まるで、道端に捨てられている子犬でも拾った気分だ。
「あ、ナマエっちー!こっちこっち!」
「げっ…黄瀬君…!」
ダムダムと、バスケ特有のボール音が響くある放課後。夕方特有の茜色の空が一面に広がり、この絶景によく映える黄瀬君の透き通った声が庭中に響き渡る。ブンブンと風を切るような効果音が伝わってきそうな程こちらに向かって大きく手をふる彼は、残念ながら本日も安定したイケメン君だ。その眩しすぎる彼に対して、思わず一歩後ろに仰け反る。だってやたら笑顔で不気味だから。
「何でそんな冷たいんスかナマエっちー。俺ここでずっと待ってたんスよー?」
「知るかそんなの。あんたが勝手に待ってただけでしょ?…てか、ナマエっちって呼ばないでってば。恥ずいじゃん」
「またまたぁ〜!そんな事言ってちゃんと持ってきてくれてるじゃないスか、俺のスポーツタオル!」
「うざい、うるさい、近寄るな」
今にも抱きついてきそうな黄瀬君に向かって右腕を伸ばし、辛うじて一定の距離を保つ。これ以上は危険地帯だ。国交を跨ぐにはまだいくつもの段階がある。そんな意味不明な自分の中でのルールを心の中で呟きつつも、「はい、これ。次からはちゃんと自分で確認しなよ」と、手にしていたスポーツタオルを彼に手渡した。
「いや〜まじ助かったっス!教室に取りに行こうかと思ったんスけど、笠松先輩に捕まっちゃって」
「そうですか、それはご愁傷様です。じゃ、私はこれで」
「あ〜待って待って!ナマエっち、これ!」
「え?」
そう言って、少し離れた場所からこちらに向かって綺麗な放物線を描き、見事に私の掌の中に納まったそれは、少しだけ季節外れの冷たい缶ジュースだった。その完璧なコントロール力はさすがと言うべきか。バスケ部エースらしい渡し方だ。
「ここまで持ってきてくれたお礼っス。じゃ、気をつけて!また明日!」
背後に花でも背負ってんのか!という勢いで本日もキラッキラの笑顔で去って行く黄瀬君の後ろ姿を確認した後、はぁ、と小さく肩を落とす。なんだってこんな事になってしまったのか。
『あ!ナマエっち、折角なんで連絡先教えてよ』
そう聞かれたのは、先週末たまたま黄瀬君に課題プリントを渡したあの一週間前の出来事だ。あの後嫌々ながらも彼に勉強を教えてやり、ようやく解放されると高を括った次の瞬間に訪れた魔の言葉。思わずひぃっ!と肩を竦めたのは言うまでもない。
彼を知る女子ならばそんな光栄な事なんてない!というレベルなのだろうが、生憎私は自他共に認める変わり者。というか、かなりの面倒臭がり屋。電話は疎か、メールなんてもっての他で、文明開化の今日の日本には似つかわしくないアナログ女子だ。当然、丁重にお断りをしたがあっけなく携帯を奪われて惨敗。美少年は顔に似合わず強かった。そこからはもうご想像通り、何かと用事をつけられては呼び出しをくらうという不可解なポジションに収まり今に至る。あぁ、まさに初歩的ミス。しまいには変なあだ名で呼ばれるし、もう本当勘弁してほしい…
「ほーう、だからか。最近黄瀬君とよく喋ってる理由は」
学校帰りの学生達で賑わうマジバにて、毎年この時期だけ限定発売されているバーガーにかじりつきながら、淡々と感想を言ってのける友人を軽く睨みつける。なにが『ほーう』だ。全然ほーうじゃない。『えー可哀想ー』の間違いだ。
「喋ってるって言っても、別に大した話じゃないし好きで会話してる訳でもないから」
「でも既に噂になってるみたいよー?黄瀬君とミョウジさんって付き合ってるんじゃないのーって」
「げっ…まじ?最悪…だからキラキラ星の住人は嫌いなのよ。無意識にこうやって人に迷惑掛けるから」
「それあんたが言う?…てか、キラキラ星ってなに」
まさに今すぐにでもお経が始まりそうな勢いで、私の頭の中にチーンという効果音がよぎった。そんな落胆しまくっている私をよそに、友人は呑気に「キラキラ星、キラキラ星」と連呼しつつ携帯片手にウィキペディアなんぞ調べている。って馬鹿、そんなもんある訳ないだろ。さっき私が適当に作った造語なんだから。
「あ、あった。キラキラ星」
「え!うっそまじで?…ってこれ童謡の方じゃん。全然違うし」
「あーもういいや、面倒くさ。そんな事より彼に聞いてみてよ」
「は?なにを?」
「決まってるでしょー?何で本命を作らないのか!ってやつ」
「あぁ…またそれ。あんた本当好きねそういうの」
溜息交じりに出た呆れ声と共に頬杖をつき、テーブルに置いてあるバニラシェイクを勢いよく吸いあげる。そのまま目を細めてチラリと隣に顔を向けてみれば、「だってやっぱ気になるじゃん?」と、彼女は舌を出してニヤリと笑った。
「それか彼女作らないんじゃなくて、案外出来ないのかもね」
「……はぁ?ないない、それはない」
「んー…例えば禁じられた恋!とか?それか自分の好きな子には彼氏がいる!とか」
「…………」
「まぁ、彼ならそんな悪条件でも3日ぐらいあれば余裕で落とせそうだけどね」
そう言ってケラケラと笑う友人から顔を背け、カウンター越しの景色へと視線を移す。すっかり陽も暮れて、昼間とはまた違った顔を持つネオン街は、今の私をいつもより倍感傷的にさせてくれた。何だかよく分からないけれど、さっきの友人の意見には妙に納得がいって仕方がない。でもまぁ彼女の言う通り、黄瀬君ならそんな障害があってもきっと朝飯前だろう。だって、手に入らない女の子を追いかけている彼なんて全く想像がつかないから。
「……キラキラ星の王子、だもんね」
そう一人呟いた声は、がやがやと騒がしい店内へと消えていった。気付けば手にしていたシェイクも溶け始めていて、慌ててストローにかぶりつく。ちゅう、と音を立て、ひんやりとしたシェイクが食道を通れば、ぐちゃぐちゃしかけていた自分の脳内が少しだけ冴えた気がした。
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