物心がついた時から、自分は他の奴等と違って冷めた人間だと理解していた。

それと同等に、人を人とも思わず、ガキの頃から人に対して壁を作る事が得意な人間だった。基本距離を保ち寄せ付けず、自分が一線を引く場所まで近付いて来ようとする奴等には、問答無用で残酷な言葉と態度を振りかざしてはあっさりと切り捨ててきた。口で黙らせる事もあれば、力ずくで気に入らない奴を抑えつけ、人を傷つける事も厭わなかった。

所詮、人間とは欲深く、利己的で自分の保身に必死な奴等の集合体だ。

優しさも、温もりも、自分には必要ない。そしてその分余分に傷つく事もない。周囲から寂しい奴だとどれだけ後ろ指を刺されても良い。これが自分なのだと、当時の俺は本気でそう思っていた。

だが、ある日俺は一人の女に出会う。

自分より4つ歳の離れたその女は、当時口癖のように俺にこう言っていた。


『いつか、その価値観がガラッと一変する時がくるわ』と。




「キャプテンは本気の恋ってやつを知らないんすね…」

「……あぁ?」

遡る事今から約8年前。当時18歳だった自分。毎日毎日無限のループのように、ただ繰り返していく退屈な日々にうんざりしていたあの頃の俺は、飽きもせず、こうしていつものように授業をサボり、いつものように仲間達と集う日常を過ごしていた。勿論メンバーは昔から変わらず、ペンギンにシャチ、この二人だ。…にしても何だ急に。うぜぇ…脈絡のねぇ話なんざしてくるんじゃねぇよ。

「キャプテン、知ってます…?本気の恋ってね…実ったら死ぬ程最高ですけど、実らなかった時は飛び降り自殺したくなるぐらい辛いもんなんすよ……そう!てか正に今その状況俺!えっ!もう何!死ねって事!?今此処で俺は飛び下りろと!ライちゃんそういう事!?」

「シャチ、うるさい。今良い所なんだ、ちょっと黙れ」

「……ペンギン。お前ってキャプテンそっくりだよな、そういう所…そんなに楽しいか…ポケ○ン…」

「何言ってやがる。こいつの方が俺の百倍性格がひん曲がってる」

「いや…どっこいどっこいっすよ。ぶっちゃけ二人とも…」

安心してください、同じぐらい腹黒ですから。そう言って、屋上のコンクリート上に力なく倒れ込んだシャチを横目にぼんやりと空を見上げた。吹き抜ける風がゆっくりと俺の頬を撫でては何度も何度も目の前を横切っていく。正に秋到来だと告げるような肌寒い風に少しだけ不快感を感じつつも、横でうなだれているシャチに向かって「お前の言ってる意味はさっぱり分からねぇな」とだけ答えた。

「だからそれは本気の恋をした事がないからっすよぉー…」

「何だ、そもそもその本気の恋とやらは。笑わせんじゃねぇよ、気持ち悪ぃ…」

「まぁー…確かにキャプテンには一生縁もゆかりもない感情かもしれないっすけどね…カッコいいし何にもしなくても女から勝手に寄ってきますしね…って、うぅっ…!羨ましい限りっす…!」

「シャチ、今頃気付いたのか。そうだ、キャプテンはいつだってカッコいい」

「うっせーなお前は!てかまだポケ○ンやってんのかよ!止めろってまじで!寂しがるぜ!俺が!」

恒例のようにぎゃあぎゃあと喚くこいつら(主にシャチ)を放置して、屋上を後にした。何となく今から授業に出る気もしねぇし、帰るか。そう判断して、校門を抜けては騒がしい喧騒の中へと溶け込む。右に左に交互に視線を向けては、平日の昼間だというのに街中はどこもかしこもバカップルで溢れ返っていた。……くだらねぇ。何が本気の恋だ。そんなもん味わった所で何になる。時間の無駄でしかねぇ。

「あら、あなたもこの本に興味があるの?」

「…………あ?」

ふと何となく立ち寄った本屋の前に、大きなパネルで宣伝されていた新刊のタイトルを指差した女が俺に声を掛けた。まずは質問に答える前に『この本』とやらの答え合わせからだ。そこに書かれていたのは『本当の恋を知らないあなたへ』という、正に反吐が出るようなタイトルだった。冗談じゃねぇ…誰がこんなもんに興味なんざ持つか。

「………おい、俺がこの本に興味があるように見えるか」

「さぁ?どうかしら。今出会ったばかりだしそれは判断出来ないわ。だけど丁度良くこの場所に留まっていたようだから、もしかしてって思ったの」

「はっ…そうかよ。残念だったな、全く興味ねぇ」

「あら……、そう。それは残念。私と趣味が合うと思ったのに」

「………………」

そこまで発言をして、クスクスと何処か上品気に笑うその女の容姿をまじまじと見つめた。………悪くねぇな。と言うより、今まで出会ってきた女の中でも上位を占める程のレベルだ。今日はこの女で良い。そう判断を下してすぐに、「おい、お前名前は」と声を掛ける。

「あら、平日の昼間にナンパ?学校はどうしたの、あなた」

「サボリに決まってんだろうが。……話を逸らすんじゃねぇよ。さっさと答えろ」

「ふふっ…、本当に面白い人ね。私はニコ・ロビン。あなたは?」

「ロー。……トラファルガー・ローだ」

「ロー、覚えたわ。宜しく」

「あぁ…」

「………………」

「………………」

そこで一旦会話が途切れた事によって、必然的に沈黙が訪れた。交差し合う視線の先には、今直ぐにでも押し倒してしまいたくなる程の良い女がそこに居て、少なからずその時の俺は、久々とも言える高揚感を感じていた。経験上、大体この後の流れは決まって女から誘ってくる筈だ。そう判断し、次に行動してくるであろう女の動きを予測して黙る。

「また、何処かで再会出来たら嬉しいわ。じゃあ、お先に失礼するわね」

「…………………あ?」

だが予想は外れ、空振りと言わんばかりの結果に思わず眉を寄せた。かと言って後を追い掛ける程そこまで手に入れたい訳でもない。女の後ろ姿を横目に、溜息交じりに息を吐き出し、再び宣伝パネルに視線を戻しては一人そこで呟いた。

「………何が気が合いそうだ。お前も興味ねぇだろ…こんな本」

見れば見る程苛立ってくる本のタイトルに冷めた視線を向けながら、気を持ち直し、踵を返してはその場を去った。だが、あの時交わしたあいつとの会話はそれから暫く経っても一向に消える気配がなく、俺の心に大きなしこりを残し続けた。





「あら、本当に再会出来るとは思ってなかったわ」

「………………」

しかもこんなに早々に。そう最後に付け足して、女は優雅にそこに腰を降ろした。ガヤガヤと騒がしい店内の中で、誰よりも一際冷静なオーラを解き放ちながら、女は入店して早々メニュー表に手を伸ばしては品定めを開始した。次に「バーテンダーさん、ギムレットを一つくださる?」と余裕をかました笑顔でにっこりと俺に向かって注文をしてきては、自分の携帯の液晶画面へと視線を落とした。………いきなりそんな強ぇ酒かよ。化けモンかお前は。と内心思いながらも、言われた通りに淡々とオーダーに応える。

「学生のくせに、こんな大人のお店で社会勉強?もしかしてあなた、将来自分のお店でも持ちたいの?」

「な訳ねぇだろ。ただのバイトに決まってんだろうが…」

「あら、そう。でもあなた程のルックスならホストとかでもイケそうな気もするけど」

「はっ…生憎金にも女にも不自由はしてねぇ。………それに、」

「?」

そこまで口にして、注文された酒を女の前に置き、カウンターに両腕を伸ばしたまま前のめりに女の顔をじっと見つめた。そのまま視線を横にズラし、さっきからチラチラと感じていた他の客の女達からの熱い視線に応えるように軽く口の端をあげては、再び視線を元に戻して俺はこう続けた。

「見ての通り、大抵の女は俺に落ちる。わざわざ女に媚びる事を職にしなくても、充分事は足りてんだよ」

「へぇ…それは盲点だったわ。見事なスキルだこと」

「まぁな」

鼻で笑った俺の態度に、彼女は何故か楽しそうにクスクスと笑った。上品に口元に手を当てて、目尻に少しだけ皺が寄るその綺麗な笑顔に不服ながらも目が釘付けになる。だがそんな俺を前にして「でも、」と女は息を吐くようにして会話を続けた。

「いつか、その価値観がガラッと一変する時がくるわ」

「………………」

「ロー、きっと…あなたにも」

「………………」

そう言って、ニッコリと微笑んだ女はグラスに口を付けてゆっくりと喉に酒を流し込んだ。正直、この時の俺はこいつが何を言ってるのか、はたまたそこに何の意味があるのかが全くもって意味不明だった。だがそんな事はさておき、ここから先、今日はこの女をどうしてやろうかと脳裏であれやこれやと邪な考えを張り巡らせる。

「………それはお前が俺の価値観を変えてくれると、そういう事か。ニコ・ロビン…」

「残念だわ。どうやらその相手は私ではないみたい」

「……あぁ?」

急な呼び出しよ。そう言って、彼女は手にしていた携帯を俺へと向けた。そこに表示されていたのは男の名前。……てめぇ、さっきの俺への当てつけか。そんな事を考える俺を傍らに、彼女は颯爽とカウンターに酒代を置いて軽い足取りで店を後にして行った。

「掴めねぇ女だ…」

それから何度か、それと似たようなケースを経て、俺とニコ・ロビンはたまに店の外でも逢うようになった。かと言って、別に男女の関係があった訳でもなく、周囲から見ればただの仲の良い友人に見えていた事だろう。何より、あれから暫くして判明した事だが、俺は医者、彼女は考古学者を目指していると知り、次第に夢に向かって走り続けている姿が俺達二人の中での仲間意識を倍増させていった。勿論、その間隙あらば手を出そうとも何度も試みてみたが、決まって彼女はサラリと俺の攻撃を交わし、そしてお決まりの台詞を俺に突きつけては、ニコニコと楽しそうに笑っていた。




「少し、心が折れそうになったわ。周囲で同じように考古学者を目指している子達と比べて、私はまだまだ甘い考えを持っていたと今日再認識してしまって…」

「………………」

あれからニコ・ロビンと出会って約半年もの月日が流れていた。ここ最近、恒例になりつつある互いの家から丁度半分の距離にあるカフェ内にて、彼女の重苦しい溜息が一つ零れ落ちた。その話を淡々と耳にしていた俺は、手にしていたカップをソーサーに戻し、目の前に座る彼女へとゆっくりと視線を引き上げる。

「じゃあ諦めるのか、その夢」

「まさか。そんな事はしないわ。……だけどほら、人間だもの。たまには弱音を吐きたくなる時ぐらいあるでしょう?」

「ねぇな、そんなもん。俺には」

「……………愚痴を吐く相手を間違えたかしら」

「かもな」

そこまで口にして、俺は窓の向こう側へと視線を逸らした。そんな俺の態度に彼女は若干機嫌を損ねたのだろう。あのギョロっとした大きな瞳でただ静かに俺を睨んでいた。それに敢えて気付いていないフリを続けながらも、内心どうしたもんかと考える。

「まぁ…とは言え、お前の気持ちも少しだけなら分かる」

「え…?」

「誰だって、息苦しさと隣り合わせで生きてる。特に夢を追い掛ける人間にとっては、必然的に何かを犠牲にした代償がついてくるもんだしな」

「ロー…」

「まぁ、俺にとってはそんなもんただの肥やしにしかならねぇが…」

「………………」

上手く言えないフォローと、らしくない発言に鼻で笑いつつも視線をゆっくりとニコ・ロビンへと戻した。我ながら偉そうに腕組をして、真っ直ぐに彼女の悩みを聞いている自分に内心笑けてくるが、そうは思いつつも、俺はなんとか自分の言葉でこいつを勇気づけたかったのも事実だった。

「ありがとう…とっても嬉しいわ、ロー」

「……そうかよ」

「えぇ。…ローは、いつも私が困っている時に助けてくれるのね」

「あ?」

再び窓の向こう側へと視線を向けていた俺に、ニコ・ロビンは突如素っ頓狂な発言を俺に向けて嬉しそうに笑っていた。……そう。本当に嬉しそうに。心の底から感謝していると言わんばかりの穏やかな表情で。

「………いつもって何だ。いちいち大袈裟に話を盛るんじゃねぇよ…」

「ふふ…良いじゃない。本当にそう思ってるんだから」

「訳が分からねぇな…」

「ねぇ、ロー」

「あぁ?」

相変わらず掴みにくい女だと内心思いつつも、素直に名前を呼ばれた方向へと視線を向けた。だが暫くの間沈黙を保たれただけに、手持ち無沙汰になった俺は再びカップへと手を伸ばす。そのまま特に今飲みたくもない珈琲を喉に流し込んだ所で、ようやく彼女は少しだけ言いにくそうにゆっくりと口を開いた。

「………いえ、やっぱり何でもないわ」

「あ?何だ…気味悪ぃな」

「ふふ…ロー、あなたはずっとそのままで居てね」

「だから、てめぇはさっきから何の話をしてやがる。話が終わったなら帰るぞ、俺は」

「えぇ、お好きにどうぞ」

「………………」


それが、俺が最後に彼女と交わした言葉だった。

……俺の記憶に眠る、ニコ・ロビンという女は、いつも決まって掴みどころがない印象だ。

敢えて説明を付け加えるとするならば、自信家で、論理的な思考を持ち合わせた、常に冷静な女。そんなイメージだった。だがたまにチラつく不安定な姿と、極稀に見せるあどけない笑顔が良い意味で俺を刺激させ、そしてまたあの頃の俺の原動力となっていた。今となってはただの良い思い出でしかないが、それでもふとした時に脳裏に過る。

『いつか、その価値観がガラッと一変する時がくるわ』

あの頃の俺には、到底理解し難かった、あの言葉と存在が。




「………おい、もう寝るのか」

「んー…えー…?今何時…?」

「2時だ。深夜の」

「オケ!あばよ!」

ガバっ!という効果音が聞こえてきそうな派手な動作で、勢いよく布団に丸まったナマエの動きを横目に、白けた視線を送る。てめぇ…ただの狸寝入りかよ。暫くの間、そんなしょうもないやりとりに乗ってやった優しさの塊の俺だが、当然そこで終わらせるつもりはない。盛大にわざと聞こえるように舌打ちをし、ダルマのようにそこに寝っ転がっているナマエの布団を勢いよく剥いでは「おい」とドスのきいた低い声で話掛けた。

「てめぇ…この俺を差し置いてさっさと先に寝ようとしてんじゃねぇよ」

「はぁあ…?てか今何時だと思ってんの…寝させてよ、さっきも言ったけど私仕事で疲れてんの…!」

「へぇ?その割にはお前、さっきこれでもかと言う程喘いでたじゃねぇか」

「ぎゃぁぁあああっ…!!あんた、馬鹿…!?なんっでそんな地雷踏んでくんの…!」

鬼!悪魔!てか大魔王!次々と恒例の辛辣な言葉を俺に向かって言い放つナマエが面白くて、腹がよじれる程心の中で笑った。そして何より、こいつが俺に対してそんな発言をしてくる時は、決まってただの照れ隠しだと分かっているから尚更だ。本当、ガキみてぇな奴だなこいつは…そんな事を思いながら、しょぼいパンチをかましてきたナマエの腕を奪い、ついでに腰も捕まえて一気に自分の元へと引き寄せる。

「ナマエ、そんなに俺に構って欲しいか。何ならお望み通り2回戦に突入してやる」

「ちっがーーう!!そんなつもりで私はこんな抵抗をしてる訳じゃな…!」

いい加減その無駄な抵抗を制してやろうと、さっさとナマエの唇を奪い、そのまま上に跨った。にしても色気ねぇな…こいつは。あいつとは全然似ても似つかねぇ。


『ありがとう、ロー』


……だがある意味、いつだって真っ直ぐで、素直な所は共通しているのかもしれない。


いつか、ニコ・ロビンに再会する日が訪れるとしたなら、今の俺はこう彼女に伝えるだろう。

『どうやらその相手は私ではないみたい』

……確かに、その通りだったと。そして今なら、あの頃お前が口癖のように言っていたあの言葉の意味も、心の底から理解が出来る、と。

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