カツカツとヒールを鳴らして、空港内を突き進む。艶のある黒髪を自然の風に靡かせながら、女の目元にかけてある高級ブランドの大きめのサングラスが、より一層周囲の人々とは違うオーラを解き放っていた。

「……8年ぶりね」

そう言って、彼女の形の良い唇が呟いた。まるで昔のフランス映画のヒロインみたいに上品なトレンチコートの中から携帯を取り出し、躊躇する事なくある人物へと電話を掛ける。

「久しぶりね。私…ロビンよ。ねぇ、突然で申し訳ないんだけど……あなたに頼みがあるの」

電話口の向こうで、相手の男がやれやれと言わんばかりの溜息を吐いていた。まるで『遅い』とでも主張するように。




「……てめぇ、いつまで笑ってやがる。これの何処がそんなに面白いのか俺に簡潔に説明しろ」

20文字以内でな。

と、大魔王もといローがさっきからギャンギャン吠えているがそんなこと知ったこっちゃない。悪いが私は今目の前に存在するある一つの写真に釘付けだからだ。

「だって…!これあんた白タイツって……!?ぶはっ!…ムリ!ムリムリムリ!お腹痛いからっ……!」

「あぁ?だからさっきから説明してんだろうが。それは当時のクラスの女共に無理やり着させられ…」

「いやでも白タイツって!何のギャグ!しかも王子様!笑うわまじで!」

「既にだいぶ前から笑ってる奴が何言ってやがる。…なんならお前俺の話一切聞いてねぇしな」

絶対殴る。と心にもない暴言を吐きながらローは深い溜息を吐きつつもソファーに寄りかかるようにして座った。ぷぷ…柄にもなく動揺しちゃって。なんだよ、くそ可愛いな。(←)にしてもなんなのこれ。なんなのこの神かがった写真は!可愛いすぎる高校生+文化祭のロー!え、これ持って帰って良い?良いよね?と二度繰り返して本人に確認をとったら「駄目に決まってんだろうが」と秒で拒否られた。なんでだよ。くれよ写真…ケチ。

「ねぇ!」

「あぁ?」

「もっとこの頃の写真ってないの?見たい!」

「ねぇよ。あっても見せねぇけどな」

「なんで!ケチ!」

「うるせぇな。んなもん見て何が楽しい」

「えー?だってロー、これ見る限り昔から顔は変わってないけど今よりは幼いからさぁ…可愛いんだもん」

「……………」

「もっともっと、私が知らなかったローの過去を遡って知りたいんだよ」

「……………」

「ダメ?」

「………そこの棚にある。見たきゃ好きにしろ」

「はーい!」

「……………」

参りました、とでも言わんばかりの困った表情でローは米神を抑えながら溜息をついていた。それを横目にニコニコと満面の笑みで引き続き棚のガサ入れを続行する私。そして最近私は気付いた。ローって、案外チョロい。

「あ!あったあった!ねぇ、ロー。見てこれ、」

「ナマエ」

ついでだからローにも見せてあげようと、少し後ろに振り返った途端に背後から大きな腕に包まれた。いつものように私の首筋に顔を埋めて、彼はそこに小さくキスをする。そして私の身体を強く引き寄せて、今度は猫のように頬を寄せながら私の耳元でこう言った。

「こっち向け」

ローからの熱い吐息に思わずビクっと肩を揺らしては、そのままゆっくりと顔を上に傾けた所で一つの影がさす。ローの大きな腕は私の首に巻きつくように抱き寄せられ、もう片方の腕はクシャリとサイドの髪を掬うようにして耳に掛けられては、チュっと頬に寄せた小さなリップ音だけが耳元に残った。

「…………ずるい」

「なにが」

「分かってるくせに…バーカ…」

「バカはお前だ。さっさと素直になれ」

「……………」

「ナマエ」

何となくローの言いなりになるのが悔しくて、反抗するように少しだけ視線を落としてみたけれど、彼はどうって事ない顔をして「ん?」と下から覗いてくる。意地悪なのは前からだけど、それでもやっぱり付き合う前と今とじゃ何となくその表情が違う。

「………ロー」

「なんだ」

「キスしていいよ」

「してほしいか」

「いや?別に」

「あ?」

「あ、嘘です。してほしいかも」

「かも?」

「……あーー!ウザイ!して!キスしてください!」

ただでさえキャラじゃない発言をして猛烈に恥ずかしいってのに、ローは更に痛い所にツッコミを入れてくる。途中で面倒臭くなってきて、その場でジタバタと抵抗していると、何がそんなに楽しいのかローは珍しく声を出しながらも嬉しそうに笑った。

「ナマエ、」

「なに!てかロー笑いすぎ…!」

「可愛いな、お前」

「………え?」

それだけ言い放って、顔を引き寄せられたと同時にローの唇が私の唇を塞いだ。突然のシフトチェンジに目が点になっている私をそっちのけで、ローは目を閉じたまま徐々に啄むように優しいキスへと形を変えてくる。その流れで、そっと口の端を優しく舌で突かれては、それが合図だと判断した私がゆっくりと薄く口を開けると、一瞬の隙をつくかのようにローの舌が口内にねじ込んできた。徐々に深くなっていくキスに、身体の力も息も続かなくなってきて、思わず後ろに体重が寄りそのまま2人してラグに倒れ込む。

「ロー…っ、苦しい…」

キスの合間、涙目でローに訴えてみたもののいつも通り無視されてしまった。どうやら彼にとってはそれさえもただの興奮作用でしかないらしい。倒れこんだ時にさりげなく廻された腰回りの腕が厭らしく私の肌を撫でる。未だ口内を侵食するローの舌は一瞬離れて、掴んでいた私の手首に優しくキスをしてはローは毎回甘い視線を私に送ってくるのだ。

「顔赤ぇな」

「もー…うるさい。ほっといてよ」

「続きしてほしけりゃ可愛くおねだりしてみろ」

「ヤダよ。キャラじゃないもん…」

「どーだか…」

「ちょ、ロー!人の話聞いて…!」

まるで『はいはい』とでも言いたげな顔をして小さく鼻で笑ったロー。今度は背中に腕を廻されて、耳元で『言え』と囁かれた。答えを求めてくる割には息つく暇もない程深くなっていくキスに、いい加減思考回路がぶっ飛びそうだ。


ローは最近、初期の頃とは比べ物にならない程優しくなった。……いや、元々優しい人ではあったけれど、それがより一層際立つぐらいにそれはそれは優しくなったのだ。そしてそれと同時に時折愛しそうな表情で私を見つめてくるようになった。口では意地悪な発言をしてもそれは本当にただからかっているだけで、心の奥底から自分は彼に愛されているのだと毎回実感出来る。そして何より、何というか…目が1番優しくなった。その度に私は、幸せとはこういう事なんだ!と感じては、何故か泣きそうになる程胸が一杯になる。

「んっ…」

そんなこんな頭の中でグルグルと考えている隙に、ローはしれっと私の服の隙間から指を滑らせてくる。あ、やっぱりこうなるよね。とか考えてるうちにあっという間に服を脱がされそうになった。

その時だった。

「うーーーす!キャプテーーーン!酒持ってきましたよー!つー訳で今から乾杯しましょ……ってうわっ!?えっ!?なにこれ!!俺まじで空気読めてねぇじゃん!!」

「……シャチ、てめぇ」

「あ、シャチ…!や、やっほー!」

気まずさ満点のこの状況下で、ローは冷静に『出て行け』と言い放った。いつもながら圧が凄いけど、まぁインターホンも何も押さずにズカズカ上がってきたシャチもシャチだ。(てか、そもそもどうやってこの階まで上がってきたんだろう)…とりあえず、このプライベート感丸出しの状況が恥ずかしすぎて白眼を剥きそうになったのは言うまでもない。




「あれ?てか今日ペンギンは?珍しくない?自分達2人が一緒に居ないの」

プハーっ!と、勢いよく手元のビールを喉に流しこんだ所でシャチに話掛ける。だって本当に珍しいし。普段2人一緒にいるイメージがどうしても強いからさ。

「珍しい?そーかぁ?あー…まぁあいつもあいつでね。色々予定はあるんだろうな!」

「ふーん、そうなんだ。まぁ男同士だもんね。女みたいにそんなベタベタ常に一緒にいないか」

「おう!そーだぜ!…てか、キャプテン。今日そういえばペンギンがキャプテンに後で連絡するとか言ってましたよ。連絡きてんじゃないすか?」

「あ?別にきてねぇ」

「マジっすか!なんだよあいつ。俺にあんな意味深な感じで連絡してきたくせに」

「意味深?えー、なんだろうねそれ。なんか私も気になってきた」

「なー!気になるよなー!あいつに聞いてもいまいち話濁すしさー」

「連絡が来てねぇってことは大した内容じゃなかったか、結局連絡するまでもない話だったんだろ」

「えー、そーなんすかね?」

「そうなの?」

「知らねぇよ…俺に聞くな」

うんざりしたような表情で煙草に手を伸ばしたローは、白い煙を吐き出しながらも話の流れで自分の携帯に視線を落とした。どうやら一応ペンギンからの連絡を気にしているらしい。素直じゃないな相変わらず。とか思いつつ私も気にせずに引き続きビールを喉に流し込んだ。

「あ!これ懐かしいっすねぇ!3年の文化祭の時の写真!あん時キャプテンクラスの女子達にどーしても王子様の衣装を着て欲しいって懇願されてましたもんね!」

「あ、そー。へー、やっぱ当時からローの人気って凄かったんだー」

「バッカお前!凄いなんてもんじゃねぇよ!飛ぶ鳥を降り落とす勢いだったぜ!?もうね、半端ねぇの。当時からキャプテンの女からの人気は」

因みに俺達男からもスッゲェ人気あった!最早オールマイティだな!と、何故か自分の事のように誇らしげに自慢するシャチを横目に携帯を弄ってるローに視線を向けた。咥え煙草をしたままぼんやりと画面を見つめていたローの切れ長の目が、途中で大きく見開いて不思議に思ったけど、そこは敢えて気にしてないフリを続けた。因みにこの選択に特に意味はない。

「?キャプテン、どーかしたんすか?」

「…………あ?」

「いや、何か急に動作が止まったような気がしたんで。…あ、もしかしてペンギンから連絡きた感じっすか?」

「いや…きてねぇ」

「きてないんかーい」

棒読みでツッコんだシャチに笑けたものの、ローの視線は珍しく泳いでいるように見えた。……んん?なんだなんだ?いよいよ様子が可笑しくない?

「ロー?どうしたのまじで。何か急用?大丈夫?」

「あぁ…いや、なんでもねぇ」

「……………」

「キャプテン、酒余ってますよ。飲みます?」

「……………」

おーい!キャプテンー!と、遠くから叫ぶシャチを無視してようやくその場から腰を上げたローは、灰皿に煙草を押し付けて私の隣に腰を降ろした。そのまま私の肩を引き寄せて、耳元にそっと唇を寄せてくる。シャチの前だというのに、何の恥じらいもなく甘えてくるローに目が点になってしまった。……え!なに急に!だから気まずいんだって!やめてよマジで!

「ロー…!あんたシャチの前でなにして、」

「直ぐに戻る」

「え…?」

そう言って、2人にしか聞こえない程度の小声で耳元で囁いたローは、最後にポンポンと二度私の頭を撫でて家を後にした。突然の謎の行動と発言にその場でポカンとしていた私を前にして、シャチはドヤ顔でこう言った。

「キャプテン、本当にお前の事が好きで好きで仕方ないんだな」

で?キャプテン何処に行くって?と質問をしてきたシャチの問いに「さぁ?」とヘラヘラと愛想笑いをしつつも、その時何故だか分からないけど嫌な胸騒ぎがした。そしてぼんやりと頭の片隅で、自分じゃない他の女の人に会いに行ったのだと、何となく本能で分かった。




『いつか、その価値観がガラッと一変する時がくるわ』


……聞きたい事、伝えたい事は山程あった。何故あの後俺の前から姿を消したのか。お前の夢はちゃんと叶ったのか。そして何より、あの頃お前が言っていた意味も今なら理解が出来ると、そう伝えたかった。

掘り返せば掘り返す程、沼にハマっていくように未だに謎は謎のままだ。それを知ったところ、伝えた所で何になるのだと何度も自分に言い聞かせてきた8年間だったさえもする。人通りの多い交差点を通り過ぎて見えてきたメイン通り。柄にもなく何とも例え辛い苦い感情を抱えて辿り着いたその先に、あいつは当時のようにニッコリと微笑んで俺に軽く手を振っていた。

「…久しぶりね、ロー」

「ニコ・ロビン…」

「キャプテン、来ましたか。まぁー…立ち話もあれですし、中に入ります?」

「……………」

「えぇ、そうね。8年ぶりの再会だもの。ゆっくり座って話がしたいわ」

どういう流れでこいつらが一緒に居るのかは意味不明だが、とりあえずの所は流れに沿って店の中に入った。どうやらペンギンが店の予約をしていたのか、特に待たされる事もなくすんなりと店員に個室に通されては、席についてもそのまま無言を貫く俺に、ニコ・ロビンはクスクスと小さく笑みを溢す。

「相変わらず無表情な男ね、ローあなたって人は」

「この状況でヘラヘラ馬鹿みたいに笑えると思うか」

「まぁ普段からキャプテンはヘラヘラ笑いませんけどね」

「うるせぇなてめぇは…さっさとどういう事か説明しろ」

「まぁまぁ、そうカッカせずにキャプテン。とりあえずは再会を楽しみましょうよ」

「はっ…再会もなにも。この女が突然俺の前から姿を消しただけだろうが」

余計なくだりは必要ねぇ。そう言い残して椅子の背もたれに身を任せる。ふてぶてしい俺の態度に困ったように笑ったニコ・ロビンは、ワイングラスをゆっくりと傾けて不適に笑い、「そうね」と気まずそうに口を開いた。

「あの時は、申し訳なかったと思ってるわ。あなたに何も告げずに姿を消してしまって…」

「別に謝罪はいらねぇ。その理由を聞いてる、俺は」

「……………」

「ロビン、自分の口で言えるか?」

「………あ?」

「……………」

テーブルに頬杖をついて、そのまま目の前に座る2人を交互に睨む。冒頭から意味不明のこの状況と、自分を除いた2人の空気感が何となくカンに触り、俺の苛立ちは最高潮となった。特に1番腹が立つのは…ペンギン、お前のポジションはなんだ。

「…えぇ、勿論よ。自分の口で伝えるわ」

「なら良かった」

「……何だ、さっさと言え」

「キャプテン、」

「あぁ?」

「………………」

もっと他に言い方があるだろうと、苦笑いを溢すペンギンを横に、ロビンはある一点を見つめながらぼんやりとしたままだ。まるであの日、最後に2人で会った時のような不思議な空気がその場に流れて、俺の居心地の悪さは更に増していく。

「……あなたと離れると決めたのは、丁度最後に会った日から2週間前の出来事だったわ」

「……………あ?」

「突然ね?ヨーロッパにいる親族から連絡がきたの。今自分がいる研究室にお前も来ないかって。当時、親族も私と同じ研究畑に居たから」

「………………」

「勿論、そこに迷いなんてなかったわ。研究内容は自分が長年追い求めていたものだったし、研究グループも世界トップレベルの考古学者達ばかりだったもの」

「………………」

「本気で考古学者を目指しているのなら、まずはインターンとして修行に来ないかと誘ってくれたわ。勿論返事も直ぐに返したの。それから出発まで本当に時間はなかったけれど、それさえも苦じゃないと思えたわ」

「……………」

「今もあの時の自分の判断に全く後悔はしてないわ」

「……………」

「……ただ、何故かあの時それをあなたにだけは言えなかった」

「………………」

不思議ね。1番あなたに相談していたし、誰よりも応援してくれていた筈なのに。

そう言って、ニコ・ロビンは眉を下げて笑った。手持ち無沙汰なのか、飲み干したワイングラスを軽く揺らしながらも小さな息を吐く。罰が悪そうに笑う彼女の表情をぼんやりとした視線を送りつつも、脳裏にあの頃の自分達の姿が過ぎった。


『ローは、いつも私が困っている時に助けてくれるのね』


「ロー…本当にあの時は何も言わずに姿を消してごめんなさい」

「……………」

「あの後、あなたにちゃんとした別れを告げないまま日本を離れた事に物凄く後悔したわ」

「お前は…」

「…………え?」

申し訳なかったと、俺に向かって深々と頭を下げるニコ・ロビンの話を遮り、俺はこの8年間、ずっと知りたかった疑問を口にした。

「……ちゃんと夢を叶えたんだろ」

「ロー…」

「あの頃思い描いていた夢を、お前は今手にしてるのかよ」

「えぇ…勿論。ちゃんと夢も叶えたし今の現状にとても満足しているわ」

「なら良かった。…因みに俺も叶えた。今じゃ雑誌にも取り上げられる程の優秀な外科医だ」

「そうらしいわね。さっきペンギンから聞いたわ。本当に優秀な医者だと世間からの評価も高いって…」

「当然の結果だ。何せ俺だからな」

「ふふ…えぇ、そうね。何て言ったって、天下のトラファルガー・ローだもの」

「おい、本当に思ってんのかてめぇ。相変わらず嘘くせぇな」

「勿論よ。心の底からそう思っているわ」

「はっ…よく言う」

変わってない会話のやりとりが、何処となくあの頃に似ているような気がして懐かしい空気がその場に流れたような気がした。そしてずっと知りたかった答えも聞く事が出来て、自分的には大満足だ。そんな俺とニコ・ロビンの話に楽しそうに笑っているペンギンを横目に、手元にある酒を喉に流し込んではゆっくりとその場に腰を上げて立ち上がる。

「……元気そうで安心した。どっかでのたれ死んでたら流石に俺も後味が悪いしな」

「……………」

「理由は分かった。大体納得もできた。もうこれ以上お前が俺に後ろめたさを感じる必要も謝る義理もねぇ」

「……………」

「あとさっきは悪かった。これみよがしにお前を責めて。別に怒ってた訳じゃねぇよ」

「……………」


『元気でな』


その一言だけを残して席を離れる。ついでに支払いも終えて、店の扉を開けたと同時に横切った強い夜風に眼を伏せた。デニムのポケットに手を入れて、ふとなんとなく夜空を見上げては小さな息を吐き出す。ガヤガヤと騒がしい喧騒の中、不思議と頭に浮かぶのはいつだってナマエの顔だ。

「……て。待って…!ロー…っ!」

「……………」

店を出て何歩か進んだその時、背後から聞こえてきた自分の名前を呼ぶ声にピタリと動きを止めた。そのままゆっくりと振り返り、声の主へと視線を向ける。自分と向かい合わせに立っていたその女は、普段のクールな印象とは程遠い表情で真っ直ぐと俺を見つめていた。

「………どうした。らしくねぇな、そんな面は。ニコ・ロビン」

「ロー、……あの頃の私は必死だったわ。あなたに追いつきたくて」

「……………」

「認めるのが怖かったのよ…自分の気持ちに。そしてそれ以上にあなたの事を心の何処かで拠り所にしていた」

「……………」

「そんな自分に驚いたわ。あの頃、別れを告げたらもう二度とあなたと本当の意味で繋がりがなくなってしまう……ならせめて、あなたの記憶の片隅にでも存在していられたらって…」

「……………」 

「馬鹿よね。今になって自分でもそう思うわ…」

「あぁ、お陰でこの8年間。俺の頭の片隅にはお前が居たよ」

「え…?」

俺の発言に、珍しく目が点になっているニコ・ロビンの顔に少し笑けた。そのまま自分でも分かるほどの吹っ切れた表情で腕組みをしながら彼女との距離を一歩ずつ詰める。

「それで?お前は結局あれか。あの頃俺に惚れてたって訳か」

「…………もの凄いタイミングで核心についてくるわね」

「周りくどいやり方は苦手だからな」

「そうね。あなたは初めからそういう男だったわ」

「まぁ、今となっては答えはどっちでもいいけどな」

「そうね…」

「……………」

目の前に立つニコ・ロビンの顔を穴が開く程無言で見つめていると、その俺からの強い視線に気付いたのか、俯き気味だった顔がこちらを向き、互いに向き合う形で穏やかに微笑み合う。

「………ロー、あの頃は本当に私を支えてくれてありがとう。心から感謝しているわ」

「俺も。お前には感謝してる。俺にとってもあの頃お前の存在はデカかったからな」

「それはとても光栄な事ね。素直に嬉しいわ」

最後に握手だけして貰えるかしら。

そう言って、ニッコリと微笑んで俺に手を差し出してきた彼女もまた、どこかスッキリしたような表情をしていた。

不思議と、いちいち口にしなくても分かる。


『あら、あなたもこの本に興味があるの?』


恐らく、俺達は互いにあの頃の想い出と折り合いをつける事が出来たのだと。そしてまた、例え1番最初の出会いまで時間を巻き戻せたとしても、俺達は結局男と女の関係にはなれなかった筈だと。

「元気で、ロー…」

「あぁ、お前もな」

互いに握手を交わしながら、最後にまたどちらともなく微笑み合う。そしてゆっくりと離した手をデニムのポケットに戻して踵を返した。来た道をまた何歩か進みだしたその時、ふと伝え忘れていた事を思い出して店の中に戻ろうとしていたニコ・ロビンを「おい」と呼び止める。

「なにかしら?」

「お前の予想は当たってたぞ」

「え?」

「あの頃、お前馬鹿の一つ覚えのように俺に言ってただろ」

「……………」


『いつか、その価値観がガラッと一変する時がくるわ』

『どうやらその相手は私ではないみたい』


一連の台詞を口にした俺に、ニコ・ロビンは口の端を上げて小さく微笑んだ。嬉しそうに「へぇ、良かったわね」と返事をし、今度は俺に勝ち誇ったような顔をして全てを悟ったと言わんばかりに真っ直ぐと俺を見つめてくる。

「………余程あなたにとって大切な子なのね。どうりで今日会った瞬間から昔とは雰囲気が違うと思ったわ」

「まぁ……馬鹿だけどな、そいつ」

「ふふっ…だけどどうしても惹かれる相手なんでしょう?」

「……………」

「大丈夫、言わなくても分かるわ。あなた意外と分かりやすいもの」

「……………」

私の方こそ安心したわ。

そう言って、ニコ・ロビンは穏やかに微笑んだ。「全力で幸せにしてあげるべき相手ね」と、俺に祝福の言葉を送りながら。




「おい、あいつは」

「あ、お帰りなさいっす!キャプテン!」

もーキャプテン遅いんで折角買ってきた酒ナマエと2人で飲み干したんすよー!とか何とかかんとかクソ程どうでも良いシャチの報告をスルーして、再びナマエは何処にいるのかと問う。

「え?あー、あれ?ほんとっすね。そいやぁ何処にいったんすかねあいつ。あんれー?さっきまでここに居たのに」

「何で同じ部屋に居て把握してねぇ…アホかてめぇ」

「おーーい!ナマエー?なんだー、ウンコかー?」

デリカシーもカケラもない発言をデカデカと叫びながらシャチがその辺をウロチョロと探し回る。それを横目に溜息を吐きながら、ソファーに倒れ込むようにして寝っ転がった。……何かよく分からねぇがどっと疲れたな。そんな事を思いつつもそのままそっと目を瞑った。

「ダメっすね!キャプテン、ナマエ居ません!」

「………あぁ?」

「んー…あ、そーだそーだ!あいつ何かキャプテンが出て行った1時間後くらいに、自分もコンビニにつまみでも買いに行くって言って出掛けて行ったんすよ!今思い出しました!すみません!」

「……………おい、シャチ」

「はい!?」

ショート寸前だった目を見開いて、無表情でシャチに視線を送った。勿論、これから発言する言葉は俺の心からの感想もといアドバイスに他ならねぇ。

「夜に女1人で歩かせるとか…てめぇなに考えてやがる。女にモテねぇ訳だ」

「!」

俺の発言に面食らった顔をして、見る見るうちに蒼ざめていくシャチを押し退けては、適当な服を羽織り再び家を後にした。エレベーターを降り、携帯を耳に押し当ててナマエに電話を掛ける。5回程コール音が鳴って出たのは、無機質な音声ガイダンスだ。焦りと怒りを隠せずに舌打ちをしては、今度はLINEを開きナマエへとメッセージを送る。

『今何処にいる』

そうとだけ入力して送信すると、直ぐに既読がついた。……あ?何だあいつ。既読にするぐらいならさっさと電話に出やがれ。そう思いつつもエントランス内の階段に座り込み、ナマエからの返事をじっと待つ。

『それは教えられません』

『ふざけんな。単純に心配してる。迎えに行くからさっさと居場所を言え』

『じゃあ先にローから教えてよ』

『普通にさっき家に戻った』

『違うよアホー!さっき何処の女に逢いに行ってたのかって!私の素晴らしい女の勘をナメんなよ!』

何往復かしたメッセージのやりとりの最後に、そこに全てが集約されているなと判断して深い溜息を吐いた。一呼吸し、苦笑いをしつつも煙草に火をつける。吐き出した白い煙が空中に消えていくのをぼんやりと眺めていた。……それにしてもややこしい事になってやがる…またあいつ得意の訳が分からねぇ先走りパターンか。

『おい、打つのが面倒臭ぇ。電話するからさっさと出ろ』

『誤魔化す気でしょ。しらばっくれても無駄なんだからね』

『そうじゃねぇ。ちゃんと説明してやる。だからとりあえず出ろ』

咥え煙草をしたままナマエからの返事を待つ。無駄に空白の時間が長かった気もするが、あいつもあいつで途中で面倒臭くなったのか、OK!と無駄に元気なウサギのスタンプが届いた。そのアンバランスなスタンプに少し笑けたが、一応あいつにとっては今シリアスな局面なんだろう。とりあえず堪えろ自分と言い聞かせて電話帳を開き、再び携帯を耳に押し当てる。

「………はい、」

「はいじゃねぇよアホ。で?今何処にいやがる」

「近くの公園…寒い」

「だろうな。こんな時間に1人でそんな所にいるバカはお前ぐらいだ」

「もー…うるさいロー…」

待ってろ、直ぐに行く。

何か文句を言いたそうなナマエの返事をフル無視して、強制的に通話を切った。そのまますぐに公園方向へと走りだす。相変わらずいちいち手間の掛かる女だと呆れつつも、時間も時間なだけに心配な気持ちも拭いきれないのも事実だった。それと同時に全力疾走をしながら、自分自身かなり過保護な男になったもんだなと、ふとそんな事を思った。




「あー…私ウザっ!重っ!」

ギーコギーコと公園のブランコを揺らしながら、冷たい夜風が頬を殴る。ついでにこのまま私の心も殴っておくれ。とかそんなしょうもない事も思いながら、力なく肩を落とした。

「まっさかあんな美人なんて…なんだよ。予想以上だよ馬鹿やろう。ローの奴、ただの面食いか…!」

何故にこんなに夜の公園で1人しょぼくれているのかというと、お察しの通り、私は見てしまったのだ。ローと美女との密会を。たまたま。……いや、まじでたまたまね。コンビニ帰りに交差点を通りすぎようとしたらさ、いるんだもん。イケメンならぬ私の彼氏がそこに。見るじゃん?そんなの。気になるじゃん?2人の会話も。因みにその時ローが『ニコ・ロビン』と呼んでいた場面もばっちり目撃済みである。

「あの綺麗な人が……例のニコ・ロビンさんかぁ…」

……何だろう。余裕で勝てる気がしない。いやそもそも同じ土俵に上がってないから当たり前なんだけど。(顔面レベルも女としてのレベルも見るからに違ったし)

「それにしても何で嫌な予感って当たるのかなぁー…泣きたい」

「なに意味不明な事1人でブツブツ言ってやがるてめぇ…」

「…………えっ!?て、うわっ!ロー!早っ!えっ!早っ!」

思わず2回言ったわ!とかギャアギャア騒ぐ私を無視して、はぁ、とその場にしゃがみ込んだロー。頭を地面に俯かせたまま首元を摩り、そうして小さく「心配させんじゃねぇよお前…」と力なく文句を口にした。

「…………全力疾走してきたの?」

「あぁ…お陰様でな。どっかのバカが夜の公園に1人でいるとか言いやがるから焦るだろうが…前にも言ったが、お前には危機感ってモノはねぇのかよ…」

「………ごめんね、ロー。心配かけて」

「全くだ。焦りすぎて思わずシャチに強く当たってきただろうが…俺に余計な心配かけさせたお前のせいだから後で謝っとけよ」

「いや、そこはあんたが謝る所でしょ…謎の流れやめてよ」

乱れていた呼吸をある程度整え終えたのか、はぁ、と最後に息を吐いたローが下から見上げる形で視線を送ってくる。奴はしゃがみ込んだ体制のままなので、普通にヤンキーにガンを飛ばされている気分である。

「で?」

「え?」

「お前は結局何にキレてやがる」

「……………」

『あぁ、そうか。何処の女に逢いに行ってたのかてめぇだったか』と、実に白々しそうに鼻で笑ったロー。一つ言わせて頂きたいが、てめぇは言ってない。てめぇは。余計な脚色は辞めてください。

「悪かった。お前に嫌な思いさせるぐらいなら適当な嘘をついて誤魔化すぐらいが丁度良いと思った」

「……そんな微妙な優しさはいらないよ」

「あぁ、そうだな。今後気をつける」

「……………」

ローが珍しくやけに素直に謝ってくるもんだから、ずっと堪えていた涙腺が緩んできた。別に泣きたくなんかないのに、女ってダメだな。ちょっとした恋愛のいざこざでさえも簡単に精神も意志も崩壊しちゃう。

「あの人でしょう?例のニコ・ロビンさんって…ローが前に言ってた通り、本当に綺麗でスタイルも抜群だね!」

「………見たのか、お前」

「えぇーもうバッチリ!側から見たら2人ともパリコレモデルみたいだったよ!お似合いでした!」

「………………」

なんともまぁ嫌味な女だな私!せめてもっと可愛く話を切り出さんかい!と心の中で自分にツッコミを入れつつもローに謎の拍手を送る。因みにローは目を丸くさせたまま動きが固まっていた。多分『まじか』とでも思ってるんだろう。だって、口が開いてるもん。

「おい、違ぇ。あれは…」

「うん、分かってる。そういうんじゃないって」

「…………あ?」

「本当はペンギンに呼ばれて行ったんでしょう?そこにロビンさんも居たってだけで…ローは別に何も後ろめたい事なんか一つもしてない」

「………………」

「分かってるの。大体予想はつくから…」

「………………」

「ごめんね、さっきはカマかけて。ほんっと嫌な女だ…私」

「………………」

無事に再会できて良かったね。

心にも思ってない事を小さな声で発すると、ローは丸くしていた眼の動きを変えて今度は優しく微笑んだ。そのまま口元を手で覆い、今度は何かを抑え込むようにして顔を俯かせたまま肩を震わせている。

「ちょっとあんた…何笑ってんのよ」

「くくく…いや、お前意外と嫉妬深ぇんだなと思ってな」

「はぁ…?当たり前じゃん。だってそれぐらい好きだもん。気が狂うくらい、ローの事」

「…………へぇ?」

ニタリと口の端を上げて、いつもの意地の悪そうな表情に戻ったローがその場に立ち上がる。そのまま少し空いていた私との距離を縮めては、最終的にブランコに座ったまま握っている私の両鎖に手を掛けて、上から見下ろす形で視線を送ってきた。

「気が狂う程好き、良い響きだな。それ」

「………そーだよ。悪いけど、こんなに1人の男を好きになったのなんて初めての経験なんだからね。あんたちゃんと責任取ってよ」

「責任だぁ?」

「そー、責任。私が嫉妬深かろうがなんだろうが、最後まで面倒を見ること」

「くく…重い女だな、お前」

「……………」

相変わらず笑いを堪えきれないのか、ローは目尻を下げて楽しそうに笑っていた。でも私は、ローの『重い女』というフレーズに嫌でも反応してしまう。……分かってる、そんな事。元々そんなに嫉妬深い女じゃなかった筈なのに、ここ最近の私は明らかに変だ。ローと出会って、恋に落ちて、惹かれれば惹かれる程味わったことがない感覚になって…

最近じゃ何かもう…感情のコントロールが上手く効かない。

「…悪い…っ?」

「…………あ?」

意を決して見上げたそこには、背の高いローが居て。人より少し目つきが悪い所も、隈の濃い所も、声も、腕も、何もかもが好き。大好き。だからこそもっともっとと欲張りになる。不安になる。でもこんな気持ち、絶対ローにはバレたくない。そう思っていたけれど。

「重くて当たり前じゃん…だっ…て、ロビンさんはローにとって…大切な人だって知ってるし…!」

「……………」

「ほ!本当はずっと…っ…彼女の事が忘れられなかったんでしょう…!?」

「……………」

「そ…っ!そんな人に逢いに行くって…知ってさぁ…っ!お!重くいられない訳ないじゃんっ…!」

「……………」

「嫉妬するよ…!泣きたくもなるよ…!ローのバカ…!」

夜の公園で、私は一体何を泣き叫んでるんだろう。理性も我慢もかなぐり捨てて、ただただローに文句を言い放つ最低な彼女だ。最早ワガママを通り越してただのメンヘラ女でしかない。これ以上はマズイ。口を止めなきゃ…と頭では分かっているけれど、意志とは真逆に現実の私はいつだってローの事を困らせてばかりだ。

「………ナマエ、こっち向け」

「………ヤダ。もうあっち行って…」

「安心しろ。夜のおかげでお前のブッサイクな泣きっ面ならそんなに見えねぇよ」

「はぁっ…!?ちょっとそれヒド…!」

せめて泣き顔だけはローには見せまいと、文句を言うだけ言って速攻で顔を伏せた私の顎を持ち上げ、ローは荒々しく私の唇を塞いだ。次に気付いた時には、片方の腕だけ私の後頭部に腕を回したローの端正な顔が目の前にあって、互いの視線と視線が交差し合う。

「………ほら、もっと言え」

「え…?」

「他にもあるんだろ。俺に言いたいことが」

「…………え、」

「全部聞く。全部受け止めてやる。だからさっさと腹ん中に溜めてるモン全てブチまけてスッキリさせろ」

「ロー…」

………どうして、こんな時でさえもローは優しいんだろう。私が逆の立場なら、面倒臭い事この上ないのに。

そこまで考えたと同時に、ふっと脳裏に過ぎる。


『すぐに分かるよ、きっと』


………最初のシャチの教えも、


『悪かった、もっと早く俺がここに着いとけば良かった』


………ぶっきらぼうなローの庇い方も、


『お前は何の心配もしなくて良い』


………まるでヒーローみたいだったあの時も、


あぁ…そうか。よく考えてみれば、ローは初めから私に優しかったよね。そう気付いた瞬間、必然のように一筋の涙が頬に流れた。


「……もっと、何でも言ってほしい…っ、」

「あぁ…」

「……今日だって、ローなりの優しさだって分かってるけど…っ、あんた嘘下手すぎだから…、」

「あぁ…」

「……あと…っ、…今日ロビンさんと何してたのっ、」

「何もしてねぇよ。ペンギンと3人で昔の想い出話と後はお前の話しかしてねぇよ」

「……っ、…私のはなし…?」

「あぁ、目が離せねぇ大切な女がいるってな」

「………嘘だ、絶対…っ、」

「……てめぇ。何で肝心な場面だけ目撃してねぇ…嘘な訳あるか」

「だって…!いっ、一瞬だったもん…!覗き見したの…!」

「そうかよ。………で?他には?あるんだろ、もっと」

「…………っ…、」

「ナマエ、」

私の後頭部から肩まで移動したローの太い腕が、まるで『大丈夫だ』と宥めてくれているような気がした。その場で涙を流す私の身体を強く引っ張って、ローは大きな自分の胸に私の身体を優しく閉じ込めてポンポンと優しく背中を撫でてくる。

「………もっと…側に居たい…っ、」

「……………」

「………もっと…ローの事が知りたいっ…、」

「……………」

「………もっと、ローに近付き、…!」

最後の願いは、口にする前にローの唇によって塞がれた。切なそうに眉を寄せてキスをしてくれるローの表情に、私の胸はいつだってキュっと鳴る。はぁ、と互いの白い息が漏れたと同時に、重なり合う二つの視線。夜の月明かりが私達を照らして、まるで2人だけの空間を演出しているようにも思えた。

「…もっと今度からは、こうして本音を言え」

「……うん…」

「何を心配してるか知らねぇが…安心しろ。俺はお前が考えてる以上にお前に惚れてる」

「……うん、知ってるっ…、」

「……おい。知ってんならいちいち不安がるんじゃねぇよ…」

「……乙女心は色々複雑なの…!」

「そうかよ…で?気は済んだのか」

「えぇ…おかげさまで…長々とご清聴頂きありがとうございました…」

「じゃあもう良いな」

「え?」

そう言って、ローは少し離れていた腰を一気に引き寄せ、私の耳元に唇を這わせ「ナマエ、」と甘い声で囁いた。この甘えを含んだローの声が熱を帯びて、毎回私の胸を鷲掴みにするもんだから、切ないやら愛おしいやら苦しいやら色んな感情が入り混じって、何とも例え難い感覚に陥ってしまう。

「…さっさと首に腕廻せ」

出逢った当初から変わらない俺様具合に命令口調。だけどいつだってそれが嫌だと思った事はなかった。言われるがままローの首に腕を廻し、瞼を閉じて自らキスを強請るように踵を上げる。

「………俺の方が気が狂いそうだ」

ふっと口の端を上げて、一瞬微笑んだローが独り言のように呟いた。なんだかそれがやけに切なくて、また泣きそうになってくる。だけどそれは秒の速さで塞がれたローのキスによって、実際に頬を伝う事はなかった。

「……ナマエ、」

「…はぁっ…、なに…?」

舌を絡ませた容赦ないローからのキスに、毎度ながら膝から崩れ落ちそうになる。その流れを読んでいるローに腰を支えられながら、荒い息を必死に整えて返事を返すと、ローは至って真面目な顔で、はたまた物凄く冷静に私に向かってこう言い放った。

「結婚するか」

「………………え?」

…………え。えぇええええっ…!?

その時。とんでもない声量で叫んだ私の声が、ご近所さん全域に響き渡ったのは言うまでもない。だけど本当にその約二ヶ月後、この夜の宣言通りローがエンゲージリングを渡してくれる事となるんだけど、………それはまた別のお話。

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