どうやらここ最近、私の様子は可笑しい。


「ナマエっち、食べないんスか?」

「……………え?」

ぼんやりと食べ掛けのパンを手にしたままの私に、前方に座る黄瀬君の顔がドアップで登場したその瞬間、「うわっ!」と、一気に勢いよく後ろに仰け反った。その大げさなリアクションにクラス中から一斉に注目を集めてしまい、おかげで恥ずかしい思いを味わう事となってしまった。

「あはは!何してんスかまじで。ほら、さっさと食べないと午後の授業が始まるよ」

「………う、うん。そ、そうだね」

「あ、全部食べ切れないなら俺が半分食べてあげよっか?なーんて、」

「いえ!結構です!拙者一人で全部食べ切れるゆえ心配無用!」

「………そうでござるか」

何故に武士語!?我ながら意味不明な返しである。そしてそれに対して、若干引き気味でもサラッとノってくれた黄瀬涼太は神対応かよ、っていう。って、そんな事どうでもよくって。そう、この通りここ最近の私は可笑しいのだ。主に黄瀬君の前限定で。

「あー…もう、何でこんな事になるかなぁ…」

「?なにがっスか」

「あ、いーのいーの。こっちの話。気にしないで」

「はぁ…そーっスか」

「うん」

わざわざこうしてこちらを気にしてくれてるのは有り難いが、正直こうなってる原因が目の前に座る彼のせいだから余計なお世話だよって言ってやりたいのを我慢して机にバタっ!と倒れ込む。ウダウダ文句…ってか自分に対してこじらせ続けているある一つの疑問は一向に晴れてくれそうもない。って、そりゃそうだよな。だってもう半分自分の中で答えが出かかっているんだもん…嘘だ、でもまだ絶対認めたくはない。

「はーい、みんな席についてー!午後の授業を始めまーす」

ガラ、と教室の扉が開いて生徒達はノロノロと自分の席へと戻っていく。勿論、わざわざ教室の端から端の私の席の前まで移動して来ていた黄瀬君も一言挨拶を残して自分の席へと戻って行った。食事を済ませる事より自分の疑問を脳内整理する事を優先させてしまったせいで、おかげで私の昼食はパン一個半で終了となった。まぁ別にそんなにお腹減ってなかったから良いんだけど。

「じゃあ前回の続きからです。教科書84ページを開いてください」

鞄の中に食べかけのパンの袋を閉まった所でふと黒板に目を向けた瞬間、思わずギョっ!と心臓が飛び跳ねた。何故なら今淡々と授業を教えている人物こそあの黄瀬君の禁断の相手、女教師だったからである。ドク、ドク、と早鐘を打ち続けている私とは真逆で、チラッと視界に入れた黄瀬君自身はさも興味なさそうに、ぼんやりと窓から校庭を眺めていて退屈そうに授業を受けているようだった。因みにこのシチュエーション、別に特段珍しい事ではなく、週に何回かはある光景である。それでも今まで大して興味なかったくせに、あの野活以降私の様子は可笑しい事となっているのだ。


『でも俺、ナマエっちの顔を見たかったのは本当っスよ』


…………原因は絶対あの時だ。いや、寧ろあれしか思い当たる節がない。面倒な事に、別に初めて抱きしめられた訳じゃなかったのに(というか1回目なんてただの嫌がらせだったし)何故かあの時ふと黄瀬涼太は男なんだと再認識してしまったのである。………あぁ、今思い出しても穴があったら入りたい。んでそこで一生体育座りをしたまま殻に閉じ籠っていたい。そのぐらい今思い出してもあの時の自分は異常な程意識しまくってた、ような気がする。ねぇ、誰か嘘だと言ってくれ。

「先生ー!質問でーす!俺ずっと思ってたんすけど、先生って彼氏とかいるんですかー?」

バッカ!お前何聞いてんだよー!そう言って授業とは全く関係のない質問をし始めたある男子生徒に便乗して、「でもそれ俺らもずっと気になってましたー!」と他の男子生徒達も口を揃えて同じ質問を繰り返した。その瞬間静かだった教室内が一気にガヤガヤと騒がしくなり、教壇に立ったままの先生も驚きを隠せないのか少し困った顔をして戸惑っているようだった。

「………くっだらない」

そんな中、こういう如何にもTHE学生!的なノリが一番苦手な私は再び机にうつ伏せになり、ボソっと一人感想を述べた。そして無表情のままポケットの中に忍ばせておいたスマホを取り出しLINE画面を起動する。

『ちょっと、あんたこの状況助けなくていいの?』

余計なお節介だとは思ったが、一応念のため黄瀬君に疑問をぶつけてみる。

『別に子供じゃないんスから、いちいち俺の助けなんて必要ないっしょ』

『でも彼女困ってるよ?いいの?』

『だってここで変に彼女を庇って後々面倒な噂とかたてられたりしたらダルいじゃん』

『ダルいってあんた…冷たい男だね。本当に先生の事好きなわけ?』

『だったらそんなに気になるんならナマエっちが助けてあげたら良いんじゃないっスか』

複数回、彼とそんなやりとりを繰り返してみたがどうやら本人の決意は固いらしい。まぁ、その気持ちも分からなくはないけどね。誰だって面倒な事には巻き込まれたくないもん。てな訳でそこで返事を返すのを止めて今度こそ授業が再開するまで狸寝入りを決め込む事とした。おやすみ。

「ほらほら、今は授業中よ。プライベートな話はまた今度ゆっくり違う場所で話すから」

「えー!?でも俺らずっと春から先生の事可愛いって言ってたんすよー!」

「そうそう!だからお願いー!彼氏いるかいないかだけでも教えてー!」

「いや、でも…」

「な!黄瀬!お前もその辺気になるだろ?」

「………………は?」

そのやりとりのおかげで、良い感じに睡魔に襲われ掛けていた私の脳はハッキリと覚醒した。パチ、と瞼を開いて体勢を整え渦中にいる黄瀬君に対して視線を向ける。

「いや〜…俺はどっちでも…ってかあんま興味ないけど」

「バッカ!嘘つけよお前ーこの前俺らと一緒に先生の事可愛いって言い合ったじゃねぇか!あの日々を忘れちまったのか!」

「………あー、はいはい。そうだったっスねぇ…いやでもまぁそれはそれ、これはこれだし…」

「因みに先生ー!生徒は恋愛対象に入りますかー?あー…そうだな。例えばこの海常一の美形君、黄瀬とか!」

「「えっ…!」」

もう男子達いい加減止めなよー!そう言ってクラスの女子生徒達が止めに入る中、私は一人その二人のハモりを聞き逃さなかった。

「どーなんすかー先生ー!」

「教えて教えてー!」

どんどんヒートアップしていく男子達の冷やかしに、ゴゴゴ…と私の中で黒い何かが渦巻いていく。そして次の瞬間、自分でも予想してなかった程の大声と激しい動作音がバン!と教室内に響き渡った。

「あのっ先生!!さっきからお腹が痛くて死にそうなんで出来れば一緒に保健室まで付いて来て貰っていいですか!」

仮病の定番中の定番。そんな常套句を引用して出てきた台詞はシーンとしたこの教室内全体に行き届き、立ち上がったと同時に机を叩いた私の両手は今頃ジンジンと赤くなっている事だろう。でもそれしか手段がなかった…というか思い浮かばなかったから仕方がない。わざわざ仮病だと周囲にはバレバレの癖に片方はお腹へ、そしてもう片方は挙手とした形でプルプルと私の右手は空を彷徨っているのが何とも情けない。

「先生、俺がミョウジさんを保健室まで連れて行きます」

そんな重苦しい空気の中、サラリと助け船を出してくれたのは黄瀬君だった。その行動にビックリして俯かせていた顔を上に上げる。すると既に自分の席から離れていた彼はこちらにゆっくりと近付いて来ていて、「平気?自分で歩ける?」と言いながら私の頬にそっと指を滑らせて顔を覗き込んできた。

「な、なんで…」

「シっ…良いから」

よっ、そう言って軽々と私の腰と足を持ち上げて所謂お姫様抱っことやらをしてくれた黄瀬君は、「じゃ、連れていきまーす」と、ニッコリと王子スマイルを振りまいて教室を後にした。





「ありがとう、助けてくれて」

あれから死ぬほど恥ずかしい想いをしながら無事保健室へと運ばれてきた私は、幸い保健担当医は不在だった為、もう一度無駄に仮病のフリをしなくて助かった。そして着いて早々黄瀬君にお礼を言いつつもその場に深々と頭を下げる。

「何言ってんスか…助けられたのは俺の方だし。ナマエっち、本当に助かったっス!ありがとう」

「いや別にあれは…」

「おかげで面倒な事にならなくて良かったっスよー。もー何であいつらあんな面倒なノリとかするんスかねー…正直ほんっとにウザかった…みたいな」

「うん…だろうね」

「にしてもあいつも困った顔してたなー…ははっ、今思い出しても地味に笑える」

「……………」

そう言って口にした割に彼の表情は固かった。そしてその言葉は嘘なんだろうな、とぼんやりとそんな事を思った。

「…ねぇ、もう大丈夫だから私。ご覧の通り見事なまでの仮病な訳だし、後は一人で過ごせるから先に教室に戻ってていいよ。ごめんね」

「嫌っスよ…俺もこのままナマエっちと一緒にサボる」

「……………」

「あーあ、何かもう何もかもが面倒臭いっス!」

まるで何かに訴えかけるように保健室のベッドに勢いよく倒れた黄瀬君は、眉を下げ、困った表情をしつつもそっと瞼を閉じた。何となく勝手に乗り遅れた感がある私も負けじともう一つのベッドに倒れ込み、彼と隣りあわせで同じようにそっと瞼を閉じて「そうだね」と、静かに相槌を打った。

「………ねぇ、」

「ん?」

「先生の何がそんなに好きなの?」

「あー…何スかねぇ…不明」

「絶対嘘じゃんそれ…やっぱ顔とか?」

「あはは、顔かー…まぁそれも間違ってはないスけど、ぶっちゃけ顔だけで言ったらナマエっちの方が綺麗でしょ」

「わざわざお世辞をどーも」

「お世辞じゃないっスよ」

「嘘だ」

「ほんとほんと!この目を見て!」

「……………うん、嘘だね絶対」

「なんで!」

暫くゲラゲラとお互い笑いあいながらそんな穏やかな時間が過ぎていった。そして急にガバっ!と勢いよく上半身を起こした黄瀬君は、「そういえば!」と言いつつもそのまま隣のベッドの私まで抱き起こし、そして私の両肩を強く握り締めながら興奮気味に彼はこう言った。

「来週の日曜日、うちの学校で練習試合があるんスよ!ナマエっち、是非見に来て…ってか応援しに来て!」

「練習試合…?あぁ、バスケ部の」

「そうそう!バスケ部の!」

「別に良いけど…でも何で私?先生は?校内だったら別に怪しまれる事とかないから彼女呼べばいいのに」

「いやー…だって俺さっきとかかなりダサい所ナマエっちに助けられちゃったし…格好つかない、っていうか…」

「いや別にだからそれは…」

「てかそもそも俺ってナマエっちに良い所とか見せてない気がするんスよね。見せてるとしたらゲスい部分とかヘタレな部分とかしかない気がするし」

「うん、確かに」

「はやっ!即答っ!」

そう言ってまたいつものくだらないやりとりを繰り広げながら、つい可笑しくて出てきた涙を拭う。真正面に座る彼もまた、同じようにケラケラと笑いながら指で涙を拭っているようだった。

「ね?じゃー決まりっ!待ってるから!」

「いやー…うん、まぁ別に良いけど。でもそんな事したらうちらまた変な噂が回るよ?いいの?それで」

「あはは!何を今更気にしてるんスか。だから勝手に言わせとけば良いんスよーあんなの。そもそもそうなる噂を出させた原因は俺なんだしさ」

「そ、そうだけど…!でもだって…絶対先生の耳にも入ってると思うからさ」

「…………あー、なるほど」

合点がいった、とでも言うように床に視線を落とした彼は、ぼんやりとした覇気のない顔で、はぁと小さな溜息を吐いた。そしてそれと同時に私は自分で自分の性格の悪さに落胆する。


『ナマエっちのかーお、顔!見たかったんスよ。無性に近くで』


…本当はこの前の野活から気付いていた。彼が何となく元気がない事に。そしてその原因も分かっていた。自分と彼との根も葉もない噂で彼女と揉めたんだろうな、って。分かってて私は今こんな残酷な質問を彼に投げかけているのだ。あぁ、何って性格が悪いんだろう。そしてそれ以上に、彼の中で大きく存在し続けている先生のポジションが堪らなく羨ましいと思う反面、邪魔だとさえ感じ始めている。つまり、それは…

「わざと、なんスよ。俺がこんな事してるのって」

「……………え?」

その言葉で一気に現実へと戻った。まぁ、故意にしてるのは始めからナマエっちにはバレてたと思うけどね。そう自嘲気味に笑いながら黄瀬君は淡々と私に説明をし始める。

「あの女、俺以外にちゃんとした本命がいるんスよ」

「………え、」

「でもそれでも良いって言って、無理矢理関係を始めたのは俺の方からなんスけどね」

「……………」

「笑えるっしょ?ただの当てつけなんスよ、俺が今してる事って」

そう言って、いつもの完璧な王子スマイルで彼は寂しさを覆い隠すように笑った。別に無理して笑わなくても良いのに。別に泣いてくれても良いのに。そこまで考えてふと気付く。あぁ、そうか。それを見せる相手はきっと、私じゃないんだ。

「………応援、行くよ」

「え?」

「応援、行く。…絶対行く。絶対絶対ぜーったい行く!」

「…………ナマエっち」

「だから絶対絶対勝ってね!私応援するから!黄瀬君は一人じゃないから!」

「………うん」

ありがとう。そう言って、ようやくいつもみたいに穏やかな顔で笑ってくれた彼は、泣きそうになり掛けていた私の頭をヨシヨシと優しく撫でた。どうしてエールを送る筈の自分が、逆にこうして黄瀬君に励まされているんだろう。どうして助けてあげたいのに、いつもこうして助けられるのは自分の方なんだろう。

「強くなりたい…」

「うん、俺も」

その言葉のお互いの意味合いは、多分きっとそれぞれ違うんだろうな、とぼんやり思った。でもそれでも今は何となくそれで良いような気がした。始めは関わらないように注意深く遠くから彼を眺めていた筈なのに、気付けばある意味誰よりも近い場所で彼に関わりたいと思い始めている。そして側で支えてあげたい、とさえも思い始めていて、そんな自分は自分じゃないようで少し戸惑う。でももう隠しようがないから。だってもう答えは出てしまったから。


『だって、ナマエっちは俺みたいなタイプ苦手でしょ?』


……苦手だよ、こんなに切ない恋なんて。


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