/ / /

恋する乙女はいつだって頭の中がお花畑だ。真っ白なキャンバスに想いを乗せて描けという指示があれば、それこそお茶の子さいさいで筆を走らせる事が出来る。まずは輪郭。そして凛々しい眉。特徴的なあの燃えるようなお洒落な髪型は他でもない、私の気持ちそのものを現したようなものだ。得意げに口の端を上げて、8割以上完成に近付いたそれに笑みが溢れる。赤の絵の具をグニュっと押し出した所でスパーン!と軽快な音が美術室に広がった。

「いって!もう何なんですか宇髄先生!邪魔しないでください!」

「誰が人物像を描けって言ったよ。俺はこの林檎を描けって言ったんだよバァカ!」

白いパーカーのフードを目深く被って、クチャクチャと音を立ててガムを噛む宇髄先生の手には教科書を丸められた棒が握られていた。最早凶器とも言えるそれを呪うかのようにジトっと睨む。私は林檎ではなく煉獄先生を描きたいんです!と堂々と宣言をすれば宇髄先生とクラスメイト達全員の「うわぁ…こいつアホだぁ…」とでも言いたげな冷たい視線が一斉に向けられた。

「てかこの教室寒いです!風邪ひきます!」

「うるせぇ。ド派手にバカ言ってんじゃねぇ。さっさとこれに林檎描け」

物凄く不機嫌そうに8割以上完成していた力作をポイっ!と床に捨てられて新たな真っ白なキャンバスが目の前に用意されてしまった。以前宇髄先生によって爆破された美術室は壁が破壊されたままの状態の為、隙間風どころか突風がビュウビュウと吹き荒れている。寒い。宇髄先生は今一体何月だと思っているんだ。

「先生出来ました!確認お願いします!」

不毛な言い争いをしていた私と宇髄先生の会話に割って入ったのは善逸だった。物凄くドヤ顔で天井に向かって真っ直ぐと挙手をしている。どれどれと善逸の側まで宇髄先生と二人で近寄って背後から絵を確認してみたが、何故かそこにはフランスパンを口に咥えた炭治郎の妹、禰豆子ちゃんが描かれていた。ほらぁ!だから言ったじゃないですか!みんな林檎なんて描きたくないんですよ!

「……お前等2人ここに残れ」

「「えっ!」」

「よーし、他の奴等は全員合格だ。次の授業に行け」

なんで!?と喚く私と善逸を無視して宇髄先生はパンパン!と二度手を叩いた。「はーい!」と他のクラスメイト達が席を立ちゾロゾロと教室を去っていく中で絶望の淵に立たされた私達2人に宇髄先生はゆっくりと踵を返し、そして額にぶっとい青筋を立ててこう言った。

「留年したくなかったらさっさと林檎描け」

はい。秒で答えたその返事に、宇髄先生は物凄くふんぞり返った体勢で人差し指を此方に向けていた。最後に私と善逸の肩にポン!と添えられた手の行方を追うと、そこには菩薩のような顔で「善逸!ナマエ!ファイトだ!」と一人笑顔で頷く炭治郎が立っていた。空気を読んだかのようにビュウと吹いた風がやたら心に沁みたのは、最早説明するまでもない。




「ちくしょう。あの不良教師め…!」

結局あれから不服ながらも適当に林檎を描き終えた私は、善逸と別れて直ぐにとある場所へと向かっていた。渡り廊下を過ぎて階段で一階まで降り、裏庭の雑草が覆い茂るそこにコソコソと身を潜める。茂みの中からひょっこりと顔だけを覗かせて視線を送る先には、今日一会いたくて仕方がなかった愛しい人が腕を組んでパソコンと1人睨めっこをしていた。

「はぁーっ、もうカッコいい…!」

煉獄先生と2人で長く会話をしたのは、あのバレンタインの日以来だ。特に自分の担任でもない煉獄先生に会えるのは、週に何回か入っている授業とこうして定期的に徘徊に来る以外は校内で顔を拝める機会は早々ない。ので、それじゃあ私の心は満たせないじゃないか!という結論に至り毎回この行動に繋がっている。

「はぁああっ!もうあのパソコンになりたい。いいな!煉獄先生に毎日間近で見つめられて!」

「ミョウジは煉獄が好きだったのか…」

「ぎゃっ!と、冨岡先生…!?何でここに!?」

あまりにも気配が無さすぎて変な声が出た。私と同じように何故か茂みの中から顔を覗かせて無表情で話し掛けてきたのは冨岡先生だった。無口でクールとは名ばかりの、ただのスパルタ教師だと有名な冨岡先生は、顔は良いのに少々性格に難がある。いつも1人でご飯を食べていてぼっち中のぼっちとはきっと冨岡先生みたいな人を指すのだろう。

「何故こんな所で1人盗み見をしている。声は掛けないのか?」

「掛けませんよ!お仕事の邪魔になるじゃないですか」

「おい、煉獄」

「人の話聞いてました!?」

ガラっと窓を開けて軽い足取りで職員室内へと入って行った冨岡先生に思わず泡を吹きそうになってしまった。てか人の話全く聞いてないな!ある意味尊敬するわ!

「冨岡にミョウジ!どうした!そんなに頭に葉っぱを乗せて!」

驚く箇所が人よりもズレている煉獄先生は、私達に特に驚く様子もなく爽やかに此方に向かって歩いてくる。窓枠に手を掛けて「久しぶりだなミョウジ!」と元気に挨拶をしてくれた煉獄先生に対して目が一気にハートマークになってしまった。

「はい、お久しぶりです煉獄先生!お仕事の真っ最中なのにお邪魔してすみません!」

「いや、平気だ!Excelが分からなすぎて一旦休憩を挟もうとしていた所だからな!」

「そうですか!ならグッドタイミングでしたね!」

何がグッドタイミングなのか。この場に宇髄先生がいたらきっとそうツッコまれていた事だろう。そんな思考を頭の隅に追いやって、目の前に立つキラキラとした煉獄先生をここぞとばかりにまじまじと見つめた。燃えるような紅い瞳に角張った大きな手。シュっと程よく絞まった適度な筋肉にスラっとした長い手足。ネクタイを緩めたYシャツの隙間から時折見える鎖骨がやたらセクシーで思春期真っ盛りの私の妄想は止まらない。イケメン!正にその4文字が煉獄先生にはよく似合う。

「ミョウジは今暇らしい…この茂みからお前の事をコソコソと覗き見をしていた」

「何でそれ言うのぉおお!?」

この人バカじゃないの!?そう心の中で罵倒を繰り返してペシペシと隣に立っている冨岡先生を叩いた。私の攻撃に一切反応がない冨岡先生を更に無視して、煉獄先生は「そうか!それはご苦労だったな!」と的外れな返事を私に返す。

「暇をしているのなら何か飲むか!丁度今お湯が沸いた!」

いつの間にお湯を沸かせていたのか、少し遠くでケトルが天井に湯気を立ち込ませてはパチン!と完了の音を職員室内に響かせていた。それに二つ返事で返し、ニコニコと笑顔で踵を返した煉獄先生がゆっくりと紙コップにお湯を注いでいく。そのまま二つの紙コップを両手に持って、煉獄先生は真っ直ぐと私に手渡してくれた。

「ココアは好きか?」

「好きです!ありがとうございます!」

「俺のは…」

「ない!」

丁度紙コップが品切れとなった!そう意気揚々と宣言をした煉獄先生に白眼になった冨岡先生が「なら良い」と口にして1人その場を去って行った。何しに現れたんだあの人…

「飲み終わるまでここに座ると良い。丁度他の先生は会議中で誰も居ないからな!」

そう言って、煉獄先生は自分のデスクの隣にある椅子を真横に引き寄せてポンポンと軽く椅子を叩いた。言われるがままそこに腰を降ろした私に煉獄先生の大きな瞳が真っ直ぐと此方に向く。デスクに腕を組む形でそこに肘をつき、何故か此方を凝視してくる煉獄先生に思わず戸惑ってしまう。

「あの、煉獄先生…私の顔に何かついてます?」

「いや、何もついていない。頭に葉っぱはついているが」

「えっ!嘘どこ!?」

やだ!そんなの恋する乙女にはあるまじき行為!と心の中で喚きながらも右に左とブンブンと首を振る。ハラハラと床に落ちた小さな葉っぱを腰を屈めて一枚手にした煉獄先生はとても楽しそうに笑っていた。この笑顔はズルい。可愛いすぎる。

「今度からは普通に声を掛けて良い。遠慮は無用だ」

「…………え?」

煉獄先生の予想外の発言に、手にしていた紙コップを思わず床に落としかけてしまった。ギリギリセーフだった自分の行動に冷や汗を掻きながらもちらりと横に視線を流す。煉獄先生のデスクに置いてある紙コップからはゆらゆらと熱い湯気が立ち上っていた。

「この前のチョコ、美味しかった。帰宅して早々ミョウジのチョコを一番に食べた」

「………………」

「ありがとうな」

口の端を上げて、穏やかに笑った煉獄先生の大きな手が私の頭を優しく撫でる。あわよくばずっとこのまま煉獄先生と2人で居たい。もう誰も会議から帰ってこなくて良いよ!と思わず叫びそうになってしまうのをぐっと堪えて「はい!」と元気よく応えた。

「お返しは期待していてくれ!」

そう言って、屈託のない笑顔で子供みたいに白い歯を出して笑った煉獄先生に思わず見惚れてしまった。正直、毎回子供扱いをされている事は分かっている。けれどもこの熱い想いに終止符を打つ時は果たしてくるのだろうか。拳一つ分空いているこの距離がもどかしく思えて、煉獄先生にはバレない程度に椅子を横に動かして気持ち距離を詰める。その時、冨岡先生が開け放っていった窓の隙間から、ビュウと冬の冷たい風が私の頬を撫でた。「寒いっ!」と叫んだ私に、煉獄先生は眉を下げて「ココアが冷えるぞ」と小さく笑っていた。



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -