安全地帯

確かに、腹から出たばかりで時間の概念なんてものは赤子には備わっていないだろう。
自分もそうだったと、ヒサナは己を振り返り無理な話だと納得する。
鬼灯に引きずり出されて、眠いのに働かされて相手をさせられ、本当に眠いのに。
無事に退院して鬼灯の自室に戻って数日、不規則な赤子の鳴き声に今も呼び起こされてヒサナは赤子を抱きながら壁にもたれて座っていた。

「眠い…」

時計を見るに夕暮れ時か。
昨日も録に寝られていないうえに、日中も抱いていなければ泣くし寝たかと思えば布団に下ろすのに失敗して泣き出すの繰り返し。
いくら小さいとはいえ、毎時抱いた腕はもう筋肉痛か悲鳴をあげて満足に上がらない。
授乳したら排泄を見て寝かしつけて、寝たかと思えばまた起きて授乳をしての繰り返し。
只でさえ人一倍睡眠には貪欲だというのに、我が子のペースでの生活になれるのは骨がおれそうだった。

「いい子いい子…」

とんとんと背中を撫でながら泣き止んで、またまどろんでいる我が子を見つめる。

「かっわい…うわー可愛い。なにこれもしかしてうちの子…っ!」

思わず口許がほころぶ。
可愛い。ものすごく可愛い。
寝てくれとは思うが、別に手間だとも嫌いだともちっとも思わない。
可愛い我が子だからこそ相手もするし、自分を優先するなんてそんな無責任に生んだつもりも毛頭ないので初見の世界で頑張っている赤子中心の生活をしてやりたい。
そうは思うのだが、悲しいかな現化して備わった異常な眠気は枯渇している時よりは弱いもののヒサナの瞼を何度も落とす。

「ねむいー」

幾度目かのあくびを噛み殺して赤子を抱え直すが、ゆったりとした瞬きを三度繰り返すとその瞼は再び開かなかった。






最近はもうどうしようもないので騒がなくなったが、元来鬼灯の中に居たものだから地獄の刑場ならまだしも遠く離れた閻魔殿での気候は鬼火のヒサナにとっては肌寒い。
ある程度温度調節もできるようになったが、全身を包み込む保温力と安堵感に勝るものはない。
故に寝具なんてものはヒサナにとってはまさに居心地の良い場所であり、永住してもいいと思えるほど好きな場所だった。

ああ、本当に温かい。

寝返りを打つついでにかけ布団を巻き込んで更にくるまる。
温かくて柔らかくて、いつまでだっていられそうだがそうも言っていられない。
赤子がぐずりはじめたら別れを告げなければならないと思うと名残惜しいが、仕方がないことだと腹をくくれる。
だからせめて、もう少しこの至福の時間を堪能しようともう一眠りを決め込もうとしたところで、ヒサナははたと我にかえる。
何故、自分は布団にいるのかと。

「赤ちゃんは?!」

ざわざわとした悪寒と共に瞬時に飛び起き声をあげる。
確かに自分は赤子を腕に壁に持たれて寝かしつけていたはずなのに。
まさか子どもを転がしたまま、自分だけ寝てしまったのだろうか。
ざっと寝台に目を通して赤子がいないことを確認すると視線を寝台から外へ走らせる。
ふと、部屋が少し明るいと認識した瞬間無意識に光源へと首を回す。
明かりを少しおとした間接照明の置かれた机の前には、口許に人差し指をたてた鬼灯の姿があった。

「ほ…?」
「しー。起きてしまいますよ」
「起き…え?」

小声で囁き、ゆっくりと視線を落とす鬼灯につられてヒサナも彼の膝の上を見る。
そこには、片腕に収まって抱かれている赤子の頭部がのぞいていた。

「仕事から戻ったら、ヒサナが赤子を抱いたまま寝ていましたので」
「えっ、ご…ごめんなさ」
「なんでそうなるんですか、責めてなんていませんよ。ですので貴女を寝かせて赤子は預かりました。すみません日中抜けられなくて…やはり育休を申請するか」
「大丈夫ですよ。鬼灯様忙しいですし、鬼灯様が居ないと皆大変だし、そんなお手を煩わせるわけには…あ、授乳…授乳今何時…」
「三時間でしたよね。頃合いかと思いまして粉ミルク準備してたら丁度起きたので与えておきました。私も父親ですから、育児を担うのは当たり前なんですけど。ヒサナが倒れてからでは遅いんですよ」
「鬼なのに神対応…」
「鬼神ですから、と言いたい所ですが父親ですので」

鬼灯だって絶対に仕事で疲れているはずなのに。
三時間、と言ったのは授乳の目安。
ならば今は夜の九時か零時か、まさか三時頃ではないだろうとは思いたいが。
夕刻から随分と寝てしまった。
仕事から戻ったのに部屋でも休めず、ご飯も出来てなくて申し訳なさすぎる。
ご飯は食堂でとれただろうか、鬼灯は赤子片手に何か読み物をしているが、明日の仕事のものではないのだろうか。
足手まといにはなりたくないのに。

「仕事終わって疲れてるんじゃないんですか?赤ちゃん預かりますよ」
「激務の徹夜続きより全然」
「腕つかれちゃいますよ。軽くても長時間抱いてると肩が…」
「私をなんだと思ってるんですか、鬼ですよ。子ども一人くらい何日だって抱えてられますよ」
「あ…そうか鬼灯様鬼でしたね、私と違うのか」
「ヒサナの事だってそこの壁から寝台に運んでますし、貴女の事だって何日も持てますよやろうと思えば」
「頼もしい…って違う。で、でも…」
「起き上がったら貴女も寝かしつけますよヒサナ」

休んでもらおうと理由を並べながら寝台から降りようとすれば、更に細められた視線に睨まれる。
その瞳に気圧されながら降ろしかけた片足を中に浮かせたまま固まり、そのまま再び布団の中に引っ込めた。

「お利口さんですね」
「なんですかその言い方…!」

ゆっくりと赤子を気遣いながら立ち上がった鬼灯は、そのままヒサナの横たわる寝台の縁に腰かけた。
少し首をあげて彼の腕の中を覗き込めば、我が子は安心しきって熟睡している。

「世界一安全なところですよね、そこ」
「ヒサナも好きですよね、私の腕の中」
「す…っ!絶対変な意味で言ってますよね…!」
「さあどんな意味でしょうわかりません。ほらほら静かにしないと起きますし、寝られるときにきちんと寝てしまいなさい。誰より睡眠に関しては貪欲なんですから相当無理をしているはずですよ」

鬼灯に赤子を支えていない方の片腕で頭を撫でられ、柔らかな感覚に目を細めれば、思い出したように睡魔が面を上げる。
眠い。
しかし自分だけ、鬼灯に託してしまってもいいものだろうか。

「まだそんな顔をしますか。どうしようもなければ抱えたまま寝られます。それとも、そこまで信用ならないと言うのなら話は別ですが」

どうやら困った顔でもしているらしい。
鬼灯に誤解させてはいけないと、ヒサナはゆるゆると首をふった。

「ううん、違う…」
「なら、」
「赤ちゃんと一緒…世界で一番、安心できる…から。ありがと」

思い出してしまった睡魔は容赦がないようで、もう上手く言葉も紡げているかわからない。
焦点のあわないぼんやりとした世界で鬼灯が笑ったような気がしたが、それももうわからない。
唇に柔らかいものが触れたが最後、ヒサナは再び完全に眠りに落ちた。

20181013

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