蜜月

長い廊下の終わりはいつだったかと、木箱を抱えたヒサナが法廷と従業員宿舎を繋ぐ廊下を小走りに駆けていた。
事の発端は数刻前。
自室で珍しく仕事を広げていた鬼灯の後ろの寝台で寝転んでいれば、突然顔面すれすれで万年筆が飛んでいった。

「危なっ!?」
「チッ…ねぇヒサナ、暇ですよね。ちょっと書庫までいって本取ってきてください」
「舌打ちしましたよね、壁に突き刺さってるんですけど当てるつもりだったんですか!しかも暇だって肯定してないのになんで決定事項なんですか」
「ではヒサナと少しでも一緒に居たくて閻魔大王のせいで終わらなかった仕事を仕方なく持って帰って来てここで仕事している夫よりも、特に会話無く寝台で転げてるヒサナさんの方が忙しいと。何に忙しいんだ息か」

一気に捲し立てられ、相当鬼灯が不機嫌なのは理解した。
それも部屋に戻ってまで仕事を広げていたのは自分のためだというのだから、気遣っていたつもりだったが逆に苛立たせていた事実に肩を落とす。

「…すみません。邪魔しちゃ悪いかなと寝ようかと思ってました」
「じゃあ居るも居ないも同じです。本取ってきてくださいよ」
「…わかりました」
「あ、そこの木箱を使った方が良いですよ大変ですから」
「え、そんなにあるんですか」

鬼灯の指が指し示した先には、部屋の隅に置かれた抱えるほどの大きさの木箱。
しっかりとした作りのそれは、見た目からもわかるように物を沢山入れても耐えられる強度を持っていそうであった。
しかしそれは豪腕である鬼が使うから可能であった作りであり、ヒサナの腕力では既に箱だけで重いだろう。
思わず不満を漏らせば、矢で射ぬかれるがごとく鋭い視線が突き刺さった。

「何か?」
「いいええ何も何も…」
「それと、帰ってきたら別にお気遣い無く」
「…!はい!」

背中越しに告げられた言葉に、ヒサナは嬉しそうに部屋を出た。

夫婦になって3ヶ月、式をあげて早半月。
これといって大きな変化はないが、少しだけ鬼灯にも余裕がでてきたようで通常運転で見せる悪態も増えた。
その事実に安堵しながらも、その態度を受けるのは面白くもあり逆もまた然り。
重い木箱を抱えてようやっと突き当たりの鬼灯模様の扉にたどり着くと、離せない手の指先だけでなんとか扉を開いた。

「戻りまし…」

た。
普段と変わらない声量で発した声を、室内の光景を目にした瞬間ヒサナは慌てて語尾をつぐんだ。
退出する前と変わらない、ごちゃごちゃとした鬼灯の部屋。
先程と唯一異なるのは、この部屋の主が机に突っ伏していることだった。

「鬼灯様?」

腕を枕に、顔を横たえ深く寝息をたてている。
角が邪魔で下を向いて寝れないのだから、必然的に腕を枕にしても顔を横たえるしかないのだろう。
隠されることなく晒されている寝顔にあどけなさを感じ、ヒサナは彼の横にかがんで目を細めて微笑んだ。

「睫毛ホント長いなぁ…」

閉じた瞼に触れるか触れないかの距離で指先をかざす。
面と向かえば無表情と言えどかっこいい顔立ちだとは思うが、横顔は男ながら綺麗だと感じる。
黒い睫毛の下、少しだけ隈が刻まれた目元を親指でなぞる。
それでもなんの反応も示さず寝息をたてる鬼灯に、ヒサナは膝に抱えていた木箱を床に置いて机の横に腕を寝かせて顔を預けた。
この鬼の嫁になったと言っても、元々鬼灯の中に在り共に暮らし過ごしてきたのでこれと言って生活に大きな変化はない。
住んでるところは法廷と近く勝手の良い鬼灯の私室のままだし、食事だってたまには作るが食堂があるからとそちらが主流だ。
身の回りの世話は前からやっていたし、特に鬼灯に新たな物を求められることもない。
今まで通り、と思いを巡らせたがそれは違うかと一つだけ思い当たり独り首を振る。
あの日鬼灯自身が言っていたが、本当に自分の側にだけ居るという明確な契約を欲したのだと実感せざるを得なかった。

「鬼灯様からは相手、してくれないんですかー」

先程せっかく無理をして戻っても構いもしないと怒られたが、邪魔したくなかったのは本音だし自分も構って欲しくなかった訳では決してない。
忙しいのは重々承知しているが、少しだけ寂しさを抱きながら鬼灯と同じ向きに頭を横たえ、飽きもせずにその寝顔を眺める。
そうするだけで不満に勝る愛しさが募るのだから、好きだなぁと改めて実感する。
静寂だけが訪れる空間でしばらくそうしていると、いつの間にかヒサナもウトウトと瞬きの感覚が長くなってきた。

「遅い」

鼓膜を震わせた声に、驚いて肩をびくつかせながら目を開ければ鬼灯と目があった。
何故鬼灯と目が合うのか。
確かに彼は寝ていたはずだと、慌てて身を起こそうとすれば後頭部をがっしりと片手で捕まれ強引に顔を寄せられた。
唇が触れあい、荒々しく口付けられる。
驚きのあまり暴れれば、体勢がお互い机に預けていたままだったのが功を成したのか鬼灯の腕からなんとか逃れることができた。

「っ起きて?!」
「目の下を触られた辺りから。べったべたな展開をヒサナに期待した私が馬鹿でしたが…いや、これもべたべたか」
「何の話ですか!」

大慌てで口を袖でぬぐえばあからさまに面白くなさそうな顔をされたが、反射で動いた腕は止められない。
頬に寝跡を残した鬼灯が顔を起こし頬杖に切り替えると、立ちつくすヒサナを見上げた。

「寝ている相方が居れば、本人の知らぬ間に口付けるのは定番でしょう」
「そんな定番知らない」
「じゃあこれで覚えましたね、次は期待してます」
「しなくていいです!」

そんな会話をしているせいか、どうしても視線が彼の口許に集中してしまうので目を泳がせる。
ヒサナは他の話題はないかと、思い出したように足下の木箱を指差した。

「本!持ってきましたよ!!」
「ああ、ありがとうございます」
「仕事、終わったんですか?」
「いいえ、まだですが…」
「ですが?」
「ヒサナが構って欲しそうでしたので、やめてしまおうかと思って寝てたんです」

肘をつく手とは反対の伸ばされた腕は首元へ滑り、慰めるような優しい手つきだが明らかに他の意図を匂わせる。
真っ赤になったヒサナはくすぐったさに身を引きながらその手から逃れるが、見透かされていたことに恥ずかしさが込み上げてきた。

「別にそんな事無いです」
「相手をしないのかと拗ねてたくせに」
「…っ!寝ます!!」

見透かされていた上に先程の独り言まで聞かれたとあっては、只でさえ口論で勝てない相手に太刀打ちできない。
ヒサナは木箱を抱えあげドンと机に置くと、おやすみなさいと踵を返し布団へ飛び込んだ。

「そこで相手してあげましょうか?」

まさかの提案にがばりと布団をかぶり、知らぬ存ぜぬを決め込む。
笑ったような息遣いが聞こえたが、鬼灯が席をたつ気配は感じられなかった。

「私もなんですけどねぇ」

何に対しての共感だったのかはわからない。
暗い布団の中からわかったのは、木箱に固いものがぶつかる音から鬼灯が本を手にしたことだけ。
強引に事を進めることが多いが、ここで来ないということは今日はこのまま仕事に費やすだろう彼はそういう人ならぬ鬼だ。
只自分で拒否しておきながら、鬼灯に構ってもらえた機会を逃したことに酷い蕭条感に襲われた。

「…ばかじゃないの」

今更後悔するなど。
構ってほしかったと正直に言えばよかったのに、自分でダメにしておいて腹をたてるなんて間違っているのはわかっている。
しかし今日は絶対にその展開は無くなった以上どうすることもできないし、自分から再度言えるような性格ではないことも自覚している。

そこまで考えて、ヒサナは口許に手をあてそこまでの思考を強制終了させた。
自分は鬼灯を求めているのかと、その事実に驚いた。
始めはただ相手をしてほしかっただけなのに、いつの間にか情事に思考が切り替わっていたことに驚愕する。
今でも行為は恥ずかしいものでしかないし、慣れるようなものでもない。
それなのに、自分から望むなんて考えたこともなかった。

「私のせいじゃない」

これは自分のせいではない、鬼灯がそんな話題を出すから主題がそれに切り替わってしまっただけだと頭を振る。
何故か今夜は熱と空気が籠る布団の中が暑いが、顔を出すわけにもいかない。
そんな中で時折独り言を言うヒサナの声は、鬼灯までははっきりと届かなかった。

20150905

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