『………ローっ…!!お願い…っ!!マルコを…っ、マルコを助けて…っ…!!』

プライドも何もかもを捨てて、必死に俺に向かって懇願してきたナマエの願いは、死んでも叶えてやろうと思った。いつものように医者としてではなく、ただの一人の男として。例えばその気持ちに何か理由を付けるとして、右にも左にももう逃げ場はないと誰かに通告を出されたとしても、きっとあの時の俺は、どうにかしてでもあいつの手を奪い、あいつが望む楽園まで連れ出していたんだろうと、…そう、思う。




「はい、口開けてー。あーうん、そうそう。なんだ、やれば出来るじゃんマルコ!最初から恥ずかしがらずに素直に言う事聞いてくれればいいのにー」

「お前が余りにもしつけぇからだよい。何でいい歳こいて自分の飯を食わせて貰わなきゃならねぇんだ。別に自分で食える」

「………………おい、」

何してやがる、てめえら。病室に来て早々口に出した言葉は、我ながら愛想の欠片もないツッコミだった。他の入院患者達よりも遥か何倍もグレードの高いこの個室部屋に、ベッドに寄り掛かるようにして呆れ気味に拒否を示しているパイナップル頭と、それを何故か嬉しそうに…いや、含み笑いをしつつもニコニコと黒い笑みを向けているナマエの姿があった。あいつが手にしているのは器とスプーン。勿論その中に入っているのは病院食だ。どうやら弱っているこいつを労わるつもりでそんな事をしているらしいが、見てるこっち側としては不愉快極まりない。

「ほーらほら、たっくさんお食べ。はい、あーん!…あ、心配しなくていいよマルコ。まだまだ無限にあるからね!」

「そんな心配してねぇんだよい…つーか、逆にこっちの方が食べにくいし…何より俺のプライドに触る」

「んな事より無視してんじゃねぇぞ。おい、そこの馬鹿女」

再びパイナップル頭の口元までスプーンを近付けようとしたナマエの腕を横から奪い、そこで強制終了とさせる。そんな俺の行動にわざとらしく「あれ、なんだ。ロー居たの?」とか訳が分からねぇ発言をぶちかまして来たこいつの首根っこを捕まえてひょいっと後ろに放り投げた。当然だ、人の邪魔をするのもこの俺を苛つかせるのも大概にしとけよ、てめぇ。

「ったぁぁああ…!もーなにあんた!?折角今日から面会出来るって言うから仕事を途中放棄までしてここに来たってのに邪魔しないでよね!」

「黙れ。お前が居ると診るもんも診れねぇんだよ。とっとと失せろ」

「べー!やなこったー!」

「お前等…本当に俺を労わる気持ちがあるんなら病院内で騒ぐのは止めろよい…うるせぇ」

文句があるんならあそこの馬鹿に言え。そう口にして、首にぶら下げている聴診器を耳に付け、パイナップル頭の胸の鼓動を聞く。どうやら予想していた以上に回復してきているようだ。取り敢えずの所は当面問題はないだろうと、内心医者としてほっとしつつも、「処方された薬はサボらずにちゃんと飲めよ」と一言釘を刺しておいた。ついでにあそこでふて腐れている馬鹿にも「お前も心配してんのは分かるが、ちったぁ空気読め」と辛辣な言葉を吐き捨てておく。

「相変わらず仲が良いな、お前等二人は」

「んな訳あるか」

「冗談でしょう?」

揃いも揃って互いに口にしたその発言に、パイナップル頭はくすくすと何故か楽しそうに笑っていた。完全にこの空気間に負けた俺は、そこに勢いよく立ち上がり、最後に奴の眼球の検査を終えてその場を後にする。病室から出て直ぐに腕時計に目をやり、疲労からくる疲れなのか最早不明で謎な溜息を一つ、そこに吐き捨てた。

「ロー…!ちょっと待って…!」

「……あ?」

次の患者の診察まで多少時間があるなと考えていたその矢先で、背後からパタパタと走る一つの音が聞こえ、ゆっくりと後ろに振り返る。俺を呼び止めたのは他でもないナマエだった。何をそんなに焦って声を掛けて来たのかは知らねぇが、自分を呼び止めてきたあいつの顔を視界に入れた瞬間、らしくない考えと感情が一気に身体中に駆け巡っていくのがハッキリと分かった。

「…………お前、病院内で走るんじゃねぇよ。危ねぇだろうが」

「あっ…ご、ごめん…」

「………………」

何か用か。いつもの癖でそう素っ気ない一言を口にして、暫くナマエの様子を伺う。さっきとは打って変わって、その場でモジモジと気恥ずかしそうにするこいつの姿をぼんやりと眺めながら、ふとナマエの目元に視線を向けた。……隈、出来てんな。あの日からずっとろくに寝てないんだろう。

「こ!この前は…ありがとう…!マルコの事、助けてくれて…」

「………………」

「私…ずっと信じてた。ローの事…」

「…………あ?」

「ロ、ローがあの日…言って、くれたから…」

「………………」


『お前は何の心配もしなくて良い』

『信じて待ってろ』


「……そう、言ってくれたから…だから今、私はこうして笑っていられるの」

「………………」

少しだけ遠い目をして、ナマエは俺に何度も何度も『ありがとう』と感謝の気持ちを述べた。嬉しそうに笑うナマエの顔をぼんやりと見つめながら、脳裏で、あぁ、確かにそんな事も言ったなと思い出す。恐らく人より遥か何倍も口が悪い分、その裏に潜んでいるこいつの優しさなんて、多分きっと他の人間からしてみればかなり困難な事で、かなり分かりにくい事だろうと思う。……だが、別にそんな事は自分以外の誰も気付かなくて良い。俺だけがこいつの事を理解して、気付いて、ただ側に居て守ってやればいいだけの話だ。そんな事を考えつつも、目の前に居るナマエの頬に触れ、親指でそっと目元を撫でてやる。

「隈…ひでぇなお前。化けモンか?」

「なっ…!?ちょ、ちょっとあんたねぇ…!人がこうして素直にお礼を言ってるっつーのに、」

「良かったな、あいつ」

「…………え?」

またいつものように、ぎゃあぎゃあと俺に文句を言い始めそうになっていたナマエの言葉を遮って、触れていた指を動かし、そっとナマエの頭を撫でる。そんな俺の行動が意外だったのか、ガキみたいに目を丸くさせて、ナマエはいぶかしげに横に首を傾げた。

「あいつの中に出来ていた脳の腫瘍…あれは元々発症している部分が通常のケースより倍困難な場所でな。……まぁ、確かに苦労はしたが、そんなもんは結果この俺の前にしてみれば大した問題じゃねぇ」

「ロー…」

「お前があそこまで躍起になってまで救いたかった奴を、俺が助けられねぇ訳ねぇだろうが…」

「………うん」

ナマエは、俺が口にする言葉一つ一つをまるで噛み締めるかのように、丁寧に相槌をうちながらも嬉しそうにして笑った。

「あいつの腫瘍は全部取り除いた。術後の経過も良い、その内今まで通りに戻れるだろ」

「……………」

「だから、お前ももう今日はさっさと帰って寝ろ。どうせろくに寝てねぇんだろ」

「ロー…」

最後にナマエを安心させる為に、俺にしては珍しく優しい言葉を添えてポンポン、と二度ナマエの頭を撫でてやった。その後直ぐに俺が踵を返してその場を立ち去ろうとしたその瞬間、離れて行った俺の手の行方を追うように、白衣の裾を思いのほか強い力で引っ張られてはナマエに引き留められる。あ?と思ったのも束の間、そのままグイっと腕を引かれては腰を屈ませられ、そして次の瞬間、頬に唇を寄せられたと気付いたのは、それから暫く時間が過ぎてからの事だった。

「…………ロー、ありがとう。大好き…!」

「……………」

そう言って、ニコニコと嬉しそうに手を振ってその場を去って行ったナマエの後ろ姿を見つめながらも、さっきのさっきでまだ感触が残っている自分の頬にそっと触れた。ガキじゃあるまいし、何をそんなに動揺しているのかと自分で自分にツッコミを入れたくなる程、俺の心臓は今馬鹿みたいに早鐘を打っている。そして少なからずとも、今自分は柄にもなく照れているのだと気付いた。

「………ふざけんな、あの女。何が大好きだ…人の気も知らねぇで…」

そうは言いつつも、自然と緩んだ口元。仕方ねぇ、あいつはああいう女だと、自分で自分に言い聞かせる。再び踵を返し、さっきの衝撃でずり落ちそうになっていた聴診器を首に掛け直して、ふと何となく隣にある窓の向こう側へと視線を向けた。その時視界に入ってきた風景が、何だかいつもより数倍優しく見えて、もしかすると、これもまたあいつのしでかしたせいなのかもしれないと、そんな事をぼんやりと思った。





「悪かったな、色々と迷惑を掛けてよい」

次の日の夜、回診がてら訪れたパイナップル頭の病室内に、そんな詫びの言葉が響き渡った。夜という時間帯もあってか、昼間より互いの声が多少なりとも近くに感じる程で、その予期しない発言に俺は珍しく少しだけ反応が遅れた。

「………何の話だ」

「何の話って…そりゃお前、命の恩人に礼の一つや二つ言うのは当たり前の事だろうがよい。ありがとな、あの時俺を助けてくれて」

「別にいちいち礼を言われる筋合いはねぇよ…医者として当然の事をしたまでだ」

「あぁ、それ。その発言、本当だったんだな」

「あぁ?」

点滴の確認をしつつも、突如として降って来たその話題に眉を寄せる。訳が分からねぇその発言に少なからずとも自分の指の動きは止まり、点滴を繋いでいる管を軽く握り締めたまま、そこにピタリと身体ごと静止した。

「いや、昨日ナマエから聞かされてよい。『ローは素直じゃないから、前にルフィ達を助けた時もぶっきらぼうにそう答えてた』…てな。だから例え愛想悪く返事をしても、お前の事を許してやって欲しいってよい」

「ちっ…余計な事言いやがって」

「まぁあれだ、本当に感謝してんだ俺は。ありがとよい」

「うるせぇな。何度も言うんじゃねぇよ…しつけぇ」

「はは!そりゃ悪かったな」

「………………」

軽快に笑うパイナップル頭を横目に指の動きを再開させ、無事に点滴の準備を終えて一息つく。そのままベッドの横に置かれてある椅子に腰掛けて、「調子はどうだ」と一言添えた。

「あぁ、お陰様で大分楽になったよい。それもこれも全部お前のお陰だな」

「それはもう良い…この前伝えた通り、お前がずっと問題視していた脳の腫瘍はこの俺が全部取り除いてやったから、今後再発する事は恐らくもう無い。そこだけは感謝しろよ、てめぇ」

「あぁ…感謝してる。腫瘍の事も、…あいつの事も」

「あ…?」

そこまで口にして、パイナップル頭は何処となく遠い目をして囁くようにそう言った。……あいつの事?あぁ…ナマエの事か。それがどうした。接点の見つからないその発言に、再び眉を寄せては話の続きを催促する。

「………あいつ、昔から無駄に心配性でよい。元々この持病についてはナマエにはハナから説明してなかったんだ」

「……………」

「でもそんな事…いつまでも隠し通せる訳ねぇよな。前に付き合ってたある日、突然この前みたいな症状が再発してよい。……あいつ、馬鹿みたいに泣き叫んで、ずっと俺の手を握り締めててよい。意識が朦朧とする中…何度も何度も俺にこう言うんだ」

「……………」


『大丈夫だからね…!絶対大丈夫だから…!』


「……………」

「その時、一生懸命俺を安心させようと必死に伝えてくれるナマエの言葉と顔を見ながら思った。あぁ、もう一緒には居られねぇな…ってよい」

「……………」

「当然だろい?いつ再発するか分からねぇ、自分の明日もハッキリと見えねぇそんな男に、好きな女を守る資格なんて一つもありゃしねぇ」

「……………」

「かと言って急に嫌いにもなれなかったけどよい、……けど、もうあいつの側には居られない事も何処かでずっと分かってた。だからあいつと別れて、それもまたナマエ自身も受け入れてくれて…それでも別れてもまだ、完璧に離れる事も出来ずにいてよい」

「……………」

「もしかしたら…そんな馬鹿な俺に、天罰が下ったのかもしれねぇな。思い上がるな…ってよい」

自嘲気味に笑いながら、俺に話続けるこいつを目の前にして、やっと一つの線が繋がったような気がした。……きっと、あいつは沢山考えたんだろう。側に居るべきか、心を鬼にしてまでも突き放すべきか、その2択を。考えて考えて、考え抜いた結果がきっと今に繋がっているのだと。そんな気がした。

「……問題の腫瘍も無くなったんだから、別にわざわざそこまで自分を責める必要もねぇだろ」

「よく言うなおいおい、ついこの前まで俺を刺し殺しそうな眼つきをしてたくせによい」

「………………」

「良いんだよい、これで。ある意味やっと肩の力が抜けた。……俺の想いは、ここいらで完全リタイアだ」

本当にその言葉通り、何処となくホっとしたように一息をついたその横顔に、俺はただ何にも反応を示す事が出来ずにいた。ある意味情けないそんな俺を前にして、そこで、だ。と、何処か物悲し気に語っていた表情が、ふいにぱっと明るくなる。そして隣に腰掛けている俺へとその気怠そうな瞳が向いた。そのまま布団の中で膝立てているそこに頬杖をつき、奴は俺にこんな事を言い放った。


『お前はリタイアを決意した俺を前に、何か言いてぇ事があるんじゃねぇのかよい』


「…………別にねぇよ」

「なるほど、んじゃ今は仕方ねぇからそういう事にしといてやるよい」

「………………」

「トラファルガー、」

「………あぁ?」

その時、奴は俺に精一杯の作り笑顔と不器用な優しさを向けながらも、曇りがちに小さく笑った。何かを振り切るかのように、想い出も、過去も、まるで全てを此処に置いて行くかのように。そんな顔で。

「あいつの事を…宜しく頼むよい」

その言葉に、俺は少なからず動揺し、そしてそれ以上に声が詰まった感覚がした。何かを返事するのも、そしてまたそれに答えるのにも何故か気が引けて、何となくではあったが、場違いの様な気がしたからだ。




病室を出て、誰も居ない暗い廊下内を、ある一点を見つめたまま、ただぼんやりとした足取りで歩く。ポツポツと所々に灯る蛍光灯の光が、やけに俺の心に影を差した。事情を知らなかったとはいえ、これまでの自分の発言と行動に、苛立ちは無限に募るばかりだ。


『ま、マルコの事は…っ…!な、何にも想ってない…!』


「馬鹿か…俺は」

あの時。言いたくなかったであろう言葉を、あいつに口にさせてしまったのだとそこでようやく気付いた。その想いが恋愛感情だろうが同情だろうが、あいつが自分で決めて自分で選んだ道なのだと。それを俺は自分勝手な欲望でナマエを押さえつけて、がんじがらめにし、そこに閉じ込めたのは自分自身なのだと。

「…………それでも会いたいと思う俺は、もはや重症だな」

……月夜の中で、一人漠然とこう思う。もう2度とあの場所には戻れないと。人懐っこくて、不器用で、それでも馬鹿みたいに前向きで。近付けば近付く程あいつに触れたくなり、またその逆を言えばその差を誰よりも埋めたくなる。……恐らくこれはもう、自分の中で認めざるを得ない事実なのだろう。

RRRR…RRRR…

「もしもし、ロー…?どうしたの」

「…………ナマエ、お前今何してる」

「え…い、今?特に何にもしてないけど…」

「………今からそっちに行く。起きとけ」

白衣のポケットから取り出した携帯を耳に押し当て、真っ先に電話を掛けた相手はただ一人だけだった。用件だけを伝えて再びポケットの中にそれを収めては、心なしか歩を進める足が速くなる。幾ら次の回診の時間まで多少余裕があるとはいえ、こんな短時間の間に一人の女に真っ先に会いに行こうと決意したのは一体いつぶりだ。そんな事を思いつつも一人、思わず苦笑いを溢す。それでも駐車場までの道程を小走りしながら、ふとそんな事を考える自分は、どれだけ身勝手な想いを重ねていくつもりなのだと、未だかつてない程の憎悪と嫌悪の渦に巻き込まれていくのを、俺は一人実感していた。

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