信憑性

引き戸は役目を果たせなかった。

左右に開閉する為に設計されたはずのそれは、内に倒されて店内への道を開け放つ事になった。
しかも手でなされるはずの行為は足蹴に踏み倒される形となり、先代のこの家の玄関を預かっていた扉もこうして現役を退いた。
同じ鬼神の手によって。
そして、床に這いつくばる家主が吠える。

「痛いな!なんだよお前何しに来たんだよ!」
「白澤さんが言ったんじゃないですか。お礼参りに来いと」

地獄門での一件の傷は疾うに完治したと言うのに、既に新たにぼろぼろの神獣を踏みつけ、その顔の横に金棒を突き立てる鬼灯が坦々と述べる。
身動きが取れない白澤がはぁ?と声を荒げ、首を捻って背後の鬼を見上げた。

「どこのヤクザだよ馬鹿か!お礼参りってのは神仏にかけた願が叶ったお礼に参詣することだよ!そっちの意味じゃない!」
「願掛けなんてしてませんし、白豚に頼んだ覚えもない」
「可愛くねー助けてやったのに!」
「男が可愛くても仕方ないでしょう。助けて下さったのは可愛いヒサナさんです」

鬼灯はゆるりと足を退けて着物を正す。
身を起こした白澤は、あらぬ方向へ曲がった肩をぐるぐると回し次第に馴染ませた。
痛々しい様には代わりないが、そんなことに構わず白澤は辺りを見回し、鬼灯の背後や店外にも視線をやるが目当てのものは見当たらなかった。

「ヒサナちゃんはどうしたんだよ」
「寝ていますよ。私の胸の中で」
「ヤな言い方だなぁソレ」

じろじろと胸部を凝視してくる白澤に鬼灯は気持ち悪いと呟けば、お前をみてるんじゃねーよと白澤が喚く。
心外だと腕を組んだ白澤は、けれどと再度鬼灯の胸部に視線を落とした。

「安定してるようで何よりだよ」
「当たり前です」
「呼び出せるの?」
「出しませんよ。白豚の前になんか」
「怖いんだろ」

にたりと笑う白澤から鬼灯はスッと視線を反らす。

「……怖くないです」

その様をみて白澤の笑みがより一層深くなる。

「じゃあやってみろよ」
「…何かあったらどうしてくれるんですか」
「僕とヒサナちゃんとの間に?」
「無駄口叩けないように無駄なものは仕分けすべきですかね」
「冗談だよそれ引っ込めろ馬鹿!…ここを何処だと思ってる。ヒサナちゃん出生の地、極楽満月だよ」

不穏に肩で揺らされていた金棒を指差していた手を、白澤は店内へ大きく広げて見せる。
漢方の薬草さと、ほんの少しの獣の匂い。
安心しろよと暗に示してくる白澤に訝し気な鬼灯だったが、腐っても神獣であり漢方医。
少し迷った末に小さく息を吐くと指先を口に添えた。

「ヒサナさん」

平静を装ったつもりだったが声が掠れる。
こんな事で動揺するとはまだまだ青いと自嘲しながら、鬼灯は息を吐くように鬼火を内から引きずり出した。

ぽつぽつと、鬼灯の前に火が灯る。
風もないのに揺れる火が集まり人の形を成すと、それは音もなく素足を地につけて瞼を開いた。

「…眠い」

薄目で目を擦っていたヒサナだったが、呼び起こされたことを理解すると状況を把握するためにキョロキョロ周囲を見回していた。
まだはっきり覚醒していないのだろう彼女の姿に、鬼灯はたまらずヒサナを腕の中に納めた。

「ち…丁…?!」
「まだ寝ぼけてますかヒサナさん、鬼灯です」

ぎゅうっと抱き締められる力強さに人のそれではない事を思い出し、意識も鮮明となり様々な記憶が蘇ってヒサナは頬を赤く染めた。

「は…離してください」
「…」
「僕完全に空気扱いかよ」
「白澤様…」
「気色悪いかもれないけど少し付き合ってあげなよ。あの後、大変だったんだから」
「あのあと?」

ヒサナが鬼灯にも問いかけるも返事はなく、代わりに更に腕の力が強まるだけ。
鬼灯はヒサナの匂いに、腕の中に確かにその存在を実感できることに酷く安堵しながら目を閉じて記憶を辿った。

記憶は、はっきりとあった。












見上げれば高い天井。そこへ向かって幾つもの柱が伸びている。

自分がどういう状況なのか、鬼灯は瞬時に飲み込めた。

腹の上には血塗れの白豚が横たわっていて、烏天狗が辺りを取り囲んでいる。
勢いよく身を起こせば烏天狗が一斉に身構えるが、そんなことには構っていられない。
身体はいつの間にか意のままに動かせるようになっていた。

どこか遠くから他人事のように戦況を見ている感覚だったが、ヒサナに好きだと告げられてぼんやりとしていた意識が鮮明になった。
自分が悪鬼に堕ちている自覚もなかったので、初めてその時怨念に喰われていたことを自覚した。
状況を整理しながら、手を取るヒサナに何か声をかけなければとは思うのだが、上手く声が出せない。
思いを巡らせている内に、今度は別れを告げられ一人残された。

鬼灯は指先を自らの口に添える。
唇には自分の物ではない柔らかい感触がまだ残っていて、彼女はもう目の前には居ない。

「…ヒサナさん?」

いつものように呼び掛けるが返事はない。引きずり出そうと試みても手は空を掴むだけ。

おかしい、いつもと違う。
どれだけ彼女が拒もうと、意思に反して現化させることは容易かったはず。

「ヒサナ…っ」

何度も呼び掛けるが、彼女をいつも感じていた気配もない。
いや、居るのは分かるが居ない。それこそ、ヒサナが現化する前のような、何の違和感もない身体だった。

「起きたか朴念人」

多少傷が再生したようで、血だらけの神獣が身を捩る。
ヒサナが還ったことで鬼灯も自我を取り戻し怨念を抑え込まれた為だろう、鬼灯が与えた傷も少しずつ再生速度を上げている。

先程まであれだけ憎いと感じていた奴が側に居ても、普段の煩わしいと感じる感情程度しか沸いてこない。
こうもヒサナが居ないと違うのかと思いながら、忌々し気に奴の角を血で滑るのも構わず軽々と引き寄せた。

「いってぇな、止めてやったんだからもう少し丁重に扱えよ!」
「それだけ吼えられれば大丈夫だろ。ヒサナさんはどうして出てこない?」

ギリッと手に力を込めれば、本来なら曲がらない方向へ首を回されそうになり、ぐえっと変な声が白澤から漏れる。
頭を振って鬼灯の手を払おうとするが、手は離れなかった。

「…僕の血が大丈夫なら、ヒサナちゃんが上手く還れたってことだろ」
「どういうことだ」
「どうもこうも、本来在るべき所へ戻っただけだよ」

体内の深淵、精神の一番深いところに根をはる怨念を糧とするのが彼等鬼火の性分。そこに溶け込み喰らい続けて鬼を動かす動力を為すのが、怨念を伴う死体へ入った鬼火の本来の役目。
作りかけの不完全な薬を吸い込んだことで、一度溶け込んだ鬼火が再び姿を成すという異常な状態で分離されそのままだったヒサナ。
しかし先の一件により、なあなあで過ごして来た日々に決別し意を決したことで、宙ぶらりんだった彼女の存在が元の鞘に収まったのだ。
それほどまでにヒサナの決意は固く、それが鍵となり彼女を再び深層心理まで引き込んだ。
折るのは容易くはないだろう。彼女もまた、強い怨念から生まれた妖怪鬼火なのだから。
どんなに弱くとも、想いの強さだけは御墨付きである。

「何故勝手に…!」
「僕じゃないよヒサナちゃんの意思だ!お前の為だろ?!」
「わかってる!」

力任せに白澤を角をつかんだまま投げ飛ばす。それは少し離れた所で烏天狗警察に受け止められた。

わかっている。そんなことを言われるまでもなく。
手のひらに爪をたてたまま拳を握りしめたので、ポタリと血が滴った。

ヒサナにもう会えない。
呼び掛けても応えもしない。

その事実に胸が抉られる想いだった。
眠いだの寒いだの、何だかんだ言いながらも祭り等外の世界に一喜一憂し楽しんでいたヒサナ。
彼らが生きるためだろうと、その昔鬼灯を生かしてくれた鬼火の一つ。
それが鬼火の生き方だが、普段呼び出されて不貞腐れていた彼女が見せた笑顔にどれ程心踊ったことか。
体質的にしんどいだけであって、外の世界に触れるのが嫌いなわけではない。
少しずつでも、負担をかけない程度に触れさせてやれたら。
そう思った矢先に、その機会を失わせてしまった。
自分なんかの為に、それが鬼灯は許せなかった。

「勝手な事は許しませんよ」

誰が助けてくれと言った。
誰が還れと言った。

ヒサナに会いたい。

その一心で鬼灯は己の内を探る。
ぞわっと背筋に悪寒が走るほどの怨念に、場の空気が穢れる。
その変わり様に身震いした白澤は、烏天狗に支えられたまま鬼灯を見るでもなく口を開いた。

「ははっ…その怨念を、ヒサナちゃんが還る前のほんの一瞬お前だけで捩じ伏せたんだから…なんとかなるかもしれないなぁ」
「なんとかなるんじゃないです、するんですよ」

再度唇に手を添え、強く強く彼女を想う。
いつも感じる内なる己の怨念。それに僅かに感じる異物感を慎重に厳選し手繰る。
想いが鬼火の力だと言うのなら、私だって負けはしない。

「ヒサナ」

愛しい女の名を紡ぐと、鬼灯は捕らえた微かな存在を逃がさないよう爪をたてるかのように腕を引き、自身から鬼火ヒサナを引き剥がした。












「もう二度と、あんな思いをするのは御免です」

引き剥がしてからヒサナを還したのは極楽満月を訪れる前が初めてで、呼び出すのも今回が初めて。
還してからまた同じようにヒサナが現化してくれる保証は何も無かった。
呼び出すまで不安で仕方がなかったが、だからこそ再び応えてくれたヒサナに鬼灯はいてもたってもいられず、もう二度と失いたくないと腕の中に納めた。

「泣きそうだったこいつを見せてやりたかったよ」

要らぬことを言うなと白澤を睨み付けるが、事実なのでどうしょうもないし今はヒサナを手放すのも惜しい。頭を刷り寄せてきた鬼灯にヒサナも腕を回した。

「大丈夫ですよ。鬼灯様が鬼灯様で居てくれるなら、私ももう少しこちらにお邪魔させていただきますから」
「もう少しどころかずっと居てくれないと困ります」
「じゃあ約束して下さいね。流石に悪鬼になられたら、私は今度こそ戻りますからね」
「二度と無いものを今度こそあると言われるのも不愉快です」
「痛い痛い痛い!」

頬をつままれ、たまらずヒサナが声をあげる。
漸く放された頬は患部が赤くなってしまっていた。

「でもヒサナちゃんがちゃんと出てきて良かったよ。前回と違って薬で不安定な状態になったんじゃなくて、宿主が力ずくで鬼火を引き剥がした訳だから、薬効かないだろうし出てこなかったらどうしようかと思った」

鬼灯の背後からヒサナを観察し、よかったよかったと頷く白澤だったが、その笑みはすぐに崩れることとなった。

「貴様…ここだから大丈夫だって言ったのは出任せか白豚ァ…」
「ぐぇ…ゴメンナサイ。でも大丈夫だろうと思って」

振り返った鬼灯に瞬時に首を捕らえられ変な音が響いたが、それは気のせいではないだろう。

「何かあったらどうするつもりだったんですか」
「そしたら何かしら考えてやるけど、でも大丈夫だと思ったよちゃんと!」

弁解するもむなしく、そのまま壁に叩きつけられ地に伏せた。
壁に亀裂が走るほどの衝撃だったが、白澤はイテテと呻いて易々と身を起こした。

「大丈夫ですか白澤様」
「うん大丈夫。ヒサナちゃんは優しいなぁ」

破顔して見せる白澤にヒサナもホッと柔らかく微笑めば、白澤の顔面に金棒がめり込んだ。

「これでも腐ってる神獣。治癒力があるんですから要らぬ心配ですよ」
「腐って『も』だろ、も!腐ってねーし!」
「ほら大丈夫です」

また言い争いを始めた二人の様におろおろと声をかけあぐねていたヒサナだったが、気付いた白澤が大きく息を吐いて気持ちを無理矢理落ち着けると、腰に手をあて嫌悪感たっぷりの顔で鬼灯に向き直った。

「でも…薬で無理矢理引きずり出されてたのと、今回鬼灯が力ずくで引き剥がしたのは同じようだけどまるで違う。後者の方が荒療治だから、今後何があるかわからない。お互いに気を付けとけよ」

言われるまでもない。
鬼灯は無言のままヒサナの肩を抱き寄せた。

20140830

[ 18/185 ]

[*prev] [next#]
[戻る]
[しおりを挟む]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -