あれだけ征ちゃん無しじゃ生きていけないと思っていたくせに、実際に一緒に過ごしていた日々と失ってからの日常を比べてみると大してそんなに差は無かった。別に征ちゃんが居なくても規則正しく世界は回り続ける。お腹だって減るし、青峰の下らないジョークにさえ何時ものように笑えた。

ただ一つだけ違って見えたのは、自分を取り囲む空気感。そして何より絶対的な安心感だった。

ねぇ征ちゃん。今何処で何してる?誰とどんな事で笑い合って、一体今日はどんな一日だった?

………声が聞きたい、会いたいよ。






「へぇー!じゃあナマエちゃんは今フリーなんだ」

「え、まぁ…はい。一応」

「ナマエはずっと赤司君一筋だったからねー。まぁあれだけハイスペックな彼氏なら手放したくない気持ち、同じ女ならよく分かるけど」

「まーね、分かる分かる。それは私も同意見!」

「……赤司?え、赤司ってもしかして洛山の元主将赤司征十郎のこと!?」

「……知ってるんですか?」

華の金曜日。と言えば少し例えが古いかもしれないけれど、OLの醍醐味でもある飲み会がセットされていると知ったのは就業時間が終わって約10分後の事だった。まるで何日も前から決まっていたかのように、同僚達に「行くわよ!」と、ガッシリ両腕をホールドされて連行されたのはそれから更に15分後の事だ。ただの自分達の知り合いとの飲み会だからと何度も念押しされて強制参加させられたのは良いけれど、やっぱりと言うか何と言うべきか、蓋を開けてみるとただの合コンで。え、ちょっと!そんなの私一つも聞いてないよ!?と、当然の如く訴えてみたが意見は通らず今に至る。み、みんなファンキーだね…!

「勿論だよ!俺中高とバスケ部だったからさ!よくキセキの世代の試合観に会場に通ってたよ!まぁ弱小すぎて一回も対戦出来なかったんだけど…いやーそっかそっか。元彼赤司なんだ。そりゃすげぇわ」

そう言って、何故か自分の目の前に座る一人の男性がしょんぼりと肩を落としている事に首を傾げつつも、私の脳内で映像がリプレイされたのは、最後に征ちゃんと過ごしたあの夜の事だった。


『………今まで有難う』


……征ちゃんと離れて約三ヶ月。あれから淡々と月日は流れた。毎日泣くだろうと予想していた自分の感覚は麻痺してきたのか、どうやら予想に反した日々が巡っているようだ。始めは寂しくて泣いてばかりだったのに、気付けば今こうして普通に笑っている自分がいる。人って案外強いものなんだなぁ…とか、そんな事を思う傍らにそれでもやっぱりふと思い出すのは征ちゃんで。でもそれもその筈。だって私はそうやって、この10年間を過ごしてきたのだから。

「ねぇ、これって聞いても良いやつ?赤司と何で別れたの?」

「…………え、」

「はーいはい、それ本当に余計なヤツだわ。すいませーん!お冷一つー!この馬鹿がいるそうでーす!」

「いや別に頼んでねぇし寧ろ酒んが良いわ!」

ゲラゲラとその場に居る参加者全員が爆笑に包まれる中、ただ一人自分だけが取り残されたかのように床に視線を俯かせた。……何で別れたの、か。ほんと何で私征ちゃんと別れちゃったんだろう。やっぱりちゃんと征ちゃんに理由を聞けば良かったのかな。いや、でも確か理由は一番最初に聞いた筈。私の単細胞さと天真爛漫さに呆れたからだ、とか言ってたっけ。


『好きだよ、ナマエ』


……あれ?じゃあ何で最後征ちゃんはあんな事言ってくれたんだろう。何度考えてもそこが分からない。

「あれ?ねぇ、そこの席一つ空いてるけど後から誰か来るの?」

空想を広げる最中、ある一人の同僚が、不思議そうに会話の中心に居る男性に対して疑問を投げかける。その言葉にはっとし、意識を現実へと取り戻しつつもすっとかざした彼女の人差し指の行方を辿れば、確かに一席だけ空いていた。…あ、ほんとだ。気付かなかった。

「あぁ、これ?そうそう、あともう一人俺の同僚が来るんだよ。でさぁ、これがまた変わった男なんだけどそいつもキセキの世代で」

「悪かったな変わった男で。だがお前にだけは言われたくないのだよ」

特に急いだ様子もなく、突如現れたその変わった同僚と呼ばれる彼をゆっくりと見上げてみると、眼鏡のフレームをくいっと軽く押し上げて小言を吐くその動作と言動に一気に懐かしさが込み上げた。極め付けはその独特な髪色と語尾。間違いない、彼は

「ミドりん!久しぶり!!元気にしてた!?」

「…………その呼び方はやめろミョウジ。桃井の影響とは言え不快すぎるのだよ」

緑間真太郎。帝光中学校バスケ部を支えたキセキの世代の内の一人。懐かしすぎるその毒舌さと拒否さ加減に感動しつつも、うんうんと上下に首を動かして何度も頷く。「いや、お前何にも分かってないだろう」と冷静なツッコミを入れた彼の発言を、当然の如くフル無視しながら。






「半年ぶりぐらいだな。元気にしてたのか」

合コン参加者全員のアルコールのピッチが順調に上がってきた頃、ちょっと良いかと緑間君に声を掛けられてお店の奥にあるバルコニーに場所を移動した。周りの参加者がヤケに冷やかしを囃し立てる中、冷静に「そういう意味じゃないのだよ」と否定をした緑間君の印象は中学時代から変わらない。つくづく征ちゃんとはまた違った落ち着きを放っているなと感心した所でもう一度変なあだ名で呼ぶなよと念押しされてしまった。ある意味こういった所も変わってないなぁ。うん、分かったよミドりん。と、心の中で相槌をうった事は彼には内緒だ。

「元気だよ。自分でもビックリするぐらい普通に元気。緑間君の方こそ元気にしてた?最近どう?」

「俺は常に人事を尽くしている。だから特にこれと言った変化はないのだよ」

「そっかぁ。なら良かった!何か二人で話すの久しぶりだし楽しいね!」

「………………」

まだ風が冷たいね、なんて言いながら薄手のマフラーに顔を埋める。はぁ、と吐いた息は白かった。夜空にピカピカと光るネオンを見上げ、あっちこっちと視線を彷徨わせながら見えもしない星を探す。そんな私を隣に小さく「そうだな」と返事をした緑間君の声が何だか弱々しくて、咄嗟にどうしたの?と声を掛けた。

「………ミョウジ」

「ん?」

「赤司の事はもう良いのか?」

その問いかけにドクン、と強く心臓が波打った。瞬きするのも忘れて、ただ床に視線を俯かせたままギュと強く手摺りを握る。

「……………な、なんで?」

「別れたんだろう、お前達。この前最後に赤司と会った時に本人の口から聞いたのだよ」

「そっか…征ちゃんが…」

「………………」



『別れようか』



「……………征ちゃん、元気にしてた?」

動揺を隠せないまま絞り出した言葉は、可もなく不可でもない台詞。多分きっと、そんな私の言葉の裏側に緑間君は勘付いたと思う。


『おいで』


まだ完全に整理しきれていない、私の征ちゃんへの想いと、二人で過ごしてきた想い出に。

「あぁ…奴は変わらず淡々と毎日をこなしているようだ」

「そっか…征ちゃんらしいな。良かった、元気そうで」

「………………」

「何か安心した!やっぱり征ちゃんには充実した日々を送っていてほしいから」

空元気そのものだと自分でも思った。でもそうでもして無理やり笑わないとこの場がもたないとも思った。征ちゃんが居なくなって約三ヶ月。ただずっとこうしてひたすら笑い続けてきたのは、ふと脳裏によぎる彼の声が、温もりが、想い出が全て溢れ出てきそうになるからだ。忘れたい、でも忘れたくない。そんなどっちつかずの感情に挟まれて、ある意味何処にも逃げ場所がないこの想いは、最終的に一体どんな場所に辿りつくんだろう。

「本当にこれで良いのか?」

「………え?」

「この前あいつに同じ質問をしたら、奴は少し迷いつつも最終的にこう言ったのだよ」

「……………」



『ナマエには、良い夢を見させて貰ったと思っているよ』



「……………」

「あいつらしい返事なのだよ。俺からしてみれば、何とか自分に言い聞かせて無理やり納得させようと足掻いているようにしか見えなかったが」

「……………」

「ミョウジ、俺は別にお前達2人の選択が間違っているとは思わない。何故なら俺は2人の10年の付き合いの中でもほんの一部分しか知らないからだ。きっと赤司しか知らないミョウジもいるだろうし、逆も然りでお前しか知らない赤司がいるだろう」

「緑間君…」

「だが、そんな第三者の俺の立場からでもこれだけは、という一つ確信しているものがあるのだよ」

そこまで言って、緑間君はフゥ、と小さく息を吐いた。そのまま足の軸を変えてハッキリと私の顔を捉えた彼は、少しもまばたきをしないままじっと私の目を見つめてゆっくりと話し始めた。

「赤司もミョウジも、お互いがお互いの事を話してる時の表情はいつだって幸せそうだった」

「もっと言えば2人一緒に居る時の方が更に幸せそうだったのだよ」

「それを見れば見るほど俺は昔から鬱陶しかったが、そうは思いつつもそんなお前達2人を微笑ましく感じていたのは確かだ」

ゆっくりと、丁寧にそう言葉を繋げた緑間君は少し照れくさそうに、でも穏やかな表情で私に胸の内を明かした。首に手を当てたまま、今度は少し俯き加減で未だ一生懸命自分の思いを伝え続けている彼に素直に嬉しさを感じたと同時に、その反面動揺も隠しきれなかった。

「……おい、聞いているのかミョウジ。何を無視しているのだよ」

何も反応を示さない私に苛ついたのか、緑間君が眉間に皺を寄せて私の名前を呼ぶ。あぁ、何か返事をしなきゃ。でもちょっとだけ待って。まだ自分の中で整理がついてないみたい。でもそうは言っても心配してくれてる緑間君に早く返事を返さなきゃ。早く、はやく、

「……………ミョウジ?」

「……っ…ごめん…ちょっと、待っ…っ…」



『別にかまわないよ、君と交際してあげても』



『……お節介な奴だ』



『好きだよ、ナマエ』



「………っ……征ちゃっ…」




『好きだよ』


まるで走馬灯のように出会ってから別れるまでの2人の想い出が脳裏に駆け巡った。そして当然のように涙が出てきてその場に小さく顔を俯かせたまま手で顔を覆う。

「緑間君…っ…私、まだまだ征ちゃんの事を想い出になんてする気全然ない…寧ろわざと考えないフリをしてまでそこに記憶を繋ぎとめて置きたかった…」

「………………」

「私…っ…本当に征ちゃんの事想い出に出来るのかな。忘れる自信なんて一つもないくせに」

そう、はなから征ちゃんを忘れる気なんてなかった。もっと言えば征ちゃんを想い出にするのが恐かった。だっていつだって私は征ちゃんが一番で、それ以外のものなんて全く興味がわかなかったから。そんなどうしようもない私に「お前は本当に馬鹿だね」と、困った顔をして笑う征ちゃんの事が好きで好きでどうしようもなくて。掴んだようで掴みきれない彼は私にとって何にも代えられない、かけがえのない存在だったから。

「想い出に出来ないなら無理に忘れようとしなくていいのだよ」

「………………え?」

その予想外な返答に思わず俯かせていた頭を上にあげた。目の前に立つ緑間君の表情は真剣な眼差しそのものでゴクリ、と一つ唾を飲み込む。

「赤司はお前が嫌だから離れた訳じゃないのだよ」

「え…」

「あいつは今親から跡継ぎの修業を課せられて外国にいる。そしてそれと同時に自分の親から他の名家の女性との縁談話を持ち掛けられていたのだよ。だから赤司はミョウジに迷惑を掛けまいと別れた」

「………征ちゃんが外国…結婚…?」

「ただ、それだけの事なのだよ。だからお前達二人の互いを想い合う気持ちは昔から変わって等いない」

「緑間君…」

そこまで言って緑間君は本日何度目か分からない小さな息をハァ、と躊躇いがちに吐いた。

「ミョウジ、本当に赤司の事が好きなら行くのだよ」

「…………え?」

「だから逢いに行くのだよ赤司に。お前のこの10年間はそんなに一気に整理出来るほど軽いものだったのか?違うだろう。別にやり直せだとかそんな勝手な事は言わんが、ここにただ逢いに行って自分の中ですっぱりと折り合いをつけてくるのだよ」

そう言って手渡されたのは外国宛の住所が書いてある小さな便箋だった。恐らく何度か征ちゃんと手紙のやりとりもしたんだろう。消印が薄っすらと残っている。何となく現実味を帯びないままゆっくりとそれを受け取って軽く放心状態のままじっと便箋を見つめる。

「み、ミドりん…ほんとに良いの?これ…」

「お前が気にする必要はない。よくよく考えてみたら、俺は別にこの件について赤司から一切口止めをされてなかったのだよ。だから奴の居場所を俺が勝手に教えようが何しようが文句を言われる筋合いはない。…あとその呼び名はやめろ」

「でも…私が逢いに行った所で状況は何も変わらな」

「ただ逢いに行くだけなら良いんじゃないか。…ミョウジ、人生は一回きりだぞ。俺なら例えバスケの試合で残り僅か0.1秒でも時間があるなら最後の最後まで手を抜く事はない。それが人事を尽くすという事だ」

「……うん」

『特に口止めをされてなかったから』、そう言って優しく微笑んだ彼の言葉がここ最近ずっと引っかかっていた何かに突き刺さったような気がした。きっとそんな口約束なんてしなくても確固たる信頼関係がある二人の間には暗黙の了解があった筈なのに。

『想い出に出来ないなら無理に忘れようとしなくていいのだよ』

緑間君の言う通りだ。今はあれやこれやと考えている暇はない。元々自分は待つタイプの女じゃないのだ。何でそんな単純な事に気付けなかったんだろう。『征ちゃんが好き、ただ側にいたい』その2つだけでこの10年間やってきた筈なのに。運命を見極めるのは、きっとまだ早い。

「……人事を尽くして天命を待つ!だよね?ミドりん」

「あぁ、その通りだ。そして極め付けはこれだ。有難く受け取れ」

そう言って中々のドヤ顔でこちらにある物体を手渡してくれたのは、緑間君お気に入りのケロ助だった。こんな重い物を何食わぬ顔をして鞄の中に忍ばせていたとは…さすがはキセキの世代…!

「でもミドりん、これ今日のラッキーアイテムだよね?良いの?てか私のラッキーアイテムがこのケロ助なの?ちょっといまいち意味が分からな」

「うるさい、いいから受け取るのだよ」

半ば強引に渡した彼の行動はちょっと意味不明だけど、実は学生時代から密かに気になっていたケロ助なので何だかんだ嬉しい。そして大人になっても変わらずラッキーアイテムを身に着ける緑間君は昔からブレてなくてただ単純に良いなと思った。

「よし、じゃあー…一緒に征ちゃんに逢いに行こっか」

手のひらにちょこんと居座るケロ助にそう言って満面の笑みで微笑みかけた。その表情は何故か都合よくも微笑み返してくれたように見えて、不思議と目尻から涙が溢れ出そうになってグッと目に力を込めた。


『ナマエ』


この選択が正しいのかなんて誰にも分からない。逢いに行った所で征ちゃんに拒否されてしまうかもしれない。でももうずっと側に居たい、だなんてそんな自分勝手な我儘は言わないから。

だからお願い征ちゃん、もう一度笑顔を見せて。お前はどうしようもない子だねって言って、いつものように優しく頭を撫でて。

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