死亡フラグとは、正に今しがたこういう状況を差すのだろう。
「ナマエおはー!…って何その顔。ぶっっさ。」
「おはー…聞きたい?」
「いや別に」
「嘘!いや聞いて!全力で話聞いて!」
教室のドアが勢いよく開いたと同時に友人からの辛辣な言葉が胸に突き刺さる。自分から理由を聞いてきたくせに、この隈だらけの私からの返事に嫌な予感がしたのだろう。友人はさぞ面倒臭そうに、私の願いをあっさりと拒絶した。
「なによ、そんな切羽詰まった声なんて出して」
「だって聞いてよ!昨日さぁ、あの後教室に携帯を取りに行っ」
「おはよーっス!」
ガラ!と軽快な音を立てて、恐いくらいに満面の笑みで教室に入ってきた男の声にヒィっ!と肩が竦む。何という絶妙なタイミングだ。まるで一部始終友人とのやりとりを見ていたかのよう。こーれはマズイぞナマエ。とりあえず今回の所はひとまずお預けだ。
「ごめん、ちょいまた後でゆっくりはな」
「何をゆっくり話すんスか?」
「!!」
普段どちらかというと高音ボイスの癖に、こういう時だけやたら低音で呟いてくるとは何て嫌味な男なのだろうか。王子王子と周りにもてはやされているらしいが、その見解は如何なもんだろう。わざわざガッシリと肩を掴み、私以外の女子なら一発ノックアウトなイケボで耳元に囁くこの黄瀬涼太の両鼻に指をつっこんで、鼻フックをかましてやりたい。まぁどうせ彼のファン達に仕返しされるだろうからそんな危ない橋なんて死んでも渡らないけど…っていうかとりあえずさっさと離れて。うざい。
「おはよー黄瀬君!今日もイケメンでいてくれてありがとう」
「おはよー。いやいや、今日も朝一から素敵な笑顔を見せてくれてどーもっス」
「いやん!何朝から冗談言ってんのー。照れるじゃんー!」
「冗談じゃないっスよー。…あ、今日髪型いつもと違うね。良いじゃん」
「え!分かるー!?これ結構時間掛かったんだー」
……え、なに。なにこのとんだ茶番劇。てかこの会話の流れ私いる?いらないよね?下手に会話に参戦して巻き込まれる前にさっさとこの場を退散した方が絶対賢明だ。って事で邪魔者は消えるとし、
「あ、そうそう。それはそうとちょっとだけナマエっち借りていいっスか?」
「……は、」
「どーぞどーぞ、こんなんで良いならご自由に」
「え。ちょ、おい親友」
「どーもっス!んじゃちょっと借りるね」
「いやてかあんたら借りる借りないとか言う前に本人の意思は」
「じゃあナマエっち、行こうか」
無視かよ!普段余り活躍する場のない大声でそう叫んでみたがどうやらそんな物はこの男には通用しなかったらしい。ガシっと掴まれた首根っこに両手を乗せ、あれやこれやと脱出方法を駆使してみたがどうにも効果は得られなかった。やがてもう無駄だと判断した心の中の私が白旗を振り出す始末。仕方ない、これはもう覚悟を決めるしかないのだ。そう思い直し、あと数分後に訪れる私自身に対してそっと小さなエールを送り、祈るように瞼を閉じた。
「昨日、何であれから授業サボったんスか?」
ガヤガヤと賑わう2階の廊下の端っこ。黄瀬涼太は何故かいつもこの場所を好んで仲の良い友人達とよく屯っている。彼の校内のファン達の中でもそれはかなり有名な場所で、出来る事ならば是非とも違う場所に連れ出して欲しかったのは言うまでもない。そんな淡い期待が見事に崩れ去った所で冒頭の台詞ときた。…何でかって?そんなの気まずかったからに決まってんでしょ!まぁ勝手に覗き見して勝手に興奮し、勝手に早退したのはこの私ですけども!
「いやー、急に気分が乗らなくなっちゃってさ。ほら、勉強って凄い励む日とそうじゃない日との差が凄いじゃん?だからまぁー…仕方ないってやつ?みたいな」
「ナマエっち、基本気分が乗らない日は授業中眠りこけてるじゃないっスか」
「げっ…!何でそんな事知ってんの。ちょっとあんたいい加減にして」
よし上手く乗り切った!と思ったのも束の間、予想外の返しに一歩遅れを取ってしまった。ってか黄瀬、あんた何でそんな人のどうでも良い所なんて観察してんのよ。授業を聞け授業を。
「ってか用ってそれだけ?そんなどうでも良い話教室でしても良かったんじゃないの」
「まーさか。そんな訳ないっしょ。実はナマエっちにお願いがあってきたんスよ」
「はぁ?お願い?」
壁に寄り掛かっている黄瀬君と、彼の目の前で仁王立ちをしている私。何となく微妙なバランスの二人の視線が交差し合う。お願い、だなんてそんな面倒なくだりに良い話なんて滅多にない。そう思いつつも、興味がてら疑問符を彼に付きつけてみるお人好しな私がここに居る。
「今日から俺と一緒に帰って欲しいんスよ」
「無理」
「いや無理とかじゃなくて!ほら、俺昨日言ったじゃないっスか。当分の間はナマエっちの事利用させて貰うって」
「黄瀬君、あんたって馬鹿?あんなの承諾した覚えなんて一ミリもないけど」
「でもナマエっち、昨日見てたでしょ?」
「え?」
その瞬間、物凄い速さで見ていた景色が一変した。例えるなら、ジェットコースターを乗っていて急にフル回転した時のようだ。どうやら黄瀬君に腕を引っ張られて体勢を崩されたらしい。目の前には端正な顔、耳元に添えられた綺麗な手、そしてサラサラとした金色の髪。左耳に一つだけ空いたピアスがキラリと反射したと同時に彼はこう呟いた。「俺と先生の禁断のシーンを」と。
「……俺、昨日見えたんスよ。あの窓の隙間からナマエっちが俺達を覗く姿を」
「な、なんの事でしょうか…」
「覗くんならもっと上手い事やらないと立派な探偵にはなれないよ」
「別にそんなの目指してな」
「拒否しても無駄っスよ」
そう言って、これまた何故か物凄い勢いで抱き締められ、もはや嫌がらせなんじゃないか!と思うくらいの行動で頭をヨシヨシと撫でられた。当然の如く直ぐさま抵抗を表してみたがどうにもその鍛え上げられた身体からは逃れられない。チッと舌打ちをしつつ、彼が離れてくれるのを待っていると、「見てみて!あの二人!」と言うヤケに嫉妬交じりな女生徒達のヒソヒソ話が耳に届いた。
「やっぱりあの二人付き合ってるんだー!」
「いやん、ショックー!」
「ミョウジさんって確かに可愛いけどまさか黄瀬君のタイプだとは思わなかったー!」
などなど、わざわざこちらの鼓膜にまで伝わってくるほどの大声で堂々と悪口を言う辺り、女って特に恐い生き物だと痛感する。そんな可哀想な私の事なんて全くの放置プレイで、未だしつこく頭を撫でてくる黄瀬君に対し、互いにしか分からない程度の小声で「ねぇ」と声を掛けた。
「なんスか?」
「もうよく分かったから黄瀬君の目論見は。だからいい加減離して」
「まだダーメ。もうちょっとかな」
「こんな事して何か意味あるの。それとも、そんなに他の女でカモフラージュする程あの先生に入れ込んでるわけ?」
「さぁ?どうっスかね」
クスクスと笑う彼の性格は歪んでいると思う。要するにあれだ。口ではそう言ってても、本心は相当彼女に惚れこんでいるという証拠だろう。昨日の話の『利用』ってそういう意味だったのか。改めて納得した。
「お、もう行ったスね。まぁあれだけ目撃者がいるなら大丈夫っしょ。協力どーもっス」
「いいえ、こちらこそ最低最悪な時間をどうもありがとう」
「まぁまぁ、そう言わずに!今後とも一つ宜しくって事で」
「あのさぁ、別にこっちも暇だし利用されるのは勝手だけど、こんな事しても何にも生まれないと思うんだけど」
「それは俺が決める事なんで。…あ、さっきの見られたからって別に俺と付き合ってるって事にはしなくて良いからね」
「当然でしょ。聞かれても全力で否定するっつーの」
ようやく離れてくれた黄瀬君の厚い胸板に、苛立ちからくるクラッシュパンチをかましてやった。当然の結果だろう。ありもしない噂話に踊らされて気分は最悪なのだから。そんな私なんて目もくれず、もう放課後の帰りの話に切り替わっている彼に大きな溜息をつく。そして悟った。この男には普通の一般論なんて何一つ通用しないのだと。
「じゃ、部活終わったらまたメールするね!」
そう言って、本日も本日とてキラッキラオーラを身に纏った黄瀬君の後姿を恨めしく睨む。恐らく彼は何となく気付いているんだろう。基本的に人から頼まれたら断れない性格の私を。
「…………やられた。何か売店で奢らせれば良かった」
口止め料の代償に、今日の昼食をたかれば良かったと猛烈に後悔。タイミング、主導権等全てに置いて負け組な私に勝ち目はないのか。やはり世の中とは不公平な事ばかりで溢れかえっているようだ。
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