ローと初めて一つになれて、分かった事がある。

いつものそっけない態度とは裏腹に、彼の言動、行動、その一つ一つ全てが優しくて、そしてそれ以上にいちいち私を一喜一憂させるのだと。

知れば知るほどローの事がとてつもなく愛おしくなり、その分いつも何処か寂しくもなる。

多分きっと、もう二度とこんな男には出会えない。あの時、これまでの人生では味わった事がない程の幸福感と不安の絶頂の中で、心の底からそう思った。





「それって結局、あんた達2人は付き合ってるって事で良いのよね?」

「……………」

ね?そう最後にもう一度だけ念押しをして、ナミはメニュー表を片手に店員を呼ぶコール音を鳴らした。すぐさまやって来た居酒屋店員に、自分好みの品を注文して生ビールを勢いよく自分の喉へと押し流し、そしてジジイさながらの息を吐き出しながら、彼女は「美味いっ!」と軽快に叫んだ。

「つ、つきあって…る…のかな。やはりこれは…」

「…………は?」

「いや、うん。あわよくばね…!?そっ、そんな流れになってたらいいなぁー…とは思ってるけども…」

「………………」

「てかさ、そもそも付き合うって……なに?」

「一回海に沈んできたら?あんた」

またまたぁー!女王様ったらご冗談をー!とヘラヘラと笑っていたら、光の速さで頭上から鉄拳が降ってきた。い、痛い…しかも過去最大に。涙目で頭頂部を摩っている私の目の前で、ナミは心底呆れたような顔をして盛大な舌打ちをした。し、舌打ちって…!

「だから!あんた達既にやる事はやってんでしょ!?んでほぼ毎日会ってんでしょ!?じゃあそれは完璧に付き合ってるって事になるでしょうが…!」

「いやいや毎日は言い過ぎだってナミぃ…そりゃ会えるもんなら毎日会いたいけどさ?ほら、なんて言うの?お互いなんだかんだ仕事が忙しいし?時間帯だって結構バラバラだしさ?近距離だけど遠距離?みたいな感覚はどっかにある訳よ、私だって」

「知らないわよそんな事!てかそれ本当に遠距離してる人達に失礼だから!」

今直ぐ全国の遠距離カップルに謝んなさいあんた!

ダン!と勢いよくジョッキをテーブルに振り落としたナミと私の二人は今、会社近くの安い居酒屋にて女子会ならぬお互いの近況会が繰り広げられている。「ちょっとそこのお兄さん!生ビールもう一つ追加で!大至急で!」と叫んでいるナミを前に、私はガックリと肩を落とした。


『お前、このまま俺に抱かれる元気はあるか』


あの夜、どこぞのドラマの相手役みたいな台詞をサラっと口にして、当然のように私に手を出したローのセクシーさったらなかった。おいおい…どんだけイケメンだよそれ。いや寧ろイケメンだからこそ許される発言ですね!?とか、とんでもないアホな感想を心の中で呟いたのは言うまでもない。興奮冷めやらぬまま、ローと一夜を共にして、彼の広い腕の中でかつてない程の幸せを感じては不思議と泣きそうになってしまった。何故なら、多分きっとそれは隣り合わせでこうも思ったからだ。

ローは、今まで過ごしてきた人生の中で、どれ程の人を幸せにしてきたのだろう。

勿論、過去なんて掘り下げた所で良い事がないのも分かってる。どれだけ不安を解消しようとした所で、そんな事を聞いたが最後。終わりが近くなる事だってこの歳になると嫌でも理解しているつもりだ。……でも、その垣根さえも超えてローの全てが欲しい、独占したいと思ったのも事実で。だけどその分何処か苦しくて、それ以上に切なかった。こんなにも自分で説明しようがない矛盾した想いを抱いたのは、生まれて初めての経験だったから。

「大体さ、男と女が付き合うって言うのはさ。結局はただの口約束な訳じゃん?」

「え?何よ急に…気味悪いわね」

「私さ、思ったの。よくよく振り返ってみたら私って恋愛経験乏しいなーって。だから今回のローとのケースが分かんなくて当然なんだよね。…まぁー、遊ぶ相手はそれなりに居たけど、でもそれって結局何にも得るものがなかった訳だしさ」

「……………」

「マルコの時だってちゃんと付き合ってたつもりだけど。…でもあれも結局何かが違ってたから今困惑してる訳じゃん?」

「…まぁ、言われてみればそうね」

「だから付き合う!っていう意味が本当に分かってない訳ですよ、私は。…そもそもなに?『好きです、付き合ってください!』とかいちいち言葉にしないと男と女は何も始まらないわけ?だとしたらローと私は全く付き合ってないって事になりますが!?……いや、うん。そうだ。付き合ってない…ぜーんぜん付き合ってない!ローと私はただの友達!いや、ただのセフレだ…!」

「はーいはい、ストップストップ!分かった分かった、じゃあこうなったら一つ一つ気持ちを整理していくしかないわね」

「はぁ…?整理?」

「そう、整理。あんたの気持ちのね」

とりあえず座れば?そう言って、ナミは淡々とした口調でその場に立ち上がっている私をサラっと促した。熱い気持ちが独り歩きして、テンションが無駄に上がった私を宥める事に関してナミはその辺の奴等より何百倍も長けているからだろう。なんともまぁ的確な言動だ。地味に恥ずかしい気持ちを押し沈めるように着席した私の目の前で、ナミはいつものように白けた視線を送っていた。そんなこんなしていたら、チャンジャと枝豆と串の盛り合わせが次々にテーブルに置かれていき、行き場のない私の手の動きは、取り敢えずの所生ビールへと伸びたところで話はさっきの折り返し地点へと着地した。

「で、さっきの話の続きだけど。トラファルガーとはどのくらいの頻度で会ってるわけ?」

「えーっと…多くて週に1、2回ですかね」

「じゃあその会ってる時の向こうの態度とかはどんな感じなのよ」

「ど、どんな感じって言われても……ふ、普通…?」

「普通って?」

「え。だ、だから…ふ、普通にくっついたりイチャイチャっぽい事もしたり?みたいな…?」

「ふーん?じゃあそのイチャイチャ行為は普段どっちから仕掛ける事が多いのよ」

「あ、それは何か不思議と互いに自然にー…ってのが多いっすね」

「なによそれ。それの何処が付き合ってないと思うのかが不思議なくらいだわ」

「………………」

「お互い大事にしあってる証拠だし、それって良い事じゃない。あんたこれ以上何を求めてんの?」

いや、寧ろ何がそんなに不満なの?

そう言って、ナミは面倒臭そうに重たい溜息を吐いた。……不満。って訳じゃないけど、ただどうしても明確な言葉を貰ってない分、何処か不安は拭えないのだ。幾ら普段強がって、言葉なんていらない!と平気なフリをしていても、結局は腐ってもただの女だ。なんだかんだローからの甘い言葉を待ち望んでいるにすぎない。でも分かってる。別にサラっと自分からローに聞いてみれば良い事なんだって。ただそれだけの事なんだと。

『私達の関係ってなに?』

…なのに何でだろう。この決まりきった質問をすれば、何かが終わる気がしてならないのは。何で私はこんな簡単な事を確かめるのが怖いんだろう。

「それだけ好きって事よ」

「…………え?」

「ほら。好きだから人一倍幸せを感じて、相手の事をもっともっと知りたいと欲張りになるじゃない?だけど裏を返せば、その分何処かで不安や不満も溜まる。あんたがあいつと本気で向き合うのが怖いのは、トラファルガーの事が好きで好きで仕方がないからよ」

「……………」

「まぁー…私的にあいつも充分悪いとは思うけどねー。いちいち言葉にしなくても分かるだろー的な感じがするじゃない?どうせあいつも、今までちゃんとした形式で女と付き合った事ないんだろうけど」

「あー…、確かに。何か言われてみればそんな感じもするわ…」

「でしょう?きっとあんた達、誰よりも似た者同士ね」

まるで全てを悟ったかのように、何処か満足気に笑うナミに愛想笑いを返しておいた。似た者同士…まぁ、そう言われてみればそうなんだろうけど。でも正直、基本的にローの考えってあんまり読めない。確実に私達の関係は前に進んでいる筈なのに、でも何処か他人事のようにも感じるのは何故だろうか。どうやら世の中の恋愛って奴は、自分が思っている以上に難関らしい。

「ねぇ、何かあんたの携帯鳴ってない?」

「………え?」

そのナミの言葉に、アンニュイ感丸出しで物思いに耽っていた私は秒で現実に戻った。バッグの中で主張をするように鳴り響いていた携帯を取り出し、画面に視線を落とせば、着信相手は今現在もっぱら話題沸騰中の人物からで思わず目が丸くなってしまった。

「も……もしもし?ロー、どうしたの」

「ナマエ、お前今何処にいやがる」

「えっ…い、今…?会社近くの居酒屋にナミと2人で飲んでるけど…」

「じゃあ今から言う店まで10分で来い」

「は、はぁっ…?なによ急に…てか、何でそんな冒頭から機嫌悪いのよあんた。怖いからやめてよね」

「うるせぇな。てめぇが何度も掛けた俺の電話に出ねぇからに決まってんだろうが。いちいち手間かけさせんじゃねぇよ」

そこまで会話して思う。毎度の事ではあるが…それにしても何なんだ!この男のいつも以上にツンケンとした言い方は…!やっぱりローの俺様具合は半端ないな!けしからん!けしからんぞ!

「し、仕方ないじゃんそれは!バッグに入れてて気付かなかったんだから…!」

「次から俺の電話には1回で出ろ。良いな。分かったらさっさと来い」

「聞けって人の話…!てか、来いって何処に…!?」

「うーっすナマエ!久々だな!元気か!因みに俺は元気だぜ!」

「あ…シャチ。あんたも居たの…てか、電話変わるんなら先に言ってよね…混乱するじゃん…」

全く…どいつもこいつも自分自分で面倒臭いなコイツら。とか思う傍らに、電話口の向こうでシャチが今自分達が居る店の名前と場所を送るからと光の速さで通話を切られてしまった。まるでいつぞやのルフィみたいである。あれか、お前等全員纏めてアホか。

「電話の相手、トラファルガーから?なになに!今から来いって?」

「あー…うん。そうみたい。今その店の詳細がLINEで来た」

「そ。じゃあ私はお邪魔みたいだから退散するわ」

「いやいやいやっ!ナミも一緒に行こう!?からの最後にもう一杯だけ飲んでから行こうよ!メニューもさっき来たばっかなんだしさ」

「えー。私もそこに居て良いわけ?ありなのそれ」

「全っ然あり!てかシャチ達もいるみたいだから、久々にワイワイ皆で飲もうよ!」

「分かった。良いわ、一緒に行く。その代わり、ここはあんたの奢りで宜しく〜!」

「その代わりって、どの代わり…!?」

げんなりしたテンションでツッコミを入れる私を無視して、ナミは生ビールとチャンジャを交互に口に運んではご満悦の様子だった。幸先不安だ…とか思ったその時の私の予感は、その1時間半後見事に当たる事になるとは、この時はまだ気付いていなかった。




「いやー、それにしてもキャプテン!今日はいつも以上に豪快に飲んでますね!最早潔ぎ良いっす!」

「うるせぇなお前は…黙って飲めねぇのか。毎度毎度犬みたいに喚くんじゃねぇよ」

「ははは!まぁ、今日は難しいオペを大成功させてきましたからね。病院始まって以来の快挙らしいですよ。あんなに難関のオペを最短で成功させた外科医は」

「へぇー、トラファルガー。あんたやっぱ結構やるのね。見直したわ!やるじゃない!」

「何目線で褒めてやがる。俺を誰だと思ってんだナミ屋てめぇ…」

「あ!ちょっとロー!それ私のお酒!何でさっきから私の酒ばっか横から奪ってんの!?気付いてんだからねこっちは最初から!」

店内に響き渡るクラシカルなBGMなんて何のその。誰一人としてその場に相応しくないテンションがぎゃあぎゃあと店内に広がっている。ロー達が指定してきたこのお店は、私達が居た居酒屋から徒歩圏内にあるオシャンなイタリアンのお店で、右を見ても左を見ても仕事帰りのOLやカップル達で日々溢れ返っている人気店の一つだ。そんなセレブリティ感漂う(?)お店の一角で、人一倍目立ったメンバーが私達の席である。左から、ペンギン、ナミ、シャチにロー。そしてそのローの隣に座っているのがこの私だ。更に補足をつけ加えると、さっきからサラっと横からローに酒を奪われているのもこの私だ。ちくしょう…大魔王め。いや、間違えた。このジャイ○ンめ…

「ところでナミ、お前男とかいないのかよ!まぁキャプテンとナマエの二人は出来てるから横に置いといて、お前も美人でスタイルも良いのに男の影とか全く見えねぇしさ!」

「ちょっ…!ちょっとシャチ…!出来てるってなに…!?なんであんたがそんな事知ってんの…!?」

「えー。私?まぁーそうね…確かに私は顔もスタイルも完璧よ。だけどねー、これがなっかなか年収一億の男とは出会えてなくて今丁度負のループに陥ってるところ」

「ぶっ…!ね、年収一億…!?どこの社長夫人目指してんだ、お前は…」

「ペンギンやめとけ…俺も今それ言おうとして口を噤んだ…」

「はっ…身の程知らずな女だなナミ屋お前」

「あんたに言われたかないわよ。あんたに」

「ねぇ、ちょっと…皆元気に私の話は無視なわけ?」

一同溜息。とか、まるで卒業式の演目の如く、一気に異様な空気に包まれた。それはそうと、何でシャチが私とローの微妙な関係を知ってるんだろう…気になる。だが無視られる。つらたん。

「ねぇ、そんな事よりトラファルガー。あんたって、今までの人生で真剣に女と付き合った事とかあるわけ?」

「…………あぁ?」

「ちょっ!ちょっとナミ…!」

あんたって女は!何ってタイムリーな話題をブっ込んでんの!?と、言いたい気持ちを我慢して、グっと喉の奥底に引っ込める。いや、引っ込めたというよりは、出なかったと例えた方が正しい。

「何言ってんだよナミ!そんなんあるに決まって……って、あるんすか?キャプテン」

「お前が聞いてどーする、アホ」

すかさずペンギンのツッコミが決まった所で、またもやその場に気まずい沈黙が訪れた。肝心のローは心底面倒臭そうな表情で手元の酒を喉に流し込んでは、知らん顔で黙ったままだ。………何なんだこの感じ。何か…嫌な予感がする。

「……あ!でもキャプテン!過去にそういう女一人だけいましたよね?えーっと確かあれは…」

「おい、シャチ。別に今無理にそれを思い出さなくても良いだろ」

「………………」

ドクン!と、嫌な予感と鼓動が全身に走る。米神になんか嫌な汗が伝って気分は急降下だ。緊張感が漂う中、横目でローを盗み見ると、彼らしくないぼんやりとした視線でただただ遠くをジっと見つめていた。

「あー…そうそう!思い出した!ニコ・ロビン!ね、キャプテン!確かそんな名前だったっすよね?その女!」

「……………ニコ・ロビン…」

「さぁ…どうだろうな。そんな昔の事、いちいち覚えてねぇよ…」

「………………」

「………………」

もう一度、何かを噛みしめるかのようにその名前を呟いた。ニコ・ロビン…聞いた事ない名前だ。…って、そりゃそうか。こんな私でも過去はあるように、ローにだって勿論私と出会う前までの知らない過去があって当然だ。……いやいやいや、うん。普通だって。普通の事だってそれ。何いちいちショック受けてんの私…なんなら誰よりも人の事言えないし、責める権利だってないじゃん…

「って、言っても別に付き合ってた訳じゃないっすよね!」

「……………えっ!?」

「あぁ、そうだ。別に付き合ってた訳じゃない。当時をよく知ってる俺からしてみても、キャプテンとニコ・ロビンはただの仲の良い友人だった。だから安心して良いぞ、ナマエ」

「………………」

「へぇ、そうなの。じゃあ何で今その女がトラファルガーの過去の女として登場してきてるわけ?その辺を踏まえた上で詳しく!事細かに!教えて貰える?シャチ」

ニッコリと、あの不気味なスマイルでシャチに詳細を求めているナミには悪いが、何だかとても心もとなくて彼等の会話は一切頭には入ってこなかった。例えるなら、鈍器か何かで背後から不意打ちをくらった気分だ。それから約1時間。店内には私を除いたメンバーが、やんややんやと他の話題で盛り上がり続けては、終電前に今日の所はお開きとなった。最後に当然のように5人分の会計を支払ってくれていたローの隣で、まるでお通夜のようなテンションを纏い、ただぼんやりと店のフローリングを見つめ続けていた私。何故なら、まるで何かの暗号のように、例の『ニコ・ロビン』という女性の名前と存在が、頭から一向に離れずにいたからだ。




「…………おい、」

「………………」

「…………おい、ナマエ」

「………………」

「ちっ…」

パパ―っ!と、車のクラクションが鳴り響いたと同時に背後から長い腕が伸びてきて、意思とは反対にその場に待ったを掛けられた。ぼんやりとした視線でそのまま上に顔を引き上げると、そこにはいつもの見慣れた不機嫌そうな顔をしたローが立っていて、それと同時にはっと現実に戻った。

「…………あ、ごめんロー。ありがとう。車に轢かれる所だった…」

「……………」

危ない危ない!まだあっちの世界には行けない!とか、訳の分からん事を呟きながらも赤信号になったそこで乾いた笑いを溢した。そのままローの腕をやんわりと解いて、少し泣きそうになっていた顔を必死に取り繕ってはニッコリと笑ってみせる。ローはそんな私の表情に少しだけ眉を寄せ、何となく心配そうに此方を見つめていたけれど、敢えてそれには気付いていないフリをしながら、青信号に変わった瞬間に勢いよく横断をし始めた。

「ねぇ、ロー」

「………あ?」

「今日さ、大変なオペだったんでしょう?そんな大事な仕事の後に、わざわざ無理して私に連絡なんかしなくて良かったのに。疲れだって半端ないでしょう?」

「……………」

「あ、それともあれかー!連絡しないと、私がブーブー拗ねるとか思ってる?そんなに責任とか感じなくて大丈夫だからー!私、こういう関係って結構慣れてるし!全っ然平気!全っ然余裕!」

「……………」

「だから……、」

「…………何が言いたい、お前」


『だから、もう無理して会ってくれなくて良いよ。責任なんか感じなくても良いよ。』


そう言おうとして、声が詰まる。自分でも分かってる。これはただの強がりな発言で本音でも何でもないと。……どうして私はこんなに可愛くない言い方しか出来ないんだろう。言ってる事とやってる事がバラバラだ。昨日まではある程度ローとの関係に自信だってあった筈なのに、さっきの女性の存在を知った瞬間にもうこれだ。情けないにも程がある。

………てか、なんか泣きそうだ。


「……ニコ・ロビンという女は、俺が出会った女の中で一番意味不明な奴だ」

「………………え?」

「顔もスタイルも、そんじょそこらのモデルとは比べ物にならねぇ程悪くはねぇが、性格に少々難ありでな。お前とは違った意味で変わった女だった」

「…………は、はぁ」

突然何を言い出したのかと耳を疑ったが、ローの口から出たあの『ニコ・ロビン』の話題だけに意思とは真逆に脳の動きが停止した。よって、最早パンク寸前なのでそのまま流れに沿って、大人しくローの話に耳を傾ける事とした。

「当時、俺もあいつもそれぞれ夢があった。俺は医者、あいつは考古学者を目指してた」

「こ、考古学者…!美人で、スタイルも良くて…ゆ、夢は考古学者…!?」

なんだそれ!完璧か!ここまでの途中経過、一切勝ち目ナシ…!

「そ、それで…その女性の夢は無事に叶ったんですかね…」

「………………」

チーン。ってな具合にその場で意気消沈している私を無視して、ローはデニムのポケットから煙草を一つ取り出して火を付けた。そのまま近くにあった花壇のスペースに腰掛けて、ローはゆっくりと白い煙を吐き出しては「さぁな」と小さく笑った。

「さ、さぁなって…なんであんたそんな重要な事知らないの」

「本当に知らねぇからだ。最後にあいつに会ったのは、もう8年以上も前の話だからな」

「は、8年…!?なにそれ、どういう事?」

何処か遠い記憶を懐かしむように、ローは少しだけ鼻で笑いながら手元にある煙草を燻らした。夜空に浮かぶネオンの光を見つめながら、目を細めて、彼にしては珍しく穏やかな口調で話の続きを口にする。

「ある日突然俺の前から姿を消した。最後に意味不明な言葉だけを残してな。だから今あいつが何処で何をしてるのかも知らねぇし行方だって分からねぇ」

「そう…なんだ。それは…うん。なんか…ごめん、立ち入った事聞いて…」

「別に。昔の話だ。男と女の関係でもなかったし、今更再会した所であの頃とは互いに違った価値観を持ってるだろうしな。俺にとってはただの想い出話でしかねぇんだよ」

「……………」

「だから、ニコ・ロビンと俺はお前が今妄想してるくだらねぇ関係じゃなかったから安心しろ。…まぁ、かと言ってその妄想が全部が全部間違ってると俺は言うつもりもねぇけどな」

「…………え?」

そこまで口にして、ローはゆっくりとその場に立ち上がり、近くにあった喫煙所まで足を運んだ。そのままフィルターの限界まできていた煙草を最後に口に含み、灰皿に押し付けてはあのいまいち読めない表情で私の元へと戻ってくる。

「…今考えたら、多分俺はあいつに惚れてた。それは認める」

「……………やっぱり」

「だがあの頃の俺は今以上に捻くれてたからな。基本的に女はやるだけのモンだと思ってたし、何なら飾りみたいにしか考えてなかった。その頃の好きなんざ、ただの延長線上でしかねぇし、所詮その程度の気持ちでしかねぇだろ」

「うわっ…最低だねあんた…流石」

「おい、てめぇにだけは言われたくねぇ」

ローと恒例の言い合いをかましつつも、本当はショックすぎて今にも涙が溢れそうだ。少し前から、何となく心の片隅で不安に思っていた嫌な予感がバッチリと当たって、自分の鋭い女の勘に何となく苛ついてしまう。……でも、まだ夜で良かった。ネオンと街灯の光だけじゃ流石に全部の表情は確認しきれないだろう。……大丈夫、今ならまだ戻れる。寧ろ心に大怪我を負う前でセーフだったじゃないか。

「ロー、私…」

「おい待て、言うな」

「……………え?」

柄にもなく、今にも泣き出しそうな声で切り出した私の発言に、ローは未だかつてない程の速さで待ったを掛けた。そしてそこで大きな溜息をつく。そのままぼんやりとした視線を地面に送りつつも、数秒経ってからローは一歩前に足を踏み出し、いつものように私との距離を縮めた。

「ナマエ、ちゃんとした言葉が欲しいんなら幾らでも言ってやる」

「え…」

「俺は、今までお前みたいな女に出会った事はねぇ」

「……は?ロー…何言って、」

「お前は基本うるせぇし、忙しねぇし、やる事成す事いちいち大袈裟で、一緒にいても疲れる事ばかりだが、」

「なっ…!わざわざそんな事言う為に私の話を遮って…!」

「黙れ。最後まで聞けバカ」

「バ、バカぁ…!?」

人が一大決心して最後の別れを告げようとしてるのに、わざわざ話を遮ってまで言う事がバカ!?なんって性格が悪い男なんだ!いや知ってたけど!…とか、心の中で罵倒を繰り返しながらも、本当はその真逆の想いで一杯なのも事実だった。

『悪かった、もっと早く俺がここに着いとけば良かった』

………だって私は、ローのそういう素直じゃない所にさえも惹かれたから。


「俺は、お前のそういう破天荒な部分を見てると落ち着くし、一緒に居て可愛いとさえ思ってる」

「………………」

「意地っ張りで、強がりで、だがその反面弱い部分を見てるとほっとけねぇし、男としてただ単純に守ってやりたくなる。…それに何をしていてもお前の顔が頭に浮かぶし、どんなに疲れてても会いたいとなる」

「………………」

「正直、お前が他の男に触れられると思うと殺したくなるし……いや、実際本当にそいつを殺すかもな」

「…………っ…あんた本当に医者なの」

涙目でローを見上げながら、迫力のない表情で精一杯睨みつけた。ローはそんな私の表情なんてお構いなしに、眉を下げて、まるで何かに困ったようにして笑う。…きっと、ローは目尻に涙を溜めていた私に気付いていたんだろう。そして今さっき私がローに告げようとしていた言葉にも気付いていたんだと思う。彼は更に一歩距離を詰めて、ローの優しい手がそっと私の頬に触れた。

「何泣いてやがる…」

「……っ…別に泣いてない」

「嘘つけ、バカ…」

遂に零れ落ちた涙が、完全に落ちる前にローの親指によって優しく拭われた。でも拭っても拭ってもそれは溢れ出て来て、ローも途中で諦めたのか、そっと私の腕を引き寄せては自分の大きな胸の中に私を閉じ込めてくれた。涙が溢れる引き換えに、私の感情も噴き出しそうなって、今までずっと我慢していた想いはとうとう限界を迎える事となってしまった。

「……っ……すき……ローのこと…っ…」

「おい…何で先に言いやがる。果てしなく空気が読めねぇ女だなお前…」

「……すき…っ…」

「………………」

「……私、ずっとずっと…っ…ローのことが好、」

「………分かった、もう黙れ」

その言葉通り、本当に私を黙らせるかのように、ローは私の顎を持ち上げて、荒々しく自分の元に引き寄せては唇を塞いだ。だけどそれは荒々しいようで何処か違う。何故ならそれは、私がずっと待ち望んでいたローからの甘いキスだったからだ。

「…………ナマエ、」

いつものように、ローが吐息交じりの掠れた声で私の名前を呼ぶ。徐々にローの腕が私の後頭部と腰に周り、私達の距離は更に0に近い距離となった。耳元に這うローの声、キスを繰り返しながら私の指に彼の大きな指が交差し合って、最終的に恋人繋ぎになるその流れ。私は世界で一番この時が好き。酸素を求めて唇を薄く開けても、それを逃がさんばかりにローの舌に口内を侵食されて、苦しいのに切ない。でもそれ以上に愛しい。そんな不思議な想いで胸が一杯になるこの時が。だけど一歩も二歩も先を行くそんなローのスキルには到底追いつかず、膝から力が抜けて、思わずそこに崩れ落ちそうになってしまった。

「はぁ…っ、ロー…!あんたこんな道のど真ん中で何考えてんの…!?」

「よく言う。喜んでんじゃねぇか、お前」

「!よ、喜んでなんか…!」

「あ?」

「嘘です!喜んでます…!」

「だろうな。なら始めからそう言え」

「ぐっ…!このドS男…!悪魔!大魔王め!」

はらいたまえ!清めたまえ!とか、興奮して訳の分からん事を言っている私の前に、ローはヤンキー座りをしてそこにしゃがみ込み、そして私のおでこに自分のおでこを押し当ててふっと優しく笑った。その珍しすぎるローの行動と表情にドキっとしたところで、次の瞬間、ローの藍色の瞳が真っ直ぐと私の目を捉えて、そして彼は珍しく照れ臭そうにこう言った。


『ナマエ、俺は随分前からお前に惚れてる』

『俺の女になれ』


そうぶっきらぼうに、私が一番求めていた言葉を。


「ほ、本当に私の事…好き?」

「あぁ…」

「ど、どのくらい…?」

「さぁな。まぁとりあえず、あのパイナップル頭は何度も殺したくなったな」

「…………あ、そうなんだ…へ、へー!…意外」

「そうなんだじゃねぇ。そもそも俺はお前に手を出した時点で付き合ってると思ってた」

「え!?まじ…!?」

「あぁ。てか、いちいち言葉にしなきゃ分からねぇのかよてめぇ…本当面倒臭ぇ女だな」

面倒臭いとはなんだ!面倒臭いとは!てか、そんなの言葉にしてくれなきゃ分からんわ!と盛大に叫んだところで、唇にチュっと不意打ちのキスが降ってきて、まんまと私のテンションはうなぎ登りになってしまった。いやいや…不意打ちとかやめてよまじで…ドキドキするじゃんかバカ…そしてチョロすぎるぜ…私。

「…………ところで、他の女は全部清算してくれるんでしょうね」

「バカかお前…お前に惚れてると気付いてから他の女は抱いてねぇよ」

「嘘だ!絶対嘘…!てか人の事バカバカ言い過ぎだから…!」

「嘘でも大魔王でも何でも良い。良いからてめぇ、さっさと了承しろ」

眉間に皺を寄せて、半ば強引に自分の腕の中に閉じこめようとするローの動きに反発をして、ぎゃあぎゃあと喧嘩をかますその姿はムードもへったくれもないけれど。

「まぁいいけど…付き合っても…」

結局は惚れた弱みと言いますか…我ながら可愛くない言い方だがとりあえずお望み通り、ローの告白に了承した私。

「……おら、じゃあさっさと立て」

「うん…」

「……おい、てめぇガキか。このくらいさっさと自分で立、」

「ロー」

「あ?」

でも全部実権を握られるのもシャクなので、とりあえず一発、ここいらで乙女っぽい発言をして、大魔王の事を転がしてみようとも思う。

「今日…一緒に寝たいな…」

「(くそ可愛いなこいつ…)」

この日。大都会のど真ん中で、私は生まれて初めて女としての喜びを知った。ローの腕に自分の腕を絡ませて進むこの先には、今後一体どんな未来が待っているのだろう。この時の私は、そんな事を頭の片隅で考えながら、隣で歩幅を合わせてくれているローを見上げながらも、ふと一人、そんな事を思ったんだ。

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