ブラックボックス

息苦しさと気だるさに不快感を思い出し、ヒサナは目を覚ました。
喉は貼り付くようにカラカラで、全身ベタベタして気持ち悪い。
ヒトの身とは不便なものだと身を起こしながら、襦袢だけ腕を通した己の姿を見た。

「起きました?まだ夜ですので寝ていてくださって構いませんよ」

声のする方へと振り返れば、鬼灯が机に向かって何か書き物をしていた。
元気だなぁと上手く働かない頭でそんな事を考えるが、ヒサナはやっとここが鬼灯の私室だと理解する。
いたしていたのは執務室だったと思うのだがと、ぼんやりと鬼灯を見つめたまま考えていた。

「ヒサナ?起きてます?」
「…多分」

呆けていたからだろう。
ヒサナの覇気のない様子に鬼灯が問いかけてきたが、鈍痛を訴える腰が煩わしくて、ヒサナは再び寝台へと背を倒す。
先日の比ではないが、痛いものは痛い。
枕の位置へと頭を動かすと、大きく息を吐ききった。

「大丈夫ですか?」
「そういうこと聞くなら、しないで下さいよ」

誰のせいだと、椅子からこちらを伺う鬼灯をじろりと睨む。
鬼灯は椅子から腰をあげ、ヒサナのいる寝台へと近付いた。

「怨念を増幅させるのは、体に良くないでしょう」
「まだそれほどじゃなかったくせに…!」

毎回これでは下手な事は何も出来ないと、ヒサナは鬼灯に背を向ける。
それだけでも腰が痛み、身がもたないと呻いていると、寝台が僅かに軋んで後ろに傾いたので、鬼灯が背後に腰かけたことがわかった。

「仕方ないじゃないですか。ちょっと手を出すつもりが、あまりにも必死なヒサナが可愛くて止められませんでした」
「何にも仕方なくないです」
「ちゃんと私の好みも聞いて頂いていて」
「もう、その話題はいいです…」

やめてくれとヒサナは枕に額を埋める。
鬼灯に着物を暴かれた時に、開口一番に下着をつけていることを指摘された。
着けていなかった際に指摘された時の事はよく覚えていないが、着用していればこれはこれで別の恥ずかしさが沸き上がる。

「最終的には取り去りますので手順が増えるだけなんですが、包装紙と用途は同じですよね。目で楽しませてくれます」
「…いや、違いますよね。見せる取るの前提で開発されてないと思います」
「近頃のはそういったことも考えられていますよ。勝負下着とかあるでしょう」
「へぇ…」

さして興味なさそうに返事をすれば、目の前に鬼灯の手が伸びてくる。
上半身を捻って振り返れば、両腕をついて見下ろしてくる鬼灯と目があった。
あ、口付けられるなぁと瞬きをした時には、既に鬼灯の唇が軽く触れていた。
遅れてきた恥ずかしさに、寝返りをうって赤くなった顔を隠せば頭を撫でられた。

「変態…」
「いたって健全な雄の行動ですよ」
「盛りのついた猫」
「白澤さんの話は知りませんでしたからね。話して下さっていればこんな事にはなりませんでしたよ」
「話しても手出されそう…」
「否定はできませんが」
「して下さいよ。否定」
「直後にご報告頂けるのと、隠されていた時間が加算された報告では程度が異なります。手を出す度合いも変わりますよ」
「ば…いや、もうなんでもいいです」

終わりなき押し問答が続く…ならまだいいが、また力づくで強制終了されてはたまらないとヒサナは言い足りない口を渋々閉じて更に顔を枕に押し付ける。
その様子から察したのか、寝台に乗り上げヒサナの白いうなじに口付けを落とした鬼灯は彼女の赤くなった耳元へと唇を寄せた。

「ヒサナが、私を嫉妬させたのがいけません」

直接耳に吹き込まれた鬼灯の低い低い声が、鼓膜に響いてぞわぞわする。
ヒサナは逃れるように耳も枕に埋めれば、笑ったような小さな息遣いが聞こえて反対のこめかみに軽く口付けられた。
慌ててこれ以上隙を見せまいと仰向けになるが、また唇に軽く触れられる。

「…っ鬼灯様の声、低くてぞわぞわするので耳元で言わないで下さい」
「誉め言葉と受け取っておきます」
「うぅ…それに何ですか今日、キス多いですね」

さっきからさっきから。
この短時間にやけに触れてくると、ヒサナは指先で自身の唇に触れた。
しかし鬼灯の手が伸びてきてその手を取られたと思えば、指先も鬼灯の唇にあてがわれた。

「…だから…っ!」
「何ででしょう…無意識でした」

ちゅっと口付けられて解放された手を、ヒサナはもう片方の手で包み込む。
鬼灯はその指先を視界にとらえたまま、黙り込んでいた。

「鬼灯様?」
「…話してない話題ついでに、一つお話よろしいですか?」

改まった様子で視線を上げる鬼灯に、ヒサナは無言で頷く。
何の話だろうか。
内の気からも、真剣なその瞳からも何も読み取れない。
鬼灯がヒサナの上から退いて寝台の端に再び腰かけたので、ヒサナも身を起こそうとすれば手で制された。
鬼灯はその制した手でヒサナの頬を撫でると、静かに口を開く。

それは数時間前に遡り、昨日リリスを空港まで送った時の話だった。





「変化した鬼火を見たことがありませんが、彼女は私の怨気の質で昇華し、変化を可能としたそうです」

駅へ向かう道中での朧車の中、鬼灯はリリスと向かい合う。
そもそものヒサナが現化した経緯は、買い物中に一通り話してあった。
正座をし姿勢を正す鬼灯に対し、リリスは足を崩して壁に背を預けて揺られていた。

「ウィルオウィスプ、イグニス・ファトゥス…愚者の火、ねぇ。ウチだと生前大罪を犯した魂とか子どもの魂。あとは小鬼や妖精の仕業なんだけど、日本じゃ怨念の類いだったかしら?あぁ、狐が出した火も鬼火って言われるって、妲己が言ってたわね」
「そうです。しかしヒサナは他のものに化けられるわけでもなく、何度現化させても必ずあの着物、あの容姿で再構築されました。しかも外身だけではなく、事を成せる程に内部構造も細かい。おそらく、あれが生前の姿であり狐火の可能性は低いです」

狐が意のままに操る狐火ならば意思も持たず、変化もできないだろう。
本来ならば鬼火も狐火と違い意思を持つだけで変化は出来ないが、それをこなしてしまっているヒサナが特殊なのだ。
そんな彼女がとるあの姿は、それこそ何かあれでなくてはならない理由があると考えるのが自然だった。
あの姿が生前の姿なのであると。
しかしヒサナは、鬼火になる前の記憶を有してはいない。

「リリスさんは覚えているんですよね」

悪魔になる前の事を。
鬼灯の問いに、リリスはハッキリと笑って見せた。

「ええ私はね。貴方の知っての通りよ鬼灯様。彼と喧嘩した記憶もあるし、そのまま悪魔に堕ちたから容姿も今と変わり無いわ」

立ち上がり、狭い車内でも上手に両腕を広げてくるりと回って見せてくれたリリスだったが、生前の姿を知らない鬼灯はそうですかと相槌を打つしかない。
リリスは特に気にする様子もなかったが、何か思い出したように止まると顎に人差し指を添えて首をかしげた。

「でも悪魔の中にはどうして自分が悪魔になったのか、覚えていない子もいるわ。生前の姿のままの子もいれば、サタン様みたいに変態した方も居るし…色々ね」

鬼灯も、自分はリリスと同じ立場だと思い返す。
何故死んだかも、何を怨んだのかも覚えており、ヒサナ達鬼火の宿ったこの体は紛れもなく新たに生を吹き込まれた自分の体が成長したものだ。
EUの様子も聞けば何か参考になるかと思ったが、答えはあまり変わらない。
鬼灯やリリスの様な者もいれば、あまりにも現世の生き物の姿からかけ離れすぎていれば異形を遂げた者になる。
結局は物の怪の数だけ多種多様で様々な事例があり、ヒサナの場合も例え似たような事例があって当てはめられたとしても、それが正しいとは限らないのだと鬼灯は前髪に指を通し、頭を抱えた。

「気になるのね鬼灯様」
「ならないと言えば嘘になりますね」

指の間から彼女を伺い見れば、リリスはまた座り込んで頬杖をついた肘を膝で支えて鬼灯を眺めていた。
興味深そうに、獲物を見つけた悪魔のように妖艶に笑った。

「ヒサナさんに今の憶測を話してみたいのね」

その通りだった。
何かしらきっかけになるかもしれないし、思い出すかもしれない。
そんな思いが鬼灯にはあった。

「女性の秘密は深いのよ。知らなくて良いことかもしれないわ。後悔はしない?」」

リリスの疑念もわかる。
話すべきなのか、しかしそれは既に散々鬼灯も考え、答えを出していた。

「先程お話しした今までの騒動を思い返してみれば、私もヒサナも互いを心配させまいと黙っていたことが仇となって大事になりました。だから今回こそは、きとんと話しておきたいんです」

どんな結果になろうとも、その時を覚悟して迎えられるよう。
何もないかも知れないとも思いたいが、ヒサナが忘れているといっても人の怨みとは根強く深いものだ。
だからこそその思い一つで様々な妖怪が生まれ、その為に自分もまた存在するのだと鬼灯は膝の上で握りしめている拳を見つめた。

「そう、そういう話ならいいわ。でもこれだけは覚えておいてね鬼灯様?パンドラの箱もエデンの果実も、ヒトの好奇心探求心から、知らない方が幸せに過ごせた余計なものを手にいれる結果になったのよ」
「しかし、それらを得なければ手に入れられない事も確かにありました」

鬼灯の迷いなく紡がれた言葉に、リリスは面白そうに笑う。
この鬼を心配する必要なんて無かったかと、結果が楽しみで仕方がないのは性質だろうか。

「ふふ…そう。何かあったら教えてちょうだい」
「参考になりました。ありがとうございます」

ガタンと車内が揺れて、朧車が地に着いた振動が走る。
そろそろ朧車から目的地に着いたことを告げられるだろう。
鬼灯は隣に横たえていた金棒を掴み、降りる支度を始めた。






黙って鬼灯の話に耳を傾けていたヒサナだったが、話終えた様子の鬼灯から天井を見上げた。
エデンの果実もパンドラの箱も、ヒサナには覚えがあった。
どちらも触れてはならない禁忌だったものに触れて人が堕ちる話だ。

「これが、私の生きてる時の姿…」

両腕を伸ばして手のひらを眺め、考えたこともなかったが言われてみれば確かにそうなのかもしれないと指先を動かして見ていた。

「私が、誰か、知りたいんですか」

手のひらを握りしめ胸に抱くと、再び隣の鬼灯を見上げる。
知らないままでは不安なのだろうか。
不詳のままでは、側に居るのは不快なのかもしれない。
ヒサナの瞳にはそんな疑念が宿っていた。

「馬鹿ですねそうではありませんよ。言ったでしょう、保険です」

ヒサナの問いに対してだけではなく、心の内も見透かして鬼灯は彼女の髪を撫でる。
その手つきが優しくて、ヒサナの動揺も少しだけ落ち着いた。

「知らないままでも、貴女が何で誰であっても、ヒサナは私のヒサナです」
「でも…」
「何かあった時に急に思い出してまた大事になっても困りますからね。私も今回の件はきちんとお話ししました。だから、ヒサナも何かありましたら必ず私に話してくださいよ。抱えて白澤さんのところへ行くのは却下です」
「ふふっ…はい」

最後の方は少しイラついた様子で口にした鬼灯が可笑しくて、思わず笑いがもれる。
鬼灯にとっては腸が煮えくり返る事案で笑い事ではないのだが、ヒサナが笑ってくれたので鬼灯は安堵したように肩を落とし、片腕で支えながら身を屈めてヒサナの柔らかな唇に口付けた。

あぁまただと、ヒサナは鬼灯の口付けを受け入れながら考える。
きっとこの話題を出そうと、鬼灯は戻ってからずっと考えていたのだろう。
しかしパンドラの箱しかり、何が起きるかわからない。
それこそ余計な事かもしれないという疑念は、口で大丈夫だといくら言っても簡単に拭い去れはしない。
強がっても鬼灯も不安だったからこそ、ヒサナに触れたいという欲求が過多になっていたのだろう。
そうまでして話してくれた事なのだから、自分も心に止めて考えてみようと、ヒサナは鬼灯の首に腕を回して抱き締める。
ヒサナのその行動が珍しくて、驚きに一瞬目を見開いた鬼灯だったが、そのまま鬼灯も彼女の背に腕を回して強く抱き締めた。

20150331


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