燻る

なんだろうか、この不完全燃焼を起こしているようなモヤモヤは。
食欲不良とはまた違う。
燻ったような感覚を抱いたまま、ヒサナは鬼灯の執務室で仕事を片付けていた。
法廷記録を整理する事はかなわないが、事務処理なら何度もこなしてきたので身に付いている。
自主的にやるのも初めてだったが、生憎今没頭できそうなものがこれしか思い付かなかった。

「趣味とか…ないもんなぁ」

鬼灯様のように金魚草を育てるとか、お香さんと行ったように買い物とか…と考えた所で、ヒサナの脳裏に違う姿がちらつき手が止まった。

先程の鬼灯とリリスの寄り添う姿が、いつまでたっても頭から離れない。

「仕事なんだから、仕方ないんだって」

もう何回口にしただろうか。
お香にも去り際そう伝えたが、本当にそう思ってる?と問われてしまった。

思ってる。思ってるからそう言っているのだ。

と、そんな余計な事を考えない為に仕方なく仕事に手をつけたというのに、身が入ってないじゃないかと頭を振る。
気がつけば無意識に指に力が入り、書類に皺が寄っていた。

「ばっか!」

慌てて皺を伸ばすが、幸いな事に紙を破いてはいなかった。

何をやっているんだか。

歪んだ文字列を指でなぞると、ヒサナは大きく息を吐いて机に突っ伏した。

「おや珍しい」

突然開かれた扉。
この部屋にノックも無しに訪れるのは、閻魔大王の他にもう一人しか思い当たらない。
僅かに顔をあげて腕の隙間から覗き見れば、思った通り鬼灯の姿があった。

「部屋に居ないので探しました」
「あらそうですか」
「自主的に仕事をしているなんて、どういう風の吹き回しですか」
「いけませんか?」
「いえ、助かります」

部屋に入ってきた鬼灯にヒサナは顔をあげ、書類を手元に纏めて立ち上がる。
その様子に、ヒサナの側へと寄りながら鬼灯は首を傾げて見せた。

「もうおしまいですか?」
「終わってませんけど、ここは鬼灯様の席ですから」

占領するわけにはいかないでしょうと退こうとすれば、隣に辿り着いた鬼灯が片手でヒサナの座っていた椅子の背凭れを掴み、強引に机に押し込んできた。
その場に立ち上がったまま鬼灯と話していたヒサナは、膝を圧迫され強制的に再び椅子に座る形となった。
これは以前にもやられた事がある。

「…何ですか」
「えらく不機嫌ですねヒサナ」
「鬼灯様は楽しそうですね」

ムッと口をつぐみ、鬼灯を見上げる。
表情こそ変わらないが、ヒサナを構う姿は心底楽しんでいる様に見えた。

「えぇ楽しいです」
「リリスさんと楽しい時間が過ごせてよかったじゃないですか」

私なんかとの買い物へ行くよりも、楽しめたのなら良かったじゃないか。
そう口にすれば鬼灯が口許に拳をあてた。

「やっぱり一緒に来てほしかったんですかヒサナ?」
「別に」
「私は一度もリリスさんとの買い物が楽しかったとは言ってませんよ」
「それが何か?」
「ヒサナの態度が面白いと言っているんです」

グッと椅子を押し込まれ、腹部が圧迫されて少しきつい。
眉を寄せて見せるが、鬼灯はその手を緩めなかった。

「ヒサナは面白くないのでしょう?」
「当たり前です!こんな、苦し…」
「これの事ではありませんよ」

ようやっと鬼灯が手を離したので、腕を突っ張って机から少し距離をとる。
ふぅと一息つけば鬼灯に頭頂部の髪を緩く後ろに引かれ、優しくしかし強制的に上を向かされた。

「…痛いんですけど」
「こうしなければ、いつまでたっても目を合わせないでしょう」

いつから目を見ていなかっただろうか。
顔は見ていたが、確かに直視は避けていたように思う。
言われて気がつき思い返していれば、髪を引かれたまま鬼灯の顔が近づき、唇が寄せられる。
口付けられると認識し、ヒサナはそれから逃れるように僅かに首をそらした。

「…」
「ん…っや」

顎を掴まれ、ヒサナの行いは何の抵抗にもならず直ぐ様位置を正され唇を塞がれる。
数回、角度を変えて軽く啄むように口付け、鬼灯はヒサナから顔をあげた。

「不服そうですね」
「…還れれば良かったんですけどね」

今ので還れていれば、こんな酷い顔を見せる事も無かっただろうにと、ヒサナは更に表情を歪めた。
先程から何だろうか。
鬼灯の一挙一動に反発したくなり、彼の言動全てが面白くない。

「そんなヒサナの様を見ているのは大変愉快です」
「悪趣味ですね。なんですかもう」
「ヒサナが抱いている感情、それを嫉妬と言うんですよ」

単語を聞いてその意味までしっかり理解するが、このモヤモヤがそうなのかとヒサナは首を固定されたまま鬼灯を見つめ返した。
嫉妬、つまりヤキモチを焼いている事になる。
誰にかなんて聞くまでもない。
鬼灯と、リリスにだ。

「ヤキモチ焼いてるんですか、私」
「鬼火だけに良い焼き加減なんじゃないですか」
「物理的には焼きませんよ」

成程。
確かにリリスが鬼灯にベタベタする様を見て、胸の奥で何かが燻り始めたと納得できた。
思えば、法廷から出てきた二人を見た瞬間から既に抱き始めていたのかもしれない。
ヒサナが鬼灯の袖を捕らえ緩く引くと首を解放してくれたので、むくれてヒサナは鬼灯を見上げた。

「…なんか、すごく嫌でした」
「すみません。しかし予想通りの反応を頂けて安心しました」
「え?予想通り?安心?」
「ヒサナにそういった感情が無かったらどうしようかと思いまして」
「確信犯ですか!?」

リリスがベタベタしてきたのを咎めなかったのも、逆に見せつけてきたのも、今の口振りでは反応を知る為に全て計算の内だと言わんばかり。
鬼灯は当たり前だとでも言うように大きく頷いた。

「リリスさんも共犯ですか!」
「いえ。彼女の場合は性分ですので、頼んでませんし悪気もなにもあれが素です。離れて下さいと言えばすんなり身を引きますよ」
「なのに…それをあえて言わなかったのが?」
「私です」

いけしゃあしゃあと、なんて事を言うのかとヒサナは頭を抱える。
性分を利用されたリリスに勝手に嫉妬して、彼女に申し訳ないと項垂れた。

「リリスさんに謝らなくちゃ…っ」
「いえ、リリスさんは私の意図を察してましたよ。流石その方面に精通した悪魔ですね」
「私がモヤモヤしてたのが馬鹿みたいじゃないですか!すごく嫌だったんですよ!」
「ヤキモチご馳走様です」

余程ヒサナが嫉妬して見せたのが嬉しいらしい鬼灯には、今何を言っても聞きそうにない。
悔しそうにヒサナは鬼灯を睨むが、唯一鬼灯の琴線に触れそうな話題を思い付き、ヒサナは迷わず口を開いた。

「私がそういう事したら絶対怒るくせに」
「ヒサナの考えなんて把握できますので、まず掛かりませんよ」
「あらそうですか。じゃあ私が白澤様とベタベタして見せても、鬼灯様は怒らないんですね」

覚悟はしていたが、面白い程に室内の空気が静まり返る。
体感温度も下がったのではないだろうか。

「アレの名前を、出しますか」

深く眉間に刻まれた皺が、鬼灯の不機嫌さを物語っている。
しかしヒサナだって弄ばれたのだから、このまま黙っている訳にはいかなかった。
それこそ、こういう『性分』だ。

「私が何処で何してても良いんですよね?今度飲みに連れてってもらおうかな」
「ヒサナの飲酒は全般禁止した筈ですが」
「あら、怒らないんじゃないんですか鬼灯様」
「白澤さんだけはダメです」
「私だって嫌だったのに!何で私だけ怒られるんですか。誰が良いとかダメとかじゃなくて、私だって怒りたいですよ!」

ギッと歯を食い縛り鬼灯を睨み付けるが、見上げる自分より見下ろしてる筈の鬼灯の方が怖く見えるのは、やはり気迫の違いだろうか。

「私だって、やっていい権利はある筈です」
「…私に仕掛ける度胸がおありでしたら、どうぞ」
「もう怒ってるじゃないですか。鬼灯様だってしたでしょう。何で私はダメなんですか!貴方だけ良いとかそういう理由は認めませんよ」
「あの白豚だけは許しません…!」

椅子に座っていたというのに、鬼灯に両肩を掴まれたかと思えば力任せに机の上に引きずり倒され、書類が散らばった。
反動で椅子が倒れ、背を机の上に押し付けられたものだから足が宙に浮く。
鬼灯は肩を押し付けたまま、ヒサナの顔を覗き込み首をかしげた。

「ちょっ…」
「ヒサナは、お香さんが私にベタベタしてても嫉妬しますか?」
「良い気持ちはしないと思いますが、二人は古来より幼なじみですしこれ程は…」
「そう。身持ちの問題です。アレの場合ヒサナにその気はなくても容易く手を出してくるにきまっています。不愉快極まりない」
「じゃあ…他の人となら良いんですね」
「嫌です」

嫌って。
さっきは白澤様だけはダメだと言ったのに。
仕掛けてきた張本人が同じ行動を咎めるとはどういう事か。

「鬼灯様が先にしたのに!」
「想像するだけで虫酸が走る」
「だから、私だって嫌でしたってば!自分ばっかり!」
「私は揺るがない自信があります。絶対です。しかしヒサナがどうなるかは、わからないじゃないですか」
「何で言い切れるんですか!何で私だけ疑われなきゃいけないんですか!」

自分は大丈夫だが相手はわからないなんて、信じてくれていないということ。
信頼されてないじゃないかと、ヒサナは自由に動かせる頭を上げ、少しでも近く鬼灯の眼前に迫った。

「私だって鬼灯様が他に靡かないかわかりません」
「私は絶対に有り得ません。信じてください」
「じゃあ、私の事も、信じて下さいよ」

信じてもらえてないなんて悲しいじゃないか。
込み上げてくる涙を軽く拭っていると、肩に置かれていた手が背中へと回り、鬼灯が身を倒して抱き締めてきた。

「…軽率な行動でした。すみません確かに不快です」
「う…」
「言い方も悪かったです。信じる信じないではないんです。奴に関わられる事が、不安なんです」
「不安?」
「ヒサナの事は信じています。ですが白澤さんだけは、ヒサナの身持ちが固くても手を出さない保証は無いので、アレだけは絶対にいけません」

更に鬼灯の腕に力がこもる。
つまりヒサナ云々ではなく、白澤がどう出てくるのかわからないから関わって欲しくないという事か。
天井を見上げながらヒサナは白澤を思い浮かべた。

「…白澤様が怖いんですね」
「失礼な。奴に対して恐怖なんて微塵もありませんよ」
「はいはい」

どう考えても怖がってるという事になるのだが。
自覚は無いのかとヒサナは小さく笑いながら鬼灯の背に腕を回し、赤子を宥める様に広い背をさすった。
鬼灯も肩に額を擦り寄せて来たので、鬼灯の髪が頬を掠めて少しくすぐったい。

「今までも別に手を出された事はありませんよ」
「彼氏がいる相手には基本手を出しませんからね。…触れられる事すら不快ですが、口付けられた事もあるでしょう。あれを手出しと言うんです」
「あー…ありましたね」

おまじないと、地獄門で額に口付けられたと手のひらを額に添える。
確かに軽々しく触れてくるのは、リリスの性分然り自分も不安を感じないと言えば嘘になる。
気を付けます、と隣の鬼灯に視線を流せば、いつの間にか鋭い目付きでじっと見つめられていた。

「…何ですか。怖いですよ鬼灯様」
「額を、どうかしたんですか?」
「は?いえ、ここに口付けられたなぁと思って」
「ほぉー…額にねぇ」

身を起こした鬼灯がさらりとヒサナの額にかかった髪を横へ流す。
その表情は、冷たさを含んだままだった。

「鬼灯様?」
「私、五道天輪王の所での惨事をお話ししていたつもりなんですが、額の件は存じませんでした」
「あ」
「いつ何処で何があったのか、お話願えますかねぇ?」
「特に疚しい事は何も…ひゃっ」

そっちの話かと、鬼灯の不機嫌の理由に合点がいった時にはもう遅い。
首の包帯をずり下ろされたかと思えば、ベロりと舌が這った。

「鬼灯様っ」
「他に何かあれば、今なら聞きますよ」
「これしか…ぁっ」

滑る手を抑え、他には何もなかったと信じてもらえるまで、ヒサナは鬼灯に散々鳴かされる事となった。

20150326

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