「さぁ問題です!今日は一体何の日でしょう?」
カタカタ、パチパチと、社会人特有のパソコンのブラインドタッチ音を背景に安定の静寂さが私を包み込む。無駄にニヤニヤしながらパーテーション越しにこちらを見つめてくるナミのその発言に対して無表情な私はなんて冷静なんだろう。
「……花金、でしょ」
「はいそのとーり!ってな訳で今週も行くわよ」
「いや今日はまじ勘弁。見てよこれ、あとこんなに書類が溜まって」
「サンジくーん!これ今日中に仕上げといてー」
「お安い御用です!んナミすわぁぁあん!!」
おいおい、どっから湧いて出てきたサンジよ。目をハートマークにして、高速回転しつつもこちらに近付いてきたサンジにドン引きだ。とりあえずいい加減ナミに良いように利用されてるだけだと気付けばいいのに。…いや待て、気付いててこんな感じなのか。だとしたら尊敬に値するな。
「はいっ、じゃあ問題解決ね。そうと決まればさっさとパソコン閉じるー」
「へいへい、仰せのままに女王様…」
「あ、サンジくん。ついでにこっちの案件も宜しくね」
「了解でっす!んナミすわぁああん!」
「…………いいのか、本当にそれでいいのかサンジ」
哀れな同僚に同情しつつもちゃっかり後の事は彼に全部託した私も性格悪い。こりゃ一概にナミの事言えないな。とりあえず週明けに煙草と珈琲を片手に詫びでも入れにいこう。多分それで何とかなる。
「サンジありがとね。じゃあ、私達はお先に失礼します」
おつかれーす。とまだ辛うじて残っていた残業組に軽く挨拶をして返ってきたその言葉を皮切りにカツカツとヒールを鳴らす。そんな私を後を追うように「さぁ!今日も飲むわよ!」と意気込んでいるナミにバレないようにはぁ、と小さく溜息を吐いた。とりあえず一発目は生にしよう。もうこうなったらヤケ糞だ。そんな事を考えつつも歩を進めていたら意外と早く更衣室へと辿り着いた。まずはいつもの居酒屋から責めるわよ!とかなんとか言って拳を突き上げたナミに対して横目でチラッと視線を向けてみる。が、当然の如くそんな冷めきった私の視線なんて気づきもしない彼女に本日何度目かの苦笑いを漏らした。
「えっ!なにそんなに良い男だったの?」
あれから一軒目の居酒屋を後にして本日二軒目の2次会。ワイワイガヤガヤと賑わういつもの行きつけのクラブ内VIP席にて酒を片手に煙草を吹かし、会場内の男共を品定めする女達で溢れてる中に私達は居た。大音量で流れる流行りの洋楽サウンドに軽く乗りつつ、この雰囲気に飲まれて声量はどんどんと増していく。BGMに負けぬよう互いに耳元に顔を近付け、あーでもないこーでもないと様々な議題を上げつつもこうして今日も私達の座談会は繰り広げられていくのだ。
「顔はね。あー…あと多分背も高かったかな」
「なによそれ、最高じゃない!」
「ところがどっこい、これがまた物凄い感じが悪かった男なのよ。あーいうのなんて言うの?俺様?世界は全部自分中心に回ってるとか思ってるクチ?みたいな」
「ルックスが良ければ俺様でも何でもアリでしょ。へぇーいいわね。会ってみたいわ」
「……私絶対ナミとは男の趣味合わない自信ある」
「奇遇ね。私もよ」
互いに冷めた目付きでじっと睨みあう私達を背に、ぎゃぁああ!と悲鳴に近いつんざくような叫び声が聞こえてきて、何事かと勢いよく振り返った。その瞬間、私が口にしたのは「げっ…」という一言。無意識とはいえ、私の中の何かが拒否反応を示しているようだ。何であの男がこんな所に…別に特に何かされた訳ではないがテンションはだだ下がりだ。
「ナミ、良かったわね。あれが今噂してた例のイケメン君よ」
「え!マジで!?…うっわー、確かにすっごいオーラ。芸能人かなんか?」
「まさか。ないない、それはない」
そうは言ったものの、確かに物凄いオーラの持ち主だ。眼光は鋭く、隈は濃いものの一瞬で人を惹きつけて止まない何かがある。だが残念ながら第一印象が悪すぎた為か、どんなにイケメンだろうがなんだろうが私の中での彼のイメージは変わらない。だって現に席に着くなりふてぶてしい態度かましてるし。やっぱ嫌だわあんな男。
「トラファルガーさんて今彼女とかいるんですかぁ?」
「…てめぇには関係ねぇだろ。んなくだらねぇ話よりさっさと酒頼め」
「あはは!了解です。あ、何にします?」
「ウォッカ。ロックで」
「はぁい。すいませーん!ウォッカ一つ!ロックで!大至急お願いー!」
………くっだらない。何あれ。何あの傲慢な態度。見てて吐き気がするわ。女も女よ。何であんな男に命令されて嫌な顔一つせずにやりくり出来るの。意味不明。
「ごめんナミ、私ちょっとトイレ」
「オッケー、行ってらー」
逃げるようにそそくさとその場を後にして、ビル外へと足を向けた。最近購入したお気に入りのクラッチバッグから一つ煙草ケースを取り出し、勢いよく白い煙を吐いた。昔の名残からか今でもたまにこうしてニコチンに頼る事がある。例えばどうしようもなくイライラした時や冷静になれる自信がない時にお世話になったりその用途は様々だ。とはいえ基本は吸わない。煙草は百害あって一利なしだと常々分かっているからだ。
「ねぇ、この後どうする?」
ようやく冷静さを取り戻し、フロアに戻ってきて直ぐに飛び込んできた光景。まるでデジャブだ。いつぞやのように女が男の首元に腕を廻し、ニコニコと不適に微笑みながら横に顔を傾げている。肝心の男側は大して興味なさそうにただじっと女を見つめるだけ。どうやら見る限り女からの一方通行のようだ。
「……ロー、答えて」
「…………」
やれやれ、またこの男か。そう思いつつもまたもや小さく溜息を吐いた。どうしてイケメンとはこうも節操がない奴ばっかりなんだろう。さっきソファーで話し込んでいた女とはまた違う女じゃないか。…あ、でもこの場合は女側から責めてるから別問題か。まぁどっちにしても関わりたくない。どうぞご自由にイチャついて下さい。なんて、そんな感想を心の中で呟いた時だった。
「悪いが、今日はこの女にする。お前に用はねぇ」
「………はぁ?」
「っ…!なんで!?」
えっ、言葉繋がった?とか馬鹿な事を考えてる内に今立っている場所から自分の視界が揺れ動いた事に気付く。どうやら通り過ぎようと思った際に男に強く腕を引かれたようだ。思いのほか力が強くてじんじんと右腕が痛い。っていうかなにこれ。嫌な予感しかしないんですけど。
「この前の夜はなんだったの!?遊び!?」
「……うるせぇな喚くな。一回寝たぐらいで調子乗ってんじゃねぇよ。お前の事なんざ端から遊びに決まってんだろ」
「……さ、最低!ほんっと最低!じゃあもう二度と私に連絡して来ないでよね!」
「あぁ、そりゃ好都合だな。安心しろ、連絡するどころか最初から電話帳にお前の名前なんざ入ってねぇ」
「…っ!!」
その言葉がさぞかし自分のプライドに触ったのだろう。女はプルプルと両肩を震わせつつもその場を後にして去って行った。そして残ったのはDJブースから響いてくる重低音の音楽と会場内にひしめき合っている他の客達の笑い声。あぁ、ほんっと最悪。とんだ花金になってしまったようだ。
「ちょっと…いいの?あの子追いかけなくて」
「あぁ。寧ろ面倒な女だったから助かった。どっちにしてもそろそろ切ろうかと考えてた所だからな」
「……あっそ。なら良かったね」
連絡先に残っていないと主張したさっきの彼の言葉は嘘だったのだろう。何故ならデニムのポケットの中から気怠そうに携帯を取り出した男の指先は規則正しく動いているからだ。恐らく彼にとってそれは手慣れた動作なのだろう。冷めた目付きで淡々と番号を削除するその様はまるで生きたろう人形のようにも感じた。
「悪かったな巻き込んで。何か飲むか」
「いえ結構です。お気遣いなく」
「じゃあ付き合え。好きなの選んでいい」
「………どうも」
わざわざ言い方を変えてまで義理を果たそうとするこの男に終始振り回されっぱなしだ。スマートに店員に注文をことづけた後、さっきとは違うもう一つのVIP席へと移動させられる。そして男はさも当然かのように、ドサっと派手な音を立てて私の隣に腰を降ろした。
「会うのは2回目だな」
「え?」
「この前会っただろ、マンションのエレベーター前で」
「お、覚えてたの…!?何かよく分からないけどちょっと意外」
「あぁ、一番良いところで邪魔されたからな。嫌でも記憶に残る」
「あー…なるほど。納得だわ」
くすくすと高らかに笑う男の横顔に少し驚きながらも、店員から運ばれてきたカクテルを受け取りそっとテーブルに置く。どうやら隣でも同じ動作をしていたようだ。タイミング良く揃った二つのグラスを手に、男は少しだけこちら側に体勢を変えて薄っすらと微笑み、そしてこう言った。
「お前、名前は?」
……ナマエ。まるで導かれるようにそう呟いた言葉を最後にカラン、と二つのグラスのぶつかり合う音が部屋中に鳴り響く。出来れば関わりたくない相手の筈なのに、気付けば軽々と個人情報を口にした今の私はきっと、一次会から飛ばしすぎて飲みすぎたアルコールのせいに違いない。
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