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『俺も…もう随分と前からミョウジの事が好きだ』

正直、想いを伝える気はまだなかった。彼女はまだ学生だし、そんなに切羽詰まっていた訳でもない。卒業後、何か理由をつけて2人で逢う口実でも作り、関係を深めるのはその時で良いとさえ考えていた。

「答えてやらないのか。ミョウジの想いに」

そんな呑気な思考を巡らせていた、夏休みも終盤に差し掛かったある日、珍しく冨岡が真剣な顔で俺にふいにそんな質問を問い掛けてきた。夏休みといえど、社会人である自分達は変わらず毎日出勤をしていて、休み明けの授業の準備に、文化祭の予定表作りにとそこそこ忙しい日々を送っていた。

「何の話か分からんな!」

「嘘をつくな。頭の回転が早いお前の事だ。俺のこの言葉の意味も十分理解しているだろう」

「……………」

「モタモタしていると、他の男に取られるぞ」

「………他の男?」

窓の向こう側で、夏特有の蝉が鳴いている。日も暮れて周囲が闇に溶け込んでいく中、たまたま2人して残業をしていた自分達の間を埋めるかのように、クーラーの清涼な風が肌を撫でた。他の男…そうか。その線は全く予想していなかったな。

「あいつは人懐っこい性格だし、器量も良い。余裕こいているとあっという間に他の男に取られるぞ」

「……………」

「俺は…お前には幸せになって欲しい」

冨岡は普段から言葉数が極端に少ない。だがそれを突き破ってでも俺に注意を促してくるということは、要はただ単純に俺の事を心配しているか、或いは過去に何か経験をした苦い想い出でもあるのだろうと悟った。操作していたパソコンのマウスから指を離して、その場で腕を組んだ俺を、冨岡はじっと前から視線を送ってくる。その目は「後悔だけはするなよ」と語っていた。

「そうだな。確かに冨岡の意見も一理ある!」

「……………」

「年齢の差とか、社会的立場とか色々頭の中で考えていたが、それよりももっと大切な事もあるな!」

「いや…まぁそれも大事だがな」

「……………」

少し白けた視線で、ズズっと珈琲を口に含んだ冨岡が面白くて俺は声を大にして笑った。自分とは真逆の性格の冨岡は、たまにこうして急に的を得た発言を口にするので目から鱗の時がある。心許せる友人と同じ職についている俺はとても幸運な人間だなと心の中で感謝の言葉を述べた。

「では、先に失礼する!冨岡も仕事はそこそこにしてキリの良い所で上がると良い!」

「あぁ…」

パソコンの電源を落として、鞄を手にし、冨岡に挨拶をして職員室を後にした。暗い廊下内から見えた夜の風景が、不思議と今の自分を後押ししているかのように思えて自然と笑みが溢れる。次に行動に移したのは、ポケットに忍ばせていた携帯からミョウジの連絡先を呼び起こす事だ。勿論、理由はただ一つ。自身が心底惹かれている、彼女の声が聞きたかったからに過ぎない。



「ミョウジ、今ちょっと良いか?」

「え?」

時は巡り、修学旅行二日目。ミョウジを筆頭に、運良く引率者に選ばれた俺が市内に広がるチンチン電車を物珍しい表情で眺めていた時の事だ。ガヤガヤと騒がしいオフィス街の中心で、それぞれ班ごとに自由時間を楽しんでいた俺とミョウジ達は、タピオカドリンクを片手にあれやこれやと会話に花を咲かせていた。そんな中、やけに照れ臭そうにミョウジを呼びに来たある一人の男子生徒に、そこにいた全員が彼とミョウジに対して多くの視線を向けた。

「あーっと…ちょっと、2人で話したい事があってさ…」

「えっ!なに?」

「いやぁ〜…何と言われても…なぁ?」

「……………」

罰が悪そうに、首裏を掻いたその生徒はチラっと横に視線を流して我妻にアイコンタクトを送った。それに空気を読んだであろう我妻が勢いよく親指を立てては声を掛けてきた男子生徒に対して深く頷く。「ナマエちゃん、行って来なよ!俺達ここで待ってるからさ!」と冷やかしの込めた視線で背後からミョウジの背中を押す我妻に内心少し怒りが湧く。そんなアシスト今はいらん!と。そんな子供じみた怒りが。

「えっ、じゃあ…まぁ。そういうんなら…」

「うん!待ってるね!」

「あ、ナマエ!」

「えっ、なに?炭治郎」

前に進めていた足をピタリと止めて、竈門少年の呼び掛けに踵を返したミョウジが、横に首を傾げて不思議そうに彼を見つめている。彼女の元まで距離を縮めた竈門少年が耳元に唇を近付けて何かを囁いていた。何を口にしたのかは分からなかったが、直ぐにミョウジが目を丸くして嬉しそうな表情で「うん、ありがとう炭治郎!」と笑顔で頷いていた。……うーむ、若者の思考はさっぱり読めん。

「すぐに戻るからー!」

「あーい!ごゆっくりぃい!」

ヒラヒラと手を左右に振って、最後に厭らしい表情で笑った我妻に大きな溜息が零れた。当然の事ではあるが、この中で誰も俺とミョウジの関係を知る者はいないのだから嫌でも素知らぬフリをするしかない。とはいえ、正直余り気分が良い物ではない。ミョウジは全く気付いていなかったが、あの流れはどう見ても告白だろう。

「今から先が思いやられるな…」

「え?何か言いましたか?煉獄先生」

「…………いや、何も」

冨岡に触発されて、勢いのまま想いを告げたあの日から俺の中にあった余裕は日々削がれていっている。辛うじてミョウジにはまだバレてはいないが、俺は元々独占欲が強い。だからこそ今のこの状況は心底面白くない。そんな大人気ない自分の心の狭さに頭を抱えて出てくるのは、やたらと重苦しい溜息ばかりだ。

「先生!ナマエを待ってる間に電車の写真でも一緒に撮りませんか!」

まるで気を重くしている俺を元気付けるかのように、竈門少年が嬉々とした表情ですぐ側で走っているチンチン電車を指差した。私情を挟んだこの想いを横に置いて、一旦気を取り直した俺が「あぁ!撮ろう!」と答える。ニ、三歩前に進んだ所でふと踵を返し、少し離れた場所であの男子生徒と向かい合わせに立っているミョウジの後ろ姿を見つめた。彼女の表情こそ見えないが、恐らく告白の真っ最中であろう男子生徒の頬は赤らんでいる。それに再び重い溜息を吐いて、俺は竈門少年の元へと向かった。




「せーんせっ!来ちゃいました!」

「ミョウジ…?」

あれから宿泊先のホテルに戻ってきたキメ学勢は、それぞれ夕食を済ませて風呂に入り、就寝時間目前の時間帯となっていた。本来ならば余り部屋から出てきてはいけないのだが、ミョウジはその言いつけを無視して1人部屋の俺の元までこっそりとやって来た。ドアを開けて呆然とそこに立っている俺を軽く押し退けて「失礼しまーす!」とニコニコと上機嫌にミョウジが部屋の中へと入る。……いや、少し待ってくれ。流石にこの状況は不味い。

「ミョウジ…少し待っ、」

「わー先生の部屋ひろーい!良いなぁー!…あっ、ちょっと先生!窓からの眺めも最高じゃないですか!ズルいですよ!」

きゃっきゃっと嬉しそうに部屋の端から端まで探索をしている彼女の手首を咄嗟に掴む。そのまま一つ息を吐いて、冷静になれと自分に言い聞かせた。初日でもあった昨晩、ホテルの待合室で逢瀬を交わした俺とミョウジは2人で他愛もない会話を繰り広げた。とは言え、公に出来ない関係性なので長時間は過ごせず、東京に戻ってからまたデートにでも行こうと、そう2人で決めたばかりだったのだが…

「?先生…どうしたんですか?」

「……………」

そもそも教師である前に、一人の男だ。よく周囲からは落ち着いているだとか大人だとか称賛されるものの、俺は歳だって若いしそれなりに欲望もある。とはいえ、流石にここで理性を失う訳にもいかないので「自分の部屋に戻りなさい」とミョウジに注意を促した。それにムっとしたのか、それまでやけに高かったテンションを下げた彼女がズイっと俺との距離を縮めてくる。下手に動けば互いにぶつかり合いそうな程の至近距離で、ミョウジはハッキリと「嫌です!」と否定の言葉を口にした。

「嫌と言われてもな…流石にこの状況は不味いだろう」

「先生は私と二人で居たくないの?」

「いや…そうではない。だがこれは…」

「知ってますか先生。私、今日告白されたんですよ!」

「……………」

「心配じゃないの?それともそんな事気にも止めないぐらい、先生は大人だから余裕?」

「……………」

『余裕』そのフレーズに目を見開いた。余裕な訳がない。寧ろ逆に想いが通じ合ってからの方が余裕が無くなってきているのだから。涙目で下から俺の顔を見上げてくるミョウジの泣きそうな顔にハァと小さな溜息が零れた。あくまでもそれは情け無い自分自身に対して吐いたモノだったのだが、どうやらそれをマイナスに捉えたのかミョウジの表情はみるみる内に曇っていく。

「って、そりゃそうですよね…先生は余裕に決まってますよね…だって、絶対私の方が先生の事を好、…!」

彼女の言葉を遮るように、掴んでいた手首を勢いよく自分の元へと引き寄せては一気に唇を塞いだ。腰に手を廻して、もう片方の腕を彼女の首に巻きつけ、逃げ場を防いだ俺の行動にミョウジは瞼を閉じるのも忘れて俺にされるがままになっていた。次第に状況を把握したのか、嬉しそうに目尻を下げて笑ったミョウジは、俺の耳元で「…少し安心しました」とか細い声で囁いては俺の首に自身の腕を巻きつける。

「………安心?」

「はい…だって、あの時の先生…何でもないって顔してたから…」

「気の所為だろう」

「いーえ、してました!…いや、少なくとも私にはそう見えました…!」

フン!といつものように不満げに鼻を鳴らしたミョウジに、自然と笑みが溢れた。何故彼女にはそう見えたのかが不思議だが、きっとあの時の俺は冷静になれと自分に言い聞かせていたので一応ギリギリのラインで周りにはそう見えたのかもしれない。

「しかもあの時、先生の側を離れるのが嫌だったのに…!」

「嫌?」

「もー!だって、あの場を離れたら他の女子生徒達に先生の隣をキープされちゃうじゃないですか!だからですよー!」

「あぁ…成る程な!」

まぁ、炭治郎にちゃんと先生の隣は守るからって言われて安心しましたけどね!

そう言って、得意げにその場で腕を組んだミョウジが二度頷く。そして再び俺との距離を詰め「てな訳で先生、罰としてもう一回チューしてください」とトントン!と自身の唇に人差し指を当てて微笑んだ。成人男性に向けるには少々刺激が強すぎる発言だ。そもそも以前にも思ったが、彼女は隙が多すぎる。

「……んっ…!」

お望み通り、彼女の身体を引き寄せて上から唇を奪った。そのままいつものように何度か唇を啄み、するりと腰に添えていた手を滑らせる。いつもとは少し違う俺の行動に気付いた彼女の瞳が揺れた。だがそんな事はお構いなしに顔の角度を変えて大量のキスを繰り返す俺の胸に手を当てたミョウジが涙目で俺を下から見上げてくる。下手したらこんな場所で自分の理性が決壊しそうな程の破壊力だ。彼女が学生の内はこれ以上の段階は踏む気は一切無かった筈なのに、余裕のない自分が邪魔をして、気付けば無我夢中で彼女の唇を塞ぎ続けていた。

「………先生、どうしよう…」

「………ん?」

「……足りない、」

「…………」

ハァ、と熱い吐息を二人で吐いて、互いに一旦顔を離したミョウジが小さな声で呟いた。まるでそれは独り言のようで、だが彼女自身もまた少し戸惑いを含んだ発言のようにも聞き取れた。

「………もっと、先生に近付きたい」

「…………」

「もっと、……先生を側に感じたい…」

「…………」

「ねぇ、せんせっ…!」

その時、俺の中で何かが弾けた。最悪だ。一番回避をしたかった展開に傾きかけている。そうは思いつつも最早この脆い理性はそんなに簡単には復活しそうになかった。彼女の肩を抱き寄せて上唇を啄み、そのまま歯列をなぞって一気に口内に舌を捻じ込んだ。そんな俺を拒否する訳でもなく、すんなりと俺の行動を受け止めたミョウジが「んっ…、」と甘い声を挙げる。そのまま二人して背後のベッドに倒れ込み、必然的に彼女を押し倒す形となってしまった。よもや本格的に不味い。誰か俺を止めてくれ。

「んっ、せんせっ…、」

その時、彼女のポケットに忍ばせていたであろうLINEの通知音が連続で部屋中に鳴り響いた。普段なら少し煩わしいその音が、今の俺には救世主のように思えてほっと胸を撫で下ろした。お陰で完全に理性を失い掛けていた自分の頭も一気に冷え、俺の腕の中で呼吸を整えているミョウジの頭をそっと撫でる余裕も生まれた。

「げっ、やば…!炭治郎達からだ…!」

未だに呼吸を整えきれないのか、まだ少し荒い息を吐きながら顔の前に掲げている画面に眉根を寄せた彼女の耳元に唇を近付ける。そうして一言、「続きはまた今度な」と囁いた。俺のその発言に、火山でも噴火したかのように頬を一気真っ赤に染めたミョウジに自然と頬は緩み、穏やかな笑みが溢れ落ちる。

「の、のの望む所ですよ…!」

「はは!冗談だ!」

今の所はな。そう一人心の中で呟いて、この日の夜は何とか無事に終わりを迎えた。次の日、修学旅行最終日でもあった帰りの新幹線の中で、ぼんやりと窓から見える景色を眺めていた俺の携帯が視界の端で振動した。どうやらさっき送信した俺のメッセージに対しての、ミョウジからの返信のようだ。

「…………可愛いな」

そう一人呟いて、最後にメッセージを送信する。そのまま携帯をポケットの中に仕舞い込んでゆっくりと瞼を閉じた。次第に夢の中へと落ちていく自分の意識が完全に失い掛ける前に、夢の中でも彼女に逢えたら良いなと、ふとそんな事を願った。




『結局告白はどう返事したんだ?』

『断ったに決まってるじゃないですか!』

『ならば良かった!』

『てか、先生…ちょっとは妬いてくれてたりするんですか?』

『あぁ、かなり妬いた。心配した』

『好きっ!!』

『俺も、ミョウジの事が好きだ』



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