冷徹と酒

「2名です」
「はいかしこまりました2名様ご案内しまーす!」
「いらっさーあせようこそー!」
「ようこそー」

長机の間の通路を進むだけで、両手にジョッキを持てるだけ持った店員や注文を受けにいく店員さんに、ににこやかに挨拶されヒサナも軽く会釈を返す。
鬼灯の中から見た記憶のある居酒屋に、初めて来たかのように物珍しげにキョロキョロと見回していると鬼灯との間が開いていたので慌てて小走りで距離を詰めた。
いや実際初めて来たのだが。

鬼灯の自室で呼び出され、時計を見やれば丁度夜勤以外の獄卒の就業時刻。
大あくびを控えめに噛み殺して視線を戻すと、支度を終えた鬼灯に飲みに行きますよと手を引かれ連れられてきた。
どうやら今日は早上がりらしい。こうしてヒサナは居酒屋の座卓に鬼灯と並んで座っている。

「長机って向い合わせで座るもんじゃないんですか」
「こういうとこは隣り合って座るものですよ。何飲みます?」

鬼灯を横目に、お通しで出された胡麻豆腐を箸でつつきながら話し辛いと不満を漏らすと、お品書きを開いた鬼灯に適当に流された。

「…何飲むって飲んだことないからわかりませんよ。鬼灯様いつも何飲んでるんですか」
「私のはあまりおすすめできませんね…これとかいかがですか?」
「初孫…ですか」
「美味しいですよ。飲みやすいんじゃないですか?」
「はぁ、じゃあそれでお願いします」
「すみません、注文お願いします」

鬼灯は手慣れたようすで注文をする。
自分のせいでの鬼灯の鬱憤晴らしなのだから少しでも力になれるなら付き合おう。
そう思い手を引かれ歩いてきたヒサナだが、表情が変わらずとも鬼灯が楽しそうに見えるのでなんだかこちらも嬉しくなる。
実際常日頃鬼灯も酒をたしなんでいたので、お酒とはどんなものなのか気にはなっていた。
鬼灯の中に居ながら経験した感覚はあるが、微塵も酔わずに飲むことを楽しんでいたので今一わからない。
運ばれてきた酒瓶を開け、鬼灯がグラスになみなみとついでくれたのを両手で受け取る。
揺れる水面を眺めていれば、鬼灯は鬼灯で自分の好みの銘柄を既に枡に注いでいた。
一見水に見えるがふあっと鼻をつく香りに目を瞬かせる。
いただきますと溢れそうなグラスの縁にヒサナは小さく口をつけた。

「美味しいです…!」
「それはよかったです」
「これ頂いていいんですか」
「瓶で頼みましたから大丈夫ですよ。お好きなだけどうぞ」

自分の中に居たからヒサナも強いのだろうか、そんな事を考えながら鬼灯も枡の中身を一気に飲み干した。











「もう一杯!もう一杯だけ!」
「駄目です。絶っ対に渡しません」
「意地悪!何地獄ですかここは!…禁酒の地獄ってどこでしたっけ…とにかく私は亡者じゃありませんー鬼火なので大丈夫ですからぁ」
「全く大丈夫な状態ではありません」
「鬼灯様はまだ飲んでるじゃないですか。独占禁止法ですよっ」

別の意味で酒瓶を抱える鬼灯にヒサナが空いたグラス片手にすがり寄っている。
鬼灯は嫌そうに眉根を寄せてヒサナを見ていた。
自分に似て強いのかと判断した数十分前の思考を訂正したい。
そうだ、数十分前なのだ。ヒサナ用に頼んだ酒瓶にはまだ半分以上の量が残っている。
それなのに既にこの様で、ヒサナは完全に酒に飲まれて泥酔していた。

弱い。超弱い。

なのにまだ自分は飲めると主張し、酒を取り上げれば鬼灯の枡にも手を伸ばしたので、桁違いの度数を誇る銘柄を今のヒサナに与えるわけには行かず、それも今は鬼灯の背の後ろへ追いやられている。
ヒサナはそれが不満のようで、今度は鬼灯が遠ざけた酒瓶に手を伸ばしていた。

「ちょっとだけ!ちょっとだけだから…」
「それ貴女が言いますかね…へべれけのヒサナさんにはもう一滴も差し上げるつもりはありませんよ」
「まだ二杯しか飲んでないのに…!私は酔っぱらってませーん」
「まだ二杯でそれでビックリですよ。そしてそれを人は酔っぱらいと言うんです。…貴女白澤さんより弱いですよ」
「あー白澤さんと飲んでみても面白そーですねぇ」
「………」
「じゃあもう一杯くださいっ」
「語尾にハートマーク付けても駄目ですよ。このまま溺れさせてやりましょうか」

とろんとした瞳を揺らすヒサナの頬に忌々し気に手を添えれば、普段も鬼火故か体温が人のそれより高い部類の彼女の体は更に熱かった。
成る程、と手の甲をその肌にそっと撫でるように滑らせ思案する。
酒はアルコールを含む飲料なので、鬼火のヒサナにとっては火に油、可燃料と同じこと。
鬼灯は若干ぼんやりとする頭を晴らすためゆるゆると頭を揺らす。
いつもの半分以下も飲んでいないが、ほんのり酔った感覚に鬼灯は自らの首筋にも手を添え首をかしげる。
熱い。そういえばヒサナが現化したまま飲むのは初めてだ。
もしかしたら普段はヒサナが酒分を一挙に引き受けてくれているのかもしれないとヒサナの頭を撫で付けながら鬼灯は考える。
鬼火が燃えることで鬼灯は酔いにくい、何てこともあるのだろうか。
だからヒサナは酒に反応しやすく弱い。
だからいつもは鬼灯も酒に飲まれにくい。
ぐでんぐでんに酔っぱらっていても酒を所望するのは、鬼灯が浴びるように飲んでいる酒を普段から接種しているから…何てことが。
それは只の憶測にすぎないが。

鬼灯の手にくすぐったそうにすり寄っていたヒサナだったが、既に十分出来上がってしまっている彼女は、今は鬼灯の道服を少しつまんで引っ張っていた。

「丁ーねぇちょうー」
「熱い…何ですか煩いですよ久しぶりですねその呼び方」

鬼灯ですと訂正しながらヒサナが頑なに離さなかったグラスに手を伸ばせば、今度はすんなりとその手を離したので鬼灯は安堵しグラスを卓の上に退けた。
ヒサナはあれだけ抵抗していたにも関わらず、もう気にもとめていないようでじっと鬼灯を上目遣いで見上げていた。

「ねぇ幸せ?」
「…何ですか急に」
「丁は幸せですか?」

先程までの態度が一変。
まるで素面のように真顔でヒサナは鬼灯を見上げていた。
真っ直ぐに好いた女に見つめられれば、鬼灯も引き込まれるようにその顔を覗き込む。

「…そうですね、幸せですよ。明朗快活に日々を過ごせ、こうしてヒサナさんも側に居ますし」
「うへへーあたしもしあわせぇー」

またも先程までの態度が嘘のように、さも酔っぱらいのような笑い声を上げてヒサナは鬼灯から後ろ手に身を僅かに倒し距離をとった。

「…ちゃんとわかってるじゃないですか」
「なにが?」

しかし鬼灯はその言葉に目を見開いて見せたので、ヒサナは何事かと首をかしげる。
が、既に酔っぱらい完全体。
ヘラっと笑って見せたヒサナの誰かさんを彷彿とさせる態度に若干嫌気が差すが、だらだらと長机に突っ伏し始めたヒサナの肩を軽く揺すった。

「ちょっとヒサナさん。もう寝るとか止めてくださいよ」
「寝るんじゃないです…ちょっと机つめたくてきもちいいなーって」
「…貴女、これ絶対明日覚えてませんコースでしょう」
「失礼ですねぇ。馬鹿にしないで下さいよ覚えてますよぉ…」
「はいはい。ほら、お冷や来ましたよ」
「あーその顔は信じてませんねぇー?」
「絡み酒ですか。面倒ですね…」
「お酒は辛くないですー」
「何の話ですか」

ヒサナは手渡された水を一気に半分ほど流し込むと、大きく息をついてじと目で鬼灯をコップ片手に指差した。

「覚えてますよ…丁くんは小さいのに偉いですねー」
「…はい?」
「わたしは怖くて…だめでしたよぉ…」

何の話だと鬼灯は小首をかしげるが、眉を下げて笑う彼女の姿に何か言い知れぬ物を感じ息を飲む。
ヒサナの指先がゆるりと畳を滑るのを眺めていると、もう少しで鬼灯の膝にたどり着きそうになった瞬間、ヒサナは何の前触れもなく勢いよく立ち上がった。

「眠いのでわたくし実家に還らせて頂きます!」
「なにを―――」

言い出すんですか。
そう口にする前にヒサナは鬼灯の隣に膝をついて座り直すと、鬼灯の道服の合わせを掴んで少しだけ引き寄せ鬼灯と唇を合わせた。

何をされたのか瞬間理解するのは難しかった。
ほわんと酒独特の甘辛いような僅かな匂いと、普段頼まない酒の味を感じたかと思うと目の前の存在は火に溶けかき消えていた。
唇を一舐めすればまたほんのりと酒の味がする。
直前に急に立ち上がり叫んでいたものだから、店内の客はこちらに釘付けになったまま。
鬼灯は口付けされたことを理解すると、一人取り残され惚けている状況。
やっと瞬きを思いだしぐるりと店内を見回せば、慌てて皆視線を外した。

「いつもは自分からなんて絶対にやらないのに、今度はキス魔ですか…」

どんなに眠くても、鬼灯が起きている場合は頑なに自分からすることはないヒサナが自ら実行するなんて相当深酔いしていると、怒濤の数十分間に痛む頭に手をついた。
しかし悪鬼に堕ちるでもなく、鬼灯が鬼灯のままでヒサナから口付けられたのは初めての事で、意表をつかれ不覚にも混乱していた。
酔っていての行為なのは残念だが、それを含めても嬉しくないわけがない。
緩みそうな頬を保つのに大変だった。
それにヒサナが戻った為だろうか、ぼんやりしていた頭も霧が晴れたようにスッキリしていた。
酔うようであれば止めようかと思っていたが、まだ飲めそうなので構わないかと酒瓶を掴み、鬼灯は空の枡に並々と注ぐ。

幸せか、なんて。

一人酒をかっ喰らいながら鬼灯はヒサナが座っていた席を眺めた。
ヒサナが居るから、こんなにも充実している。
そんなことを考えながら、酒の力だけではなく胸元が暖かくなるような感じがし、鬼灯は小さく笑う。
ヒサナと飲めたのは僅かな間だけだったが、珍しい一面も垣間見ることができたのでそれはそれでよしとしよう。

それと、思いがけぬ収穫。

ぺろりと唇を舐めとりながら、とりあえず今後人前ではアルコール全般一切ヒサナに飲ますものかという考えに鬼灯が至るのに、時間はそんなにかからなかった。

20141018

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