思い出し、思わず苦笑いを漏らす。…あぁ、やってしまった、と。

昨日、あれから直ぐにお風呂から上がってきたナマエは、真っ先に僕の部屋へとやって来た。ドライヤー片手にニコニコと満面の笑みを浮かべながら、「征ちゃん、髪乾かしてー!」と呑気に僕が腰掛けるベッドの端に座り、いつものように甘えた声で無邪気に笑った。髪を乾かしてやると言ったのは自分だし、別にそのくらいなら理性を保てると確信していたのは嘘じゃなかった。…だが、僕に背を向けつつも、何かを確認するように度々こちらに振り返ってくるナマエの表情を目に入れたら、セーブしていた筈の理性が一気に押し寄せてきてしまい、気付けば彼女をベッドに縫い付けるかのように押し倒していた。何とも情けない事に、行為中普段のナマエからは考えられない、甘くて切ない声や表情に柄にもなく酷く興奮して、気付けば無我夢中で彼女を抱いてしまったのだ。

僕だけが知っているナマエの艶やかな表情、仕草、声。出逢った頃には考えられなかった自分の独占欲に、時々本気で恐くなる事さえある。

「んー…よく寝たぁ…征ちゃん、おはよう」

「あぁ、おはよう」

Yシャツを羽織り、上から3つ目のボタンに手を掛けたと同時に背後から聞こえてきたナマエの声。その声はやや掠れていて、布団から覗く肌も何だかやけに色っぽい。このままでは目にも心臓にも悪い。そう感じつつも、表面上はいつも通り得意のポーカーフェイスで彼女の声掛けに応えた。

「あ、もうこんな時間なんだ…何か一日一日過ぎていく時間が早すぎてビックリしちゃうよ」

「あぁ、確かに。そうだね」

「それとも征ちゃんと一緒にいるからこんなに早いのかなぁ?」

「…………」

んー!と大きくその場で背伸びをした彼女は、瞼を擦りつつもニッコリと穏やかに笑う。どうしてそんな恥ずかしい言葉を、こうもサラっと言えてしまうのか僕には理解不能だ。ただハッキリと言える事は、自分とは全く正反対のナマエの内面に惹かれている事は確かで。真逆すぎる二人だからこそ、なんだかんだ上手く釣り合いが取れるのだろうか。

「さぁ、どうだろうね」

「うん、絶対そうだよ…!間違いない!」

「朝から馬鹿な事言ってないで早く支度しろ。また遅刻するぞ」

「えー?もう、本気なのになぁ…」

はぁい、と小さく返事をしてベッドから身を離したナマエに、床に落ちている衣服達を手渡す。少し不服そうに唇を尖らせつつも、「じゃあ征ちゃん、また夜にね!」と、決まって最後に優しく微笑んだ彼女の後ろ姿をぼんやりと眺めた。そのままパタン、と扉を閉めて部屋を出て行った彼女を確認した後、はぁ、と一人、大きな溜息を吐く。

……何をやっているんだ、僕は。

三日前に別れようと切り出したのは紛れもなく自分だ。なのに何だ、この発言と行動の矛盾さは。情けないにも程がある。だがナマエに至っては、昨夜の出来事に対して僕を責める訳でも問い詰める訳でもない。いつだってそうだ。きっと彼女にとってはどちらでも良い事で、僕に抱かれようが拒絶されようが、ナマエの考えは、出逢った当初から何一つ変わっていない。

『私は、どんな征ちゃんでも大好きだよ』

そう言って無邪気に笑った、あの中学時代から。何一つ。



「珍しい事もあるものなのだよ。お前が平日に俺を呼び出すなんて」

朝の後悔と懺悔に揺れたその日の夜。珍しくいつもより早く仕事を切り上げた僕は、行きつけのバーにて久しぶりに真太郎を呼び出した。

「そうかい?たまには息抜きする時間だって必要さ」

「別にそれは構わん。だが、折角仕事が早く終わったのなら家に帰ってゆっくりすればいいものを。ミョウジが泣くぞ」

「…………」

そう言って、真太郎は昔から癖の眼鏡のフレームを軽く押し上げて、カウンターに置いてあるロック酒に口を付けた。そして勢いよく喉に注ぎ込んだ後、「あいつは昔からお前しか見ていなくて鬱陶しい。さっさと覚悟を決めてやったらどうだ」と、僕を施す。

「いや、それはない。ナマエとは別れようと思っているんだ」

「……なに?」

僕が発した言葉に疑問を抱いた真太郎をよそに、最近お気に入りの年代物のワインをそっと口に含む。隣でこちらに視線を送ってくる真太郎の鋭い眼力にはあえて気付かないフリをして、「家を出ようと思ってね」と、囁くようにそのまま言葉を続けた。

「…家を、出る?」

「あぁ、つい最近転勤が決まってね。出発は今月末だ」

「…何故ミョウジを連れてってやらん」

「決まっているだろう。彼女には未来がある。僕じゃナマエを幸せに出来ない」

「……赤司」

ふ、と躊躇いがちに口の端を上げて自嘲気味に笑う。…そうだ、僕には到底彼女を幸せにはしてやれない。生まれた時から決まっていた赤司家唯一の跡取りとして、恥をかくような事は絶対にあってはならない。学生の時より多少は薄れてきたこのプレッシャーではあるが、でもだからと言って全部が全部消えて失くなった訳でもない。父が思い描く、たった一人の跡取り息子を完璧に演じきってやりたい気持ちが、少なからず自分の心のどこかに存在しているからだ。

「僕が働く今の会社は、父が経営している連結会社とは知ってるね?」

「あぁ、勿論。何て言ったって、あの名家の赤司家が所有する会社だからな」

「元々始めから期限は決まっていたんだ。僕もいい歳になってきたし、父もようやく自分の会社を手放す気になったみたいでね。修行も兼ねて、海外にある支社に僕を行かせたいみたいなんだ」

「また急な話なのだよ」

「あぁ、そうだな。急な話だ」

真太郎の率直な意見に、思わずくすくすと笑ってしまった。そうだ、何とも急な話だ。あの頑固で凝り固まった考えを持つ父が考えそうな事だなと、口角をあげつつも心の中で静かに首を縦に振る。

「だからこそ、ナマエの事は余計に連れてはいけない。彼女みたいに純粋で前だけを見つめてる人間を僕の隣で肩を並ばせるだなんて、絶対にあってはいけない事だと思わないかい」

「…ミョウジが望んだとしてもか」

「あぁ、ナマエが望んだとしてもだ」

「そうか…まぁ、お前が言ってる意味も分からなくはないのだよ。あいつは昔から良い意味、悪い意味、どんな時も真っ直ぐすぎる」

そう言って、はぁ、と重い溜息を吐く真太郎の横顔は、呆れ半分、戸惑い半分、と言う所だろう。当事者からしてみても何とも言い難い、複雑そうな表情だ。

「だが赤司、本当にそれでいいのか?お前がそれで良いにしても、ミョウジのあの性格上、直ぐには承諾せんだろう」

「あぁ、そうだろうね。でもこればっかりは仕方ないさ。どの道、嫌でも別れは来る。それにナマエにこの話をするつもりもない」

「…強がりにも程があるのだよ。変わらないな、お前は」

「真太郎には負けるよ」

その言葉を最後に、真太郎と僕の間でナマエの話題は終わった。どちらかが止めようと切り出した訳でもない。ただ、これ以上何かを口にすれば意思が揺らぎそうな僕を見兼ねて、真太郎はわざと距離を空けてくれたんだと思った。そのさりげない真太郎の気遣いに感謝しながら、彼の飲み終えた手元のグラスを傾けてみる。すると、カラン、と、氷の音が静かな店内に響き渡った。



「ただいま」

あれから約一時間。真太郎とお互いの近況報告を終えた後、真っ直ぐに自宅に戻って来た。さすがにもう寝ているだろうと思いつつもリビングへと続くドアを開ければ、案の定、ソファーにて眠るナマエの姿が視界に入る。

「…………」

何気無しに彼女の透き通った頬に軽く触れてみる。朝同様、心地良さそうに眠るナマエの寝顔が愛おしく思えて仕方がない。

「…すまない、ナマエ」

カチ、と時計の針が0時を差したと同時に出てくる、謝罪の言葉。それでも眠りから一向に目を覚まさない彼女を静かに眺めながら、今日も淡々と、夜は更けていく。

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