黄瀬君への気持ちが増していく度に、自分自身に対しての言い訳が日に日に大きくなっていくのを一人実感していた。

『せ、先生は体育館には行かないんですか…?』

余計なお世話とは正にこの事だと思った。それでもあの時、何故か先生に対して様々な想いが駆け巡り、いてもたってもいられなかったのだ。彼が心待ちにしているのは自分ではなく、他の誰にも代わりは効かない彼女自身だと分かっていたから。

「ばっかみたい…」

親友と二人、肩を並ばせて歩きながらも、その帰り道自嘲気味に薄く笑みを溢した。自分が口にしたあの発言と行動は、かなりの矛盾で成り立っていたからに他ならない。好きなのに、報われない。だったらせめて彼が一番に幸せだと思える道を突き進んで欲しい。だからそんな全力な彼を傷付けないように、真正面から真っ直ぐに彼の気持ちを受け止めてあげて欲しい。そんな先生に対して綺麗事を吐く自分と、胸の奥底で邪魔な存在でしかない彼女を今直ぐにでも何処か遠くに追い払ってやりたいその気持ちで、あの時の私の心の中はゆらゆらと複雑に揺れ動いていた。

どれだけ恋い焦がれても、決してそれは実る事はない。どんなに側にいても、最後まで彼に近付ける事もない。そして行き場のない惨めなこの淡い恋心は、何処かで折り合いをつけるしかなく、何時か完璧に自分自身の中で完結を迎え、ただただ殺していくしかない感情。それを改めて気付かされた所で、ギュウ、と誰かに胸を鷲掴みにされたような感覚に陥った。

………一体私は、どこまで醜い女なのだろうか。





「あ、ナマエっちー!昨日はどーもっス…って、はぁっ…!?」

あの練習試合があった次の日から、私と黄瀬君の追いかけっこの日々は始まった。当然、そんな私と先生のやりとりがあった事なんて露知らずな彼からしてみれば、何故急に自分を避けるのかさぞかしちんぷんかんぷんな事だろう。だがすまん、私逃げる…!てか今は無理!と、頭で考えるよりも先に身体は勢いよく180度逆を向き、そしてここぞとばかりに逃亡を図る。

「ちょっと待っ…!ナマエっち…!?」

多分…てか絶対に彼が本気を出して私を追い掛ければ即座に腕を掴まれて逃亡は失敗に終わる事だろう。それでもある意味空気が読める黄瀬君は、決してそれ以上は無駄に追い掛けてきたりはしなかった。それに地味に感謝しつつも一度も振り返る事はなく、毎度毎度恒例の如く私はここぞとばかりに彼の前で逃亡を繰り返した。どうやらそんな私の奇怪な行動は瞬く間に校内中に噂は広がり、遂には「あの二人、とうとう別れたらしい!」ともっぱら話題はそれで持ちきりだった。

「何で避けてるの?黄瀬君のこと」

ズズーっと、冷めた目つきでバニラシェイクを啜る目の前の友人の表情に顔が引き攣る。それに逃げるようにして、この前新発売されたばかりのマジバのシャカシャカポテトに手を伸ばして咀嚼すると、その予想以上に美味しい味に感銘の声を挙げた。胸に手を当てて、一人ジーン!と感傷に浸っていると、「ちょっと!聞いてんの!?」と、友人が勢いよくテーブルの端に拳を振り落とす。

「は、はい…!聞いてます!」

「よろしい。じゃあ早く、彼を避けている理由を述べなさい」

うむ、とでも言うように偉そうに首を縦に振って頷いた友人は、手にしていたバニラシェイクを置き、その場で腕を組んだまま私へと答えを急かした。だが当然の様にそこで私の勢いはピタリと止まる。当たり前だ、だってほら…説明しにくい。し、何よりこんな大きな秘密を誰かに広める訳にはいかないのだ。

「いや…別に。な、何となく…?みたいな」

「はぁ…?何となくであんたは黄瀬君を避けてるわけ?な訳ないでしょうが」

「あー…うん、まぁ…その、」

「何が一番の原因?彼自身?それとも、あんた自身の問題?」

「……………」

平日の放課後。ガヤガヤと騒がしい店内に、私と友人の周りだけ冷え切った温度が辺りに散らばっている。それを確かにはっきりと感じつつも、一人ぐっと口を噤む。もう何年も前から親友である彼女に嘘は通じない。それを分かった上で、私の脳内はどうやって彼女の意識を他に逸らしてやろうかとあれやこれやとグルグルと考え込んでいた。……ま、まずい。良い案が思い浮かばない。

「ど、どっちかというと…私自身…の、問題ですかね…」

「あっそう。なら何に対してあんたは悩んでいるのかしら?」

「いやぁー…そ、それが分かったら苦労はしないというか何というか…!あははは!」

「あははは!…じゃないわよ!誤魔化しても無駄!」

「は、はいぃ…っ!」

鬼だ!鬼がいらっしゃる…!そんなアホな事を考えつつも、目の前の彼女に対してビク!と肩を竦ませては威勢の良い返事を返す。どうやらそんな私の様子に、彼女は何かを察したらしい。「まぁ、言いたくないなら別に良いけど…」と、躊躇いがちに大きな溜息を吐いては、再びテーブルの端に置いてあるシェイクに手を伸ばし、ズズーっと気怠そうにそれを啜った。

「あんたが何でそんなに彼を避けてるのかは知らないけど、黄瀬君。……彼、私を捕まえてまでもその理由を私に聞いてきたのよ?」

「…………え?」

「あんたが今日昼休憩に購買にパンを買いに行ってた時。…彼、落ち込んでたよ。あんたに避けられて」

「………………」

何があったのか知らないけど、さっさと彼とゆっくり話しなよ。

そう言って、友人はまたもや大きな溜息を吐いては困ったように眉を下げその場に肩を落とした。よくよく考えてみれば、彼女の方がかなり複雑な想いと戦っているのかもしれない。だって自分の好きな相手には他の女の話題を持ち掛けられ、挙句の果てにはその渦中の人物(つまり私)に話題を逸らされる…てか、何一つ理由は明かして貰えない。…と、いう訳でして。

「なんか…ごめん。迷惑掛けて…」

「そう思うんなら、明日にでも黄瀬君と仲直りしなよ」

「うん…分かった。…でも別に喧嘩はしてないけどね」

「うるさい、どっちでも良いわそんなの」

ごもっともな意見を頂戴して、そこで大きく唾を飲み込んだ。さて、本当にこれからどうしようかと、そんな事を考えつつもテーブルに頬杖をつき、窓の向こう側へと無意識に視線と意識を逸らしては、彼女にバレないように、はぁと深い深い溜息を吐いた。





「…………って、本当にどうする私」

次の日の10分休憩の狭間。私は前に黄瀬君によって無駄に強く抱き締められた現場、2階の廊下の端っこにて、大勢の友人達とそこでわいわいと屯っている黄瀬君の姿を確認したと同時に、壁に身を潜めるかのようにそこに居た。そもそも、何故私がこの前からずっと彼を避けているのかというと、その理由は単純且つ簡潔な理由から来るものだった。

「………もう無理なんだよね。二人の応援をするのは」

そう、残念な事に彼を避けている一番の理由はそこにある。ていうか、もはやそれしか思い浮かばなかった。この前の練習試合を観に行った日の帰り、ふと思ったのだ。『もうこれ以上、あの二人の恋路を心から応援する事は出来ない』…と。恥ずかしい事に、前から彼がバスケ部のエースだと知ってはいたが、でもかと言って、それまで全く彼に興味が無かったせいか今まで一度だって黄瀬君のプレイを目にした事は無かったし、(練習を待ってた時でさえ見た事なかった)まさかの予想外で完璧且つ鮮やかなゴールプレイに目を奪われて、普段の彼とは違う良い意味でのギャップに胸キュンしまくり、以前にも増して更に自分の中での彼への想いが膨らんでしまったのだ。それによってそこではっきりと確信した。

『彼の事を誰よりも一番に独占したい。そして誰よりも一番、彼の側に居たい』と。

そんな我儘で自分勝手な想いに駆られたと同時に気付いてしまった。でもそれは、決して叶う事はない、身勝手な願いなのだと。だったらさっさとそんな想いは胸の奥底に閉まって、取り敢えずの所は自分の気持ちが落ち着くまで、彼とは関わりを持つのは止めにしようと決意して今に至るのだ。

「やっぱり…今日の所は一旦保留にし」

よう!と少し遠くに居る黄瀬君の姿を確認して早々、一気に怖気づいた私が胸に誓ったその時。まさかのとんでもない事件が発生した。

「げっ…!?」

そう、何故かそこに置いてあった空の空き缶を踵を返したと同時に勢いよく蹴り上げてしまい、そしてまたそれはカンカン!カーン!と、何とも質素な音色を奏でつつも黄瀬君達が屯っている場所まで飛んで行ってしまったのだ。………ま、まずい…!!

「……………ナマエっち?」

「!!」

バ、バレた…!!そう心の中で叫ぶ。って、そりゃそうだ。あれはバレる以外の何者でもない。つーか、何でここに空き缶が置いてあんの!?誰だよ!こんな所にポイ捨てした奴は!ゴミはちゃんとゴミ箱に捨てなきゃ駄目でしょ!?とか、そんな事を考えつつも久々に間近で聞いたその透き通った声にビク!と肩を竦ませてはおそるおそる後ろに振り返った。

「……………」

「……………」

その場に居る全員分の時が止まるとは、正にこの事を差すのだと思った。そしてそこに存在している人間が思わず息を呑む程の静けさを纏いつつも、そのまま沈黙は約数秒間続いた。そんな中、誰よりも一番に反応を示したのは何を隠そう、この私だった。

「お、お邪魔しました…!!」

「……あ!ちょっ…待ってナマエっち!!」

いや待たん!そんな事を心の中で盛大に返事をしつつも、私は勢いよくその場にて踵を返しいつものように逃亡を図る。所謂猛ダッシュ!って奴をかました私の走り方は興奮も伴って、きっととんでもないフォームで全速力で走っているのだろう。気持ち悪い事この上ない。だが、今はそんな事を考えている余裕はなかった。

「ちょっと待ってって…!!ねぇ…!ナマエっち…!!」

「ごめん…!止まりたいのは山々なんだけど何せ足が止まらないし、やっぱ今はまだ無理…!!」

「はぁっ…!?」

大勢の生徒達で賑わう廊下内を、風のように横切って行く私と黄瀬君の二人。てか!何で今日に限って全力で追ってくるの…!?いつものように放っておいて欲しいんだけど…!てかどっか隠れる場所とかないわけ…!?

「あーもう…!!取り敢えず此処でいっか…!」

縋る思いで飛び込んだその先は、たまたま近くにあった空き教室だった。ナイス!ここに入る直前に勢いよく進路変更をして、その際にそこにあった壁によって自分の身体は一瞬遮られて見えなかっただろうから恐らく彼にバレる事はない。コソコソとまるでコソ泥のようにそこに身を潜め、そのままドアに縋りつくように背をつき、ふぅ、と深い深呼吸をしては気持ちを落ち着かせる事に集中した。

「はい、みーっけ。てか、本気出した俺がナマエっちに追いつけない訳ないっしょ…」

「!?」

と、思ったのも束の間。後方のドアが勢いよく開いたと同時に聞こえてきた聞き覚えのあるその声。「ヒィ…!!」と、突然の黄瀬君の登場に肩を竦めては、そのまま無意識にズルズルと黒板に向かって後方に下がり続けた。はい、そこでお決まりのように壁に激突。い、痛い…またこれか…!

「んで?」

「えっ…」

「なーんでこの前から俺を避けてるのか、そろそろその訳を聞かせて貰いたいんスけど?」

「!」

ニコニコと、意地の悪い笑みを浮かべた黄瀬君が徐々に徐々に私との距離を縮めてくる。その不気味な笑顔を前に思った。誰が落ち込んでたって…!?いや全然落ち込んでないけど!?全然楽しそうで元気そうだけど!?とか思ってる間に、彼の長い両腕が私の横の壁に勢いよく手を付き、所謂鳥かごに閉じ込められた小鳥の状態と化した私。こ、こんな時の壁ドンってシャレにならない…!

「ち、近い…!近いですけど!!」

「だーって、こうでもしないとナマエっちまた俺から逃げるっしょ?」

「に、逃げない逃げない…!だからお願いします!ちょっと離れて!そして距離を保って…!」

「あー無理無理、諦めて」

「はぁ…っ!?」

何が諦めてだ!とか何とかかんとかそんな事を思う私を前に、黄瀬君は眉を下げたまま、はぁ、とそこで何故か大きな溜息を溢した。何の溜息だよ…!こっちがつきたいわ!

「………もー、やっと捕まえた。まじ何なんスか急に…俺何かした?」

「えっ…」

「柄にもなく落ち込んでたんスよー俺。てか、こんなにも女の子に全力で避けられたのは初めての経験っス…」

「…………」

「ほんと、ナマエっちって行動が読めない女っスよね…」

そこでまた盛大に大きな溜息をついた黄瀬君は、片方の腕を自分の首元へと伸ばし、制服のネクタイを緩めては「まじそういうの、勘弁して欲しいんスけど…」と、力なく声を発した。……か、格好良い。って、そうじゃなくて…!

「………ご、ごめん」

「いや、別に謝って欲しい訳じゃないんスけど…だから理由を聞かせてよ」

「……………」

「なに?もしかして、俺のファンの子達から何か変な嫌がらせでもされた…とか?」

「……………」

だとしたら、ごめん。何処のどいつっスか?と、何にも口にしないそんな私の行動が彼の中で確信を得たのか、次から次へと黄瀬君は犯人探しに夢中になっていた。そんな彼の姿を前にぼんやりと思う。……先生も、こうやっていつも彼に追われたり、そしてまた心配して貰えたりしているのかな…と。

「…………ナマエっち?」

「……っ、」

「なんで泣いて…えっ!?俺また何か余計な事言った…!?」

ふと過ったその考えが余りにも切なくて、つい思わず溢れ出た涙を拭っている私に、あたふたと慌てふためいた黄瀬君が両腕をブンブンと左右に振っては焦りを含んだ声を挙げる。そんな彼に申し訳なくて、それを振り切るように左右に頭を振っては違うと、彼に対して何度も何度も否定の言葉を繰り返した。

「…………まじどーしたんスかナマエっち。らしくないっスよ…」

「…っ、ごめ…、ごめんね…!」

「……………」

止めたいのに、ボタボタと、拭っても拭っても涙はとめどなく溢れ出て来て、そんな情けない自分の姿に落胆する。えぐえぐと、まるで玩具を奪われて泣いている子供のように、ただそこで泣きじゃくっている私を前に、黄瀬君はその言葉以降何にも反応はせず、ただじっとそこで私の顔を無言のまま見つめていた。

「…………ごめん、ナマエっち」

「……っ、…え…?」

「何か知んないけど、ちょっと止まんないっスわ…」

「……………は?」

そう言って、ようやくそこで反応を示した黄瀬君からの発言に私の涙はピタリと止まった。そして次に気付いた時には、その彼の大きな身体に強く抱き寄せられていると気付く。互いの息遣いが鮮明に分かる程その近い距離に、彼の肩に頭を乗せられた際にキラリと見えた左耳のピアス。その隙間から見えた彼の襟足の髪が何だか色気が凄くて、そしてまた胸が苦しくなるほどトキめいてしまって。……あぁ、もう。完全に末期状態だな私…と、一人ぼんやりとそんな事を思った。

「…………ナマエっちの泣き顔。可愛いけど、でもどっちかと言うとやっぱり笑ってる顔の方が好きかな…」

「きせく…」

「ナマエ、」

その耳元で囁かれた彼からの突然の名前の呼び捨てに、目を丸くしてピクリ!と小さく肩が跳ねた。そのままそっと自分の身体から私を引き離した黄瀬君は、少しだけ困った顔をしつつも、此方に向かって下から覗き込むように私へと視線を向けた。

「………何で泣いてるのかは知らないけど、俺の前では無理だけはしないで」

「…………っ、」

「ナマエが完全に泣き止むまで、離してやんねぇから…」

そのいつもとは少しだけ違う、男らしい口調と発言に、一瞬だけ止まっていた筈の涙がまたしても勢いよく溢れ出てきてしまった。それを目にした黄瀬君が口の端を上げては目を細め、そして穏やかに笑う。そのまままた強く腕を引き寄せられて、その大きくて鍛え上げられた腕の中へと私の身体はすっぽりと収まった。

「………あともう、俺の事避けるのは禁止ね」

「………きせく、」

「返事は?」

答えを急かすように、ポンポン、と2度私の背中を軽く叩いた彼に、上下に頭を強く振ってはそれに応えた。「よし、じゃあー存分に泣いて良いっスよ!」と、いつものようにくだけた口調に戻った彼は、ヨシヨシと言いながらも、何度も何度も優しく私の頭を撫でてくれた。

「……本当、放っておけない女っスねぇ…ナマエっちは」

そう言って、困ったように笑う彼の身体に縋りつき、その逞しい背中に腕を廻しては彼の温もりに全てを委ねた。それに大きな安堵感を感じつつも、ふと心の奥底である一人の女性へと謝罪の言葉を向ける。


……………ごめんね、先生。でも今だけは…どうか私だけが彼を独占する事を許して。


そんな事を繰り返し心の中で叫んでは、ただただ目の前にある温もりを肌で感じ取り、そうしてまた擦り寄るように彼の腕の中でわんわんと馬鹿みたいに泣いた。黄瀬君はそんな私の全てを受け止めるかのように、引き続き何度も何度も頭を撫でてくれては、途中やんわりと私の身体を自分の腕から引き離し、そうして両方の親指で私の涙を優しく拭ってくれては、「ナマエ、」と何処か苦しそうな表情で私の名前を繰り返し呼んでいた。その声が、動作が、全てが優しくて、またそれに泣けてきて。

……あぁ、本当にどうしようもない程、私は彼に溺れているんだな。

と、その時改めて自分の気持ちを再認識して、胸が張り裂けそうな程苦しい想いで一杯になった。そしてそのまま自分は、その切ない感情に一気に押しつぶされてしまうかもしれないなと、本気でそんな馬鹿な事を思った。

prev next
TOP

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -