『別れようか』


確かに今、彼はそう言った。聞き間違いである事を切に願ったが、恐らくこの事態は妄想なんかじゃなく目を覆いたくなる程の現実だ。そしてそれと同時にもう一つ思い浮かんだのは、『何も朝一から、この爽やかなモーニングシーンに似つかわしくない重い話を切り出さなくてもいいんじゃないか』という事だ。お陰で手にしていたマグカップを落としそうになった。それ程彼の発言は突拍子もなく、まるで空から槍を投げたかのように私の心を突き刺したのだ。

「え…な、なんで…?なんで急に…?」

「別に急にじゃない。君は馬鹿だから気が付いてなかったかもしれないが、僕は前々から君と別れる事を想定して、幾分か冷たくあしらって来ていたつもりだ」

「え!それ本当!?全く気づかなかった…!ならそう言ってよ!…って、違う。そう思ってても言わないでよ!征ちゃんと別れたら私死ぬよ!?死んじゃうよ!?」

「あぁ、そうだろうね。でももう決めたんだ」

そう言って、彼はテーブルに置いてあった珈琲を一口啜り、いつものように淡々と話を進めていく。一週間後にはこの家から出て行って欲しい事、その後の居住地やケアは十分に与えるなど、それはそれは転勤を命じられたサラリーマンに向かって言い放つように、冷たく殺伐とした雰囲気で征ちゃんは私に順を追って説明していく。

…ちょっと待って。え、意味が分からない。確かによくよくここ最近の彼の態度や言動を思い返してみれば、そういった節も多々あったかもしれない。だけど少なくとも昨日までは普通だった筈だ。征ちゃんは元々口数が少ない人だし、普段から私ばっかりが喋ってたからそんな事気にも止めてなかった。っていうか!その前に私の意思は!?そんな人事異動のように明言されても「はい、そうですか」なんて言える訳ないのに!

「じゃあ、そういう事だから。僕はもう仕事に行」

「ちょ!ちょーーっと待ったー!!」

自分の主張を言うだけ言って、直ぐにその場で踵を返した征ちゃんの肩をガッシリと強く掴む。そんな必死まがいの私に臆する事もなく、はぁ、と小さく息を吐いた彼は、「なんだい」と非常に面倒くさそうに応えた。なんだい、じゃない。なんだい、じゃ。

「そ、そんな事突然言われたって納得出来る訳ないじゃん!ちゃんと理由を言って!り、理由を…!」

「理由?…そうだね。まぁしいて言うならば、君のその単細胞さと、良いように言えば天真爛漫な性格に愛想をつかした、って所かな。」

「なにそれ!そんなの最高じゃん!征ちゃんの生真面目すぎる性格には、そのくらいの性格の方がしっくりくるし、THEベストパートナーだよ!」

「…ナマエ、僕は百歩譲って、やんわりと説明しているんだ。それに、僕の言う事は絶対だ。分かったら手を離せ」

「嫌だね!だってこの手を離したら最後、もう征ちゃんは二度と私と目も合わせてくれないでしょう…?」

「…………」

その場にて、しょんぼりと肩を落とす私のツムジに征ちゃんの冷たい視線が集中しているのが分かる。…分かるけど今はそんな事見て見ぬ振りだ。だってまだ朝なんだよ。起きてから一時間も経ってないんだよ。なのにようやく目覚め始めた私の脳にムチを打つように爆弾を投下しなくたって良かったじゃん…まぁ、例え朝言われようが夜言われようが私の気持ちは変わらないんだけどさ…

「征ちゃん…勝手」

「………」

「これだけ私を好きにさせるだけさせといて…飽きたらポイなんて…酷過ぎるよ」

「すまない。僕の事、好きに罵って責めてくれていい」

「そんな事…出来る訳、ないじゃん…」

「………」

「出来る訳、ない、よ…」

ポツリと呟いた自分の声は、カーテンの隙間から漏れる朝の光に非常に似つかわしくない、弱弱しく情けない声だった。

そう、そんな事出来る訳がない。だって罵る余裕もないくらい、今の私にはこれでもか!という程の落胆さと、胸を抉る程の大きな痛みと戦っているんだから。そんな私をあざ笑うかのように窓の向こう側ではチュンチュンと雀の鳴き声も聞こえていて、「あぁ、今日は一日いい天気そうだ。」なんて、こんな非常事態にも関わらず、呑気にどこか頭の片隅でそんな事を考えている自分に驚きを隠せない。そんなどこか現実逃避している私を包み込むかのように、征ちゃんは片手でポン!と優しく私の頭を撫で、「じゃあ、」とおもむろに言葉を続けた。

「この一週間、君がこの家を出て行くまでの間。僕の考えを覆す程の魅力を適え供えればいい」

「え…?」

「そうすればナマエの事を手放したくない、と僕も考え直すかもしれない。その時は君の勝ちだ。健闘を祈るよ」

そう言って、征ちゃんは口角を上げて再度優しく私の頭を撫でた。私に愛想をつかしたと言う割には口調や態度は変わらないんだなぁ、なんて。ぼんやりと思考を巡らせていれば、パタンと玄関のドアが閉まる音がリビングの奥の方で聞こえた。

あれ、よく分からないけどこれって本当に現実なのかな。朝起きて早々最愛の征ちゃんに『別れよう』と言われるわ、一週間という期限付きの条件を提示されるわ、何だかどれもこれも現実味を帯びてなさすぎて、もはや頭がパンク寸前だ。

「…夢、かな」

そう、これは夢だ!と、自分に言い聞かせて右頬を強く引っ張ってみる。すると、ピリ、とした痛みが顔中に駆け巡った。

「いたっ…」

どうやら夢ではないらしい。征ちゃんとこれから先の未来、もしかしてずっと側には居られないのかもしれない。そう考えたら一気に背筋が凍って、それと同時にそれだけはご免だ!と、強く自分の気持ちを再確認した。

「一週間…!何がなんでも征ちゃんの気持ちを取り戻してみせる…!」

仁王立ちをかましたまま、一人その場に宣言してみたものの、やっぱりまだ頭の中はフワフワしている。だって、まだ起きて一時間も経ってないし、なんていったってまだ週明けの月曜日だから。

現実モードに切り替えるのは、まだもう少し時間が掛かりそうだ。

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