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夏休みなんて大嫌いだ。
いや、何なら休み自体が大嫌いだ。ジリジリとうだるような暑さに、シャツにへばり付く汗。クーラーをガンガンに稼働させても余り涼しさを感じないそれに「暑い!もーやだ!」と1人叫んだ。リビングのソファーに寝っ転がって、手にしているアイスに齧りついている私を、少し離れた場所から母親が呆れた顔で此方を見つめている。
「あんた、暇してるんなら炭治郎君達と何処かに遊びにでも行ってきたら?」
「やだよ、暑いもん」
「じゃあ庭の手入れを手伝ってくれる?」
「やだよ、暑いもん」
パク、と最後の一口を口に放り込んだアイスをもぐもぐと食べている私の頭を母が光の速さで叩いた。「なんってだらしのない子なの!」とか何とか言って喚いているがこっちとしてはそんな事は知ったこっちゃない。ソファーの端に手を伸ばして掴んだTVのリモコンを操作して、何回かチャンネルを変えては夏の風物詩とも言える甲子園の試合をぼんやりとした視線で眺めていた。
「あー、今年もこの学校が決勝リーグに決まったかぁ。やっぱ強いなーここ」
ろくに試合のルールも分かっていないのに、一丁前に通なフリをして素直な感想を呟いた。ふーんとか言いながらもソファーに頬杖をついて太腿を掻く私の頭の中は暑さにやられてボーっとしている。TVの向こう側ではこの夏を名一杯楽しもうとスタンドから必死に我が校の勝利を望む同世代の子達が試合のマウンドに立っている選手達にエールを送っている。こんな暑いのによくやるよ。そんな冷めた感想を心の中で呟いた私の背後から「暇なら宿題でもしなさい!」と母親が急にキレだした。
「もう終わってますー」
「嘘おっしゃい。この夏休み中、あんたが机に向かってるのなんてお母さん見た事ないわよ」
「本当だもん。終わったもん。……歴史だけ」
「歴史だけじゃなくて全ての教科をやりなさいってお母さんは言ってるの!」
腰に手を当てて目をキッ!と釣り上げた母親の圧に腰が引けてしまう。いよいよ面倒な流れになってきたぞと冷静な判断をした私はそのまま無言でリビングを後にした。自分の部屋に戻り、ベッドに倒れ込む。出てくるのはやたら重苦しい溜息だ。
「煉獄先生に逢いたいなぁ…」
繰り返しにはなるけれど、夏休みなんて大嫌いだ。休みが長ければ長い程煉獄先生への恋しさが募るから。お盆も過ぎ、夏休みも残り僅か2週間となった今、私のご機嫌はすこぶる悪い。何故なら結局この夏休み中に煉獄先生には逢えていないからだ。
『俺も夏休みの間、ミョウジに逢いたい』
先生、あの言葉は一体どういう意味なんですか。心の中で疑問を思い浮かばせながらもそこに瞼を伏せて意識をある一点へと集中させた。正直、この休み中先生と連絡はそこそこ取り合っているけれど、肝心の顔は拝めていないので最早バッテリー切れ寸前だ。もたもたしている内に、海のシーズンも花火大会も祭りも終わってしまった。何度も先生を誘おうとも考えたけれど、その度に怖気付いて今に至る。恋する乙女というものは、中々面倒臭い生き物らしい。
「あれ、何か通知来てる…」
朝からリビングでゴロゴロとしていたお陰で放置していたスマホの存在にやっと気付いた。のそのそとベッドの上を這いずって、手にしたスマホの画面に視線を落としてLINEを開く。と、そこにはサングラスを掛けた善逸がプールのど真ん中で無駄に格好つけたポーズで写るソロの写メが届いていた。しかもわざわざ「我妻善逸、この夏を楽しんでます!」といらんメッセージを添えて。多分、炭治郎達と一緒にいるんだろう。
「誘ってよ!」
夏特有の熱気が漂う部屋の隅で、声を大にして悲痛な想いを叫んだ。窓の外ではミーンミーンと蝉が鳴いている。やけにそれが虚しく思えてそれを追いやるように再びベッドに身を沈めた。クーラーもかけずにそのまま眠りについてしまったお陰で、夕方に起きて早々シャツには大量の寝汗を掻いていてその不快感に眉を顰めた。結局こうしてまた、一日を無駄にしてしまった自分に同時に腹が立ったのは自然の摂理という物ではないだろうか。
「お母さーん!ちょっとコンビニに行ってくるねー!」
その日の夜、眠りから覚めてシャワーと夕ご飯を済ませた私は適当な部屋着に着替えてコンビニへと向かっていた。目的は勿論、アイスの買い溜めである。連日お昼のワイドショーで流れるお天気お姉さんがいうには、今年は例年よりも猛暑らしい。毎年似たような事を報道されているような気もするが確かに暑いのは間違いない。てな訳でこの暑さを乗り切る為にはアイスの存在は必要不可欠なのである。
「えーっと、今回はどれにしようかなー…」
ガラスの向こう側に視線を向けて、アイスの物色をしていた私のスマホが小刻みに振動した。ろくに画面も見ないまま耳にスマホを押し当てて「もしもーし」と覇気のない声で通話に応答する。どうせ炭治郎か善逸当たりだろうと思っていた私の鼓膜に響いたのは、連日想いを募らせ続けていたある人の声で、開きかけていたガラスの戸をバン!と勢いよく閉めた。
「れ、煉獄先生…!?」
「ミョウジ、今平気か!」
勿論です!即答で返して一旦コンビニの外へ出てはそこに腰を降ろした。れ、煉獄先生だ…!生の声久しぶり!やだもう好き!とか何とかヤバい感想を心の中で呟きながらも頬はふにゃりと緩み、一気にテンションが上がった。
「先生、急に電話なんてどうしたんですか?…あ、もしかして今帰りですか?」
「あぁ、今帰りだ。冨岡と2人で話し込んでいたらこんな時間になってしまった!」
と、冨岡先生と…!?あの人と何をそんなに話す事があるんですか?と口に仕掛けたが普通にそれは失礼なので声に出すのは止めておいた。「そうなんですね!お疲れ様です!」と無難な返事を返して、煉獄先生の次の発言を待つ。
「特に意味はないんだが、ふとミョウジは何をしているのかが気になってな」
「…………えっ!?」
「元気そうで何よりだ。安心した!」
そう言って、スマホ越しに愉快な笑い声を挙げた煉獄先生の発言に胸が馬鹿みたいに高鳴った。久々の煉獄先生の声にキュンキュンしすぎて最早心臓は破裂寸前だ。それを悟られまいと表面上は至って冷静に返事を返してはぼんやりと夜空に浮かぶ星空を眺めていた。昼間とは異なり、そよそよと通り過ぎていく穏やかな夏の夜の風がやけに心地良い。
「ミョウジ、今外か」
「え?…あぁ、はい!外です。今コンビニにアイスを買いに来てい、」
「まさか…1人か?」
「え?」
間髪を入れずに、煉獄先生が遮ってきたその質問に目を丸くする。パチパチ、と二回瞬きを繰り返した私の目の前を何台かの車が通り過ぎて行った。車道に響く車のエンジン音が先生の耳にも届いたのか、スマホの向こう側で「何処のコンビニだ」と先生が低い声で答えを急かしてくる。
「い、家から一番近いコンビニです…」
「直ぐに行く」
「…………えっ!?」
先生はそこまで口にして、強制的に通話を切った。ツーツーと機会音が耳の中に響く。取り敢えずスマホをポケットの中にしまい、意味もなく前を見つめていた。………え。先生、今こっちに来るとか言わなかった?え、言ったよね?……いやいやいや!ちょっと待って!私こんな適当な服なんですけど!てかスッピンなんですけど!?いやややや!無理!色んな意味で無理!
「ミョウジ!」
「って、早っ!先生もう着いたの!?」
そんなこんな考えていたら煉獄先生が現れた。今日は珍しく車出勤じゃなかったのか、わざわざ全力疾走をしてきてくれた先生の額にはじんわりと汗が浮かんでいる。少し離れた場所から名前を呼ばれてそこに立ち上がった私との距離を縮めて、はぁ、と深い溜息を吐く煉獄先生。そして珍しく怖い顔をして目の前に立っている私の肩をガシっ!と強く掴んだ。
「こんな夜更けに1人とか危ないだろう。君は何を考えているんだ」
そう言って、再び深い溜息を溢した煉獄先生に「す、すみません…」とどもり気味に小さく謝った。でも本当に家から近いんですよ。と囁かな抵抗を示したら、そういう問題じゃないと怒られてしまった。
「まぁ、君が無事で何よりだ」
「先生…」
「アイスはもう購入したのか?」
「い、いえ…まだです!」
「ならば行こう」
そう言って、私の腕を掴んでコンビニの中に入っていく煉獄先生の後ろ姿をぼんやりと見つめていた。背中…広いなぁ。抱き着きたい。そんな邪な考えを張り巡らせていた私に振り返って、先生はどれにするのかと呟いた。煉獄先生に逢えた嬉しさで当初の目的を忘れ掛けていた脳に鞘を打ち「これにします!」と派手に叫んだ。「よし!」と何故か元気よく相槌を打った煉獄先生が当然のようにアイスの箱をレジまで持って行く。慌ててその行動を止めに入ったけれど、先生は優しく微笑んで「気にするな」と穏やかに笑っていた。
「あ、これで最後みたいです先生…!」
あれから一旦家に戻って冷凍庫にアイスを放り込んできた後、私と煉獄先生との夜の密会は嬉しい事にまだ続いていた。コンビニの出入口付近に売られていた家庭用花火を見つめていた私に空気を読んだであろう煉獄先生がアイスと一緒に購入してくれたのだ。誰も居ない近くの夜の公園内には、煉獄先生と私の2人しか存在しない。同時に購入したライターで花火の先端に火をつけては2人だけの小さな花火大会を楽しんでいた。でもいよいよ残す所あと僅かとなり、最後に残ったのはこの2本の線香花火だけとなってしまった。
「楽しい時間って本当あっという間ですねぇ…」
「あぁ、そうだな」
しょんぼりと肩を落としている私に柔らかく笑ってくれた煉獄先生に頭を撫でられる。まるで幼い子をあやすように撫でられたそれはとても心地良くて、そしてそれ以上に心が暖かくなった。ニコニコと楽しそうに微笑む煉獄先生は少し少年のような表情をしていて、また先生の新たな一面を知れて良かったなと雲掛かっていた気持ちが一気に晴れていった。
「綺麗ー…!」
わざわざ私の分の線香花火に火をつけてくれた煉獄先生にお礼を伝えて、手にした線香花火へと視線を落とした。何秒か遅れをとって隣で自分の線香花火にも火をつけた煉獄先生もそこに腰を落として見つめている。パチパチと控えめに散っていく火花に無言のまま2人して見惚れていた。
「先生、」
「ん?」
「この夏、誰かと海とか行きましたか?」
「いや、行っていないな」
「花火大会は?」
「今しているコレ以外はないな」
「お祭りは?」
「気付けば日にちが過ぎていたな」
「そっか…」
なら良かった。そう心の中で呟いて1人安堵した。先生に恋焦がれている私からしてみれば、自分以外の誰かと夏を満喫されていたら溜まったもんじゃない。心が狭いと言われてしまえばそれだけの事だけれど、正直とても安心してしまった。そして同時に今日という日を先生と2人で過ごせる事が出来て、はたまたこうして花火にまで一緒に付き合って貰えて充分過ぎる程の幸せを私は与えてもらっているんじゃないだろうか。
「あっ…!」
そんな事を考えていたら、力尽きたように火種がポトリと地面に落ちて灯りを失ってしまった。あーあ、と残念がっている私に煉獄先生は「あっという間だったな」と笑う。そうこうしていたら、煉獄先生の線香花火も力尽きて楽しかった2人だけの花火大会も終了となってしまった。夜の公園内に吹く、夏の生暖かい風が頬を撫でる。地面に散らばった花火の後片付けをしている私の背後から「何度も君を誘おうと考えていた」と煉獄先生は小さな声で呟いた。
「………え?」
「待っているだけでは駄目だと思ったからな」
「待ってたって…何をですか?」
「……………」
踵を返して、目の前に佇んでいる煉獄先生へと視線を向けると、横に首を傾げて頭の中で沢山の疑問符を並べている私に、煉獄先生は眉を下げて困ったような顔で笑っていた。そうして「君は鈍いな」と先生は瞼を閉じて穏やかな口調で私に極論を言ってのける。
「休みに入る前、君に伝えただろう」
「……………」
「俺もミョウジに逢いたいと」
その発言に目を見開いて丸くした私に、ようやく気付いたかと言わんばかりの表情で煉獄先生は此方に近付いてくる。いつものように腕を組んで、少し横に首を傾げた煉獄先生と視線と視線が交差しあう。穴が開く程じぃっと見つめられて、またもや馬鹿みたいに胸が苦しくなった。
「わ、私も…!この夏休みの間中、何度も先生を誘おうと考えていました…!」
「その割には何も行動には起こしてくれなかったな」
「だ、だって…!万が一先生に断られたらと考えると…何だか怖くて…」
「断る訳がないだろう」
「…………え?」
そこまで口にして、煉獄先生に前から腕を引き寄せられた。腰に手を廻され、先生の大きな腕の中にすっぽりと収められた私の頬が一気に赤く染まる。無意識に先生の胸に両手を添えて、一旦距離を保とうと伸ばした手をもう片方の手で阻止されてしまった。驚いてそこに顔を上げると、至近距離で微笑む煉獄先生と目が合う。先生の強い目力にクラクラとしてきて、段々正常な判断が出来なくなってくる。そんな私を敢えて無視をした煉獄先生の大きな手が私の頬に這った。そうしてそこに顔を近づけてきた煉獄先生の一言に一気に心臓が早鐘を打った。
「逢いたかった」
低い声でそう呟いた煉獄先生に想いが止まらなくなって、勢いのまま先生の頬に唇を寄せた。暫くして顔を離した私の後頭部に腕を廻して「足りないな」と先生が呟く。そのままグイっ!と顔を引き寄せられて耳朶を甘噛みされてしまった。最後にわざと厭らしい水音を残してゆっくりと顔を離した煉獄先生と目が合った瞬間、大粒の涙が溢れ落ちた。
「先生ぇ…っ、」
「どうした」
「ズルいですよ…これは…」
ポロポロと頬に伝う涙を拭いながら小さく囁いた私に、煉獄先生は眉を下げて笑っていた。どういう意味を込めてこの行動に起こしてくれたのかは分からない。けれども今目の前に存在している煉獄先生の瞳の奥には嘘はないのだと、それだけはハッキリと分かったから。
「明日、また連絡する」
ミョウジの声が聞きたい。最後にそう囁いて、無邪気な笑顔で笑った煉獄先生に思わず抱き着いた。誰も居ない夜の公園内に、私の馬鹿みたいにズズっと涙を啜る音が響く。遠くで秋を待ち侘びているであろう鈴虫の鳴き声が、まるで私の背中を後押ししてくれるかのように、リーンリーンと鳴いていた。