■ ■ ■

炎柱邸の庭から一人見上げた夜空には、無数に散らばる満天の星空が広がっていた。頭は真っ直ぐと夜空に向けたまま、そこで大きく深呼吸をして深く瞼を閉じる。夜の鈴蟲の鳴き声に心地の良い夜風が頬を撫でたその時、背後から木の板を踏む足音が聞こえてきて閉じていた瞼をゆっくりと開いた。

「眠れないのか?」

そう優しく声を掛けてきた人物に私の頬は自然と緩む。踵を返して振り返った相手に「昼間珍しく昼寝をしてしまって…」と遠慮がちに答えた。

「煉獄さんこそ、こんな夜更けにどうしたんですか?」

「うむ、俺も休養を取りすぎたようだ。身体が疲労を感じていないせいか全く眠れなくてな!」

「あはは!確かにそれは一理あるかもですね」

少し離れた場所から互いに向き合う形で小さく微笑み合う。隊服と羽織に身を包んでない煉獄さんの和服の寝間着姿には毎度ながらドキっとしてしまって、そんなふしだらな想いを振り払うかのように左右に頸を振った。「おいで。少し話でもしよう」と煉獄さんが私に手招きをする。言われるがまま素直に煉獄さんが座る縁側へと近付き、そうして静かに隣に腰を降ろした。

「身体はもう大丈夫ですか…?額の傷も跡にならなければ良いんですけど…」

「平気だ。寧ろ近頃元気が有り余りすぎて身体が怠けてきている方が問題だな!」

「そうですか。なら良かったです…!煉獄さん、あの時は私の勝手な判断で深傷を負わせてしまい本当に申し訳ありませんでした。以後気をつけます」

「君が気に病む事じゃない。あれは俺が鬼と戦って得た傷だ。勝利の勲章と捉えれば良いだけの話!」

真っ直ぐと前を見据えて話す煉獄さんの横顔は、月に照らされていてとても綺麗だと思った。雲が徐々に月を覆い隠し、次第に光が消えていく。そうしてまた霧が晴れるかの様に顔を覗かせた月の存在が、まるで近くて遠い存在なのだと、頭の中で煉獄さんと私に例えては切ない感情が渦を巻いた。

「ナマエ、君はやけに薄着だな。寒くないのか?」

「え?あぁ…確かに。そう言われてみれば少し寒いような気もします。煉獄さんの方こそ生地が薄いですけど、寒くないですか?」

そろそろ自室に戻ります?そう口にして、腰を上げた瞬間左からやんわりと腕を引かれた。驚いて目線を下に下げると、丁度此方側に振り向いた煉獄さんの大きな瞳と視線が合う。

「もう少しだけ、俺に付き合ってくれないか」

ゆっくりと瞬きをした煉獄さんが、口角を上げて穏やかに微笑んだ。その表情に心臓を鷲掴みにされた私は、頬を赤らめながらも言われた通りに再びそこに腰を降ろした。暫く互いに無言のまま、煉獄さんと私の間に小さな風が吹き抜けていき、それに少しだけ寒さを感じた私は温もりを求めるかのように両手を擦り合わせた。寒がる私に気付いたのか左から長い腕が伸びてきて、まるで壊れ物を扱うかのように煉獄さんは優しく私の肩を抱き寄せる。

「あの…煉獄さん…」

「どうした?」

「………いえ。暖かいです」

「俺もだ」

何故急に私を抱き寄せたのかと理由を聞こうとしたけれど、その言葉を実際に口にする事はなかった。抱き寄せられた煉獄さんの腕の中はとても居心地が良くて、下手したら瞼を閉じそうになってしまう。もう片方の腕で私の頭を優しく撫でる煉獄さんの身体はとても暖かった。まるでそれは煉獄さん自身を現しているかのような、そんな優しい温もりだ。

「君といると、やたら時の流れが早く感じるな」

私の頬に顔を寄せて、煉獄さんは独り言のように呟いた。互いに身体を寄せ合い、暖を求め合うかのように2人の距離が更にぐっと近くなる。心なしか煉獄さんの胸板に頬を擦り寄せて、瞼を閉じたまま1人幸せを噛み締めては何故だか少し泣きそうになってしまった。

「私も…今全く同じ事を考えていました」

私の余りにも自然に出た返事に驚いたのか、煉獄さんは肩に廻していた腕の角度を変えて、半ば強引に自分の方へと私を振り向かせた。目を丸くして此方に視線を送ってくる煉獄さんの表情は何だか小動物みたいに可愛くて、しみじみと『好きだなぁ』と思ってしまう。

「私、何か可笑しな発言でもしたでしょうか?」

「いや…良い意味で驚いている。君と同じ気持ちだと知れて今とても光栄だ」

「…なら良かった!私の方こそ光栄です!」

「……………」

煉獄さんの大きな腕の中で、私は眉を下げて屈託のない笑みを向けた。煉獄さんとは炎柱と継子という関係性もあり、今まで何処か無意識に境界線を引いていた自分の想いが線の向こう側へと一歩踏み出せたような、そんな笑みだった。未だ私を凝視したまま無言で此方に視線を送っている煉獄さんの大きな腕に引き寄せられて、自然と瞼を伏せる。頬に煉獄さんの暖かい指が触れたと同時に、目の前に大きな影がさした。

「…………?」

てっきり口付けをされるものだと思っていた私の脳内に、多くの疑問符が浮かんでは消える。いつまで経っても訪れない感触に、閉じていた瞼をゆっくりと開き煉獄さんへと視線を戻した。視界が開けたと同時に目の前に佇んでいる煉獄さんは、至近距離で困ったようにして笑っていた。その瞬間、とんでもない勘違いをしてしまったのだと我に戻り「すみません!」と声を大にしては謝罪の言葉を繰り返した。

「何故謝る」

「いや、…だ、だって…」

「ナマエ」

「!は、はい…!」

まだ微妙に慣れない名前の呼び捨てに、無駄に大きな反応をして返事を返した。頬に添えられた煉獄さんの手が熱い。瞳もとても魅力的で下手したら吸い込まれてしまいそうだ。そんな馬鹿な事を考えている内に煉獄さんは『ナマエ』と再び優しい声で私の名前を繰り返し口にする。

「その時がきたら、ちゃんと俺から想いを口にしようと思っている」

「………………」

「だからもう少しだけ待っていてくれ」

そう言って、目尻に皺を寄せて優しく微笑んだ煉獄さんの手と身体がゆっくりと私から遠ざかっていった。途端に寂しく思い、まだ離れたくなかったなと身勝手な事を脳裏で考えては頭を地面に俯かせた。あからさまに肩を落として残念がっている私の頭の上に、空気を読んだであろう煉獄さんの大きな手がポンと乗る。

「今それをしてしまえば、俺のセーブが効かなくなってしまうからな」

それだけは絶対にあってはならない!そう言って、煉獄さんは眉を下げて小さく笑った。別に良いのに…と煉獄さんとは真逆な事を思う反面、大切にしてくれているからこその発言なんだと直ぐに考えを改めた。あの最初のくだりから今に至るまで、やっぱりどう考えても私の想いは煉獄さんに気付かれている。だとしたならもう充分すぎる程甘やかされているんじゃないだろうか。そう自分に言い聞かせて、夜空に浮かぶ星空をそっと見上げた。その時吹き抜けた風も少しだけ寒くて、自室に戻ろうと踵を返して前を歩く煉獄さんの後ろ姿をぼんやりと見つめながら、ついさっきまで触れられていた自分の肩を抱きしめるかのようにギュっ、と強く握った。





「祭りだ!デートだ!禰豆子ちゃぁぁああん!」

煉獄さんと2人で過ごした夜から2週間経ち、鬼殺隊の士気は以前より一層上がっていた。無事に復活を遂げた私と煉獄さんの2人は、日々の鍛錬に打ち込みながらも以前と変わらない殺伐とした日々へと戻っていた。「柱合会議に行ってくる!」そう言って、意気揚々とお館様の元へと向かった煉獄さんと入れ違いで炎柱邸に訪れた善逸が、登場して早々汚い高音で叫んでいる。煩い。

「祭りって…この肌寒い季節に?可笑しくない?それ」

「可笑しくない!可笑しくても可笑しくない事にしよう!ね!?」

「この前、任務帰りにたまたまこの近くにある藤の家に泊まった時にお婆さんに聞いたんだ。どうやら夏に酷い水害が起きて、予定していた縁日が伸びていたらしい」

「炭治郎!いたの!」

私の背後からひょっこりと顔を覗かせて、善逸のとりとめのない話に補足を付け加えたのは炭治郎だった。水害…なるほどねぇ。あったねぇ、そんな事。そんな感想を呟いていると「禰豆子ちゃん!何食べたい!?俺リンゴ飴とか禰豆子ちゃんには似合うと思うんだよ!」と善逸が陽の当たらない場所に座っている禰豆子ちゃんを必死に口説いていた。いや…鬼だし何なら口枷してるし、色々と無理があるだろうとツッコミたかったけれど、面倒臭かったからそのまま無視を決め込む事にした。

「良かったらナマエも行かないか?」

「え?」

「俺達今からその縁日に向かう所なんだ。もう少ししたら伊之助も来る。煉獄さんも今柱合会議だしナマエも時間が空いているだろう?」

「いや…まぁそうだけど…でも師範である煉獄さんに無断で縁日には行けないよ」

「大丈夫だ!ここに来る前に煉獄さんには話をして了承を得てきたから!」

「展開早いな!よし分かった行こう!」

鍛錬の途中だった竹刀を肩に掛けて、意気揚々と拳を空へと突き立てた。正直縁日というワードに心惹かれていた私の決断は即決で、煉獄さんから了承済だと聞かされてしまった以上、心が踊らずにはいられなかった。炭治郎達に『準備をしてくるからそこで待ってて!』と踵を返し自室へと向かう。一瞬季節外れではあるけれど浴衣でも着ていこうかなと脳裏に過ったその思考はなかった事にして、普段通り隊服に身を包んでは炎柱邸を後にした。





「わぁー…!凄い人だねぇ!お店も一杯!」

あれから目的地に辿り着き、神社の石段を登って広がったその光景に私は目を輝かせた。大勢の人込みの中左右に並んでいる沢山の夜店に、太鼓の音。赤提灯で彩られている鮮やかな色に通り過ぎていく人達の笑い声。そのどれもこれもがより一層私の心を躍らせた。

「ねぇ炭治郎!あれ!あれあれあれ!私あれやりたい!」

「わっ!急に引っ張るなよナマエ…!」

頭にお面を乗せて串刺しにされた焼き鳥を頬張りながら「禰豆子ちゃん!あっちにリンゴ飴が売ってるよ!俺と半分こする!?」と息を巻いている善逸と「ガーハハハハハハ!猪突猛進!余裕すぎるぜ!」と叫びながらもの凄い勢いで目の前の金魚をお皿に放り投げている伊之助を放置して、炭治郎の腕を強く引っ張ってはあるお店へと足早に向かった。

「おじさん!射的3回分ね!」

「あいよ!そっちの兄ちゃんはどうするんでい?」

「んー…俺は良いや!ナマエの玉が当たるのを見てる!」

宣言通り、射的のお店に着いて早々3回分のお代を支払った私とその横に立っている炭治郎に、そうかいそうかいとおじさんはとても嬉しそうに笑っていた。まるで猟師のようにオモチャの銃を真っ直ぐと掲げて、狙っている獲物に向かって引き金を引き行く末を見守る。当たれ!と願ったその想いは儚くも脆く砕け散り、結局成果は得られない結果となってしまった。

「あぁー…外れたぁ…!」

「頑張れナマエ!まだあと2回あるぞ!」

もっともな正論を吐いて、強く私の背中を押した炭治郎からのエールに私は無言で大きく頷いた。再び手にしていたオモチャの銃を掲げて「よし!次こそは!」と意気込んでいる私の背後から「助けてくれっ!!」と逃げ惑うように大勢の人々が此方に向かって全速力で駆け抜けていった。頭の中でもの凄く冷静に何事だ?と思考を切り替え踵を返し、そこに振り返る。目を細めて標的である暗い影へと視線を定めた私の視界が一気に開いた。恨めしそうに暗い表情を浮かべた奇妙な鬼が数体そこには存在していて、私の米神に嫌な汗が伝う。

「鬼…!」

手にしている小さな風車を風に揺らして、下駄をカランコロンと周囲に響かせながらも姿を表した鬼に私は目を見開き凝視した。直ぐに腰にぶら下げていた日輪刀に手を掛けて、鬼殺隊の隊員へと一気に気持ちを切り替える。隣に立っていた炭治郎も怒りからか肩を震わせて唇の端を強く噛み締めていた。その姿を横目に体制を整え、いつ鬼に攻撃を仕掛けられても問題はないようにと静かに鬼の動向を見張った。

「久しぶりだなぁ…ナマエよ」

「!?」

物陰から現れた不快な存在に眉をしかめ、手にしていた日輪刀を強く握り締めて鬼へと意識を集中させた。腰を低く下げて、呼吸を整えている内に一気に鬼に距離を詰め寄られた私の背筋に嫌な焦りが走る。何故か聞き覚えのあるその声に意識が朦朧としていると、「ナマエ!そっちの鬼は任せた!」と炭治郎が大声で私に叫んだ。

「俺を忘れたとは言わせねぇぞ。ナマエ、俺はお前に逢いたくて仕方がなかったよ」

あの日から、ずっと。そう小さく呟いた鬼の声は、心無しか寂しそうに聞こえた。

『俺とナマエはずっと一緒だよ…!』

脳裏に、幼い記憶が蘇る。決して思い出したくは無かったその記憶に、心の何処かで危険だと私の本能が叫んだ。日輪刀を強く握り締めて、真っ直ぐと視線を向ける私に「さぁ、延長戦の始まりだ」と満足そうに鬼が笑う。夜空に浮かぶ満天の星空の下、吹き抜けていく風が頬を殴る。周囲に広がる太鼓の音がより一層物哀しさを演出して、大勢の人が逃げ惑う群衆の中、ただ1人、私はその場所から一歩も動く事が出来ずにいた。



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