意地の維持

何処へ出向いてもムカつくほどに凛と姿勢を正して振る舞う鬼神が、今は背もたれに完全に身を預けている。
隠しているようだが、荒くはないがゆっくりとした深い息遣いに、視診だけでも白澤は鬼灯が異常であると訝し気にペン先を机にコツコツと付く。
こんな状態の鬼灯を見るのは、過労と鬼インフルが重なって倒れた際に往診に訪れて以来ではないだろうか。
予防接種を受けたにも関わらず倒れたものだから、あくまで予防であり鬼によっては発症のリスクが異なるというのに、このくそ忙しい時期に結局ぶっ倒るはめになったとヤブ医者呼ばわりされ白澤の方が重体になった。

過去の思い出でも腹が立つ。
そんな気にくわない奴だが客は客だ。
白澤も適当にあしらいたいところだが、この男の背景にあるのはおそらく彼女。
それを励みにと自身に言い聞かせ、白澤は重たい口を開いた。

「じゃあ、手短に単刀直入に聞こうか。怨念を抑える許容限度が近いって感じだけど」

体調が悪いとか、そういったものでは決して無い。
誰にでも愛想よく振る舞う従業員のウサギたちでさえ、物陰に隠れて見ているほど禍々しい怨気を纏ってやってきた鬼灯。
正直呑まれていない事に驚くほどだ。悪鬼になって暴れた時の比ではない。
ギリギリ抑えてるが相当しんどそうあり、いつなってもおかしくはない状態だ。
桃太郎を遣いに出して正解だった。

「ヒサナちゃんはどうしたの」
「還れなくなりました」
「かえれないってのは家とかじゃなくて…」
「私の中に、ヒサナ、が…っ」

一息飲んだかと思うと、鬼灯は急にぎゅうと掴んだ胸を握りしめ顔をしかめる。
漸くはっと短く息を吐き出すと、そのまま数回短めの呼吸を繰り返していた。

「えっやだなぁ相当ヤバいんじやないの」
「…だから、他に、思い当たる所もありませんので、渋々ここへ来たんですよ」

浅い呼吸を繰り返しながら睨む鬼灯だが、身動きはしない。
恐らく、それが彼の精一杯なのだろう。
白澤は頬杖をついて、目の前に座る患者を睨み返した。

「ヒサナちゃんが還れないってことは怨念を食べてもらえてないわけだ。どうしてそんな状態になるまでほっといたんだよ。還れなくなった時にさっさと来いよ馬鹿」
「還れなくなったのはつい先ほどの事です。昨晩まで、は…還れてましたよ」

苦し気に紡がれたその言葉に、白澤は細めていた目を見開いた。
とても昨日今日ヒサナが還らなかっただけの怨念の量だとは、到底思えないからだ。

「ふざけるなよ。一日たってないのにそんなになる訳無いだろ」
「ふざけてなんかいませんよ。まぁ…実験中だったのは、ありますが」
「実験?」

白澤はとりあえず話す手前、自分用とあくまでついでだと自身に言い聞かせ、しんどそうな客に茶を入れようと席を立ち、やかんに水を移す。
水が溜まる迄の間カウンターごしに鬼灯を見るが、鬼灯は体の向きを白澤へ直すこともなく、深く腰かけたまま目だけを此方に向けていた。

「ヒサナが還らないまま過ごすのはどこまでが限界か、検証して、ました」
「長いこと?」
「ヒサナへの想いを自覚してから。なんとか長く側に置けないものかと、思ったんですが…っ!…はぁ…自力で、どこまで怨念を押さえられるかも、見定める、必要が、ありましたので…」

会話の途中にも構わず鬼灯は悶える。
背を丸め、顔をしかめ、無理矢理抑え込むように息を詰め胸元を圧迫している。
あの生け好かない鬼神が、お互い因縁の相手である白澤にこうも弱いところをさらけ出しているのだから、相当自分が危ない状態である事も鬼灯は自覚しているのだろう。
一番見せたくない相手だろうに。
白澤は湯が沸くのを待ちながら、気休めにしかならないが鎮静作用のある葉を湯に浮かべた。
普段どのように毒でも盛ってやろうかと考える相手に何をしてやってるんだかと、嘲笑しながら。

「成る程ね、意図的に還してなくて溜まってたわけね」
「ちなみに最長は二日程度です。先日行った会見の日、直前にヒサナを引き剥がして、監禁されて還してから…計測したら、大体それくらいでした」

徐々に慣らしていこうと考えていた矢先に、思いの外長く離れ離れになってしまったので、これは好機と鬼灯は計測を行った。
ヒサナは眠そうではあったが、鬼灯も二日離れていても怨念は抑え込めていられた。
問題は見受けられなかった筈だった。

「今回は?」
「昨晩ヒサナの夢見が悪くて…起こして、しまってからなので、一日もたって…ないんですよ」
「寝てた期間は?」
「酔っぱらって還りましたから5、6時間程度、で…しょうか」
「ふーん…そんなんじゃ消化できないくらい、その前もヒサナちゃん現化してたの?」
「いえ、監禁されてた日の早朝に還して、その日の夜飲みに…っ誘いましたので、半日以上は還してましたよ」
「充分…だよなぁ。基準わかんないけど」

寝かせてなかった訳ではない。
なのに還れないとはどういった了見だろうか。
一気に問診し過ぎた為か、鬼灯も答えるのが辛そうな様子を滲ませる。
気遣いなんかしたくもないが釈然ともしないので、一旦会話を止め白澤は沸いた湯で茶を淹れた。
これも若干鎮静作用のあるお茶。
気づかれたくもないので香りの強い茶葉を混ぜてカウンターを回ると、コンと鬼灯に近いテーブルの上に湯飲みを置いた。
白澤も茶を啜りながら元の席につけば、鬼灯も湯飲みに手を伸ばした。

「ヒサナちゃんはなんて?」
「なんで還れないのかは…不安がっていましたが…、特に差し支え、は…ないようですよ」
「…っゲホッ…は?…んなわけあるかよ!お前のその状態見て何ともないなんてヒサナちゃん言わないでしょ?!」

ごくりとえづきそうになるのを堪え、喉を慣らしてお茶を無理矢理胃へ流れるよう飲み込む。
彼女はそんな軽薄な人ではなかった筈だ。そう思い鬼灯に身を乗り出して問えば、鬼灯は目線をそろりと脇へと流す。
その見知った仕草に、白澤は目を見開いた。

「お前、まさか…」
「ヒサナには、知られたくない」
「それ隠せてんの?!」

目を合わせない鬼灯に、信じられないといった表情で白澤は立ち上がった。
こんなしんどそうにしていて、彼女が気付かないわけがない。
しかし鬼灯の言葉に嘘は見当たらないし、何より奴自身の目が既に物を言っている。
本気で隠し通してここまで来たのかと、とんでもないものを見るように目の前の鬼神に向かって白澤は眉根を寄せた。
対する鬼灯は荒い息使いのまま、一息に湯飲みを傾げて中身を飲み干すと、再び白澤へと視線を戻す。
まるで升の中の酒を煽る居酒屋での鬼灯を彷彿させる。
タンと机に置かれた湯飲みは空になっていた。

「自分のせいだと、思い詰めてしまうに決まってるじゃないですか。今度こそ還ると吐かすかもしれません」

背筋をゾッと撫でる冷たさがまだ増すかと、白澤は内心舌打ちをした。
今の状態でも充分禍々しいと言うのに、まだ内の怨気を募らせられるのかと鬼灯を心眼で探る。
腐浄の場と何らかわりない。流石は地獄のナンバー2であり、筆頭の鬼神だと深淵を覗いて痛む額の目に指先で触れた。

「…でも最悪の場合、それが現時点でお前の助かる唯一の方法だ。お互いの意思で還れないなら、彼女が三度お前と契約し直す必要がある」

どちらか一方が拒んでるわけでもないのに還れないと言うのだから、ヒサナが専属の鬼火として認識されていないものと同じ。
それこそ悪鬼や妖怪の類いが鬼火を求めるのに消費する喰らい方をするのは、永劫持ちつ持たれつに鬼火を内に宿すということはまた異なるからだ。

悪鬼に堕ちた鬼灯を鎮めたように、鬼灯の一番深いところへ還る方法。
再び、ヒサナが鬼灯の中に入る強い意思表示である決意を抱けばいい。
彼女なら、今の鬼灯の様を目の当たりにすれば迷い無くそれを選ぶことだろう。
そうすればすべてが解決する。

「私が欲しいのはその結果ではありません」

しかしこの鬼はそれを拒む。
心の底から、その結果は望んでいないと吐き出す。

「強がり言ってる場合じゃないだろ」
「強がりではありません。他に方法がある筈だと言ってるんです」

それしか方法が無いとしても、きっとこの男はそれを自ら選ぶことはないのだろう。
手元に置くために、後先考えずにヒサナを引きずり出した張本人だ。
最悪の手段であり、彼にとっては手段ですらないのだ。
駄々をこねる幼子に手間取る親の心境はこんなものかと小さく肩を竦め、白澤は今までの記録をと紙にペンを走らせた。

「…わかった。色々調べてみる。だけど、お前がもう駄目だと判断したら僕でも止めるのは骨が折れるし、僕だけじゃなくてチュンが動くのも、『ヒサナちゃんがお前の中に還る』前提があったからだ。限界を感じたら、閻魔大王の許可が降りたらヒサナちゃんを促すからな」
「お前は勿論、如何な閻魔大王でも、それだけは絶対に許しません」

どろりと、増したことだろう。
一度開いた傷口から血が滴るように、壊れた栓から水が漏れるように。
それなのに今は微塵も変化は感じさせなかった。

先程増幅させたように、鬼灯の怨念は溢れなかったのだ。
ヒサナに危害が及ぶというだけで、こうも心持ちが違うのかと白澤は乾いた笑い声を小さく上げた。

「そんなことをしてみろ。ヒサナに二度と会えないというのなら、ヒサナの手でも誰の手でもなく自らヒサナを喰らって殺されてやります」
「…そこはヒサナちゃんだけは守りたいとか、そういうのじゃないの」
「冗談ですよ、冗談」

真っ直ぐに目を据えたまま言い放ったくせに何を言うのかと、白澤は苦笑する。
しかしどうしたものかと考えあぐねていると、鬼灯が懐から携帯を取り出した。
取り出された携帯は振動しており、持ち主に着信を知らせる。
開いたディスプレイを確認して目を若干細めた鬼灯だったが、それが見間違えだったのではないかと思うほど鋭い眼光を向けられ口許に人差し指をたてて見せられる。
静かにしろってかと、白澤は口を結んで面白くなさそうに頬杖をついた。

「はい、ヒサナさん」

今までのやり取りはなんだったのかと思わせるほど優しい声音に白澤は眉をしかめる以外になかった。
そんな白澤を気にも止めずに、鬼灯は腕を組んで携帯を耳に当てた方へと視線を向ける。
その機械越しに思いを馳せてるのは通話中の彼女に他ならないだろう。

『なん…なんでわかったんですか…!』
「私の部屋の電話なんて、貴女くらいしか使わないでしょう」
『確かに…って違うそうじゃなくて、今日裁判午後からだそうじゃないですか!どこいってるんですか帰ってきてくださいよ!』
「おや、もうバレましたか」
『バレるも何も嘘ついて何処に行ってるんですか私にだけ仕事押し付けて…っ。ちょっと訳わからなない文書があるので早く帰ってきてくださいよー』
「はいはいすみませんね、もう帰りますよ…はい、はい。では…」

名残惜しそうに電源ボタンを押した鬼灯は、深く息を吐いて背もたれに再び体を預ける。
どうだと言わんばかりに携帯を白澤へとチラつかせながら。

「よくやるぅー…」
「ヒサナには、絶対に感づかせませんよ」

携帯を懐へ直した鬼灯は目を閉じて数呼吸置いてから、一息に立ち上がった。
少しフラフラとした足取りだが、彼女の前では決して見せないのだろうと、そこには男として素直に感心した。

ヒサナを還したくないのも本心だろうが、何よりヒサナが自分のせいだと自らを責めさせたくは無いのだろう、それがきっと一番の本音だ。

「おい朴念人」

不機嫌そうに振り返った鬼灯だったが、瞬時に飛んできた小袋を片手で受け取る。
見慣れた極楽満月の刻印が施された紙袋には『頓服薬』と書かれていた。

「鎮静剤。気休めだけど無いよかマシだろ」
「そうですね、気休めかもしれませんが若干効きますしね」
「は?」
「要らぬ気遣いですよ。お茶、いい香りでした。ご馳走さま」

カラリと開けられていつも乱暴に閉められる扉は、静かな音をたてて閉ざされた。

「バレてたか」

白澤はガリガリと頭をかいて、汚い走り書きのメモを手に取った。
20141126

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