気付け薬

執務室の扉を開ける前に、鬼灯は胸元を握り締めていた為に少しだけよれて乱れた着衣を正した。

そして背筋を伸ばし、目を閉じて一息深呼吸。

白澤の頼んでもいない気遣いのお陰で、僅かながら体も楽になった。
ヒサナが還れずとも、微量ずつであれば内に残る鬼火が怨念を食してくれる。
いや、本来なら鬼火が消費できる量は、内に残る鬼火の食す量が正常なのだろう。
しかし鬼灯の抱える怨念は、その食欲では到底賄えない。
ヒサナが抜きん出て大喰らいなのだ。
そのお陰で鬼灯は鬼になることができたのだから。
なんとか今の状態を長く保てれば、そう新たに意気込みながら鬼灯は平静を装って扉を開けた。

「ただいま戻りました…ヒサナ?」

しかし、残していった机にヒサナの姿はない。
扉を開けて出迎えの声もなければ、部屋を見回しても何処にも姿は見えなかった。
居ないのだろうか。
しかし彼女の気配はこの部屋にある。
片手で扉を閉めると鬼灯は机に寄り、書きかけの書類を手に取った。
と、その書類越しに見える机の向こう側に見慣れた足。
その足を凝視しながら裏へと回れば、机の引き出しに背を預けたヒサナが体操座りでそこにいた。

「ヒサナ?風邪をひきますよ」

目にした一瞬、泣いているのかとどきりとしたが、どうやら眠りこけている様でゆっくりと肩が上下している。
鬼灯は安堵してヒサナの隣に片膝をつくと、屈んで彼女の細い肩を軽く揺すった。
しかし反応はない。
もう一度声をかければ、小さな寝息が僅かに乱れた。
自分も他者に起こされるのを好まないので、寝起きについて人にとやかく言える立場では無いと思いながら、鬼灯はヒサナの正面にずれるとヒサナの両肩を掴んだ。

「ヒサナ!」
「はいっ」

大声で呼び掛ければ、掴んだ肩が面白いくらい大きく跳ねるのと同時にヒサナが顔を上げた。
正面に鬼灯を確認した後、何事かと左右を見回す。
あぁ寝ていたのかと思い出したのか、ヒサナは眠気眼を手首の内側で擦った。

「何で下に降りてるんですか?」
「椅子で寝ると足が痺れるじゃないですか…」
「何でそんなこと知ってるんですか」
「鬼灯様机で寝落ちした時、たまになってますよね」

思い出し笑いか、ふへへと笑った彼女に鬼灯は再び安堵した。

気付かれていない。
気付かせてやる気もないが。

ヒサナに手を貸してやって立たせると、鬼灯は再び机の上の書類を手に取った。

「大分進めて下さってますね」
「何時間たってると思ってるんですか…!どこ行ってたんですか」
「ちょっとそこまで」

書き終えた書類を数枚手の内に追加して、パラパラと捲り簡単に中身に目を通す。
紙に走る自分そっくりな字に鼻を鳴らして小さく笑うと、鬼灯は書面をまとめ机で端を数回叩いて揃えた。

「もうすぐ裁判の時間ですので、チェックは後で行います。ヒサナはまだ頑張れますかね」
「冗談やめてください…ちょっと寝かせて頂けるとすごく嬉しいんですが…」

欠伸を噛み殺したあとに、おずおずと小さく口を尖らせて口にするので、鬼灯は書類を簡単に片付けながら首だけヒサナへと向けた。

「お子様ですねぇ」
「私元々鬼灯様の中で寝てるだけでよかった種族なのでお子様関係ないですし。むしろ、鬼灯様より先に存在してるんですから少なくとも貴方より年上だと思いますよ」
「鬼火として生まれてすぐかもしれませんよ」
「丁に会う前の事は…どれくらいの間だったんでしょう?気付いたら鬼火仲間に声かけられてたので…」

話の途中でまた欠伸を噛み殺すので、相当眠いのだろう。
鬼灯はヒサナの肩を指先でとんとんと叩いてこちらを向かせると、その前に仁王立ちしたまま首をかしげた。
寝かせる前に、やっておきたいことがある。

「なんですか鬼灯様?」
「抱き締めてもいいですか?」

ヒサナの目が大きく見開かれたのち、右へ左へと視線を泳がせる。
暫くその様を眺めていたが、最後に耳まで顔を真っ赤にさせると、ようやっと視線を鬼灯へとよこした。

「なん…いつもそんなの聞かないでもやってるじゃないですか…!」
「そうでしたっけ?」
「そうですよ…っ」
「了解を得ようかと思いまして」
「どうぞって恥ずかし…どう言えばいいんですか」
「宜しいのでしたら、今のそのまま言えばいいんじゃないですか」
「え…う、まぁそのど…どうぞ…」

控えめに両腕を広げてみせたヒサナへと鬼灯は身を寄せ、彼女の頭部からぎゅうっと腕の中に閉じ込める。
本来ならもっと力を込めたいところだが、ヒサナから抗議の声が上がらないので力加減は程好いのだろう。

「確かに、ヒサナが中にいる感覚に似てますね」

この身に抱いている安心感。
腕に抱きたいと思ったのも、以前ヒサナが抱き締めてもらう事が中にいるみたいで安心すると言っていたのを思い出したからだ。

「珍しいですね鬼灯様がそんなこと言うの。もうホームシックですか」
「私の場合はペットロスかもしれませんよ」
「なんですかそれ!」

ペットじゃないと暴れるヒサナの抵抗をものともせず、喩えですよ喩えと軽々とその身に押さえ付けた。
そして、腕の中の温もりに目を閉じる。
自分より高い体温は、鬼火故か間違いなく彼女のもの。
ヒサナが言うのも頷ける。確かに自分も身に宿している時と似ていると、ヒサナを宿す場所と同じ所でざわつく怨念を沈める。
これも気休めでしかないのだろうが、彼女が側に居るのも相まって心強いものはある。

中に還れないのも、今の状態や今まで何処に行っていたのかもばれずにすんでいいのかもしれない。
いや、還れなくなったから起きた事なのだから本末転倒かと、鬼灯はヒサナの預かり知らぬ所で自嘲した。
しばらくそうしていたが、ふと腕の中で小さな欠伸をする声が聞こえた。
彼女が眠たがっていたことをすっかり忘れていた鬼灯は、腕の中の頭に視線を落とした。

「大丈夫ですか?」
「やっぱり、鬼灯様にぎゅってしてもらうのは安心できて好きです」

見上げてきたヒサナが嬉しそうに笑うので、思わず腕の力を増しそうになるがそこは思い止まった。

「ならそのままでいなさい」
「え、わっ、ぎゃ!」
「色気の無い声を出さない」

片腕をヒサナの肩に、腰を屈めてもう一方を膝裏に回した鬼灯がそのまま立ち上がれば、ヒサナを抱き上げる形になった。
横抱きにされた様は、宛らお姫様だっこと呼ばれる状態だ。
鬼灯の腕力を考えれば落っこちることは無いのだが、不安な体制にヒサナは思わず鬼灯の首に腕を伸ばした。

「やだやだこんっ!こんな、歩けますから!」
「今にも寝そうな人が何を言いますか。大人しく抱かれてなさい」
「なんかその言い方違う!」
「それだけ元気があるようでしたら、このままそこの椅子に落としてさっきの続きをしましょうか?」

何の、とは聞くまでもない。
ちらりと先程まで座っていた机の上を見る。
端に片付けられたと言っても、書類はそのままだったからだ。

「…眠いです」
「ならそのままでいなさい。どうせ私の部屋まで直ぐですよ」

釈然としないままも、強制的に言いくるめられたヒサナは大人しく黙る。
鬼灯の首に回していた片手を口元に運び、何度目かわからない欠伸をひとつ。
眠い。
そんなに寝ていなかっただろうかと記憶を辿るが、鬼灯に抱き抱えられたままの温もりとゆっくり歩く振動で、もうあまり上手く思考が働かない。
うつらうつらと微睡んでいる様子に気付いた鬼灯が、おやすみなさいとヒサナの額に口付けた。

20141214

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