一番遠くて近い場所

自分の状況が理解できなかった。

辺りを見回すと烏天狗警察が忙しなく飛び交っており、少し離れたところでは完全に伸びた白澤が治療を受けている。

おかしい。白澤様は鬼灯様の上にいたのに、あんなに遠かっただろうか。
後ろを振り向こうにも、体を拘束されていて身動きが取れない。

「どう…して?」

ヒサナは自分を抱き締めている人物に問いかける。
その声に反応するかのように、彼はヒサナの背に回した腕を未だかつてない程の力で抱き締めた。

「さよならって…言ったじゃないですか」

確かにこれで最後と、ヒサナは彼の中に還ったはずだったのに。
もう会うこともないだろうと、出てくるつもりも無かったのにどうしてこうもすぐ自分はまた現化されているのか。
ここは明らかに地獄門で、自分の感覚が狂っていなければ本当に今し方還ったばかりの筈だ。
身をよじろうにも、骨が軋みそうな程抱き締められ呼吸も苦しい。

ヒサナを拘束する鬼灯は、ヒサナの肩に顔を埋めたまま口を開いた。

「それは貴女が独断で行っただけで、許可した覚えはありません」
「なに言ってるんですか!さっきまでどんな事態だったか知らないんだったら教えて差し上げましょうか!?」
「知ってますよ。全て覚えています」
「だったら、お分かりいただけるでしょう!私が出てたらダメなんです」
「駄目じゃないです。むしろヒサナがいない方が困る」

いつもの低い声に、僅に怒気が含まれ更に低く籠る。
グッと腕の力を増され、これでもかと言うほど圧が加わった。

「ちょ…苦し…」
「私は貴女を手放すつもりは毛頭ありませんよ」

抗議の声をあげようと、鬼灯は少しだけ力を抜いただけで体制はそのまま、苦しいことに変わりはない。
一体何を考えているのか。腕を回そうにも、肩から抱き締められているので抵抗も何もできない。

「何も居なくなるわけじゃないですよ?唯元通り貴方の中に還って、鬼火として在り続けるだけです」

極楽満月で無理矢理引き剥がされる前に戻るだけ。
唯それだけの事とわかってはいるが、ヒサナも少し寂しいものがある。
しかし鬼灯を思えばそんなことを言っている場合ではない。彼を守ると誓ったのだから。

「一度手にしたものを今更戻せますか。側に居ようと触れられないのなら、声が、姿が見えないのであれば、ヒサナさんが居ないものと同じです」

それなのに、鬼灯は頑なにそれを受け入れようとはしない。

「…それ世の遠距離恋愛者が聞いたら怒り狂いますよ」
「彼等は会えるのですからそもそも条件が違います。私は会えるものを態々二度と会えなくする必要はないと言っているんです」
「だから、そうしないとまたさっきみたいな事が起こるんですってば!未然に防ぐには現化する以前の状態に戻るのが一番でしょう?」
「一番どころか最悪の案ですね。却下です。今回は貴女が無断で私の側を離れたのもいけませんよ」

確かに、ヒサナが極楽満月へ行かなければ鬼灯が錯乱することもなかったが、しかしそれも時間の問題だっただろう。

「う…それは…でもまだ食欲不良も原因わかりませんし、また悪鬼になるかもしれません」
「二度と醜態は晒しません。捩じ伏せてやりますから」
「何わからないこと言ってるんですか。私を引きずり出すのとは勝手が違います。そもそも、今この状態でも怨念は募り続けてるんですから早く戻らないとまた悪鬼に…」
「ですから、貴女は先程から何を言っているんですかヒサナさん」

鬼灯はヒサナに腕を回したままそっと身体を離すと、腕の中の彼女を見下ろした。

「え…丁…」

やっと顔を見せた鬼灯を見上げたヒサナは、驚愕の声をあげた。
そこには、あるはずのないものが確認できたからだ。

「どうして…角があるんですか?」

額に、白く尖った一本角。
鬼灯の中に居るときに彼の中から鏡に写った姿や、悪鬼と成った時にしか見たことがないが、それはヒサナが現化している際にはお目にかかる筈の無い、鬼灯を象徴するものの一つ。

「悪鬼に堕ちてしまいましたか?だっ…だから私丁の中に還れなくてここにいるんですか?」

でなければ自分が現化しているのに鬼であれる筈がない。仕出かしてしまった事態に思考が回らなくなる。
どうしよう、取り返しのつかないことをしてしまった。

「違います。落ち着いて話を聞きなさい」

取り乱すヒサナを落ち着けようと、鬼灯は彼女の頭に腕を回すとポンポンとヒサナの背を撫でながら再び抱き締めた。

「貴女は間違いなく一度私の中に還りました。それを引きずり出したのは私です」
「だったら何故…」
「言ったでしょう。無理矢理捩じ伏せてやると」

心地好いリズムで背を撫でられながら、ヒサナも自分を落ち着かせるよう深く息を吐いた。

「ご覧の通り、問題無いでしょう?」
「そんなことが…」
「牙も在りますよ、見ます?」
「見えます大丈夫です…」

ヒサナから手を離し、両腕を開いて見せて喋る鬼灯の口許から時折除くのは確かに鬼の犬歯で耳も鋭い。見てくれは完全にヒサナが内に要るときの鬼神だった。

「そう言えばものすごい力で抱き締められましたが…」
「鬼の身でヒサナさんに触れるのは初めてなので、加減が出来ていないのかもしれません」

スミマセン痛かったですかと問われるが、もう大丈夫だとヒサナは頷く。

「確かに怨念の力で鬼のままですが、自我を保てればそれは悪鬼とは言いません。いくら自分の怨念と言えど、身体を明け渡すつもりはありませんよ。…ヒサナさん無しで手懐けるのはまだ骨が折れそうですが」

難しいですねと、鬼灯は握ったり開いたりしながら確認していた拳を閉じる。

「でしたら、私が居なくてももう大丈夫なんですか?」
「いえ流石に人と鬼火の合の子である私には、募り続ける怨念を消化する術は在りません。捩じ伏せると言っても限度があります。ですので貴女も疲れるでしょうし、戻って頂けたらと思います。以前のように」

以前のように。
鬼灯の言う『以前』は、ヒサナの言う『以前』とは異なる。
ヒサナが現化した後に、今まで過ごしてきた『以前』のように。

「…居ても、いいんですか?」
「ですから先程申し上げましたように、居てくれなければ私が困ります。ヒサナさんが側に…隣に居てくだされば、私は私でいられますから。ヒサナさんを失うのは御免です」

今回の問題はヒサナは自分のせいだと思っていた。いや、実際そうなのだ。
それでも、平気だから大丈夫だからと鬼灯本人に言われれた事で、少しだけ肩の荷が降りたような気がした。

「また丁に、こきつかわれる訳ですね」
「ですが、私に会うのは嫌いではないのでしょう?」

鬼灯の言葉に、ヒサナは肩をビクリと跳ねさせる。
そろそろと目線を一度横に流し、気まずそうに鬼灯へと戻すと顔を真っ赤にして口を開いた。

「なん…なんで知って…」
「言ったでしょう。全て覚えています、と」

その文句は悪鬼と化した鬼灯に言った言葉。
まさか記憶に残っているとは微塵も思わなかった。

「覚えて…!」
「自由は効かずとも、ちゃんと聞こえてましたよ。私が好きだそうですね?」
「……覚えてないです」
「一言一句違えずに言って差し上げましょうか『私も、丁の事が好きな』―――」
「わー!やめてくださいやめてください!!」

慌てて口を塞ごうとヒサナは手を伸ばすが、鬼灯はいとも容易くひょいとそれを避ける。
ヒサナは恨めしそうに空を切った腕を握りしめながら鬼灯を睨み付けるが、気にも止めてないようで鬼灯はすましたまま仁王立ちしていた。

「烏天狗警察の皆さんも聞いてたと思いますけどね。確認してみます?」
「ご遠慮させていただきます」
「私の鬼火のヒサナだと、皆に知らせておけばよかったのでしょう?」
「なんでそんな昔の話を…!」
「貴女を人前で還しました。他人の前で引き摺り出しもしました。今まで頑なにヒサナの事を隠してきた苦労も台無しです。ですがこれで、色々と大っぴらにできますね」

色々と、と言うことが引っ掛かったが怖くて聞くこともできなかった。
もしかしたら大人しく籠の中に入っていた方が平和だったのかもしれない。
ギラリと鬼灯の目が光ったような気がしてヒサナは思うが、外に出てしまってから後悔してももう遅い。
ヒサナは何も掴めなかった手を胸にぎゅっと抱いた。

「本当に!…本当にまだよくわからないんです。さっきも言いましたけど、丁の事が好き『なのかもしれない』んです。ですから…あの時は最期だからと率直なお返事をしただけで、まだ自分の気持ちがわからなくて…」

あの時は本当にどうかしていた。
最期だからと、ペラペラと色々いらないことを喋ってしまった。
今思い返せば顔から火が出そうだ。鬼火だから本当に出そうな気さえする。

覚えている。覚えているが、こんなまさかもう一度、しかもすぐに会うことになるなんて全く思っていなかったので、ハイそうですと認めてしまうのも気恥ずかしい。
というか、これが本当に好きだと言う気持ちなのか、ヒサナには未だによくわからなかった。
俯いたままそう告げたヒサナを、鬼灯は小首を傾げて愛おしそうに目を細めた。

「では、嫌われてはいないんですよね?」
「は…い。少しだけ、時間を下さい」
「それだけ聞ければ充分です。期待してもいいというか…可能性があると言うことさえわかれば」

鬼灯の手がヒサナの頬を撫でるのと同時に、彼の口許が一瞬緩んだ気がした。

「時間なんていくらでも差し上げます。しっかり自覚させてやりますから、覚悟して下さい」
「なっ…丁!?」

何を言い出すのかこの人は。
不穏な物言いに慌てて距離をとろうと後ずさるが、寸前のところで襟首に手を添えられ阻止された。

「それと、ヒサナさんが私が鬼と人である時で呼び方を使い分けていたのは分かってましたが、私が嫌だと言ってから、曖昧になってたのに気づいてました?」
「……」

確かに、彼の内に居るときに呼ぶのであれば鬼灯。現化しているときは丁と、見目に合わせて使い分けてはいた。
だって事実であったし、一々反応を返す彼を見るのが細やかな反抗であり楽しみだったから。

「一応、気を遣って下さったのでしょうか」
「さぁ…なんででしょうね?」

確かに嫌だと言われてから、告白されたことも相まってどう呼べばいいかヒサナのなかで混乱してはいた。
素直に聞くのも気恥ずかしく、だからと言ってそのまま呼ぶのもなんだかおかしくて。どっち付かずのまま呼んでしまっていた。

「しかし先程現化してからは丁、丁と。癖ですかね、顔を会わせてるときはその呼び名だと。私言いましたよね?その呼び方は嫌ですと。そしてヒサナさん前に言いましたよね?自分が抜け出れば私は鬼神鬼灯ではなく只の丁だと」
「言ってましたね」
「…ヒサナさんの目が節穴のようですのでもう一度いいますよ?よくご覧なさいな」

襟首を引かれ、再び引き寄せられれば見上げれば直ぐに彼の顔。
また好きだの嫌いだの、そんな話をしたばかりで居た堪れない私は下へと顔を背けるが、そんなことを許される筈もなくグイッと顎を引かれると強制的に顔を上げられた。

「先程確認なさいましたよね?貴女がここに居ても、私はもう丁ではありません。鬼神鬼灯です」

口許から覗く牙に、一本角を持つこの鬼神。

やっと会えました。と、鬼灯は表情を変えぬまま楽しそうに言うのであった。

20140822

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