祝福

病室内では、他の患者さんの迷惑になら無いようお静かに。

誰もが知っている決まりごとだろうに。
今現在、この産婦人科内の一室の静寂を乱していいのはヒサナの腕の中で眠る赤子だけな筈なのに、いい年どころかそれすらも軽く飛び越える男達が静寂を突き破って言い争っていた。

「だーかーら!どこに見舞い客を突き返す阿保がいるんだばーか!もてなせ」
「どこにもてなされる見舞い客がいるんだ。そういう迷惑な見舞い客がいるから面会謝絶という言葉が存在するんですよ帰れ帰れ」

同じ目線の似た顔を付き合わせて、部屋の境界越しにぎゃんぎゃんと喚く白澤と鬼灯。
獄卒が見れば一目で理解する現場だろう。
鬼灯が見舞いに訪れた白澤を嫌がっているのだと。
その二人を交互に見たヒサナは、大きく肩を落としてため息をついた。

「鬼灯様、病室ですってば。赤ちゃん起きちゃいますよ。もういいでしょう」
「ほら見ろヒサナちゃんもそう言ってるだろ!泣いたらどうするダメな父親だな!いい加減いれろよ!」
「ヒサナの言うとおりです、泣いたらどうするんです。さっさと帰ってください」
「だから入れろってのー!」

一瞬。
ほんの一瞬、鬼灯も仕方がないと諦めた一間で瞬時に白澤は部屋に滑り込む。
そうしてようやっと対面した、世界で一番嫌悪する男と、自身の行いが現化原因であるが故に実の娘のように気にかけている彼女とのこ子を初めて覗きこむ。
生まれたて独特の赤みのさした肌にしわしわの顔。
まるでそこらのおじいさんのように見える容姿なのに、これが可愛いと思うのだから赤子とは本当に不思議な生き物だ。
思わず白澤は口許の弧を深めてにんまりと笑った。

「ああ、この気ね。あの日感じたものにそっくり。やだやだ」

思い返すのはヒサナに妊娠を告げたあの日。
一人で来院した筈の彼女が奴と一緒だと感じる程に、赤子の半分の気は白澤の後ろで不機嫌を露に睨み付けてくる朴念人のものによく似ている。

「ものすごく気は進まないけどね、君のせいじゃないし、ヒサナちゃんのためにも吉兆の祝福をね」

ふんわりと草花と太陽の匂いが漂うような、天国の匂いが強まったというか、そんな不思議な錯覚が白澤を取り巻いた気がした。
当の白澤はヒサナの抱える赤子に手をかざし、柔らかな毛並みの小さな頭部を一撫でした。

「無事に生まれてよかった。健やかに育ちますように。ヒサナちゃんも、お疲れ様」
「ありがとうございます、白澤様」
「いやいやこれくらい。僕はそういう生き物だから」
「仮にも神獣だからな」
「本業ー!!」
「どこの世界に本業が不吉を撒き散らしにくるんだ前科持ちが」

鬼灯は自身の就任式の日の事を鮮明に思いだし、舌打ちをひとつ。
黒猫人形が舞う空の話など、忘れたくても忘れられるはずがない。
嫌悪を隠さずに睨んでくる鬼灯を目の当たりにしたまま、白澤はそれ以上噛みつくことなくヒサナと赤子に返したのとは全く別の笑みを浮かべた。
白澤の口許が、再び綺麗な弧を描く。

「前科持ち…前科持ちねぇ」
「なんですか記憶喪失ですか」
「いやいや、お前のもちゃんと覚えてるよ。忘れるわけない。ふぅん、その『前科』ね」

何やら含みを持たせて白澤はけらけらと笑う。
鬼灯もヒサナも首をかしげるので、白澤は愉快でたまらない。

「お前に撒き散らした不吉の方の話じゃないよ。この僕がヒサナちゃん達をきちんと祝福するのは、二度目だよ」
「?どういう意味です」
「吉兆の神獣であるこの『僕の祝福を受けている』のに、こんなにギリギリで生まれてきてるんだ、無事で本当によかったね」
「…どういう事ですか白澤様?」

ヒサナもおもわず白澤に問う。
まるで己の祝福がなければ今頃は…とでも言うような物言いは、一体何の話をしているのだろうか。

「僕の吉兆をもってしても、これだけゴタついたんだ。本当に、一番に嫌がらせしておいてよかった」
「一番に嫌がら…あ!」
「なんですヒサナ」

一番。
そのキーワードにヒサナは瞬時に思い出す。
それは今ヒサナの腕の中にいる赤子が、まだ腹にいる頃の、まだそれを知りもしない時に極楽満月を訪れた日の事。
懐妊を知り、不安に揺れる自分を励ます意味もあったろう。
しかし、それよりも遥かに上回る想いで赤子の父親への当て付けとして、生涯唯一度しかない瞬間を白澤はやってのけたのだ。
初産であるヒサナに、初めての祝福を告げたと言うなんとも子ども同士の低能な喧嘩もいいところのしょうもないものなのだが。
そんなことがあったとヒサナは鬼灯に打ち明ける。
どうでもいいとヒサナはそうは思うのだが、時としてこの神獣と同思考回路を持つ鬼灯は、白澤が考えたように面白くは全くないようであった。

「……ほぉー」
「ざまあみろ!僕が一番にヒサナちゃんにおめでとうって言ったんだからな!そりゃもう一番に喜んでやったんだからなへへーん!」

その言葉を言い切った直後、白澤の視界はぐるりと回る。
病室だと、彼を一度とがめた筈なのだがとヒサナはその光景に肩を落とす。
鬼灯に投げ飛ばされた白澤の体は大きく宙を舞い、病室の壁へと叩きつけられていた。

「嫌がらせしている暇があるなら、ヒサナにまっすぐ帰りなさいと一言言ってやってほしかったです」
「それは私の責任ですので白澤様は何の責任も…」
「よくわかってるじゃないですかヒサナ、あと嫌がらせの件も随分と遅い事後報告ですよ、また」
「う……」
「いってえええ!!おまっ!感謝しろよ!僕の祝福がなかったらこの程度じゃすまなかったかもしれないんだからな!!!」
「この程度、この程度ですか。吉兆の神獣の名が聞いてあきれますね。祝福があの程度とは」

ヒサナも赤子も双方死にかけた身である。
吉兆を司るのだから、せっかくならきちんと何の問題もなく守られるべきではなかったのだろうか。
それとも白澤の言うとおり、最悪の結果を導く運命が決まっていたのを祝福が覆したと言うのであれば、無事に生まれてきたのは奇跡に近い出来事。
後者ならば鬼灯も白澤に感謝せざるを得ないが、それは確かめようもない話。
頭ではわかっていても素直に納得できるものでもなかった。

「ふしだら過ぎて能力衰えてるんじゃないのか淫獣」
「うるっさいなーほんっ…お前は絶っ対!祝福してやんない」
「そんなものこちらから願い下げです」
「ふやぁ…」

双方の口論を遮るように、なんとも間の抜けたような声が上がる。
声のする方を見れば、それはそれはうるさかっただろうに、今まで泣かなかったのが不思議なくらいだったヒサナに抱かれて眠っていた赤子が目を覚まし、ふすふすと泣き声をあげていた。

「ほらもう、起きちゃたじゃないですか可哀想に」

慌ててヒサナは我が子をあやす。
しかし大きな怒声に驚いたのか、赤子は泣き止むそぶりを見せず手足を突っ張って泣いていた。

「大丈夫ですよーお母さんがこんな子ども同士の喧嘩からちゃんと守ってあげますから」
「すみませんヒサナ」
「自覚があるならちょっと気を付けてくださいね鬼灯様。白澤様も」
「ごめんごめ…ん?」

手のひらを胸の前で合わせにこやかにヒサナに謝る白澤は、ふと泣きわめく赤子に視線を落として瞬きを一つ。
そうして白澤が手を伸ばすので、瞬時に鋭く見やりった鬼灯にヒサナが咎める視線を送る。
怪訝な顔で白澤の動向を見守る鬼灯の前で、白澤は赤子の手をとった。

「これは?」

泣きわめく度に握ったり開いたり細やかに動いている手をとり、指先でそうっと開く。
親指で開くのも大きすぎて危ういのではないかと思われるほど細い指と、小さな小さな手のひら。
白澤の指先に開かれた手のひらをヒサナも覗きこむ。
見れば左手のひらには、赤く腫れ物が治りかけているような痕があった。

「なんだろうこれ母斑?…じゃなさそうだけど」
「えっ…怪我か何かですか?!」
「んー?怪我って生まれたばっかでしょ。うーん…なんだろうね、火傷の痕にも見えるけど」

只でさえ気付きもしなかった手のひらの異常に気が気ではないのに、白澤の言葉でヒサナは固まった。
火傷のようだと、確かに言った。
生まれたばかりの我が子が何処で火傷をするかなど、思い当たる事は一つしかないではないか。

「わた…わたしのせい…?」

鬼灯とも話をした。
この子は鬼だろうか。鬼火だろうかと。
もしも、鬼火に耐性のない鬼だったら。
腹の中で、何かしら自分の鬼火で傷付けてしまったのだとすれば。
呼吸が乱れ、目が泳ぐヒサナの肩が不規則に上下する。

「は……ど…」
「落ち着きなさいヒサナ」
「あ…鬼灯…様?」

震える手で赤子を抱く体を、鬼灯にやんわりとだきよせられる。
鬼灯の腕の中に包まれて、その道服の暗闇と暖かさに少しだけ平常心を取り戻す。

「ヒサナは温度調節が出来るでしょう。それに、胎内での火傷だと言うのであればこの子の全身に痕があると思いますよ。手のひらだけというのは不自然です」
「そうでしょうか…」
「それにもしヒサナが原因だとしてもこの程度、鬼でしたらすぐに治るでしょう」
「そ…うですかね」
「ええ、…ったく。産後間もないヒサナを不安にさせるようなこと言わないでいただけますか白澤さん」
「ごめんごめん」

赤子を気遣ってか、ぎゃんぎゃんと小声で言い争いを始めた二人の声を、ヒサナはいまだ鬼灯に包まれた世界の中で聞いていた。
ヒサナも白澤の指摘した赤子の左手のひらをそっと開いてみる。
確かに、赤く、火傷の治りかけのような皮膚の張った照っている痕だ。
鬼灯は否定してくれたが、可能性がゼロのわけではない。
内心申し訳なく謝罪していれば、ヒサナの指先を力強く握りしめてくる赤子の手。
まだ視力もほとんどなく、感情を表情に表すといった概念もないだろうに。
いつの間にか泣き止んでいた赤子が、確かにヒサナを見て笑っていた。

20180616

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