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『義勇は何を考えてるか分からない』


初めて付き合った女に最後にそう告げられたのは、今からもう2年前の事だ。出逢いは宇髄に無理矢理参加させられた飲み会の席。酒も混じり、各々好き勝手に会話を繰り広げていた席の端に、何処となくつまらなさそうに携帯を操作していた女。それがナマエだった。

「みんな良い歳なのにあんなに騒いで…ちょっと馬鹿みたいだと思いません?」

そう言って、少し困ったような表情で俺に笑い掛けてきた彼女と目が合った瞬間、何か猛烈に惹かれる物を感じた。口ではそう言いつつ、彼女の言葉の節々にはちょっとした愛情も含まれていて、宇髄達に本気で呆れている訳でもなさそうだった。そのまま向かい合わせに腰掛けていた距離が徐々に縮まり、気付けば隣り合わせに肩を並べて会話もそこそこ弾んだ。弾んだ、と言っても彼女が俺に対して一方的に話し掛けるばかりで、今にして思えば彼女が俺と会話をして楽しかったのかは未だに不明だ。

「良かったら今度、2人でご飯にでも行きませんか?」

帰り間際に、ニコニコと屈託のない笑顔で俺を誘ってきたナマエの行動がなければ、きっとその後の関係には至らなかっただろう。連絡先を交換して、後日2人で会う機会も徐々に増え、猛暑の夏から肌寒さを感じる秋に移行しかけた頃、まるで必然のように俺達2人の関係は始まった。

「私、義勇と居るととてもホっとする…」

息を吐くように、自然と口から零れ落ちた彼女の肩を抱き寄せては何度も何度も口付けを交わした。生まれて初めて付き合った女がナマエで良かったと、それは未だに思う。だが永遠に続くものだと思っていた幸せな日々は、ある日突然終わりを迎えた。それが、冒頭の彼女の言葉だ。

「元気だせってお前!女なんざこの世には腐る程いるぜ!?」

「…………いや、もう女はいい」

後日、見事にバッサリと切り捨てられた俺の肩を組んで元気付けてきた宇髄に、お前その歳で恋を捨てるとかド派手に馬鹿だろ!とか何とか叱咤されたが、最早そんな事はどうでも良いとさえ感じた。ただ一つ。…いや、二つ蟠りが残っているのは、男女の付き合いという物は中々難しいという現実と、もっとナマエの事を大切にすれば良かったという後悔だけだ。

「あ、冨岡先生ー!煉獄先生見なかったですか!?」

「いや…見てない」

だからこそたまに思う。煉獄とこの女子生徒の2人だけは俺のような結末を迎えて欲しくはないと。確固たる幸せを掴むには、それ相応の行動に移さないと他の誰かに奪われてしまう。そんな、自身の苦い経験を繰り返させない為にも。




「おい、冨岡。お前俺の話聞いてんのか?」

「……なんだ」

「はーもー…何だじゃねぇよお前。だから、何かあいつ別れたらしいぜ」

「あいつ…?」

「ナマエだよ、ナマエ!何かお前の次に付き合った男と揉めに揉めて今荒れ狂ってるらしいぜ?」

「……………」

夏休みも明け、まだ少し夏の名残りが残る夜に、リーンリーンと鈴蟲が外で鳴いている。外は風が強いのか、やたら職員室の窓もカタカタと左右に揺れていて、帰宅時は少し肌寒いかもしれないなと、そんな事をぼんやりと考えていた。気付けば俺の隣には宇髄の超ドアップの顔があり、そして奴はやけにニヤニヤとした表情で俺を見つめていた。無言でそのままぐっと宇髄の額に手を押し当てて、一定の距離を保つ。宇髄も宇髄で何故か俺のその行動に抵抗を示してきたが、途中で馬鹿らしくなったのかピタリと動きを止めてそこに胡座をかくかのように足を組み、気怠そうな表情でデスクに頬杖をついた。

「今ならチャンスなんじゃね?女は弱ってる時に助けてくれる男には揺れるもんだし」

「……………」

「多分、あいつはお前みたいな男しか絶対む、」

「帰る」

ガタ!とその場に立ち上がり、まだ何かぎゃあぎゃあと騒いでいた宇髄を放置して職員室を後にした。そのまま校門を抜け、人通りの多いメイン通りを真っ直ぐと突き進む。帰り道さながら誰も知り合いの居ないこの場所で、ハァと小さく溜息を吐いた。宇髄のあの発言と情報は、俺にとってはただの余計なお世話以外の何者でもなかったからだ。

『新しい男が出来たらしいぜ。あいつ』

ナマエと別れた一年後。宇髄にそう聞かされたのは傷も癒えかけていたある日の事だった。毎日仕事に追われる中で、ナマエに対して蟠りは残っていたものの、徐々に回復の兆しは見え始めていた。そんな時だ。宇髄の情報にまた一気に気持ちを引き戻されたのは。

『義勇は照れ屋さんだね』

忘れたくとも忘れられない。かと言って、これ以上俺にはどうする事も出来ない。ならせめて、もう二度と再会する事はないであろうこの場所で、彼女の幸せを願うだけだ。そう、思っていたのに。

「だーかーらー!もう関係ないって言ってんでしょ!?終わったのよ、私らは!」

もう二度と電話してこないで!そう大声を張り上げた女が手にしていた携帯を鞄の中に放り投げて、近くに配置されているベンチへと雑に腰を下ろした。その荒々しい行動にも驚く事には驚いたが、……いや。それ以上に今の俺には更に上を行く驚きが。

「…………えっ、ぎ、義勇…!?」

「……………」

その場に足を止めて、一連の流れを凝視していた俺に気付いたのか、女の動きはピタリと停止した。何というタイミングでの再会だ。心の底からそう思う。この世に神とやらが本当に存在するのならば、俺は今、猛烈にそいつを張り倒してやりたい。

「相変わらず騒がしいな、お前は…」

「あ、……見てた?」

てへ!と茶目っ気ある笑いで誤魔化そうとするナマエにあの頃のように頬が緩んだ。もし何処かで再び再会を果たした時はどうなるのかと考えていたが、現実は彼女に対して変わらず愛おしい想いがどっと込み上げた。人間とは不思議な生き物だ。どんなに苦い想い出も、時が経てば何もかも無かったようにリセットされるものらしい。

「ねぇ、良かったらこの後一緒に飲みにでも行かない?」

「……………」

「奢るから!ね、お願い義勇…」

そう言って、耳が垂れた子犬のような表情で俺に上目遣いを向けるナマエには相変わらず勝てないのだと悟った。はぁ、と小さく息を吐き、無言で彼女の腕を引っ張り上げてそこに立ち上がらせる。そのままそっと目尻に親指を這わせてさっきまで密かに泣いていたであろう彼女の涙を拭った。

「女に奢られるのは好きではない…」

「……そーだったね。今思い出した…」

「……………」

「………残念」

眉を下げて、心底残念そうに肩を落としたナマエの手を前から握って前に一歩足を踏み出す。俺のその突然の行動に目を丸くしたナマエが「義勇?」と横に首を傾げた。

「俺が奢るのは良い…」

「………えっ!?でも…流石にそれは、」

「何処に行きたい」

これ以上意見を聞く気はないと、そう圧力を掛けて半ば強引に話を逸らした。少し戸惑っているようにも見えたが、俺の行動を理解してくれたのかナマエはイタリアン!と元気に叫ぶ。さっきまで泣いていたのじゃないのかと心の中で疑問にも思ったが、変わらない彼女の明るい性格に照らされて、俺の暗い部分が消滅していくような、そんな清々しい気持ちになれた。結局、俺はどう足掻いてみてもナマエには勝てないのだろう。




「このソファー、変わってないね…!あ、このラグも…!わー懐かし〜」

「…………」

あれから2時間程時が経ち、まだ飲み足りないのか俺の家で飲み直そうとナマエが提案をしてきた。年頃の男女が一つ屋根の下でする事なんてたかが知れている。恐らくナマエ自身も男と別れたばかりで寂しいのだろう。今日初めて出逢った男ならまだしも、相手は元彼でもある俺だ。そういう関係に戻るのも造作はない。

「ね、義勇。これってさ、…!」

TV台に置いていた写真立てに手を伸ばして、此方側に振り返ったナマエの身体を抱き寄せて唇を塞いだ。コトン!と質素な音を立てて床に写真立てが転がる。あの頃と同じように、上唇を少し甘噛みをして、隙が出来たそこに自分の舌を捩じ込む。クチュ、クチュとわざと卑猥な音を立てながらラグにナマエを押し倒した俺は、手慣れた動作で彼女の服の中に手を滑らせた。「んっ、」と甘い声で鳴くナマエの細い手首を掴み、そのまま指を上に滑らせて恋人繋ぎをする。人より少し冷え性の彼女の手の温度を確かめるように、何度も何度も強く握り締めては最後に彼女の手の甲に唇を寄せた。

「ぎゆ、…ん、」

何も拒ませないように、俺にしては珍しく生き急いだ口付けを繰り返した。そうでもしなければ、ナマエが俺に待ったを掛けるような気がして怖かったからだ。口付けを交わしながらもう片方の腕を伸ばして彼女の前髪にそっと触れる。一度上に前髪を掻き上げて唇を離し、そこでようやくナマエと目が合った瞬間、はっと意識が現実に戻った。

「………すまない」

「ううん…ちょっと、ビックリはしたけど…」

「……………」

「でも、…」

嫌じゃなかったよ。そう言って、そこに起き上がったナマエがくしゃりと目尻を下げて柔らかく俺に微笑んだ。変わっていない。この笑顔も、優しさも、何もかも全てが。あの頃と。

「ねぇ、義勇。一つ聞いても良い?」

「…………なんだ」

我に戻った瞬間、怒涛のない後悔に襲われていた俺に、ナマエは床に転がっていた写真立てを拾った。そのままニコニコとした笑顔でそれを俺の目の前にずいっと翳して横に首を傾げる。

「私の事、恨んでないの?」

「……………」

「これ、…この写真。前に私と2人で撮った写真じゃん」

「……………」

捨てないでいてくれたんだね。

そう言って、嬉しそうに写真に視線を落としたナマエはチラリと俺を見上げた。ナマエが俺に翳してきたその写真は、以前付き合っていた時に宇髄達と花見をした時に無理矢理撮らされたツーショット写真だった。桜の木の下で、まだ何処となくぎこちない2人が笑顔で写っているその写真を俺は未練がましく部屋に飾ったままだった。…いや、正しくはナマエが勝手に俺の部屋に飾ったものではあるのだが。

『勝手に飾るな』

『いーじゃん!2人の愛の証だよ!』

脳裏にあの頃の2人が過ぎる。美化していると言われようが何だろうが、ナマエは俺にとっては何より眩しい存在だった。好きで仕方がなかった。生まれて初めて誰かを守りたいと思った。けれど口下手な俺は彼女へ想いの伝え方を何処かで間違えたのだと思う。あっさりと別れを告げられたあの時の俺はまだ何処か幼く、ナマエに与えられた好意を素直に受け止める事も追い掛ける勇気も持ち合わせていなかった。

「恨む訳がない…」

「え?」

「恨む訳がないだろう。俺が初めて本気で惚れた女だ…」

「義勇…」

思いがけず少し泣きそうになり、そのまま床に頭を俯かせて首裏に手を当てた。そうして小さく「逢いたかった」と素直な気持ちをナマエにぶつけた。何を考えているか分からない。2年前、彼女が俺にそう伝えてくれたからこそ、今ここで素直な想いを口にした俺は、やっとあの頃の自分を超えれた、そんな気がした。

「好きだ」

「…………」

「俺はずっと、お前しか見ていない」

弱々しい声で囁いた俺に、ナマエが一目散に俺に駆け寄って来て前から力強く抱き締められた。首筋に絡む細い腕。「義勇」と呼ぶ心地良い声。変わらない。何もかもが。俺の気持ちも、ナマエが俺に向ける優しさも。

「ならもう一度、2人で最初からやり直そう…?」

震える声で俺の頬にそっと唇を寄せたナマエの腰を捕まえて、一気に自分の元へと引き寄せた。腕の中で彼女の細い身体を閉じ込めて、本能のままに唇を塞ぐ。唇の端から厭らしい唾液を流して甘い声を挙げるナマエの膝裏と背中に手を伸ばしてそこに立ち上がる。そのまま2人して背後のベッドに勢いよく倒れ込んだ。

「私も…ずっと、義勇に逢いたかったよ」

遅い春、とは正にこんな状況をさすのだろうか。ナマエとキスを繰り返す最中、ベッドのヘッドボード付近にある電気を消して、暗闇の中ナマエと目が合った瞬間、「これから宜しく」と、2人で一緒くたにして笑い合った。




「ねぇ、宇髄先生。何か最近冨岡先生明るいですね!何か良い事でもあったのかなぁ?」

「あー?知らね。鮭大根でも食いまくってんじゃね?」

「うむ!確かに鮭大根は美味いな!」

「煉獄…お前は黙ってろよ…」



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