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時計の針が13時を指した。午後の授業開始のベルが鳴り響く中、机の下で忍ばせていた鏡を覗き込んで前髪を整える。今週やっと2回目の授業だと意気込んでガラっと開いた教室のドアに視線を向けると、中に入ってきた人物が期待をしていた先生とは異なりパチパチ、と2回瞬きを繰り返して目が点になってしまった。

「悲報だ…煉獄先生は風邪をひいてお休みとの事だ。嗚呼…何て可哀想な事だ…」

教卓に辿り着いて早々、我が筍組の担任である悲鳴嶼先生が合掌をしながら頬に大量の涙を流している。「南無阿弥陀仏…」と呟いた悲鳴嶼先生が縁起でもない事を言ってのける中、私は速報を聞き入れて早々サァっと血の気が引いた。

「先生!それは本当ですか!?」

「ああ…残念ながら本当だ…よって本日の歴史の授業は自習となる」

「分かりました!早退します!」

「いや駄目でしょ。って、えぇえっ!?ナマエちゃん…!?」

後ろの席で何か言っていた善逸を無視して、机の横にぶら下げていた鞄を握り颯爽と教室を後にした。シンとする廊下の背後で教室の窓から顔を覗かせていた炭治郎に「ナマエ!煉獄先生に宜しくな!」と叫ばれる。それにコクリと頷いて再び踵を返し、走る速度を上げた。

「煉獄先生…!」

まるで何かの映画の主人公のような熱い気持ちがどっと込み上げてくる。下駄箱で靴を履き替え風を切る速さで校門をくぐり抜けると、背後から鬼のような顔で後を追い掛けてくる冨岡先生にぎょっ!とした。「何であんたが追い掛けてくるんだ」と心の中でツッコんだが、何とか冨岡先生の魔の手から逃げて角を曲がり、引き続き大好きな人の元へと足早に向かう。途中最寄りの駅付近にあるコンビニで大量の栄養ドリンクやら冷えピタやらを購入して、ある住宅街へと辿り着いた。煉獄先生のご実家は有名な剣術道場の家柄らしいけれど、この前数学教師の不死川先生におはぎの賄賂を送った時に無理矢理聞き出した情報によると、一年程前から煉獄先生はこの世田谷で一人暮らしをしているらしい。一際オシャレなデザイナーズマンションの前で、荒い呼吸を整えて直ぐにマンションのエントランスにある呼び出しボタンを押してインターホンを鳴らした。

「先生、ミョウジです!部屋の中には入らないので開けてください!」

私の呼び出しに煉獄先生は始めとても驚いていたが、直ぐに「駄目だ、帰りなさい」と私を拒否した。何でですか!心配です!と一向に引かない私に煉獄先生はインターホンの向こう側で大きな溜息をついている。両者一歩も引かないこの状況下で、横からヨロヨロと現れたマンションの住人であろう見知らぬお婆ちゃんが「ちょいとごめんねぇ。鍵を開けさせておくれ」と口にして部屋の鍵を鍵穴に差し込んでマンションのドアを開けてくれた。別に私の為に開けてくれた訳ではないけれど、ちょこざい私はチャンス!と素知らぬ顔でお婆ちゃんの後ろについて中に入った。一緒にエレベーターに乗り込んだお婆ちゃんに「今日は一段と寒いねぇ」と声を掛けられて「本当ですよね、全く困ったもんです!」と調子良く返事を返して会話が弾んだのはちょっと嬉しかった。

「じゃあ、お婆ちゃん。私此処で先に降りますね。失礼します」

「はいはい、私も元気な子と話せてとても楽しかったよ。じゃあね」

嬉しそうに目尻に皺を寄せたお婆ちゃんが、ヒラヒラと私に手を振ってエレベーターの扉がゆっくりと閉まった。そのまま更に上層階に動いていくエレベーターをぼんやりと見つめてすぐに頭をシフトチェンジする。えーっと、煉獄先生の部屋は…あ。あった!

「よいしょっと…」

大量に購入した例のブツ達を、煉獄先生の玄関のドアノブにぶら下げる。万が一風で落ちないようにと念の為ヘアゴムでしっかりと括り付けておいた。自己満以外の何者でもないが、心配なのは本当だし何より早く先生の元気な姿を見て安心をしたい。煉獄先生が迷惑がるのは最もだけれど、いてもたってもいられなかったのでそこは是非とも許して頂きたいものだ。

「よし、最後にこれを添えて…」

ポケットの中から取り出した小さな手紙をビニール袋の中に入れて「早く治りますように」と祈った。因みに手紙の内容は炭治郎や他の生徒達もみんな煉獄先生の事を心配していますという内容である。それだけ煉獄先生がみんなから愛されているという証拠だ。未来の妻としてはとても誇らしい。

「帰ろう。先生お邪魔しました!」

最後にドアに向かって一礼をして踵を返してはエレベーターに乗り込んだ。完全に扉が閉まる直前に少し離れた場所からガチャリと玄関のドアが開く音が聞こえたような気がしたけれど、まさかねと思い直しそのまま最寄りの駅まで戻った。




「てな事があったんですけど、煉獄先生迷惑でしたかね?」

「知らねぇよ、んな事ぁ煉獄本人に聞けェ」

早春の風がそよそよと吹く職員室の角の席で、面倒臭そうにデスクに頬杖をついてパソコンのマウスをカチカチと操作している不死川先生に一連の流れを説明する事約5分。この前から色々と協力して頂いたお礼に不死川先生に差し入れを持ってきた私はその辺にあった椅子に腰掛けて不死川先生におはぎを献上しに訪れていた。両手に抱えた和菓子屋の箱をデスクの端に置いて、そのままスススと横から箱を押して不死川先生の目の前へとおはぎの詰め合わせを献上する。それにチラっとだけ視線を下げた不死川先生は、無言のまま何食わぬ顔で一つおはぎを口に運んでは「茶」と一言私に指示を出した。

「粗茶でございます」

「おしぼり」

「おしぼりでございます」

「聞き分け良いなおい」

「えぇ、不死川先生のお陰で今回煉獄先生に無事に逢えたものなので」

「逢えてねぇだろォ。記憶の改ざんしてんじゃねぇ」

ご最もなツッコミを決めた不死川先生は2個目のおはぎに手を伸ばして頬を膨らませながらも呆れた表情をしている。妄想が得意なのでと返事を返したら「ただのストーカーだろお前は」と冷静に返された。

「煉獄先生は今日もお休みですか?」

「あぁ?まぁまだ本調子じゃねぇんだろ。俺の知ったこっちゃねぇがな」

「今日も差し入れに行かなきゃですね」

「やめとけ、流石に迷惑以外の何者でもねぇだろォ」

遠い目をして天を仰いだ不死川先生に待ったを掛けられたので、それもそうだなと思い直し既にそこに立ち上がっていた腰を再び椅子へと戻した。不死川先生に持ってきたおはぎの数は5個入りなので最後の一個くらいは自分も食べようと手を伸ばしたが、その前に不死川先生に取られて見事に完売となってしまった。は、早い…やるなこの人。

「不死川先生って彼女とかいます?」

「…………はァ?」

「まぁいますよね。大人だもん。なんだかんだ女の子にモテそうですもんね」

「なんだかんだって…言葉選べよお前」

「きっとどーせおっぱいボインのセクシー美女なんでしょ。そうなんでしょ、ねぇ!」

「うるっせぇなお前は!さっさと教室に戻れ!」

教師にはあるまじき暴言を吐いた不死川先生に職員室を追い出されて言われるがまま教室を目指した。本当はあの会話の続きに「自分より歳下の子を恋愛対象に入れた事はありますか?」と聞きたかったが見事に不発に終わってしまった。とぼとぼと肩を落として凹んでいる私の背後から「あ、ナマエ!」と炭治郎に声を掛けられる。爽やかな笑顔で此方に近寄ってきた炭治郎に「煉獄先生は明日から職場復帰するらしいぞ!」と肩をポンポンと前から軽く叩かれた。

「まじか!えっ!本当に?」

「あぁ、さっき煉獄先生にLINEをしたら返事が来て明日から復帰するって返信がきたんだ!」

「良かったぁあ…無事に治ったんだねぇ。一先ず安心だよ」

「そうだな!俺も安心した!」

「ね!」

てか炭治郎、煉獄先生とLINEしてんの!?と一気にシフトチェンジをした私が派手に叫ぶ。キョトンとした表情で「善逸と伊之助も連絡先知ってるぞ!」と炭治郎が横に首を傾げた。えぇっ!?そんなに皆んな煉獄先生と連絡取ってるのぉ!?

「い、良いな…私も知りたい…」

「?聞けば多分教えてくれると思うぞ、煉獄先生」

「そうかなぁ…迷惑じゃないかな」

「大丈夫だと思うけどなぁ…煉獄先生だし」

相変わらず何の根拠もない炭治郎の発言ではあるが、やけに腑に落ちた私は「そうだね、じゃあ明日聞いてみる!」と笑顔で答えた。そのまま2人で教室に戻り、予鈴がなったので次の授業は何だったかと時間割に目をやったらまさかの不死川先生の授業で途端に青ざめた。事がさっきであるので、当然の如く不死川先生はわざと難しい問題ばかりを私に当ててくる。ここぞとばかりにジトリと睨んでもみたが倍の眼力で黙らされたので手にしていた教科書を顔の前に掲げて不死川先生の視線を遠ざけた。結局無駄な抵抗としてその日の授業は終わったが、私の頭の中は明日やっと煉獄先生に逢えるから嬉しいなとそんな事ばかり考えていた。




「あれ、誰かいる…」

いや、誰かじゃない。あの遠くからでもはっきりと分かる特徴的な髪型は私が知る限り2人しか知らない。背の高さからしてきっと弟君の方ではないと判断して直ぐに我が家の玄関前に立っている人の元へと走った。

「煉獄先生…!」

「あぁ、お帰りミョウジ。すまない、家の前で待たせて貰っていた!」

「い、いえ!それは全然良いですけど…体調は大丈夫ですか?明日から復帰だとは聞いてますけど…」

「平気だ!もう熱もない!」

そう言って、いつものようにはきはきと答えた煉獄先生の顔色は想像していたよりもとても良くてほっと胸を撫で下ろした。煉獄先生に逢えたのはかれこれ三日振りだ。勝手に差し入れを届けた日に少しだけ会話は交わしたけれど、顔は見てなかったので今私のテンションは最高潮である。

「あれ。でも急にどうしたんですか?私何か課題未提出の物でもありましたっけ…?」

「いや、ない!ただこれを渡しに来たのとこの前のお礼を伝えにきた」

「え…?」

そう言って、手にしていた紙袋を私に手渡してニコニコと優しい笑顔で微笑んでくれた煉獄先生。疑問符を頭に並べながらも袋の中を覗き中身を確認してみると、そこにはとても可愛らしいお洒落な髪ゴムとハンドクリームが入っていた。えっ、えぇ…!?

「せ、先生…何でこれ…」

「胡蝶に最近の若者の女子にプレゼントをするなら何が良いのか聞いてな。お勧めされたのがこれだった!」

「わーん!煉獄先生ありがとうございます…!てかカナエ先生もめっちゃセンスあるっ…!」

「ははは!気に入って貰えたなら何よりだ!」

この前はお見舞いに来てくれてありがとな。そう言って屈託のない笑顔で笑った煉獄先生にうっかり好きです!と気持ちを伝えそうになったがぐっと堪えた。正直、この前マンションに行った時にとても困ったような声で拒否をされたので少し先生に逢うのが怖かったけれど、実際に再会を果たした今先生はいつも通りの態度でとても安心した。きっと迷惑だったとは思うけれど、律儀にお返しをくれる煉獄先生は神対応以外の何者でもない。今日からこれらのプレゼント勢は私のコレクション棚に永久にディスプレイされる事だろう。

「あの煉獄先生、この前は急にマンションまで行ってしまってすみませんでした…先生が風邪で休んでるって聞いて何だかいてもたってもいられなくなってしまって…つい」

「いや、嬉しかったぞ。ミョウジに移しては元も子もないと拒否をしてしまったが個人的にはとても嬉しかった」

「えっ!本当ですか!?」

「あぁ、本当だ。しかしよく俺の家の場所を知っていたな。驚いた!」

「あぁ、不死川先生を買収して聞いたんです!」

「成る程な!納得だ!」

通常なら人に引かれるような発言でも、やっぱり何処か人よりもズレている煉獄先生はあっさりと私の行動を受け止めてくれる変わった人である。煉獄先生に久々に逢えたのもあり、ある程度会話に一区切りついたもののまだもう少しだけ一緒に居たいなと頭の片隅でそんな事を考える。……そうだ!今日こそ我が家でお茶でも飲んで貰うのはどうだろうか。我ながら名案だと自分を褒め、良かったら中にどうぞ!と先生に声を掛けてみたけれどそれはあっさりと拒否をされてしまった。(2回目)

「そんなぁ…気を遣わなくても良いんですよ先生…!今日は両親も外泊してていないですし」

「うむ!それは余計に中には入れないな!」

「えぇっ!?何で!」

答えを求めてみたが煉獄先生は明るく笑うだけで明確な答えは返してくれなかった。相変わらずいまいち読めない先生の思考に頭を悩ませていると、前から煉獄先生の大きな手がポン!と頭の上に乗る。そのままゆっくりと視線を上に引き上げると眉を下げて穏やかに笑う煉獄先生と目が合った。少し首を横に傾けて、目線を下げてくれた煉獄先生に「今から少し時間はあるか」と質問をされてパチパチと瞬きを繰り返した。

「あります!めっちゃ暇です!」

「なら行こう、近くに車を停めてある」

我に戻って直ぐにやんわりと先生に腕を引かれてバレンタインの時みたいに助手席へと座らされた。走りだした車の中からは芳香剤の良い匂いが充満していて、頭の中と心がポワポワとしてくる。煉獄先生に抱きついたら一体どんな優しい匂いがするんだろうとか1人危ない妄想に耽っていると、赤信号に引っ掛かった車が横断歩道の前でゆっくりと一時停止をした。そのまま何となく横に顔を向けてみると、煉獄先生の大きくて紅い瞳と目が合った。それが横目の角度だったからかやたら色気があって私の胸のトキメキは最高潮にフル稼働してしまう。

「あの、先生…」

「………ん?」

「あんまりこっち見ないでください…緊張しすぎて喉から手が出そうなので」

「はは!面白い事言うなミョウジは」

「……………」

「ところで今日は他に予定は無かったのか?」

「え?」

「ホワイトデーだろう、今日」

「……………えっ!?」

煉獄先生がサラっと発言したそれに一気に脳が冴えた私はポケットに忍ばせていたスマホの画面へと視線を落とした。た、確かに…!3月14日と表示されてある。全く気付かなかった…普段からどれだけ私の頭の中は煉獄先生で一杯なのだろうか。こんな大事なイベント事をすっかりと忘れていたなんて…

「パンケーキは好きか?バレンタインのお返しに既にお店に予約はしてあるんだが」

「!死ぬほど好きです…!ありがとうございます!」

「うむ!なら良かった!」

「………え、でも先生。私以外の女子生徒にも沢山チョコ貰ってましたよね?」

「あぁ、貰ったな!」

「ですよね?て事はこれから全員の家まで迎えに行く感じですか?」

「いや、行かないな!」

そうハッキリと否定をした煉獄先生は真っ直ぐと前を見据えたまま「1日遅れにはなってしまうが、ちゃんと明日他の生徒達にも違うお返しをする予定だ!」と宣言をした。その謎の発言に私の頭の中に益々多くの疑問符が横に並ぶ。

「今から行くお店には、ミョウジだけしか連れて行く予定はない」

「…………え?」

横断歩道の信号がチカチカと点滅をしている。目の前を横切っていく大勢の人混みの中、信号待ちをしている私と煉獄先生の2人だけのこの空間内に、少しだけ甘い空気が流れたような気がした。

「ミョウジだけ、特別だ」

そう言って、最後に口の端を上げて微笑んでくれた煉獄先生の手が私の頬をするりと撫でた。そのまま煉獄先生の手の温もりをぼんやりとした感覚で追う。再び重なった煉獄先生の強い視線に吸い込まれそうな勢いで惹かれていると、信号が青になり頬を撫でられていた煉獄先生の手が私の元からゆっくりと離れていった。

「他の生徒達には内緒で、俺とミョウジの2人だけの秘密だ」

そんな胸キュン発言をサラリと言ってのけた煉獄先生に卒倒しそうになってしまった。2人だけの秘密とか…最早その言葉が充分すぎる程のお返しじゃないだろうか。大好きな煉獄先生と過ごしたホワイトデーは、今まで生きてきた人生の中でも最高の瞬間で、余りにも幸せすぎて私明日辺り死ぬかもなと、本気でそんなバカな事を考えた。

とりあえず煉獄先生に連絡先を聞くのは、パンケーキを食べてもう少し自分の気持ちが落ち着いてからにしよう。車のエンジン音が車道に響く中、煉獄先生の横顔を隣で盗み見しながらも、暫くの間そう自分に言い聞かせ続けていた。



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