「飯」

「ない、眠い、以上」

さようなら。そう簡潔に理由を述べてバタン、とドアを閉める。予定だった。

「…………おい、てめぇ。ふざけてんのか」

なのに何という事でしょう。今まさに匠の手によって、ナマエの玄関のドアの隙間には、匠による無駄になっがい足が入り込んでいる。……って、そーじゃなくって。

「…………なんなんですか?こんな早朝に。正直めっちゃくちゃウザいんですけど」

「なんなんですか、じゃねぇよバカ。見ての通り俺は今腹減ってんだよ」

「そーですか。じゃあ家に帰ってカップラーメンでも食べたらどうですか」

「馬鹿言え。俺を飢え死にさせる気かてめぇ。良いからさっさと何か飯作れ」

「無理、ヤダ、以上」

さようなら。そう言って深々と本日2度目のお辞儀をする。が、当然の如くこの悪魔には通用しなかった。何故なら、次の瞬間気付けば奴は既にズカズカと我が家に入り込んでいて、ドサ、と偉そうにリビングのソファーに腰を降ろしていたからである。よし、泣こう。

「出来たら声掛けろ」

まだ何にも承諾してないけど!?そう大声で文句を言えば、「うるせぇな、喚くな。疲れてんだよ俺は」と、ローは一刀両断でズバっと私に毒を吐いた。そしてここで一言、声を大にして言いたい。何様かお前は!

「………それでも律儀に作る私って、どんだけ良いやつなの」

とほほ、と涙ぐみつつも目の前の野菜を手際よく切る。でも何だかんだ超ポジティブな私は、おかげで余ってた食材を腐らせる事にならなくて良かった、とか思ってる訳でして。やばいなこれ、完全に奴のペースじゃん。

「出来たけど。………って、寝てんのかよっ!」

ものの数十分で完成させたメニューを片手に、ソファーの前にある机に静かに置く。そして肝心の当の本人に目をやると、ローは足と腕を組んだ状態のままソファーで眠っているようだった。おーい、こんな明け方に人にご飯を作らせといて自分は寝るんですか。そうですか、そうですか。本当に良い身分ですね。って、そこまで考えてはたと気付く。ここでずっと眠られても困るんだけど!やば!まずい、何としてでもこの男を起こさなきゃ!そう考え直した私は、目の前に座るローの肩を軽くトントン、と叩いて囁くような声量で恐る恐る声を掛けた。

「あのー…ローさん、」

「……………」

「ねぇ、ちょっと起きてよ。おーきーてー!」

「……………」

「おーい悪魔ー、魔王ー」

「張り倒すぞてめぇ…」

「ぎゃっ!ちょ、ちょっと…!驚かせないでよ!ビビるじゃん!」

まるで最初から起きていたかのように、悪口を口にした瞬間ギロリと鋭い眼光で此方を睨むローに尻餅をついてしまった。そんなある意味興奮状態の私を無視して、その場に気怠そうに背伸びをするローに対し、今度はこっちの番だとでもいうようにギロリと睨み返す。でも奴はそれでもことごとく私を無視するので途中で馬鹿らしくなって止めた。

「やっとかよ、遅ぇな。あー腹減った」

そう言って律儀に箸を合わせてガツガツと食べ始めたローの姿は、正直餌に飢えた獣みたいだなと思った。だって物凄い勢いで食べるんだもん。そんなに急いで食べたら喉詰まらすよ、とか考えた所でまだお茶を出してない事に気付き、キッチンへと方向転換をする。

「ねぇ、こんな朝方まであんた何してたの?また女遊び?」

「あぁ?」

「そろそろいい加減にしとけば?あんたいつか絶対女に刺されるよ」

「バカ違ぇ、夜勤だったんだよ今日」

「はぁ?夜勤?工事現場かなんかの?」

「な訳ねぇだろアホかてめぇ。病院だよ、病院」

「び、病院…?……えっ!まさかあんた医者なの!?まさかね!」

「悪かったな、見えなくて。そのまさかの医者だ」

「はぁまじで…!?いやほんとにね!何の冗談かと思ったし!」

「だからうるせぇって…喚くな、疲れてるって言っただろうが」

至極面倒臭そうに溜息を吐いたローは、「茶」と一言口にして私に偉そうに指示を出した。勿論当然の如くその言動にはイラっときたけど、そうは言っても元々お茶を取りにここまで足を運んだんだからと思い直し、そこはグッと口を噤んで我慢をする。

「はい、これ飲んだら帰ってね。私今日からまた仕事なんだから」

はーもう、本当だったらもうちょっとゆっくり寝れたのに。そんな文句をグチグチ言いつつもテレビの上に配置してある時計をチラッと見上げた。

「食った。美味かった」

「……え?あーはいはい、そりゃどうも」

「お前、性格はひん曲がってる癖に飯作るのだけは上手いよな」

「うるさいな。ってかそれあんたにだけは言われたくない」

「仕事何時からだ。お礼にまだ時間があるんなら俺が添い寝してやろうか」

「結構です。逆に何の罰ゲームだよってなるからそれ」

はい、じゃー帰った帰ったー!そう言いつつも無理矢理ローの手を引いて立たせる。そしてそのままグイグイと背中を押しながら、勢いよく玄関へと続くリビングの扉を開けた。

「また来る。朝早くに悪かったな、今度何か奢ってやるよ。ビーフジャーキーとか」

「全力でいらんわそんなの。では、おやすみなさい。先生」

語尾に嫌味ったらしい台詞をつけてバタン、と今度こそ待ち焦がれていた玄関のドアを閉める。暫くそのままやっと帰ったかと一息ついていると、ドア越しに隣の家のドアがガチャガチャと派手な音をたてながら鍵を開ける音が聞こえた。それを耳にしてハタと気付き、独り言を呟く。

「………あ、片付けしなきゃ」

まだ少し残る眠気を振り払うように、ゴシゴシと両目を擦りつつもリビングへと踵を返して直行する。時刻はまだAM6時前。やっぱりもう少し…、いやあとせめて15分は寝たかったなとそんな事を考えながら、もう一度壁に立て掛けてある時計に目を向けた。





「遂に判明したわよ、あのイケメンの正体が」

そう言って、ドヤ顔でバサっと机にある雑誌を置いたナミにあんぐりとする。ってそりゃそうだ。だって今まさに大好物のエビフライを口にしようとしてた所なんだから。

「…………なにこれ、医療雑誌?」

「そ!昨日たまたま本屋で見つけたんだけど、あー…そうそう!これこれ!このページ!」

「はぁ…?」

「載ってんのよここに!この前あんたと飲みに行った日に会った、あのイケメン君が!」

「イケメン君?……あぁ、ローのこと」

「そうそう!ローのこと……ってあんた、何よその親しそうな呼び方は。羨ましすぎるんだけど。てかいつの間に!」

何処がだよ、と言いたいのを我慢して箸を置き、ナミが指差すページへと視線を落とした。と、そこには今朝偉そうに飯を高ってきた筈の、隈の濃い男がデカデカと掲載されていて思わず目が点になる。

「…………専門は主に外科医。どんな難関な手術にも常に臨機応変にこなし、その腕は間違いなく神の手と呼び声高い今注目の若手医師……って、凄。これ」

「でしょ?しかも医療雑誌にしては異例なページ数での特集よこれ。あのイケメン、相当やり手で女受けも良いんだと思うわ」

「うん、そうなんだろうね。それは何となく話してて分かってた、けど…」

……でも、それでもまさかここまでとは思ってなかった。だから今日やたら疲れてたんだ…恐らく何件かオペが重なってたんだろう。何かちょっと、悪い事したかも。

「そりゃあんだけ女に騒がれる訳よねぇ。こりゃ普通の女だったら絶対放っておかないわ。こーんなイケメンで仕事も出来て、こうやって雑誌にまで掲載される程のハイスペックな医者だもん」

「うん、まぁー…そうなんだろうけど」

「…あ、そういえばあんたが昔付き合ってた男もこんな感じだったわよね?えーっと確か、マ、マルフォイ?や、違うな。マリモ?みたいな名前の男」

「マルコね、マールーコ。マリモってなによ、可哀想じゃん。やめてあげて」

「あーそうそう!そんな名前だった!似てない?彼に。このイケメン君」

「そう?あんま思わないけど」

「えー?絶対似てるでしょ。あんたのタイプっぽいもん、彼」

「ちょっと、死んでもやめてよそれ。ないから、絶対」

ふーん?とか言いながらニヤニヤして私の顔を覗き込んでくるナミを無視して、今度こそは!と、意気込んでエビフライを食す。…うん、美味しい!やっぱうちの会社の食堂、神ってるっしょこれ!とか思いつつもテンション高めで私のご機嫌度は頂点に達した。

「…あ、そうだ。ねぇ。そういえば話変わるけど、何かこの前から変な視線感じない?」

「うん?」

「たまに社内で感じるのよねー、こう…何ていうか、ゾクゾクー!とするぐらいの突き刺さる程の怖い視線を」

「えー?まさかぁ。ナミの気のせいじゃない?」

「だったら良いんだけど。…ま、最近サンジ君に送り迎えして貰ってるから別に大丈夫なんだけどね。ついでにご飯まで作って貰っちゃって食費浮くから助かるわー!」

「うわっ…相変わらずの女王様ぶりですね、サンジ可哀想」

ご愁傷さまです、そんな事を心の中で呟いたと同時に2つめのエビフライに手をつける。そしてやっぱりそれは美味しかった。ペロリと全部食べ終わってトレイ片手に返却スペースに置き、カツカツとヒールを鳴らしながら食堂を後にする。その私の後を追い掛けて来て、隣に並んだナミが溜息を吐きつつも面倒臭そうにこう口にした。

「あんたも一応気をつけときなさいよ。このご時世、何があるか分かんないんだから」

「ご忠告どーも。でも大丈夫、もし本当にそんな奴が居たとしても、絶対私じゃなくて美女のあなたの方がご目当てでしょうから」

そうニコ、と笑って自分の部署の扉を開ける。「そんな事分かんないでしょうがー!」とか何とか言ってその場に地団駄を踏むナミに、ヒラヒラと軽く手を振って、私は午後からの仕事に専念するようにと彼女にもう一度だけ忠告をしておいた。





「あー…つっかれた。また無駄に残業になっちゃったー…」

あれから本当にいつも以上に仕事に専念した私は、その仕事ぶりを買われたのか上司から大量の案件を廻されて、あれよあれよとこんな遅い時間帯まで残業する羽目となってしまった。ようやく家のゴール間近!といった所でブブブ…とジャケットに忍ばせておいた携帯が振動して、その場に立ち止まったまま画面をスライドする。

「へぇー!ビビ結婚決まったんだ!いやーめでたい!良かったよかった!」

そんな独り言を呟きつつも、久々に届いた大学時代の友人からのメールに、即座にその内容について返信画面をタップした。その時だった。

「………あ、あのっ!!」

「……………は?」

え?私?とか思いながら背後から聞こえてきた声に反応し、振り返る。と、そこには見知らぬ眼鏡ボーイならぬ、男性が俯き加減で立っていた。………え、だ、誰。

「……………ミョウジさん、ですよね?」

「あ、はい。まぁ…」

「………………」

「あ、あのぉー…し、失礼ですけどどちら様でしょうか?」

「と!突然ですが僕…っ…!ず!ずっと、好きでしたっ…!!ミョウジさんのこと!!」

「………………は?」

多分、多分だけど一瞬その場の空気が凍った。…ような気がする。その本当に突然すぎる見知らぬ男性からの愛の告白に、私の脳は急停止し、そして一気にフリーズした。

「まっ、前からずっと…ずーーーっと前から社内で見てたんです!あなたの事」

「………………」

「す!すすす好きですっ…!!ぼ、僕と付き合ってください…!!」

お願いします!そう言って、その見知らぬ眼鏡ボーイ(でいいのか?)は、その場に深々と頭を下げた。目の前に差し出されたその手はプルプルと震えていて、そこで「は!」と現実に戻る。…………え、まじか。まじでか。え!ええ!?まじでか!まじなのかこれ!この展開!どーしようこれ!何かちょっと若干怖いんだけど!

「あ、あのぉー…も、申し訳ないんですが、私」

「お願いします!お願いします…!」

「いやあの、お願いしますって言われても…私あなたの事よく知らないし、」

「か、彼氏とかいるんですか…!?も、もしかして…」

「い!いやややや!別にそんな存在の人は全くもっていないですけど!でも、」

「なら良いじゃないですか!是非っ…!」

「いやだから是非って言われても…」

…………………まずい。ひっじょーにまずいこれ。まじか。ちょっとこの人、全く引き下がる感じがしないんだけど…てかもしかして昼間ナミが言ってた突き刺さるような怖い視線って、もしかしてこの人の事だったの…!?え、まじか!何でナミじゃなくて私?目腐ってんのかなこの眼鏡ボーイ。あ、だから眼鏡してるのか。良い近場の眼科でも紹介してあげようかな。って、そんな事考えてる場合じゃない。どうしよう…

「おい、何してやがる。んな所で」

どうしよう、どうしようと正にパニック状態が絶頂に達した、その時だった。背後からガサガサと大量のお酒を買い込んできたであろうビニール袋を引っ提げて、此方側に声を掛けてきたその声にビク!と肩が跳ねる。そしてそのままゆっくりと踵を返して目線を横にずらし、泣きそうな顔でその声の主をじっと無言のまま見つめた。

「あ…?どうした」

「……………ロ、ロー」

「……………」

いつもより勢いがない私の様子に気付いたのか、その場で左右に視線を泳がせたローが黙る。左には眼鏡ボーイ、右には私。でも何となくその異様な雰囲気に気付いたのだろう。瞬時に状況を理解してくれたローは、「ナマエ、こっちに来い」と私の腕を引いて、自分の後ろに身体を隠してくれた。

「で?誰だてめぇ」

「……………」

「おい、聞いてんのか眼鏡」

質問に答えない相手に苛ついたのか、ローの声がいつもより一段と低くなった。再度急かすように眼鏡ボーイに近付きながら、「質問に答えろ、殺されてぇか?」と、ローは相手を挑発しつつも、そのまま人を刺し殺すようなあの冷たい目線で男を睨みつける。

「……………って、言ったじゃないですか」

「あぁ?」

「………か、彼氏いないって、さっき僕に言ったじゃないですか…!!このアバズレ女!!」

「は、はぁっ!?あ、アバズレ女…!?ちょっとあなたね、言って良い事と悪い事があ」

「死ねっ…死ねっ…!お前なんか死んでしまえっ…!!!死ねぇぇぇえっ…!!」

…………その瞬間、やってしまったと思った。やばい、余計な事を言ってしまった、と。そして自分はそのまま此処で殺されるんだろうなと瞬時に判断して、ギュと強く目を瞑る。……あぁ。さようなら、私の人生。さようなら、ナミ。さようなら、マイフレンド、マイファミリー。それでは皆さん、この辺で。

とか、訳の分からないラジオのパーソナリティーみたいな挨拶を、心の中で呟いた時だった。


「…………言いてぇ事はそれだけか」

「え?」


その瞬間、ドゴォォォオン…!!と、今までの人生で聞いた事がないような鈍い音が鳴り響いた。目を瞑って現実逃避していたせいか、何があったのか全くもって意味不明だ。でも確かに此方に向かって突進して来ていたであろう男からの攻撃は一向に訪れる気配はなくって。怖かったけど、おそるおそる、ゆっくりと固く閉じていた瞼を開けてその場の状況確認をする事とした。


「……………ロ、ロぉー!?」

「おいてめぇ、頭沸いてんのか?ほんとにこのまま殺されてぇか?何ならその望み、今すぐこの俺が叶えてやろうか?あぁっ!?」

「ヒっ、ヒィィィィイ…!!」

「ちょっ…!!ロー!!」

「す!すいませんっ…!!すいませんすいませんすいませんっ…!!ゆ、許してくださ…!!」

「謝って済んだら警察はいらねぇんだよ!ぶっ殺されてぇのかてめぇ!歯ぁ食いしばれ!」

「だ!だからロー!!も、もう良いってば!大丈夫だから私!!ねっ!?」

目を開けた瞬間驚いた。…いや、驚いたとかもはやそういうレベルじゃない。その場にへにょへにょと腰を抜かしそうになった。恐らくあれから私に向かって突進してきたであろう相手を、ローが勢いよく蹴り上げでもしたんだろう。目を開けて飛び込んできたその光景は、地面に転がって蹲ったままの眼鏡男と、それをとんでもなくドス黒いオーラで、眼鏡男をゆらりと見下ろしたまま片足を上げたままの状態でローがその場に佇んでいた。

「ほっ…!ほんとにほんとにほんっとーーにすいませんでした…!!もう二度とっ…!ミョウジさんの前には現れません…!!!」

そう言って、男はローによって地面にぶちまかれたままの鞄の中身を全て拾い上げて、すたこらとその場から逃げて行った。

「……大丈夫かよ」

「…………え?あ、あーうんっ!ご、ごめんねぇー…、こ、こんな事になっちゃって!」

「全くだな、いい迷惑だ」

「で、ですよね!……あの、ありがとう。本当に本当にほんっとーーにありがとうございました!……まじで助かりました」

「別に。飯作ってくれたお礼だと思えば安い」

その場に90度直角で頭を下げた私の腕を引いて、ローはそのままマンションのエントランスまでスタスタと前を歩く。そして途中で、さっきの男に対しての恐怖が収まらないのか、ずっと小刻みに震えていた私の右手を強く握りしめてその場に足を止め、ポン、と頭に手を乗せられた。

「……怖かったな。悪かった、もっと早く俺がここに着いとけば良かった」

「…………ロー」

「帰るぞ」

そう言って、子供をあやすように暫く私の頭を撫でてくれたローは、もう一度強く私の手を握り締め、此方を安心させるかのように小さく笑った。その手は思ってたよりも意外に暖かくて、そしてその顔は今まで見た事ないぐらい優しい表情で、キュウ、と私の心臓が鳴いた。本当はローが登場したあの瞬間、混乱しまくっていた自分の心と脳が一瞬でホっとしたのが分かった。そして本当は、今こうして「本当に面倒臭ぇ女だな、お前は」と、小言を吐くローが優しい人なんだって分かってしまった。それに安心して気付いたその瞬間、ポロ、と安堵の涙が頬を伝う。


『すぐに分かるよ、きっと』


前にそう言って、私にローの良さを伝えようとしてくれたシャチの言葉を思い出す。……本当だね、シャチ。


「おい、さっさと歩け…こっちは一刻も早く帰って酒が飲みてぇんだよ」


……ローは多分誰よりも優しくて、そして誰よりも不器用な男だね。

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