私は、今日という日ほど黄瀬涼太の凄さを思い知らされた日は無いと思う。


「ねぇねぇお兄さん、一人ー?良かったら私達と遊ばないー?」

「………………」

てかお兄さんめっちゃくちゃ格好良いねー!背も高いしやばーい!等々、かれこれここに来てものの数分の間に最早この光景を見るのは一体何度目だろうか。きゃきゃ!とピンク色のオーラを纏った大勢の女子共の大群が、まるで掃除機に吸い込まれていくかのようにある一か所に集っていくではあるまいか。勿論、その中心角に居るのは本日の私の待ち合わせ相手。黄瀬涼太だ。悲しい事に本日も安定したイケメン君なだけに、大いにその存在は目立ちまくっている。因みにチラリと腕時計に視線をくれてやると、彼との待ち合わせ時間は現段階で余裕で約10分は経過している。そう、普通に遅刻しているのだ。それは痛い程よく分かっている。が、しかし。どーにもこーにも自分の足はその場から動かない。何故なら、普通にあの場所に登場するのが億劫で仕方がないからだ。

…………………てか、その前に。

「いやー、俺もお姉さん達みたいな綺麗な人と何処かに遊びに行きたいのは山々なんスけど、でもごめん。今俺大事な子を待ってるんで」

あの断り方はなに…!?なんなのあれ、何かまた凄い反感を喰らいそうな発言だな!からのますますあの場に登場しにくい!さりげなくこっちのハードルまで上げるのは止めてくれませんかね…!

「…………でもそんな事言ってる場合じゃ、」

「ねぇねぇお姉さん、さっきからそこで何してんのー?もしかして今暇だったりする?良かったら俺らとどっか遊び行かね?」

「………えっ」

そうは言ってもいつまでもこーしてちゃいられないと、まるでどこぞの忍者のように物陰に隠れていた自分の身体をようやく引っ張り出した、その時だった。

「……………はい?」

「いやー俺らさ。さっきからあそこでお姉さんの事見てたんだけど、いつ声掛けようかなーって思ってたんだよね。…あ、もしかして誰かと待ち合わせ?友達とか?だったら2対2で丁度良いから良かったらこのまま、」

「ナマエ、遅いと思ったら何してんスか…こっち」

「………………えっ!?」

さっきから間抜けな相槌しかうってないのは別に狙って発言している訳ではない。ただ単に驚きを隠せずにいるだけなのだ。そしてそんな軽いパニック状態になっている私の背後から誰かに勢いよく腕を引き寄せられて、今日一素っ頓狂な声が出てしまった。恐る恐る首を捻って背後に居る人物へと視線を向けてみると、予想通りというべきかなんというべきか。えぇ、まぁはい…黄瀬君だった訳でして。そしてまたその美しいお顔の表情は、いつもの彼からは想像し難い程の不機嫌そうな顔だった訳でして。……こ、こわっ!いやいやいや、こわっ…!

「悪いんスけど、この子俺のなんで。これから俺達久々のデートだから、お兄さん達邪魔しないでくれる?」

にっこりと、口の端を上げて私に声を掛けてきた二人組の男達へと黄瀬君が得意の王子スマイルを張り付けてサラッと拒否を示した。でも多分だけどその目は笑っていない。というか寧ろさっきより更に怒りが増しているかのようにも見えるんですけど…黄瀬君って意外にも怒ったら怖いんだなぁ…とか、一人その場でどうでも良い事を考える。

「あーもう…何してんスかナマエっち。着いてたんならさっさと俺に声を掛けてくれれば良かったのに。一人で居たら変な男達にターゲットにされて危ないじゃないっスか」

そう言って、黄瀬君のブラックスマイル対応により、そそくさとその場を後にしていった男達を追い払ってくれた後、彼は心底呆れ気味に私に注意を促しては深い深い溜息を吐いた。

「ご、ごめん…ありがとう。で、でも何か…何となく登場しにくくて…」

「?なにがっスか」

「………………」

そこまで口にした所で、右に左にキョロキョロと周囲に視線を泳がせた。私達二人の周りにはさっきより更に倍の人数のギャラリーでガヤガヤと賑わっている。……め、目立つな本当に黄瀬君って。とか思いつつも、何となくその気持ちを口で説明するのが億劫だったから、念を送るかのように黄瀬君に向けて『察して!』と言わんばかりの視線を送った。どうやらその私の動作に勘の良い黄瀬君は気付いてくれたらしい。「あー…」と、少しだけ気まずそうに、そしてまた何処か気恥ずかしそうに頬をポリポリと掻いてはごめんねと小さく謝ってくれた。……いや別に、謝って欲しい訳じゃないんだけどね。違うんです、黄瀬君…私があなたのイケメン具合を舐めすぎてただけなんです。反省。

「でも半分はナマエっちのせいでもあるんスからね」

「…………え?」

「あー…いや、何でもないっス。無自覚な子には教えてあげないー」

「えー何それ…気になるじゃん」

「あはは!んじゃまぁ、気が向いたら後で教えてあげるよ。取り敢えず何かご飯でも食べに行こっか!俺朝から何も食ってなくて腹減ってるんスよー」

「………りょーかい!」

サラっといつもの調子に戻った黄瀬君が、これまたサラっと手慣れたご様子で私の手を握る。え?とか思う暇もなく余りにも自然なその対応に思わず拍子抜けしてしまう程だった。咄嗟に手を離そうとさりげなく掌の動きを駆使してみたが、どうやらそれに瞬時に気付いた黄瀬君の方が一枚上手だったらしい。にっこりと不敵の笑みを浮かべたまま、そしてまた手をわざと強く握り返されてしまった。そして彼はずんずんと私の手を引いたまま、そのまま少し前を歩いて行く。その大きな背中をぼんやりと見つめつつも、ふとさっきの彼の冒頭の言葉を一人思い出しては赤面してしまった。

『悪いんスけど、この子俺のなんで』

……………『俺のなんで』。そのフレーズに今更ながら動揺する。当然の事だが、勿論私達二人の間にそんな事実は一切ない。ましてやデートなんか初めての事だ。なのにさっきの黄瀬君はあの男達に『久々のデートだから』とか言ってたっけ…別にそれが声を掛けてきた彼等に牽制する為、咄嗟に出てきた発言だって事も十分分かっている。それでもやっぱり胸のときめきはいつもの倍だった。彼にはちゃんとした本命がいて、それでも私はそんな彼の事が好きで好きで仕方がなくて。交わる事のない想いだと理解している筈なのに、いちいち黄瀬君が発言する言葉に馬鹿みたいに意識したりして。本当、私ってどうしようもない女だな…

「どうしたんスか、ナマエっち。もしかして、こういうお店イヤ?」

「……………え?」

そんな事を一人悶々と考えていると、あるお店の前でピタリと足の動きを止めた黄瀬君が踵を返して直ぐに私に声を掛けてきた。背が高いのもあって、少しだけ腰を屈ませた状態で私に目線を下げてくれた彼と視線と視線が交差し合う。軽い現実逃避をしていたせいで少しだけ反応が遅れた私に眉を下げて、まるで捨てられた子犬みたいな表情をしている黄瀬君の顔は超絶可愛いかった。でも余りにも可愛すぎる為その分心臓に悪い。全く、この男はどんだけ私のツボを押さえてくるのか…!いい加減にしてほしい。

「全然っ…!寧ろこういう雰囲気のあるお店大好き!」

「そっか!んじゃ良かった、入ろっか」

「うん!」

何食べよっかなー。そう言って、上機嫌に店のドアを開けた黄瀬君が「ナマエっち、こっちこっち!」と嬉しそうに私に向かって手招きをする。店員さんに誘導されて席に着いたそこは、中央にテーブルがあり、そしてまた向かい合わせにソファーが2つ配置されている個室で、何ともリラックス出来そうな雰囲気だ。さすが黄瀬君…良い店知ってるな。

「何にする?ナマエっちって何か嫌いなもんとかあったっけ?」

「んー…ないね。黄瀬君は?」

「俺もあんまないかなー…あ!ちょ、ナマエっちこれは?美味そうじゃない?」

「えー?どれどれー」

テーブルを挟んで、向かい合わせに座っているこの状態はテーブルの上にメニューを広げていても少々距離が遠く何より確認しずらい。だから当然の様にそこに距離を縮めようと互いの身体が中央に集まるのは至って自然な動作だ。が!ちょっとこれミスったかも!とか考えた所で最早それは手遅れに過ぎなかった。

「あーこれ絶対美味い奴じゃんー!ねぇ、ナマエっちもそう思うっしょ?………って、は?……おーい、ナマエっちー。俺の話聞いてる?」

「…っ!!」

ヒラヒラと、何故か何かを噛みしめるようにクスクスと楽し気に笑っている黄瀬君が此方に手を振りかざす。でも今の私にはそんな彼の問い掛けに応える余裕は微塵もない。ましてやメニューを見るのなんか何のその。そんな事よりも前に目の前にあるその端正な顔にぎょっとしてしまった。だ、だって…黄瀬君の綺麗な顔が!手が!声が…!

「…………近い、っスね」

「えっ…!?」

咄嗟に距離を離そうと身体を後方にずらそうと思ったその瞬間、ガシっと腕を掴まれて行動を阻止される。そのまま更に強く腕を引かれて思わずその場に倒れ込みそうになった所で目の前から伸びて来た彼の腕に支えられ、何とかその場を持ち堪える事が出来た。

…………………けど、

「き、黄瀬君…」

「………ん?」

「あの、その…」

「あぁ、ごめんごめん。近いって?」

「う、うん…まぁ…」

そう、ね。絞り出すかのような小声で、顔を俯かせたままポツリとそう呟いた。ごめんと謝る割には彼のその言動と行動は伴っていない。何故なら彼の左手は私の腕を掴み、そしてまた彼の右腕は私の頬に手を添えていて、そしてまたその頬に添えた親指で緩く私の目元を撫でていたりするからだ。………な、なんだこれ。なんだこの感じ…てか、何か今日の黄瀬君、ちょっと何か可笑し、

「失礼します、メニューはお決まりでしょうか?」

ガラ!と開いたその扉の音に光の速さでその場から身を引き離した。そしてまたお決まりのように壁に激突。出たよこれ!またやったよ私!そしてどんだけダサいんだ私…!と、涙目で自分の頭を撫でている私に、前方からゲラゲラと大笑いしている黄瀬君をギロリと睨みつけた。黄瀬君はひとしきり大笑いをし終えて、さっき注文しようか悩んでいたであろうメニューとその他諸々を店員さんに言づけて、「はー、やっぱナマエっちは面白いっスね!」とか何とかかんとか訳の分からん事を言っていた。くそっ…!誰のせいだと思ってんのよ!

「俺、ナマエっちのそういう破天荒な所も好きだよ」

サラっと最後にそう付け足して、膝に頬杖をついたままニコッと笑った彼の笑顔にやられてしまった。た、タチが悪いにも程がある…!やめてその可愛い笑顔とか!死ぬから!いやまじ色んな意味込みで…

「好き、とか…そういう大事な言葉は先生にだけ言いなよ。私だから良いけど、普通の子はそんな事言われたら皆勘違いしちゃうから」

「………………」

「あ、てか黄瀬君。私後でこれも追加してい、」

「……あのさぁ、」

「え?」

何とか流行る気持ちを抑えて、自分なりに冷静に努めたその発言を遮るかのように黄瀬君の声が被さった。ぶっちゃけ予想だにしてなかったその言動に、未だ脳内が真っ白な自分は現実に追いついていないも同然だ。

「なに?」

「俺、あいつとは…」

「え?」

その時、何かを発言しようと口を開いた黄瀬君を邪魔するかのように「お待たせしましたー!」と、威勢の良いバイトのお兄さんの声が私達二人が存在するこの個室内に響き渡った。ニコニコと愛想良く次から次へとメニューをテーブルに置いて行くお兄さんの動作をぼんやりと眺めつつも、頭の片隅で何だか嫌な予感が走り「とりあえず、これ食べてからにしよっか」とそれとなく話題を逸らしてしまった。

「だね…」

「うん、食べよ食べよ!」

「……………」

わざと大声を出して、わざわざ無駄に上手い作り笑いをしながらスプーンとフォークを手にする。「美味しい!」とか何とか言って、本当は動揺しまくりで味なんて大して分からない癖にこれ見よがしに女優さながらの演技をしながらもズルズルとパスタを啜る。向かい合わせに座っている黄瀬君もようやく私と同じように料理に手をつけ始め、そして同じように「美味いね」と言って笑った。

『俺、あいつとは…』

……………何でだろう。別にその先の言葉が何かなんて一つも分からないのに、聞きたくないと思ったんだ。……ううん、違うな。本当は理由なんて嫌になる程分かってる。

『でもそれでも良いって言って、無理矢理関係を始めたのは俺の方からなんスけどね』

黄瀬君の口から、先生の話は聞きたくないだけ。自分から話題を振ったくせにちゃんちゃら可笑しいにも程がある。……そう言えば、日頃よく読む少女漫画やら小説の中には、決まってこういう当て馬キャラがいるな。『自分の幸せを選ぶより、それ以上に自分の好きな相手には幸せになって欲しいんだ』と願う、そんな菩薩みたいなキャラが。私には到底無理そうなポジションだ。

黄瀬君にはいつだって幸せそうに笑っていてほしい。決してその感情は嘘じゃない筈なのに。彼を『笑わせてあげたい、元気づけたい、側にいたい』そう思う傍らに心の何処かでその見返りを求める汚い自分が存在する。……きっと、もう限界なんだ。先生の話を口にする黄瀬君が。先生の事を想う黄瀬君の事が。

「…………ほんと、どうしようもない女だな。私って…」

「え?」

「……え?」

「………………」

「………………」

相槌を返されてそこでようやくこの現実に気付いた。どうやら私は無意識に独り言を呟いていたらしい。や、やらかした…!ヒィっ…!と内心青ざめつつも、表面上は至って普通に「何でもないよ!」と即誤魔化しに入る。どうやらその私の不自然な態度に気遣って、あえて黄瀬君も無かった事にしてくれたようだった。あ、危ない危ない…ある意味黄瀬君が大人で助かった…

「これ食べ終わったら、どっか買い物でも行こっか」

「え?」

「そろそろ衣替えの季節じゃん?俺久々に新しい服でも欲しいなーって思ってさ」

そう言って、にっこりと微笑んだ黄瀬君につられて私も口の端が緩む。「にしてもやっぱこれ予想通り美味いっスね!」とか何とか言って楽しそうに笑う今日の黄瀬君は何だかいつもと違って見えた。……何ていうかこう、普段学校で見てる時とはまた違った素の部分っていうか何というか…うん。説明しずらいけど、取り敢えず今日の黄瀬君の感じ良いかも…!

「よし、じゃーサクサクっと食べて買い物いこ!」

そこでようやくいつもの調子を取り戻した私は、服の袖が汚れないように腕捲りをしつつも目の前にある数々の絶品料理に手をつけてはムシャムシャと勢いよく口に運んだ。黄瀬君はそんな私にクスクスと楽し気に笑いながら、そして時に「ナマエっち、ここ付いてるよ」と言いながら私の口を優しく拭ってくれた。そんなまるでカップルかのようなそのやりとりに一人赤面する。…………それズルい。とか、そんな事を思いながら。




「あーどーしよっかなー!最初の店のにするか、それともさっきの店のにするか…」

あー、とか、うーんとか言いながら黄瀬君が悩まし気に頭を抱えているその理由は勿論、さっきの彼の言葉通り今現在彼は悩みに悩みまくっているからだ。あれから二人で食事を済ませて直ぐに、互いに普段からよく通っているであろうお気に入りのショップ巡りが始まった。服に靴に小物まで、それぞれあーだこーだと意見を持ち合わせつつも私達二人は未だ一個もアイテムを手に出来ずにいる。意外にも私達はお互いがお互いに決断力に欠けているらしい。それぞれ行く先々で良い物は溢れ返っているのに、逆に良い物が揃い過ぎていまいちはっきりとした判断が出来ずにいたりする訳でして。

「だねー、迷うよね。私も最初に行った店の奴にするか、それともその次に入った店のにするかさっきからずっと悩んでるもん。最初のはいつもとはちょっと違う感じのテイストで、次の店のは普段からよく好んで着てる感じの服で迷う」

「あー…分かる。俺もそれ。…あ、でも俺ナマエっちは最初に行った店の服の方が似合うと思うよ」

「え、まじで?何で?」

「うん?何でって…可愛かったから?」

「…………………は?」

何でそこで疑問形?とか思いつつも現実の私が一人そこで口籠る。そしてその約数秒後に訪れた動揺の嵐。……って、ちょっっっと待って!!だから止めてってそういう不意打ちな感じ!!まじ心臓に悪いから…!!

「き、黄瀬君…あのさぁ、何かやっぱり今日ちょっとへ、」

「よし決めた!やっぱ俺も最初の店のにする!行こっ、ナマエっち!」

「えっ…!?ちょっ、待っ…!!」

無視かよ!!久々に出たその不満は次の瞬間には消え失せる事となった。何故ならまたしてもサラっと普通に彼に手を奪われたからだ。正常な人間なら、ここで一目散に拒否を示すんだろうけど生憎今の私にそんな事を言ってのける力はない。ないっていうか…実はそんな事口にするつもりさえなかったりする。だって…そうは言っても相手は自分の好きな人だし…何よりそれ以上にその行動が嬉しかったりするし…うん。何かもういいや。今日の所は流れに身を任せよう。

「次のデートは、今日お互いに買った服着て行こうね」

「えっ…!?」

「うん?……え、なに。どーしたんスか」

「いや…あの、」

「うん」

「………………つ、次とか、ある、の…?」

「………………は?」

どぎまぎとしながら聞いたそれに、黄瀬君の長い足がその場にピタリと止まった。そしてその大きく切れ長な目が此方に向く。その表情は見るからに呆然としていて、それにまたしてもつられてしまった。……え、なに。それどういう意味を込めた顔?よ、読めん…

「…………ナマエっち、」

「は、はい…」

「いや?」

「……………は、はい?」

「俺とまたデートするの」

「……………えっ!?」

まさかの発言に目が点になる。い、嫌な訳ないじゃん!いや、てか寧ろ大歓迎だよ!そう言い聞かけて、ピタリと口の動きが止まった。………でも、そうだ。よくよく考えてみれば、今日のこの感じも、ましてや二人でデートしてる事自体にも可笑しいにも程がある。

………………だって、黄瀬君には。

「いや…、あの…その、」

「………………」

何でだろう。黄瀬君の顔が見れない。そしてこの沈黙も果てしなく怖い。彼がどういう意味を込めてこんな発言をしているのかが分からないし、そもそもどうして今日二人でデートに行こうと誘ってくれたのかさえも分からずにいるから。そんな事をぐるぐると一人悶々と考えていると、地面に俯かせていた顔にフっと影が被さって思わず顔を上に上げた。と、同時に次の瞬間、唇に柔らかい感触が走って一気に脳内はフリーズ状態となった。

………………………ん?

「行こっか。早くしないと売り切れちゃうかもだし」

「……………う、うん」

にしてもやっぱ休日の都心は人が多いっスねー!とか何とか言って、そのまま再び私の手を取った黄瀬君はニコニコと上機嫌に笑いながら前へ前へと歩を進めて行く。あぁ、うん。そうね。やっぱ休日は半端ないよね。とか彼に引き摺られるがまま歩を進めつつも口では冷静に相槌を打っている私だが、本当の所は絶賛大パニック中である。……って、そりゃそーだ。うんうん、ちょっと落ち着こうか自分。えーっと、確か数秒前に会話していた内容はこうだ。そうそう、何故か次のデートがあるかないかについてで。うんうん、そうそう。

………………………で?

「それ、で…?」

次の瞬間、やっとの思いで覚醒した意識をようやく現実へと生還させる事に成功した。が!でも生還してきた所でますます冷静ではいられなくなってしまった。あ、当たり前だ…!!だって…!!

「き、黄瀬君…!!」

「んー?」

なにー?語尾を伸ばして、わざとらしく相槌を返してくる黄瀬君の大きな背中に興奮も冷めやらぬまま大声で叫んだ。『今の、なに…!?』と。すると、彼は再びそこに足を止め、ゆっくりと此方に振り返ってこう言った。

「なにって…キス?」

駄目だった?そう言って、悪びれずに返事を返して来た黄瀬君はニヒヒ!と、まるで悪戯っ子のように屈託なく笑った。だから何で疑問形…!?とか思った私の声はまるで届かない。何故なら、その彼の発言によって、一気に羞恥心に包まれてしまい、そのまま馬鹿みたいに声を失ってしまったからだ。




「あ、ごめん黄瀬君。最後にちょっとこの店に寄っても良い?」

あれから無事にお互い狙っていたアイテムを手にする事が出来てホっとしたのも束の間、結局久々の買い物モードへとシフトチェンジしてしまった私は、ズンズンといつもの調子であれやこれやと様々なショップへと足を運び続けていた。そうは言っても自分一人だけの買い物じゃないから、途中途中で休憩やら挟みつつも自分なりに黄瀬君へと労りの言葉を投げ掛けていると、「俺の事は気にしなくて良いっスよ。ナマエっちとこうして二人一緒に居るだけで楽しいから」と彼は穏やかに笑うだけで、その言葉に正直拍子抜けしてしまう程だった。因みにさっきの事故(?)みたいなキスの事は敢えて何も考えないようにしようと一人心に誓ったのは彼には内緒だ。

「へぇー、良いっスねここ。シンプルだけどよく見たらどれもこれも凝ったデザインばっかでお洒落だし」

「でしょ?私も最近ここ見つけたんだー。この辺に来たら、絶対一回は立ち寄るアクセサリー屋さんなんだよね」

うんうん、ありあり。そう言って、店内をグルっと一周し始めた黄瀬君を遠巻きに眺めつつも私の口角は上がる。何か…うん、可愛いな。ただ単純に良い。とか一人そんな馬鹿みたいな事を素直に思う。と、そこで目の前に愛想の良さそうな女性の店員さんがニコニコと私の目の前に現れて「何か気になる物があればお気軽にお申し付けくださいね」と声を掛けてきてくれた。はい、と軽く返事を返してしみじみと目の前のショーケースに目が釘付けになっていると、「素敵な彼氏さんですね」と店員さんは引き続きニコニコと優しく微笑みつつも再び私へと声を掛けて来た。

「えっ…!?いや、あの…!別に彼氏って訳じゃ…!」

「そうなんですか?お二人が来店されて来た瞬間、とてもお似合いだなと思ったのでつい…」

そう言って、店員さんは目を細めてこっちが恥ずかしくなるくらいの眩しい笑顔でにっこりと笑った。嬉しいやら恥ずかしいやら、最早自分でもよく分からない感情で一杯になりつつも何かを誤魔化すかのように愛想笑いを振りまく私。そのまま目線を下げて直ぐに、ある一つのアクセに目が留まった。か、可愛いこのネックレス…!!

「宜しければつけられてみますか?」

その魔の言葉とも取れる店員さんの一言に当然一瞬戸惑った。当たり前だ、こんな物身に着けたが最後買ってしまうに決まってる。手持ちのお金だって今そんなに残ってないし、さてどうしたもんかと悩んでいるそこで、背後から誰かに包み込まれるかのようにショーケースの上に手をつけられては行く手を阻まれた。でも本当はそんな事思っても、もう誰が犯人かは分かりきっていたから、後はもう無駄にドキドキするしか選択肢は残ってないのがある意味悔しい。

「良いじゃん、それ。つけてみたら?」

「……っ、」

この男、わざとなのか何なのか。わざわざ耳元でそんな事を呟くから一気に顔に熱が集まってしまい恥ずかしさからか、そのまま床に視線を落としたまま固まってしまった。まるで最早嫌がらせですか?とか言いたくなる程無駄に距離が近い。まじで止めてほしい。しつこいけど心臓持たない…!

「い、良い…!だ、大丈夫…!」

「なんで?似合いそうなのに」

「良いから…っ!あ、すいません…また近い内に来ます!」

そう言って、そのまま勢いよく黄瀬君の腕を引っ張ってそそくさと店内を後にした。お店から出る直前、さっきの女性店員さんからの「またのご来店をお待ちにしております」とお決まりの挨拶を耳に聞き入れながらも私の心臓はバクンバクンと馬鹿みたいに早鐘を打ち続けていてハッキリとその声は聞こえてこなかった。

「勿体ない。絶対ナマエっちに似合ってたのに」

「あーもう…!だからそういうの止めてってば…!!変に勘違いしそうになるでしょ…!?」

「…………勘違い?なにが?」

「っ!!」

しまった!と思った。店から出て来て早々、ぎゃあぎゃあと喚く勢いでついつい口が滑ってしまった。そしてそのまま無かった事にしたかったけど最早それは誰がどう見ても手遅れである。…………ま、まずい。どうしようどうしよう。一体どうすればこの感じを誤魔化す事ができ、

PiPiPi…PiPiPi…

「………………」

「………………」

その時、黒の七分丈パンツのポケットに忍ばせているであろう黄瀬君の携帯が鳴り響いた。だけどそれでも黄瀬君はさっきと変わらずその場で微動だにしないまま、此方にじっと無表情を突きつける。思ってもみなかったチャンスに私はこれ見よがしに「早く出なよ」と彼を急かしてみたが何のその。まさかの完全無視である。え、まじか。これ話逸らせないパターン?え、まじで?

「き、黄瀬君…電話…出ないの?」

「うん」

「な、なんで…」

「電話より、今こっちの方が大事だから」

「……………」

その発言に対して、またしても胸がドキっと激しく波打った。何か…うん。やっぱり今日の黄瀬君、ちょっと可笑しい。いや…ちょっとっていうか大分可笑しい。だってやたらスキンシップが多いし、声が、表情が、態度が全部が全部普段校内で見かける彼の印象とはかけ離れ過ぎてる気がするから。………てか、そもそもさっき何故かキスされたし。そうだ…あれが一番ぶっちぎりで意味分かんない。

…………だって黄瀬君、先生は…?駄目じゃん、本命がいるのにそんな事したら…

「……………ナマエっち、俺」

「ないで…」

「…………え?」

何かを口にしようとする黄瀬君の言葉を遮って、つい思わず自分の口から言葉が溢れ出た。だけどその声は我ながら弱弱しくて、何でだろうとか一瞬疑問に思ったけど、でもそんな事は直ぐに結論が出た。

「わ、私のこと…っ、好きでも何でもないくせに…っ思わせぶりな態度とかしないで…っ!!」

「……………」


そっか…私、思わず泣いちゃう程今この現状が苦しいんだ…


「き、黄瀬君には…ちゃ、ちゃんとした本命がいるでしょ…っ…」

「……………」

「…っ、…もう、無理なの私…二人の応援とか…できないっ…」

「……………ナマエ、」

そう言って、いつものように黄瀬君の手が優しく私の頬に触れる。次々と溢れ出て来る私の涙を拭いながら、次の瞬間彼の大きな身体に包まれた。人目も気にせず強く強く抱き締めてくれる彼の腕の温もりを感じながら、私は心の奥底でこう思う。

『やめて。そんな風に優しく名前を呼ばないで。じゃないとまた勘違いしそうになる』

そう言いたくても声が詰まって上手く言葉にならない。始めから分かっていた筈だ。彼には本命が居て、でも彼自身その本命の事は自分の物には出来なくて苦しくて。だからそんな苦しんでる姿を救ってあげたくて、支えてあげたくて。始めはそれだけで良かった筈でしょう?まだ足りないの?まだ何かを求めてるの?一体どうすればいいの?ねぇ、誰か教えてよ。

PiPiPi…PiPiPi…

脳裏でそんな事を考える傍らに、未だ黄瀬君の携帯が大きく鳴り響いている。通り過ぎて行く通行人達は、一体何のドラマの撮影だと疑問を浮かべているようだった。って、そりゃそうだ…こんなの注目を浴びて当然だ。振りほどかなきゃ。そしてこの腕の温もりは一刻も早く忘れなきゃ。どうせもうただの友達には戻れない。そんな考えとは裏腹に私の腕は目の前に居る黄瀬君の大きな背中へと走る。おそるおそる伸ばし掛けたその時、今一番考えたくなかった人物の声ではっと我に返った。

「涼太…!!」

はぁはぁ…と大きく息切れをしながら、その人は黄瀬君の名前を大声で叫んだ。今現在、自分の目の前にあるのは黄瀬君の大きな胸板だから勿論その人の顔は一切見えなかったけれど、でもそれでもハッキリとそれが誰かなのかが分かった。

「……………何の用?いい加減電話しつこいんスけど」

そう言って、はぁと深い溜息を吐きながら私を包み込んでくれていた黄瀬君の腕はスルリと離れた。そして彼はそのままゆっくりと踵を返して、その目的の人物へと感情の無い視線を向ける。

「先、生…」

「………っ、………」

「………………」

その時。遠くで誰かが私を引き留める声が聞こえたような気がした。

『嵐がやって来る。だから今の内に早く逃げなさい』と。

そんな、声が。

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