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「不死川先生って彼女とかいます?」
ある生徒にそんな事を聞かれた。口から出た言葉は「はァ?」である。急に何の話だよともう1人の俺が叫んだ。目の前で馬鹿みたいに真剣な顔で俺にそんな質問をしてきたこいつは校内でも煉獄を追いかけていると有名なストーカー予備軍の生徒である。まぁ俺が見るに、煉獄も煉獄でまんざらでも無さそうだし、当人達が鈍いだけでいずれこいつ等が一緒になるのは時間の問題だろう。いや、そんな事はどうでも良い。女はいるが、勿論こいつに話す気は毛頭ない。よってこの話は上手い事流す事とする。
「まぁいますよね。大人だもん。なんだかんだ女の子にモテそうですもんね」
「なんだかんだって…言葉選べよお前」
「きっとどーせおっぱいボインのセクシー美女なんでしょ。そうなんでしょ、ねぇ!」
「うるっせぇなお前は!さっさと教室に戻れ!」
流すどころか普通にキレた俺はアホな生徒を職員室から追い出した。毎回思う。あいつは何しに学校に来てんだ。
「あらあら、ちゃんと説明をしてあげたら良かったのに」
「あァ?」
「自分にはこよなく愛する彼女がいるって」
「胡蝶てめェ…」
ニコニコと不気味な笑みを浮かべて顔の横に手を添えた生物教師の胡蝶カナエが背後から冷やかしに現れた。何かと言えばよく俺を揶揄ってくるこの女はいまいち行動が読めない謎の女の1人だ。取り敢えずその顔止めろォ…不愉快極まりねぇ。
「今日はホワイトデーだし、夜はナマエちゃんとデートですか?不死川君」
「うっせぇな。てめェには関係ねぇだろォ」
「彼女いたのか不死川…」
「てめぇはもっと関係ねェ!出てくんな!」
胡蝶の背後から幽霊のような気配でぬぼーっと出てきた冨岡に問答無用でキレた。胡蝶といい、冨岡といい、普段から何を考えているのか分からない奴は苦手だ。最早相手にするのも面倒になり、しっしっと犬を追い払うかのように手を振り翳して強制的に話を終わらせた。
ピロン!ピロン!
苛つき度が頂点に達したその時、デスクの端に置いていた携帯の画面がチカチカと光る。性格上直ぐには既読にはしないが、講義が終わり次第連絡をすると言っていた事を思い出して薄目で表示された内容を確認してみる。
『ごめん!サークルの飲み会に少しだけ顔出さなきゃいけなくなった!また後で連絡するね!』
いつもより質素な文字で纏められていたそのメッセージに眉根を寄せる。はァ?飲み会だァ?どいつもこいつもナメてやがる…ただでさえ苛ついているというのに、肝心の奴が新たな予定を作るなんざ今日の俺の計画には何一つ入ってねぇぞ。
「おい、この問題解け」
「無理です!分かりません!」
「分かりませんじゃねェエ!さっさと前に来い!」
憂さ晴らしのように午後の授業が始まったと同時にあのアホな生徒に集中攻撃を仕掛けまくった。我ながら大人気はないが多少は気持ちがスッキリして満足げにフンと鼻を鳴らす。体罰だと言われてしまえばそれだけの事だが、…まぁ多分こいつは大丈夫だろう。
「良いわねぇ。今からナマエちゃんと夜のディナーだなんて」
「しつけぇんだよ胡蝶てめェ…失せろォ」
「あらあら、まぁ怖い」
何があらあらだ。わざとらしい。そもそも今日の予定は最初からお前には筒抜けの筈だろうが。そんな事を腹の底で思いながらも無視を決め込んで放課後の職員室を後にした。胡蝶とナマエは歳は離れているが古くからの親友で、事あるごとに互いに頻繁に連絡を取り合っている。恐らくだが今日は俺とのデートだとナマエから事前に報告が入っている事だろう。
「寒ぃな…」
春間近だと言うのに、今日はやたらと冷える。だが普段から薄着派の俺は特に上から何かを羽織る訳でもなく、教員用の駐車場に停めてある自分の車に颯爽と乗り込んだ。エンジンを掛けて運転席に深く座り、肘おきに頬杖をついたままポケットの中から携帯を取り出した。通話画面をタップして耳に携帯を押し当てると無機質な機会音が鼓膜に響く。何度かコール音が続いて出た通話相手に「何時に終わるんだ」ともしもしも言わずに結論から話題に入った。
「あ、不死川さん?えっとねぇ、もうちょっとで終わ…」
「らねぇよーん!えー、誰誰ナマエちゃん!彼氏!?彼氏ぃ!?」
「………あァ?」
てめェこそ誰だよ。そう言い掛けた俺にナマエが「そう!大好きな彼氏だよ!」と晴れやかな声で返事を返したので取り敢えずの所は一旦言葉を飲み込んだ。で?お前は今何処にいるんだと答えを急かせば、駅近のカラオケに居るとナマエは弾んだ声で俺に報告をした。
「何時に終わるんだァ」
「えっ!もう帰るよ!」
「あーそうかよォ。なら今から迎えに行くからさっさとそこ切り上げて外に出とけ」
「はぁい!了解です!」
本当に分かってんのかよと言いたかったが、取り敢えず用件は済んだので通話を終了して車のエンジンを掛けた。頬杖をついたまま片手でハンドルを握り、ナマエがいるであろう駅近のカラオケへと向かう。
「………またか」
それから数分後、無事に目的地に辿り着き付近のコインパーキングに車を停めて店の前まで足を運んだそこには数人のチャラ男共に囲まれているナマエが立っていた。困ったように眉を下げてチャラ男共に掴まれている腕を何とか振り払おうと模索している。
「いや、あの…私今彼氏を待っているので…!」
「えー?ホワイトデーなのに遅刻する彼氏なんていらなくね?そんな男ほっといて俺等と一緒に遊、」
「ばねぇよバァカ。退け、邪魔だ」
「し、不死川さん…!」
やたら強く握られていたのか、背後から男の背中に蹴りを入れて強制的に離させたナマエの腕が少し赤くなっていた。それに更に怒りを覚えた俺が圧を掛けて眼力だけでチャラ男共を追い払う。事を終えて目の前に立っているナマエに目を向けると「相変わらずカッコいいですね不死川さん!ありがとう!」と嬉しそうに笑った。
「一丁前にナンパなんかされてんじゃねぇよ」
「いや、あれは違いますね!ただのヤリ目です!」
「同じ事だろォ」
呑気なナマエに怒る気力も消え失せた。へらへらと嬉しそうに頬を綻ばせるこいつは大学生になってからやたらと男にモテる。ここだけの話ではあるが、ナマエも去年までキメ学の生徒で自分の教え子だった。それを知っているのは胡蝶ぐらいで、あぁ、だからあの女はやたらと俺に挑発と圧を掛けてくるのかと納得した。
「行くぞォ。店の予約時間に間に合わねぇ」
「あ、はい!因みに腕組んでも良いですか不死川さん」
「好きにしろォ」
適当に答えた俺の返事に嬉しそうに頬を染めたナマエの腕が俺の腕にぎゅっと絡まる。それを横目でチラっと目線を下に下げてナマエにはバレない程度に口角を上げた。コインパーキングに辿り着き、支払い済ませて車のドアを開けると先に乗車していたナマエがニコニコと俺を迎え入れてくれた。
「何笑ってやがんだガキ」
「だって、不死川さんに逢えたのが嬉しくって!こんなに素敵な日は他にないですもん!」
「……………」
無垢な笑顔で笑うナマエは素直に可愛いと思う。卒業して約一年。この期間、俺は自分でも引くぐらいにナマエの事を大切にしてきた。大切にしすぎて未だに最後まではしていない。それどころかキスも数える程度しかしていなくて、正直な所今更どうやって手を出せば良いのかと頭を悩ませていた。
「あー、早く同棲とかしたいなぁ…!そうしたら毎日大好きな不死川さんと何にも時間を気にせずに過ごせるのに」
「……………」
そう言って、何の裏もない笑顔で俺に語り掛けるナマエに、少なくとも俺の第一段階の理性がプツンと途切れた。中途半端に開けていた運転席のドアを閉めて車に乗り込み、隣で呑気に鼻歌を歌っていたナマエの肩を勢いよく抱き寄せて一気に唇を塞ぐ。
「んっ…!不死川さ…、」
「……ナマエ、ちょっと口開けろォ」
「んんっ…!」
歯列をなぞり、薄く開いたその隙間から舌を捻じ込む。徐々に深くなっていく俺のキスに驚いたのか俺のシャツをギュっと掴んだナマエが荒い息を唇の端から漏らしていた。時折耳に入ってくるナマエの色っぽい声に下手したら第二段階の理性が切れそうになり、いや流石にここでそれはマズイだろうと何とか冷静さを保って一旦唇を離してやる。
「はぁっ…はぁっ…し、不死川さん…!エロいです…!」
「お前には負けるけどなァ」
「えっ!嘘!何処が?」
「うっせェ。取り敢えずそれ、」
「え?」
「いい加減俺の事、実弥って呼べ」
もう教師と生徒じゃねぇんだ。そう耳元で低く囁いてやればナマエは頬を林檎のように真っ赤に染めて1人わぁわぁと照れていた。徐々にで良い。まだまだたっぷりと時間はある。恐らくこいつはこれから年々良い女になっていくだろう。学生の内にそれに気付けて、さっさと手を付けといて良かったなと一人そんな事を思った。車のエンジンをつけてゆっくりと車を走らせる俺の隣で、小さく「実弥」と呟いたナマエにピタリと動きが止まる。……おい。可愛いにも程があんだろォ。
「……お前、来週末予定空けとけ」
「え?」
「指輪買いに行くぞォ」
「えっ!本当に!?良いんですか…!?」
良いに決まってんだろ。これ以上他の男を寄り付かせて堪るか。そんな事死んでもこいつの前では口に出す気はねぇが、一人そんな先手を打つ事を悶々と考えた、ある年のホワイトデーの事だった。