「ナミさん、お疲れ。これ良かったら食べてくれ。残業を頑張ってるナミさんに、俺からほんの気持ちばかりの差し入れだ」

「あぁ、ありがとうサンジくん。そこに置いてくれる?これがひと段落したら有り難く頂くから」

「あぁ、分かった。…………ところでナミさん、」

「ん?なに?」

夜20時過ぎ。社内には恐らく数える程度の社員しか残っていないであろうこの空間内に、ある一箇所からとんでもないレベルの負のオーラが解き放たれていると、サンジは約数十分前から薄々と気付いていた。それに触れようか触れまいか、判断を鈍らせている間に、そうだ。こういう時こそ得意の料理で気を紛らわそうといそいそと近くのスーパーへととりあえず駆け込んだ。そして戻ってきて直ぐに社内に備えつけてあるキッチンで軽く夜食を作り、それを差し入れだと完璧な名目を作っては、コトンとナミのデスクの上にお皿を置いた。……ところまではとりあえず計画通りだった。だがしかし、結局肝心の問題は何一つとして解決していない。サンジはその場で大きく息を吸い込み、そして意を決してその問題へと人差し指をかざしては、遂に当初から気になって気になって仕方がなかった核心へと辿り着いた。

「……………あそこの隅っこで、さっきからブツブツと独り言言ってるのって…」

「あぁ、あれ?気にしなくて良いから。ただの馬鹿よ」

「!!ちょっとぉぉぉお!ナミぃぃい!いくらなんでもその言い方はないんじゃないのーーーー!?」

「おわっ!!ビックリしたっ!!!!」

この狭い部署内に、サンジの断末魔と座敷童のような女の叫び声が2重に重なってはカオスとしか言いようがない状況が完成した。そんな二人の姿をフル無視して、カタカタとPCと睨めっこをしている至極冷静なナミが一言。「うるさい」とだけ言い残して、ムシャムシャと真顔でエビピラフを口に含む。そして米粒一つ残さず、それを綺麗に平らげては「ご馳走様でした」と丁寧にその場で合掌をして、何かを拝むように頭を下に俯かせては、サンジへと感謝の気持ちを口にした。

「いや…てかナマエちゃん…、何してんだ…そんな狭い所に座り込んで…」

「ほっといて…!私の事は無視してくれていいから!」

「わ、悪ぃ…!!おう、じゃあほっとく!すっっっげぇ気になるけどあえてほっとくわ!」

「嘘だよ!無視しないで!てか話聞いて!ナミ!」

「どっちだよ!てか俺の存在見えてる…!?」

ぎゃあぎゃあと喚く二人のやりとりにうんざりしつつも、ナミは深い溜息を吐いてそこにスっと立ち上がった。そしてサンジがもう一人分作ってくれていたエビピラフの皿を手にして、カツカツとヒールを鳴らしつつも座敷童ならぬナマエの元へと辿り着く。そしてゆっくりとそこに腰を降ろして、床にコトン、とお皿を置き、ナミはにっこりと満面の笑みを女に向けてこう言った。

「ほら、餌よ。お食べ」

犬かよっ!!ナマエのそんな盛大なツッコミが、この狭い空間内へとそれはそれは大きく響き渡った。のは、最早説明するまでもない。




「で?聞いて欲しい事って?」

「………………」

ムシャムシャとエビピラフをむさぼりながら、ナマエは丁寧に咀嚼を繰り返して最後に勢いよく喉にお茶を流し込んだ。そして一言、彼女はこう呟く。「駄目だ、私ローの事が好きだわ」と。

「……………えっ!ナマエちゃん、いつからローとそんな関係になってたんだい」

「はぁ?やっと?てか、それ今更気付くわけ?あんた流石にそれは遅すぎない?」

「え?そうなの?私ってそんなに前からローの事が好きだったの?」

「知らないわよ!てかあんたそれ自分の事でしょ!?一体どこまでバカなわけ…!?」

「そっかぁ…私、そんなに前からローの事が好きだったのかぁ…知らなかった…」

「いや…つーか、誰か俺の話聞いてくれねぇかな…このポジション、地味にキツいんだけど…」

あれ?てかサンジいたの?ごめん、気付かなかった。

サラリとそんな毒を吐いて直ぐに、ふと何処か第三者気取りだった自分の意思がようやく現実へと戻ってきた。あぁ…、そっか。そう言われてみれば、ナミの言う通りなのかもしれない。


『それは、俺の前だけにしろ』

『行くな』

『お前は何の心配もしなくて良い』


マグカップを手にしたまま、これまでローと出会って交わして来たやりとりのシーンをぼんやりと頭の片隅で振り返る。……なんだこれ。ただの胸キュンエピソードしかないじゃないか。確かに今更気付くのが遅すぎる。普段からオツムが弱いとは自分で分かってはいたが、まさか自分がここまでバカだとは知らなかった。そして果てしなく鈍い。いや、鈍すぎるぞ自分…!てか話変わるけどローって本当に格好良い!やだ、めっちゃ好き…!!

「うるさいわねぇ…ちょっとあんた。何一人であっちの世界に行ってんのよ。さっさと戻って来て。迷惑」

「うーわ…ナミさん、辛辣…」

「ナミ、私さぁ…今まであんまり本気で人を好きになった事とかないじゃん?」

「そしてナマエちゃんも強ぇな…微塵もこたえてねぇ…」

「そうね、言われてみれば確かにあんまりないかもしれないわね」

「でしょ?だからさ、この前ローとキスした時に思ったんだよね」

「えっ!なにあんた、もうやる事やってんの?やっるぅー、流石。まぁそれも遅すぎるぐらいだけど」

「えっ!チューってなに!チューってなんだよナマエちゃん!俺ともしよう!」

「サンジくん、うるさい。ちょーっとだけ黙っててくれる?」

ナミお得意のブラックスマイルが、真横に座っているサンジの心を抉るようにグサっと突き刺さる。そしてそこにしょんぼりと肩を落とした可愛いサンジを横目に、私は引き続き話の続きを口にした。

「うん…だからさ、私その時気付いたんだよね…今後、何があってもローの側に居たいって…いや、ずっと側に居させて貰えたら…ってさ。そんな事、誰かに対して思ったのなんて初めてで…」

「ナマエ…」

「……あ、マルコの時もね?それと似たような気持ちはあったんだよ、私。……でも、今回色々あって、やっとその気持ちが何なのかが分かった。多分、きっと私…」

「………………」

「………………」

マルコに対して、ただの同情の気持ちしか持ってなかった。

溜息交じりにそう言葉を残して、脳裏に浮かんだのは最後に見たマルコの顔と、ただただ後味の悪い罪悪感だった。どんなに綺麗事を吐いても、時間は巻き戻せないし、例えあの分岐点に戻れたとしても、結局私はマルコに対して同じ選択をして、同じように傷付けたと思う。そうぼんやりと素直な気持ちをナミに伝えた。

「ズルいんだよ…私。あれだけマルコの事ないがしろにした癖に…今更どの面下げてローの事を好きだって言ってんの?って自分で思うし…」

「ナマエちゃん…」

「………………」

「でも、もう一回好きだ!って気付いたら、どんどんローにハマっていくのが分かるし、気持ちを止めようとしても今更引き返せないし…てか、引き返すどころか会えば会う程胸が張り裂けそうに痛んで好き!ってなるし…なにこれ!?みたいな感じになっちゃって…」

「…………………」

「なんかもう…私一体どうすればい、」

「良いじゃない、それで」

「………………え?」

寧ろそれの何処が悪いの?

そう言って、ナミはデスクに頬杖をついて、困ったようにして笑った。

「えっ…だって、流石に私勝手すぎない?わざとじゃないにしろ、別れてからもマルコに対してあやふやな態度とか取ってたんだよ…!?心の何処かでマルコの気持ちに気付いてたくせに…」

「まぁ、確かにそこはあんたも悪い部分はあったかもしれないわよ?マルコの気持ちをのらりくらりと交わしてきたせいで、結果あんたはあいつを傷付けた。でも、それとトラファルガーに対しての今の自分の気持ちと何の関係性があるっていうのよ」

「えっ…」

「あんたは優しい子だから、マルコの事を傷付けたくなかっただけ。まぁー…ちょっとやり方は間違えたかもしれないけど、でもそんなのあいつだって大人なんだからそれぐらい分かってるわよ」

「……………ナミ」

「大丈夫よ、ナマエ。誰もあんたを責めたりしない。次間違えなかったら良いだけの話なんだから」

「…………っ、」

『大丈夫』その一言で、私の涙腺は崩壊した。昔から、いちいち全部を説明しなくても、勘の良い親友は、いつだって言葉足らずの私の気持ちと考えを噛み砕いては全てをくみ取って読んでくれる。その抜きん出たナミの賢さと、誰よりも暖かい優しさに泣けてきて、私は馬鹿みたいに大泣きしながら彼女の胸へと飛び込んだ。

「いい?ナマエ、恋愛っていうのは理屈じゃないの。どんなに脳で自分を否定したとしても、結局は自分の気持ちを誤魔化す事なんて出来やしないわ」

「………………」

「自分の胸に手を当てて、よく考えてみなさいよ。今、あんたの胸の中には誰がいる?」

「……………」

「今、頭の中で誰の顔が一番に思い浮かんだ?」

「……っ……、」


『ナマエ』


「ね?一人しか居ないでしょう?だったらその気持ちを一番に大切にしなきゃ駄目よ。マルコだってあんたの幸せを一番に考えてきっと身を引いてくれたんだから」

「……っ…、うん…」

よしよし、大丈夫大丈夫。そう言って、ポンポンと背中を撫でてくれるナミの手の温もりが何だかとても心地良くて、ここ数日間、ずっと我慢していた自分のドロドロとした汚い感情が浄化していってくれてるような感覚がした。女同士、馬鹿みたいに寄り添って、ワンワンと泣いている私の頭に、ふわりともう一つの優しい温もりが添えられて、そのまま上下左右へと頭を撫でられた。無意識にその温もりの方へと視線を向ければ、目を細めて、にっこりと穏やかに笑うサンジと目があった。

「食後に合う、暖かいスープでも作ってくる」

そう言い残して、サンジが部署を後にする。その後ろ姿を見つめながら、どれだけ普段から自分は人に恵まれているんだと、そこで改めて気付かされ、そしてまた何度も何度も二人に感謝の気持ちを口にしながら、その日の残業タイムは刻々と過ぎていった。




「へーい、ただいま自分…そしてお疲れっした、自分…」

我ながら覇気の無い顔と発言を口にしながらも、玄関の扉を開けて直ぐに乱雑にヒールを脱ぎ捨てた。そしてリビングへと続く廊下の途中でバタ!と勢いよく倒れる。そのまま軍隊のように匍匐前進をしたまま、重たい身体を無事にリビングへと自分で自分を迎え入れてあげた。

………駄目だ、疲れた。あの後話を聞いてくれたお礼にと、ナミの仕事を手伝ったのは良いものの、いかんせん量が無駄に多すぎた。いや、実は最初から何かが可笑しいとは思っていた。思ってはいたが、まぁそれでも3人いればこのくらいの量とか余裕でしょ!とか思ったあの時の自分を殴りたい。いやいやいや、ナミ!あんた仕事溜めすぎ!そしてサンジ!あんた優しすぎ!てか君はいっつもこんな死ぬ程溜め込んだナミの仕事を遅くまで手伝ってあげていたのかい!?どんだけ優しさの塊だよ!って、明日言ってあげよう。よし、そうしよう。

「うぅっ…!それにしても疲れたぁっ…!」

そこまで考えた所で、再びバタ!と顔を俯かせてフローリングに倒れ込む。と、そこでグッタリとしている私の背後で、ガチャっ!と玄関の扉が開いた音がした。そのままズカズカと聞き慣れた足音がしては、リビングへと続くドアを開けて直ぐに誰かさんの動きがピタリと止まった。……まぁ、誰かさんと言っても、その犯人が誰かなんて勿論分かってるんだけど。

「……………おい、遂に死んだか」

「いえ、辛うじて生きてます…確かに瀕死状態ではありますけども…」

「だろうな…見れば分かる」

心底呆れたような溜息と舌打ちを零して、男の長い足が私の身体を颯爽と通り越して、ゆっくりと私の目の前で腰を下ろした。所謂、ヤンキー座りって奴をかましている男のつま先をぼんやりとした視線で暫くの間見つめていると、「立てるのか、お前」とぶっきらぼうな言葉が頭上から降ってくる。

「無理っすね。気持ちはいつだって立つつもりではあるんすけど」

「へぇ…なら助けてやろうか。この俺が」

「いえっ、情けは無用でござる。そもそも拙者みたいな下々の身分で、大魔王様の手をお借りする訳には…!」

「誰が大魔王だ。そこは流れ的に殿だろうが…てめぇ、この後に及んでまだそんな無駄口叩く元気はあるのかよ」

「だってぇー…絶対ドキドキするもん…」

「……………あ?」

未だつま先に視線を向けたまま、そこに独り言のような声量で呟いた。対して向かい合わせにしゃがみ込んでいる男は、珍しく素っ頓狂な声をあげては(多分だけど)目を丸くしたまま頭の中で大量の?マークを量産している事だろう。

「ローに…助けて貰うって事は、私の身体に触るって事じゃん?て事は私、速攻でドキドキするじゃんトキメくじゃん?」

「………………」

「駄目駄目そんなの。ローに甘えるのが癖になってる証拠だもん。て事で大丈夫です、殿。拙者、しがない武士ではありやすが、ここは何とか自分の力で起き上が、」

「可愛い事言うな、お前」

「………………は?」

よし、良い感じに話は纏まった!とか思ったのも束の間、全く想像してなかったローからの返事にビックリして、そして思わず無意識に避けていたローの顔へと視線を引き上げた。そして直後に、我ながら違う意味でミスったと思った。……なにその顔。なにその優しい笑顔…可愛すぎかよ。好き!

「甘えれば良いだろうが…俺に」

「え…で、でもだって…」

「ドキドキするだぁ?上等じゃねぇか。存分にトキメいとけ」

「わわわ!ちょっ…!ロー…!!」

お前は中学生か。そう言って、クスクスと楽しそうに笑うローに有無を言わさず強制的に腕に抱えられて、左腕をやんわりと奪われては、ローは自分の首元へと巻きつけた。そうして改めてそこで至近距離にあるローの視線と視線が重なり合う。お姫様抱っこに、ローとのとんでもない程の近さに、男らしく骨ばった逞しい腕の感触に、私の大好きな低音で美しい声が目の前にあったりして、今正に私の脳内は絶賛大パニック中である。

…………だ!駄目だ…!!カッコ良すぎる…!!多分私このまま1分もしない内に溶けて死ぬわ!

とか、そんなどう考えても有り得ない事を考えながら無の状態のままそっと私をソファーに降ろしてくれたロー。そのまま私の頬に指を滑らせて、目元をスルリと一回優しく撫でてくれた。「よく頑張ったな、仕事」と、まるでご褒美といわんばかりの言葉を添えて。

「飯、食ったのか。お前」

「うん…あ!ローは?食べた?良かったら私何か作ろっか!」

「別にいらねぇ。良いから、お前はここに座ってろ」

「………………」

いや、寧ろ横になっとけ。そう言って私の身体を上手くカバーしながら、ローはソファーに私を押し倒すような形でそこに寝転ばせた。何が何やら少々ちんぷんかんぷんな私を前に、ローはそのまま私の顔の横に手をつき、上に跨ったままただただじっと此方に視線を送ってくる。

「ロ、ロー…?」

「…………なんだ」

「い、いや…別に…ちょっと、何となく呼んでみただけ…です」

「………………」

前々から薄っすらと気付いてはいたが、何故かこういう時のローはひたすら無言を押し通す癖がある。生まれながらにして常に黙るという事を知らない自分からしてみれば、こういう無口なタイプの男程どう対応すればいいのかが分からなかったりするんだけど…

「ナマエ、」

「!は、はいっ…!」

「お前、このまま俺に抱かれる元気はあるか」

「……………は、はいっ!?」

分からないどころか、この大魔王様はいつだって私が想像する斜め上をいく男だったとそこでようやく気付いた。けど……てか、は!?い、今なんて…!?

「………まぁ、今更お前に拒否権なんざねぇけどな」

「えっ…!!いやっ、ちょっとぐらいはあるでしょ普通……ほら!今私とんでもなく疲労してるし、例えばこのまま労わるとか…って、!!」

まだ話の途中だというのに、ローは聞く耳持たず!と言わんばかりの光の速さで私の唇に噛みつくような大量のキスをそこに落とした。せめて風呂に入ってからにしてくれませんかね!とかいうお決まりの文句さえもサラっと自然に流されてしまった。流石は生粋のモテ男。こういう流れを作るのも、私の中で辛うじて残っていた理性を振り落とすのもお手の物だ。次の瞬間、まんまと私は底なしの沼にハマったように、ローの世界へと一気に引き摺り落とされた。後頭部に回るローの腕、耳元に残る掠れた声、何か大切な物を扱うようにして愛しそうに触れる指。そしてそこに寄せるローの優しい唇。その何もかもが嬉しくて。でも何故かそれとは真逆に、まだ今はローの全てを知りたくなかったような気もした。

「ナマエ、」

……だって。最後まで味わい尽くしてしまったら、この先もっともっと色んな事が辛くなっていく気がして。

「……っ、ロー…」

朦朧とし始めた意識の中で、ローからの想いを一心で受け止めながら、ふとこんな事を思う。ローは、今まで過ごしてきた人生の中で、どれ程の人を自分の腕の中で幸せにしてきたのだろう。知りたい、いや知りたくない。そんなどっちつかずの感情がグルグルと目まぐるしく纏わりつきながらも、その日の夜。私とローの二人は、遂に一線を飛び越えた関係となった。

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