待望

何がなんだかもうよく覚えていない。
痛くて辛くて、助産師の声をなんとか聞き取って過ごした時間はどうやら相当長いものだったらしい。

「はい頑張りましたね〜おめでとうございます。男の子ですよ」

そう言って褒め称えられながらヒサナの胸の上に、小さな重みが横たえられる。
息も絶え絶えに首をそちらに向ければ、小さな産声をあげて顔をくしゃくしゃにして泣く赤子が見えた。

「うまれたぁ…」

疲労と痛みで涙ぐんでいてよく見えない上に、赤子の頭部が視界の大半を占めているのだが。
強い安堵感に涙がボロボロと止まらない。
顔を覗き込もうとしたのだが「はいちょっと預かりますね」と赤子はさっさと助産師に抱き上げられ、慣れた手付きで身長体重を測定し終えるとあっという間に綺麗に身を清められていた。

「はい今度はお父さんどうぞ」

有無を言わさない自然な流れで、柔らかな新しい布にくるまれたばかりの赤子は鬼灯に抱き抱えさせられる。
そして助産師達は各々片付けを始めていた。
その場に残された長身の鬼灯が両腕に納める赤子は、本当に本当に小さく見えた。

「ヒサナ、お疲れ様です…ありがとうございます」

鬼灯が珍しく少し呆けた様子で赤子を見つめて言うのがおかしくて、ヒサナは大きく息を一つついて頬を緩めて笑う。
瞬きする度にまだ涙がこぼれる。
どうしたんですかと問えば、ぎこちなく赤子を抱いたままヒサナの隣の席に腰を掛けた。

「結構小さいですね…赤子は見慣れていますが、皆さん退院されてからなので、生まれたてを間近で見たのは初めてです。多分。サクヤ姫の時見たか…?覚えてないです」
「うわー…本当に小さいですね」
「鬼の力で潰してしまわないか大変心配です」
「………その子も、鬼なら?大丈夫なのでは」
「鬼でしたらね。鬼火寄りなのか、鬼寄りなのか、はたまた人寄りなのか…クォーターってわかりませんねぇ」

泣きつかれてきたようでふやふやとした声をあげるようになってきた我が子に目をやる。
身なりを整えてもらった彼は、空気に触れて乾いてきた黒髪がふんわりと逆立ってきていた。
鬼灯によく似た艶やかな黒髪。
これで額に一角まで頂いていれば鬼灯似、と思ったのだが、ヒサナは驚いたように肘で身をほんの少しだけ浮かせて鬼灯へと寄った。

「あれ、角がない」

額どころか、薄い毛髪のなかにもそれらしき物は見当たらない。
無いと言うことは鬼火である自分似なのか、それとも人寄りなのだろうか。

「鬼の可能性は無いってことですか鬼灯様」
「馬鹿ですねえ。生まれ出でてすぐに角があるわけないでしょう」
「え?」
「母親の胎内裂くことになりかねないでしょう。地上の動物もそうでしょう」
「ああ、確かにそうですね」
「鬼ならこの時期にも核が無いことはありませんが…ああ、これじゃないですか」

柔らかな手付きで赤子の頭を指先で撫でていた鬼灯が一点で手を止め、ヒサナの手をとる。
冷たい鬼灯の手に導かれたのは小さな小さな赤子の額のやや上部。
引かれるままに触れたほんのり暖かい額には、僅かにぽっこりした、しこりのような膨らみがあった。

「これが角になるんですか」
「角になると言うか、もう角と言うか…まあ成長すれば伸びますよ。人と鬼火のハーフの私でこの程度の長さですから、純粋な鬼ほどまではこの子もいかないかもしれませんが」
「つまり鬼因子はあるんですね。へー…鬼火はどうなのかしら」
「この子がどのような子なのかは、成長するにつれてきちんとわかっていくんじゃないですか」

これから、この小さな赤子が成長してゆくにつれて様々な一面を見せてくれることだろう。
ヒサナは鬼火として得たこの今生、この子の母親であると言うことはけして変わらない事なのだと思うとなんだかくすぐったい気持ちになった。

「ふへへ…」
「なんですか変な声で笑って」
「…仮にも奥さんに対して変な声とか言いますかね」
「事実ですし。仮にもではなく正真正銘私の妻ですが」
「や、う…」
「で、なんです?」
「…いえ、私はこの子のお母さんで、鬼灯様がお父さんで、この子は私達の子なんだなと思うと、なんかこう…ええと、えーっと、何て言えば良いんですかね」
「語彙力」
「難しい…いえもう言葉では言い表せないくらい、なんでしょうこれ…幸せ?だなあって…ふふ」

鬼灯の腕の中で、赤子はすっかり泣き止んで小さな黒い瞳を明かりの下に輝かせている。
見目にはわからない角を手のひらに僅かに感じながら、ヒサナはその頭をそっと撫でた。

「ねぇ鬼灯様」
「なんですか」
「名前」
「名前?」
「赤ちゃんの名前、鬼灯様がつけてください」

学が数百年単位で止まっている自分よりは、鬼灯の方が適任であろうとヒサナは考える。
撫で続けていた赤子は、そのリズムにうっとりするように目を閉じた。

20180415

[ 109/185 ]

[*prev] [next#]
[戻る]
[しおりを挟む]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -