初めてマルコと出会ったのは、社会人二年目の事だった。学生時代より毎月手にする収入も増えて、服から化粧品から小物やら何から何まで好き放題買いまくり(てか漁りまくり)の日々を送っていたその当時の私は、正直自分最強!とかまで勘違いする程思い上がっていた。今となってはこうして地味な生活を送っているこんな私だけれども、当時の私は仕事も順調、男も苦労なし、友達のノリも最高!てな感じで正に大・絶・頂・期だった。

でも今にして考えてみれば、あの頃の自分はただの学生時代からの延長に過ぎない生活を過ごしていただけの事で。そしてそれと同時にこの歳になった、今なら分かる。

当時の私は、ただのクズだったと。




「いやー、今日の男達も楽勝だったねー!ねぇ見た?さっきの奴等の顔!バイバイした瞬間に次いつ会える?だってさ。ばっからしー、もう二度と会うかっつーの」

「ほんとね。どいつもこいつもカスばっかで嫌んなっちゃう。これ以上貢げないんならあんた達なんてもう用済みよ!って面と向かって言ってやりたいぐらいだわ」

「ねぇ、二人とも…ちょっと一旦落ち着いて…!さっきから私達の声大きいから」

てか寧ろ目立ってる!そう大声を張り上げて慌てふためくビビを放置して、ナミと二人肩を並ばせて華やかな街を練り歩く。ビビ、あんたの方がうるさいよ。とか何とか屁理屈な発言を口にしながらも、肩に掛けているショルダーバッグを持ち直した。そして歩道に三人のハイヒール音が鳴り響く。カツカツ、コツコツと前を見据えて歩く私達三人は、ぶっちゃけどっからどー見てもいい女にすぎない。ふむ、実に気分が良い。歳を重ねる毎に女子力が上がってる気さえする。どっちにしても本日も男には貢がせまくったし、酒も浴びる程飲んできたし、正に言うことナシだ。

「ねぇ、今日の勝利をネタに今から三人で祝杯上げにでも行かない?丁度直ぐ近くにこの前たまたま見つけた雰囲気の良い店知ってんのよ私」

「いーねー!ありあり!行こ行こ!」

「あっ、ごめん!私コーザから呼び出しくらっちゃったから今日はもう先に帰るね」

「オッケー!いつ如何なる時も本命は大事よ、行ってらっしゃい」

「うむ、寂しい事この上ないが許可する!」

いや、何様よあんた!そうナミがケラケラと上機嫌に私にツッコミを入れ終えた所で、寂しいけどビビとはここでお別れとなった。適度に男遊びをしつつも、でもこうして何だかんだ本命のコーザを心から大事にしているビビはどこぞのお姫様並に神々しい。そして何よりそんなビビの事を心から尊敬してたりする。今までの人生、恋はいつだって隣りあわせで繰り返してきたけれど、でもかと言っていまいちピンと来るような男には巡り会えてない私にとって、それは羨ましくもあり、そしてまた微笑ましかったりするからだ。

「はー着いた。この店、雰囲気は最高だけどこの階段が唯一微妙ね」

「あはは!確かに確かに。よしっ、んじゃまー本日のうちらの勝利を祝って、祝杯をおっ始めましょうかねー」

ヘイ、マスター!とでも言わんばかりに上機嫌で勢いよく店の扉を開けた瞬間、店のカウンターに前のめりで寄り掛かっていた男とパチっと目が合った。気怠そうな瞳で、だけど着ているスーツや身に付けている物から高級感が滲み出ているその男は、来店早々ややテンション高めの私達の声にどうやら無意識に反応して視線が此方に向いたようだった。その姿を前に「あ、すいません…」と、何となく居た堪れない気持ちになった私が小さく謝れば、「何で謝るんだよい、別に気にしちゃいねぇよ」とそのセレブリティ感漂う彼はクスクスと笑う。

「あん?なんだぁーマルコ、お前ちゃっかり若い子ナンパしてんじゃねぇよ。お前みたいなイケメンが声掛けたら俺の出る幕ねぇじゃん」

「馬鹿、そんなんじゃねぇよい」

サッチ、お前馬鹿だから取り敢えず黙っとけ。そう言って、「悪ぃな」とそんな感じのジェスチャーを此方に示したその彼の視線は目の前に佇んでいるマスターの元へと戻っていった。その時、何故だか分からないけど自分の中で何かが激しく揺れ動いた。なんだ、この感じ…よく分かんないけどドキドキする。そして何より、それ以上にもっともっと彼の事を知りたい。

「…………ナミ、予定変更」

「え?」

隣に居るナミの腕を瞬時に掴んでは自分の元へと引き寄せ、そして未だ視線は目の前にいる男に向けたまま、耳元でボソッと小さく呟く。

「……あの男、落とす」

「りょーかい、んじゃ私はその横に居るフランスパンでも相手しとくわ」

「ラジャ!恩にきます!」

獲物をロックオンした女はいつの時代も強い。即座に彼の隣をキープして、彼と同じ酒を注文し、そして次の瞬間には乾杯ー!と互いのグラス音が鳴り響いた。しめしめ、これでまた良い男をゲットだぜ!とか、まるでポケモンゲットだぜ!と言わんばかりに内心ほくそ笑んでいた私の考えなんか、今にしてみれば浅はかとしか言いようがないのに。魂胆が見え見えなそんな私の計画を、その時のマルコは敢えて見て見ぬフリをしてくれていたのだと、今なら分かる。




「…………ほんっと馬鹿だったなー。あの頃」

パラ、とアルバムを捲りながらそう小さく呟いた。寝室にある棚の中で、もう何年も眠っていたであろうそれを引っ張り出してきては一人、このリビング内にあるテーブルに頬杖をついたまま眺めていた。ページを捲る度に蘇ってくるその記憶に口の端を上げて笑う私の頭の中には、この数年間いつだってマルコが居た。笑う時も、泣く時も、怒る時もいつだってそこにはマルコの存在があって。その立ち位置が自分の中で彼氏であろうが友人であろうが、マルコが大切な存在なのだけは確かだった。

「………あ、これ。あの時の。懐かしいー、何年前だろ」

PiPiPi…PiPiPi…

と、そこで脳内で散歩中だった私の思考回路と過去への旅は、突如部屋中に鳴り響いた着信音によって強制終了となった。………ん?誰だこの番号。知らん。

「はい?失礼ですがどちら様で、」

「さっさと開けろ」

「………………は?」

間髪言わずに命令した、その電話相手の発言にイラっとする。そしてイラっとしたって事は、最早その相手が誰なのかはいちいち探りを入れなくても分かる。眉間に沢山の皺を寄せながら、あんた何で私の番号知ってんのよと文句を言い放てば、「さぁな」という彼の発言によって、私の苛つき度は頂点まで達する事となった。む、むかつく…!

「おい、いつまでこの俺を待たせる気だ。開けろって言ってんだろうが」

「嫌です。つーか私これから予定あるし」

「お前の予定なんざ俺の知った事か。いいからさっさとドア開けろ」

「ごめんなさい、出てあげたいのは山々なんだけど何せ足が動かなくて」

「上等だ。ならお前の家のドアをぶち壊すまでだな」

「今出ます!少々お待ちを!」

お待たせしました!そう大声を発しながら勢いよく玄関のドアを開けると、そこには隈の濃い見慣れた不機嫌そうなお顔が。お、おぉ…!迫力満点。すっげー怖い。そして全力で帰ってくれ。と心から願うその言葉はモゴモゴと口の中で消えた。

「ロー、あんた何の用?さっきも言ったけど、私これから大事な予定が、」

「やる」

「…………は?」

相変わらず人の話を聞かない男だなと、そんな事を心の中で不満を漏らしつつもすっと目の前に差し出されたそれにじっと視線を向ける。ローが差し出してきたのは、某高級ブランド店の紙袋だった。何が何やらちんぷんかんぷんのまま、無言でそれを受け取る。

「なにこれ。今日私誕生日だったっけ?」

「な訳ねぇだろ、馬鹿かてめぇ。そもそもお前の誕生日なんざ知らねぇよ」

「えっ、だってこんな高級ブランド品くれるとか誕生日以外に何かあるの?」

「いちいちうるせぇんだよお前は。いいからさっさと受け取れ」

そう言って、半ばヤケ気味にローは顎でそれをしゃくった。一体何だと言うのか。未だ納得いかない想いを背に、紙袋の中から箱を取り出し丁寧に包装されたそれを紐解く。と、そこには一本の香水が。…………え、これ。

「まじ!?これ私に…!?」

「まぁな。どうだ、死ぬ程嬉しいだろ」

「いや…うん!そりゃめっちゃくちゃ嬉しい事に変わりはないけど…でも、なんで?」

「あぁ?」

「いやだって…」

「……………」

そうだ。だって意味分かんない…何で急にローが私にこんな物をプレゼントしてくれるのかが。てかその前に、そもそもこの男が自ら女にプレゼントを渡す所とか全く想像つかないんだけど。しかも香水って…え?なにこれ。何のサプライズ?

「つけてみろ」

「…………え?」

「反応遅ぇな。耳付いてんのか」

「なっ…!つ、付いてるに決まってんでしょ…!いちいちうっさいな!」

それはこっちの台詞だバカ。とか何とかかんとか言ってきたローをフル無視して言われるがままその場で香水を身に付ける。その匂いは甘くもあり、だけど何処か気品漂う感じの匂いで、普段の私からは全く釣り合いが取れていないであろう良い女感満載な上品な香水だった。何か単純だけど、これを身に付ける事によって背筋がしゃんとした気さえする。てか何より悔しいけど一発KOだ。ちくしょう…良い奴知ってんじゃねーか。負けたよ大魔王。

「てか…本当にこれ私が貰ってもいいの…?」

「しつけぇな。良いって言ってんだろうが」

「だ!だってこれ…他の女の人に渡すつもりだった奴じゃないの?」

「あぁ?な訳ねぇだろ、誰がそんな面倒な事するか」

「じゃあ…なんで。益々意味分かんないんだけど…」

「………………」

あんた、もしかして何か企んでんの?ポツリと小声で聞いたその言葉は、シンとするこの空間内に消えた。き、気まずい…何か言えよ。

「ナマエ、こっち来い」

「……………えっ!?無理!てかヤダ!」

「てめぇ…」

ちっ、と舌打ちしたローがいつもながら不機嫌そうに眉を寄せる。そしてそのままその長い足でズンズンと私との距離を縮め、終いには壁に追いやられてしまった。でもそんなの関係ねぇ!前後が無理なら左右へ逃げるのみ!とか思った瞬間即座にその動きを阻止される。と同時にぎゃあ!と悲鳴を挙げた自分が心底情けない。お、終わった…

「あのー…ローさん」

「あぁ?」

「な、何で今私あなたに壁ドンされてるんですかね…?もうあんまりこれ流行ってないと思うんですが…」

「何だ、そんなに嬉しいか」

「は、はぁっ…!?な訳ないで、」

「ナマエ、」

ローのその声に、ピクっと私の身体が無意識に反応する。そこまで抵抗を示した所で、またしても前回同様ローの顔が私の首筋へと埋まった。瞼を伏せて、顔に影を差したローの顔は何だかやけに色っぽい。壁に手を付いたまま、そこに呆然と立ったままの私の腰を捕まえて、ローは逃がさんばかりにそこに唇を寄せて来る。チュ、と最後に名残惜しそうにゆっくりと顔を離したローの顔を下から涙目で睨んでは「バカ」と小さく呟いた。ローはそんな私の左頬にそっと手を添えて困ったように笑うもんだから、決死の想いで口にした筈のその文句がまるで安っぽく感じてしまう。全く、何処までズルい男なんだ。何だか必死で抵抗してる私の方が馬鹿みたい。

「今後、その香水以外は一切付けんじゃねぇ」

「……………なんでよ。付けるわよ」

「おい…その減らず口誰に似た」

「さぁね…あんたじゃない?」

「……………へぇ」

上等だ、黙らせてやるよ。そう言ってニタリと口の端を上げたローの顔がまたしても近付いて来る。その瞬間、今度はもう首筋へのキスじゃないと本能で分かった。それだけは絶対にない。これは何かの間違いだとずっと自分に言い聞かせて来たあの日々は、もうここで終わりなんだなと脳裏でそんな事を考える。瞼を伏せて、ローの首元へと腕を伸ばして、背の高い彼が少しでも楽ができるようにと踵を上げた。その時だった。

PiPiPi…PiPiPi…

「……………電話、」

「放っとけ」

「無理…だって私、忘れてたけど今から人と会う約束が…」

「あの男か」

「え…?」

ローとの距離が残り僅かあと数センチ。といった所でこのリビング内に大きく響き渡った着信音。でもそれが誰なのかは嫌という程分かっていた。そしてまたその相手がマルコだとズバっと言い当てたローにも同時にビックリした。

「…………ロー、離して。行かなきゃ」

「………………」

「ねぇ…ロ、」

「行くな」

腰に廻されているローの腕の力が瞬時に強まった。もう片方の手は壁についたままだから一般的に考えてその力は半減の筈なのに、でもそれでもローの腕の力はより一層強まるばかりで思わず躊躇してしまう。そして何より彼は今、顔を伏せている状況だからいまいちその表情は読み取れないが、でもそれにしてもあの悪魔が口にした発言だとは到底思えない程その声は弱弱しくて、そしてまた同時に胸が苦しくって。振りほどかなきゃいけないと頭では十分理解している筈なのに、私の心はただただ戸惑うばかりだった。

「……………行かせたくねぇんだよ」

「ロー…」

「誰にも渡したくねぇ…」

『ナマエ、』

その掠れた声が、言葉が、いつだって私を惑わせては引き留める。本当はずっと前から分かっていた。本当は随分前から、こうしてローに自分の事を気に留めて欲しかった。だけどいざそれを目の前にして、まだ何処かで何かを期待しては、それとは真逆に逃げ出したい衝動も抱えていて。


「ここに居ろ…」

俺の傍から離れるんじゃねぇ。そう言って、ローは遂に私の身体全体を強く強く両腕で抱き締めた。そしてその瞬間、何でか分からないけど涙が溢れた。………なに、やってるんだろう私。早くマルコの所へ行かなきゃ。この腕を振りほどかなきゃ。でも、どうしよう…身体がいう事を効かない。ましてやここを離れたくない。ローの、傍に居たい。

PiPiPi…PiPiPi…

そこまで考えた所で、どうやらタイムリミットは目前だったようだ。固く目を閉じて、何かを振り払うかのようにローへと真っ直ぐに両腕を伸ばしては距離を取る。

「もう…行くね私。……ごめん」

「………………」

「鍵は、そのままにしておいてくれればいいから…」

その時、もうローの顔は見れなかった。いや、違う。正しくは見るのが怖かった、と言った方が正しいかもしれない。どっちにしても今日のメインはマルコの筈だ。その相手はローじゃない。

「しっかりしろ…自分」

その言葉を最後に、自分に戒める為にもパン!と両頬を叩いては家を後にした。自分家でもないくせに、そこに取り残されたローを放置して全速力でマルコが待つ場所へとヒールを鳴らす自分は何て残酷な女なんだろう。駅へと向かう途中、はぁはぁと息を切らしつつも前へ前へと進む自分の行動とは反対に、まるで後ろ髪引かれるかのようにローの顔が脳裏に焼き付いて、そしてまた一向に離れずにいた。

「ごめん、ロー…」

せめてもの償いか、はたまた心からの謝罪なのか。その答えは自分でもよく分からなかった。だけど何かから振り切るようにして走る自分に、冷たい風が幾多も頬を撫でて行くのがやたら辛くて、そしてまた切なくって。その時の私は、馬鹿みたいに次から次へと溢れ出て来る涙を拭いながら、一人駅へと向かった。




「まるで心ここにあらず、だな」

「え…?」

一体何処のどいつがお前にそんな顔をさせてるんだか。そう言って、マルコは何かを諦めたかのように眉を下げて笑う。そうしてすぐ側に置いていたワイングラスを手に持ち、それをグイっと何かを押し込むかのように一滴残らず口に含んだ。それに気付いたソムリエが無言でマルコのグラスに残りのワインを注いでいく。その二人のやりとりをただぼんやりと視線を送っては、マルコから次に発せられるであろう言葉の続きを待った。

「昨日は悪かったな。急に家に押しかけたりしてよい」

「あ…ううん。別に平気…それよりマルコこそあれから大丈夫だった?無事に家に帰れた?」

「帰れたから今ここに居るんだろうがよい」

「そ、そっかぁ…うん。まぁそうだよね…」

「………………」

何となく次に訪れたマルコからの沈黙が怖くて、それを誤魔化すかのように私もワインを勢いよく口に含んではごくごくと喉を鳴らした。はー美味い。やっぱどんな状況でも酒は最高だな。何かこう…アルコールってこういう時特に役立つよね!とか何とかかんとか一人どーでも良い事を脳裏で考える。にしても何か気まずいな…って、当然か。今から話題になるであろうその議題は、少なくとも自分の中では重大な用件でもあるんだから。

「ねぇ、マルコ…あの、さ…」

「なんだよい…」

「その…、あの、」

「………………」

無理…!いやいやいや!無理!てか無理!この空気やりにくいにも程がある!心の奥底からそう全力で叫んだ。……てかさ、私こんな状態でマルコと縁なんか切れんの?え。てかそもそも何で私マルコと縁を切ろうとしてるんだっけ。あぁ、そっか。ナミに切れって言われたからだっけ。……いや、でもさ。ほら、いち大人としてさ。『今日から私達二人は赤の他人よ!もう二度と連絡してこないで!』なんてそんな事言える?いや無理でしょ絶対…幾らマルコとは付き合いが長いとはいえ、流石に失礼にも程があるよ。よ、よし…取り敢えずの所は一旦保留って事でどーよ自分。うん、絶対それが良い。

「そ!そう言えば最近!どう…!?」

「あ?」

「ほ、ほらぁー!た、体調とかさ…!あるじゃん、色々と」

「あぁ…それなら別に今んとこ特に問題はねぇよい。医者も当面は問題ねぇって言ってる」

「そ、っか…なら良かった」

「あぁ…」

テーブルに視線を落として、ある一点を見つめたままマルコは淡々と私にそう言った。昔から彼は、いつだって弱みを私には見せようとはしない。いや、寧ろその逆で馬鹿な私だからこそ彼のそんな弱さには全部気付いてあげれてないのかもしれない。どっちにしろマルコは昔から少し強がりな部分があるから、全部が全部私にさらけ出す事はないのかもしれないけど。

「脳の腫瘍…どっか遠くに消えて行ってくれたらいいのにね…」

「どうだろうな…居なきゃ居ないで案外寂しくなるかもしれねぇよい」

「バカ、なる訳ないじゃんそんなの…」

「悪ぃ、ただの冗談だ。笑っとけ」

「……………」

そんな事よりお前を今日呼び出したのにはちゃんとした理由があんだよい。そう言って、マルコはさらっとさっきの話題をはぐらかした。そしてテーブルにあるメニュー表に目を向けながら、「まぁ、本題に入る前に質問タイムにでもいっとくか」と覇気のない顔をしつつも店員を此方へと呼び寄せる。

「これと同じ奴をあともう一本頼むよい」

「かしこまりました」

「ナマエ、お前は?」

「…………え?」

「え?じゃねぇよい。次、追加しなくて良いのかよい」

「あー…うん、まだ大丈夫」

「そうかい」

パタンとメニュー表を閉じて、店員にスマートに注文を言づけた後、マルコは「さて、」と小さな相槌を打ってはテーブルに頬杖をついた。

「今、お前の頭の中でグルグル彷徨ってる奴が誰なのか。その答えを当ててやるよい」

「え…」

つってもまぁ、100発100中その相手が誰なのかは歴然だけどよい。そう言って、マルコは呆れたような顔をして眉を下げて笑った。突如始まったその謎な議題に、首を傾げつつも「は?」と間抜けな声が漏れる。な、なに言ってんのこいつ…そして今ちょっとその話題は全力で避けてほしいんだけど。

「そのお前の脳内を占めてる相手って奴は、」

「お待たせ致しました。此方70年代物の赤ワインでございます」

「あ、どうも!ありがとうございます…!」

「…………話逸らしたな、お前。そしてそりゃ俺のワインだ」

「えへへ…」

「………………」

気まずさ満点の空気の中、ナイスタイミング!と言わんばかりに登場したソムリエさんに対して個人的に拍手喝采である。でもどうやらそんな私の態度に益々呆れたのか、マルコは一旦休憩を挟む事にしたようだ。はぁ、と重苦しい程の溜息を吐いてその場に立ち上がり、「便所」と一言言い残してスタスタとお手洗い場へと向かって行く。やれやれ、こっちとしては色々と堪ったもんじゃない。とか思いつつも、一旦冷静さを取り戻す為にも再び自分のワイングラスへと手を伸ばした、その時だった。

「お、お客様…!?如何なされましたか!?大丈夫ですか!?」

「……っ、…!?」

その時、本当に嘘なんかじゃなくて心の奥底からとんでもない程の血の気が引いて行くのを感じた。と同時にドクン!と胸を抉るような嫌な胸騒ぎが身体中に駆け巡った。静かな店内に大きく響き渡った店員の叫び声。それに比例するように一気にガヤガヤと騒がしくなっていく店内。ヒヤリと一つ、自分の米神に嫌な冷や汗が伝わった同時に、私の身体は次の瞬間大きな叫び声と共に既にそこに向かっていた。

「マルコ!!!」

苦しそうに頭を抱えて、その場で蹲っていたマルコの名前を何度も何度も後方から叫ぶ。鉛でも入ってるの!?もっと早く動いてよ私の足!!そんな事を考えつつもようやくそこに辿り着いてはマルコの背中に手をつき、何度も何度も私は馬鹿みたいにマルコの名前を口にしては泣き叫んだ。

「マルコ…!!ねぇ!マルコってば…!!」

「どなたか…!お客様の中にどなたかお医者様はいらっしゃいませんか!?」

未だ店内は騒然としている中、店員が大声で口にしたその言葉にハっとする。……そうだ、医者だ。それに救急車も呼ばないと…でももし辿り着いたその先に勤務する医者がヤブ医者だったら…?マルコは?マルコの周りの家族や友人達は…?どうなるの…?その前にちゃんと彼は…マルコは助かるの…!?

その時、一目散に自分の脳裏に過った人物はただ一人だけだった。

その人は、いつだって私のピンチの時には一番に助けに来てくれる、唯一無二の存在。


「…………っ……助けて、ロー…!」


縋るような想いで口にしたのを最後に、すかさず踵を返して自分達の席へと走る。バッグの中から何の躊躇いもなく取り出したスマホの通話履歴を辿り、その発信画面を何度も何度もタップしては勢いよく耳に押し当てた。

RRRR…RRRR…

「ナマエ、どうし」

「ロー…っ!!!たすけてっ…!!!

2コール目の途中で繋がったローに、泣き叫びながら助けを求めた。電話口の向こう側からは、ローの「落ち着け、何があった」と、まるで泣いている子供を宥めるかのような優しいローの声が私の鼓膜まで鮮明に聞こえてくる。だけど当然のように落ち着いてなんかいられない私は最早言葉にならない程のぐしゃぐしゃの声と顔でローに事の次第を1から10まで説明をし続けた。正直、その時の精神状態の私じゃローにしてみればさぞかしちんぷんかんぷんな事だったろうと思う。

でも、そこはやっぱりどこまでも私のヒーローだ。

「おいナマエ、今から言う俺の話をよく聞け。良いな?」

「………っ、…うん…」

ローは、その場で出来る限りの応急処置の方法を私に口頭で教えてくれた。何度かその処置を繰り返し行っていた所で、救急車と救急隊員が一目散に此方に駆けつける。タンカーに乗せられて、真っ青な顔色をしたマルコの手を強く強く握り締めては、「大丈夫だからね…!絶対大丈夫だから…!」と何かの呪文のように何度も何度もそれをマルコへと口にしては祈りを捧げ続けた。





「…っ、ローっ…!!」

「ナマエ!」

『よく頑張ったな』そう言って、ローが勤務する病院まで辿り着いたと同時に、白衣を着てそこで待機していたであろうローが搬入口に到着した瞬間私の頭を優しく撫でてくれた。そしてすぐさまローの目付きが変わり、「容体は?」と救急隊員へと声を掛ける。

「成人男性、本日20時に容体が悪化。血圧80の40、外部に目立った外傷は見当たりませんが、恐らく脳内からの出血、または何らかの異常をきたしている可能性があります!」

「分かった。おい、今現在の手術室の状況は」

「はい!現在第3手術室が空いています!」

「分かった。そこに運べ」

「了解しました!」

まるで何かの医療ドラマを見ているかのようなその一連の流れに胸が痛い程締め付けられた。そして最早自分には何も出来る事はないのだと悟る。バタバタと忙しなく大勢の人達が行き交う中、白衣をひるがえして手術室へと向かうローのその大きな背中に、私は無意識に全力でこう叫んでは懇願した。

「………ローっ…!!お願い…っ!!マルコを…っ、マルコを助けて…っ…!!」

自分に出来る事はもう何も無い。もう一度それを胸に踏まえた上で後は全てローに託すようにと大きく声を張り上げる。その私の声にピタリとその場で動きを止めたローは、踵を返し、聴診器を首にぶら下げたまま、医者の顔をした彼がゆっくりと私に振り返った。

「ナマエ、あの雑誌の内容を思い出せ」

「………っ、…ざ、雑誌…?」

「俺の異名は?」

「……い、異名…?…あっ…!!」


『どんな難関な手術にも常に臨機応変にこなし、その腕は間違いなく神の手と呼び声高い今注目の若手医師』

ローが質問したそれを元に、ふと前に一度読んだあの雑誌の内容が脳裏に過る。………そうだ。そうだよ…だって、ローは…

「………っ、…」

「お前は何の心配もしなくて良い」


『信じて待ってろ』


そう言って、最後に目を細めて私に優しく笑ってくれたロー。踵を返し、白衣を身に纏って前を向いて行くその後ろ姿は、世界中の誰よりもヒーローに見えた。意地悪で、自己中で俺様ないつもの彼の姿はそこには無く、それと引き換えにあの時あそこに存在して居たのは、誰よりも優しくて、利口で、いつだって頼りになる、私のたった一人のスーパーマンだったよね。

prev next
TOP

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -