嘘灯

突然、部屋の扉が勢い良く開かれた。
息を僅かに乱したヒサナが涙目で見れば、この家の家主である白澤がものすごい形相で鬼灯を指差していた。

「はいそこ盛らないー!人様の家で、しかも僕のベッドで盛らない!!」
「…チッ、煩いですねぇ」

ヒサナの胸元から唇を離し、ゆっくりと頭を上げた鬼灯は煩わしそうに白澤を睨んだ。
未だ鬼灯はヒサナの上に乗り上げ、腕を寝台に押さえ付けられている体勢は変わらないが、鬼灯の動きが止まったことには安堵した。

「空気読んでくださいと、いつも申し上げている筈ですが」
「読むか馬鹿!何が悲しくて大嫌いな奴に場所提供しなきゃならないんだ!元気になったなら帰れ帰れ!!」
「…大人しくしてますから診察お願いします」
「んっ…!」
「あーっ!!だからここで盛るな!」

鬼灯はヒサナの白く柔らかな胸元に再度強く吸い付いてから顔を離し、乱れた合わせを整えてやる。
両手を解放されヒサナもようやっと半身を起こすが、まだ鬼灯に足の付け根辺りに股がられたままなので、それ以上は叶わなかった。

「早く退いてあげなよ、あれだけ無理させてヒサナちゃん可哀想だろ!」
「…あれだけ、とは?」
「あんな屋外で立ったままとか、ヒサナちゃんの事考えてあげなよね」
「?!ちょっ、あれ?!なんで白澤様知って…!まさか鬼灯様また話したんですか!」
「今回はまだ何も」
「まだって何ですか!えええじゃあ何故…」
「あぁ、見てたから」

さして何でもないようにけろりと言ってのけた白澤を、ヒサナは信じられないといった様子で凝視した。
まさかあの場に留まっていたのか。
一連の行為を見られていた事実に混乱しており、どういうことなのかうまく頭が回らなかった。

「え?えっ!嘘!」
「まさかお前…」
「言ったじゃん、人物を特定して探す事は出来ないけど、場所なら見れるって」

額の髪をかきあげ、隈取りと化した瞳を晒しニヤニヤとしてやったり顔の白澤にヒサナは愕然とする。
鬼灯は大きな舌打ちをした。
今は店先に頬り投げてきてしまった金棒がもしも手元にあったなら、その憎たらしい顔面にお見舞いしてやった事だろう。

「前も抱き潰してたからどうかなと思ったけど、激しすぎだろお前」
「黙って死んでくれませんかね」
「やだね。正しい用法を伝えるのも、術を話した責任があるからね。お前の為じゃなくて可哀想なヒサナちゃんの為に」
「わ、私ですか…」
「うん。行為中ちゃんと気を計って見てたけど、一回が濃いからあんなに出されなくても大丈夫だよ」
「ちょ、ちょっと待ってください?心の準備が…!」

出すだの濃いだの、触れたことの無い免疫の無い話題に真っ赤になってヒサナは慌てて俯いた。
この手の話題は一体どんな顔で聞けば良いのか。
医者からの話題だとは分かるのだが、自分達の営みを視診された上での教授となると、なんとも気恥ずかしいものだった。

「ごめんねヒサナちゃん。こいつだけに話してもいいんだけどね、君にそのあとちゃんと伝わるなら」
「それどういう意味ですか白澤さん」
「そのまんまだよ、お前絶対不都合なこと話さないだろ」
「……聞かれれば答えますよ」
「聞かれなければ知らん顔すんだろ!分かった、じゃあお前だけに話すから、ヒサナちゃんは浄玻璃鏡で後で見せてもらいなよ、気持ち落ち着けてさ」

名案と白澤は手のひらを打つ。
ヒサナもそれなら本人を前に話されているわけでもなく、なんとかなりそうだと頷いた。

「じゃあ、それでお願いします白澤様」
「そんなに信用ありませんか」
「いえ…!私も一緒に聞ければ一番なんですけれど、あの、こっ、心の準備が…まだ…」
「…わかりましたよ」

鬼灯は渋々といった様子でようやっとヒサナの上から退いた。
体にかかっていた重圧が無くなり、ヒサナも寝台の上に身を起こす。
着物をただしながら寝台の縁に腰掛け見上げてくる彼女を反対に見下ろしながら、鬼灯はゆっくりと口を開いた。

「ヒサナの信用ゼロですからね、私は」
「!いえ、そういう訳じゃ……っいいです!鏡見なくて良いですからお願いしま…!っいてて」
「…冗談ですよ、そんな体で起きられても心配です。ヒサナはここでゆっくり休んでいて下さい。白澤さんからの話は包み隠さずお話ししますし、不安でしたら浄玻璃鏡でいつでも見せてあげますから」

慌てて立ち上がったヒサナだったが、脹ら脛に走った激痛に再び座り込んだ姿に鬼灯が手を差しのべて彼女を介助した。
ヒサナも延びてきた腕に瞬時にしがみついてしまい、座り直すと申し訳なさそうにその手を離した。
ふと、いつもきっちり着込んでいる道服を寝皺に着崩した鬼灯の珍しい姿に惹かれる。
普段ならば道服もきちんと脱いで寝ている彼が着の身着のままなのも、ここに辿り着いて疲労と眠気に倒れ込んだのかもしれない。
改めて見てみれば、普段より大きく開いた肩口に残る引っ掻き傷や爪痕は紛れもなくあの時自分が必死にしがみついてできた物だろう。
先程鬼灯に胸元を暴かれ口付けられていた時に見えた自身の肌も酷かったが、鬼灯の首筋や肩も相当痕跡が酷く、それをやらかしたのが自分だということが気恥ずかしい。
どうしてもそこを注視してしまい、目のやり場に困りヒサナはそろそろと俯くが、彼女の視線から注視されていた位置を特定した鬼灯は首を擦りながら口を開いた。

「気にすることはありませんよ。隠すことでもありませんし」
「…隠すことってまさか…そのまま話すんじゃないでしょうね?!」
「ヒサナと私の仲じゃないですか」
「その言葉の用途の意味合いが、合ってるような色んな意味でものすごくそぐわないような…!」
「事実なのですから、先程包み隠さず話すとお約束したばかりじゃないですか」
「いいです守らなくて、いや信じてないとかじゃなくて!」
「そんなそんな…信頼を欠いた男として、いきなり破るわけにもいきませんから」
「んああ゛!ああ言えばこう言う!」

ヒサナは悲鳴をあげて、重力に任せ寝台へ背中から倒れた。
寝台の発条に弾み体が揺れるが、構うことなく身を投げ出す。
鬼灯に言葉で敵わないのは百も承知だった。

「観念して大人しく寝ていなさい」
「うー…」

小さく唸って彼をじと目で見つめれば、呆れた様子の鬼灯が寝台へと歩み寄ってきた。
腕を伸ばしてヒサナの顔の横に手のひらをつき、徐々にそこに体重を預けて腰を屈めるのでヒサナの頭も深く沈む。
不機嫌に僅かに尖らせた彼女の唇に、鬼灯が触れるだけの口付けを落とした。

「良い子で寝てるんですよ」
「…私の心配事は何も解決してないんですが」

体勢を変えぬまま話す鬼灯の顔は近い。
頬に掠める彼の毛先を感じながら、ヒサナは唇を軽く舐めとって不満を口にした。

「そんなに信用ありませんか」
「房中術の事じゃなくて」
「信じて下さるのなら、私が出てくるまでけして戸を覗いてはいけませんよ」
「それなんて鶴の恩返しですか。別に見ませんし、話が噛み合ってないですし。良いですよもう…行ってらっしゃいませ」

息のかかる程の至近距離。
ヒサナは意を決して首に力を入れ、僅かに頭を浮かせ鬼灯に口付けた。
本日二度目の突然の事に、満更でもない鬼灯はやはりこのまま白豚を放り出して事を成そうかまで考えを巡らせたが、これ以上ヒサナの機嫌を損ねるわけにもいかない。
彼女からの行為を上書きせぬよう、自分からは返さず頭を撫でるだけに気持ちを留まらせて鬼灯は身を起こした。

「…終わり?もういい?」
「ええどうぞ」

背後で気持ち悪そうにこちらを観察していた白澤を促し退出させる。
鬼灯はヒサナにまた後ほどと声をかけると、彼女からヒラヒラとひらつかせた片手が上がった。





「回数的には一度でかなり接種できていると」
「そうだ!だからあそこまでやる必要は微塵もないからな!」

店内へと出てきた二人は座ることなく、そのまま机の脇で話し込んでいた。
白澤が二人を観察して出した診断結果に、鬼灯は不服そうに眉を寄せる。
何せ一度の交わりで足りるから良いと言うのだ。
あの大喰らいのヒサナが枯渇している量だというのに。
結果に納得できていない鬼灯に、事実なのだから様見ろと言わんばかりに白澤は上機嫌であった。

「……男としてはどうです」
「え?」
「好きな女を前にして、一度で済ませられます?」

しかし、鬼灯からの詰問に白澤は意表を突かれ目を瞬かせる。
お前はどうだと聞かれ、仮に状況を仮定してみようと視線を天へと向けたが、考えるまでもなく直ぐ様白澤は真顔で鬼灯に向き直った。

「無理だね」
「でしょう」
「それは仕方ない、うん。…でも!ほどほどにしてあげなよ!僕は気遣って合意の上だ。お前と一緒にすんな」
「私だって気遣ってますよ失礼な」

どうだかと鼻をならし、頭の後ろで手を組む。
この鬼を悔しがらせる算段だったが、自分がそれを肯定してしまう事になるとは誤算だったと白澤は苦虫を噛み潰したように表情を歪めた。
鬼灯はもう終わりで良いですねと白澤へ言い放ち早々に背を向けると、ヒサナの眠る白澤の私室の扉に手をかけた。
しかし、すぐに開き彼女の元へ戻るのかと思っていたが、その体制から一向に動こうとしない。
不振に思った白澤が声をかければ、鬼灯が肩越しに白澤へと視線を向けた。

「…ヒサナには、ここまで見ていただきます」
「は?」
「編集点です。これ以降は目に触れさせません」

鬼灯は音をたてないよう一度戸にかけた手を引き、再び白澤へと向き直る。
彼の行動が読めず、怪訝な顔をしながら白澤は鬼灯の言葉を待った。
鬼灯は引き結んだ口を閉じたままこちらを凝視しているので、一体何事かと、何かされるのではと白澤はだんだん不安になってきた。
ざりっと、草履が床を擦る音にも敏感に反応し、白澤は身構え万が一に備える。
しかしそんな白澤の警戒も他所に、信じられないことにあの冷徹な地獄の鬼神が、白澤へと頭を下げたのだった。

「な…っ!」
「ありがとうごいました。ヒサナを、落ち着かせてくれて」

一連の行動からは読み取れなかったが、鬼灯の言葉に心当たりがあった白澤は、顔をあげた鬼灯を凝視しながら未だ驚きと嫌悪感に騒ぐ胸に手を当てて頷いた。

「ん、あぁ、お前より先に会ったこと?」
「それもですが。最初は私を出し抜いて何様かと思ったのですが、白澤さんに先に見付けていただいて正解だったようです」
「…お前が素直なのもなんか気持ち悪いな」
「今回ばかりは、恐らく私にはできなかったと思いますので…」

一旦、何か続けて話そうとしていた言葉を止めた鬼灯が視線をそらす。
何か奴にとって不都合な話なのかと思ったが、それはすぐに違うとわかった。
視線は確かに横に流しているが、奴特有の不都合な話題の時に見せる癖ではなく、鬼灯が勘ぐっているのは背後の扉。
その中で待つ、話題の彼女の動向を探っているようだった。

「大丈夫だよ、よく寝てる」
「…そうですか」

少しだけ千里眼で中を覗いて見てやれば、皆まで語らずとも理解した様子で鬼灯は頷く。
それでも彼女を気遣ってか、いや、彼女に聞かれたくない話題ゆえに鬼灯は更に声を潜めた。

「ヒサナは誰も殺してないと諭せるのは、白澤さんだけでしたでしょうから」
「あぁ、その事」

『落ち着かせる』とはそちらの事かと合点がいった。
鬼灯の言わんとしていることを理解して頷いたが、白澤より先に彼が続けた。

「本当はどうかなど、知りようもないのに」

白澤は口端を上げて笑う。
確かにこれは彼女に聞かれたくない話題だと、白澤は腕を組んで机に重心を預けた。

「『ヒトの怨みなんかで、神の領域に干渉することはできない』」
「そう言ったんですか」
「信憑性があるでしょ?僕が言えば」
「…それを信じてくれた訳ですね」
「流石にお前でもわかるか」

彼女と白澤が何を話したのかは分からなかったが、それだけ聞けば何となくわかった。
混乱した状態で神獣に諭され、彼女も理解したのだろう。
鬼灯は僅かに安堵しながら、白澤の言葉に頷いた。

「ええ、怨念は確かに害を及ぼしますから。偽っていただき、ありがとうございます」
「お前の中に居たのにヒサナちゃんにばれなくてよかった」
「混乱していたのと、あとは私と分離してもう大分たちますし、私の中で得た記憶も普段使わないものは曖昧になってきているでしょう」

白澤がヒサナに聞かせた話は、口からの出任せだった。
天候は神の領域、故に彼女の死後の大干魃はヒサナが引き起こしたものではない。
だからその結果生け贄に選ばれた鬼灯とヒサナは無関係であると、彼女にはそう話した。
しかしそれは、人より意志が強ければあり得ない話ではなかった。
強い想いは意志となり、生きていようがいまいが思念となる。
ヒトの想いの中でも、死して尚怨み続ける想い程強いものもない。
そんな怨みの思念である怨念が万物に無害というのであれば、ポルターガイストも世に残る悪霊なども存在せず、人と鬼火のハーフであるという目の前の怨みの塊である鬼神も生まれる事は無かっただろう。

「ホントにわからないよ?本当に、殺してないかもしれない。でも、そうとも言い切ってあげられない…不可能な話じゃないんだ。ヒトの想い程怖いものはないよ。でなきゃ、呪詛なんてものも発達しなかったよ」
「できますね。天候に干渉することも」
「あぁそうさ。むしろ神様の方が気紛れで自身の領域に無頓着な奴が多い。でもヒサナちゃんにはあえて黙った」

もう一度だけ、白澤は寝室の様子をうかがう。
今も取り乱した様子もなく眠る彼女にとった行動は正解だったと自負できる。
白澤は組んだ腕に視線を落としながら、辛そうに眉を寄せた。

「今地獄一怨みの強い鬼神は間違いなくお前だろう。そんなお前の中で他の鬼火と完全に溶け合わずに、個としての意志を発揮してた彼女だ。お前に負けず劣らず、相当だと思うよヒサナちゃんも」
「怨みは、強いでしょうね」
「うん。本当は彼女が干魃を引き起こして、生け贄としてお前が選出された原因として殺してる可能性は十分ある。でも、その可能性を取り除いてあげなかったら、ヒサナちゃんが壊れてたよ」

あの状態のヒサナを唯一目の当たりにした白澤だからこそ、思うところがあった。
鬼灯は居なくなったヒサナに腹をたてていたので気付いてはいないかもしれないが、白澤が一番危惧していたこと。
ヒサナが自責の念にかられ押し潰されてしまったとしたら、彼女は怨念という『想い』から生まれた鬼火。
怨みをかかえた者が死後鬼となるか鬼火となるかは、使える体の有無にある。
水底に沈められたヒサナは鬼火となったが、それはむき出しの怨みの灯。
自身をこの世に繋ぎ止めている、無意識下で紡ぎ続ける怨みの気が自責の念で保てなくなったら崩壊、消滅を起こしていたことだろう。
どちらにせよ鬼灯無くして生きていけない彼女を想うのであれば、その不安を元から取り除くしかなかった。
それは、生かすための必要な嘘であった。

「気を付けろよ、嘘だとバレたらその時の方がショックが大きい分、今度こそ内の均衡を崩す。房中術でも、一度崩れたら彼女自身が形成してる領域には手出しできない」
「ええ心得てます、ご心配なく。一応殺されていても構わないとは言ってありますが、今後ヒサナに話す気も、感付かせるつもりも微塵もありませんよ」
「万が一バレたときの予防策?」
「…ヒサナを失う気は無いんですよ」

それだけ言うと鬼灯は再び白澤へ深々とお辞儀をし、今度こそ踵を返し白澤の私室の戸を開いた。
白澤はその背を見つめながら、出しっぱなしの椅子に座り込む。
先程、ヒサナと隠し事はしないと約束した舌の根も乾かぬうちに隠し通すと平然と言ってのけた鬼灯を鼻で笑う。
まぁ確かに彼女の命に関わることであり、自分もだが奴の場合も誰かのための嘘か。
彼女が消えればこの鬼神も生きる術を無くすが、先程の奴の言葉はそう言った意味で言われたものではないことは白澤にもわかる。
それほどまでに誰かを想えることを、少しだけ羨ましくも思う。

「まぁ怨念が強いということは、想う力が強いって事だからね」

確かに彼の言う編集点以降は彼女に見せられぬ話だったが、それで彼女が幸せであるのならばと、白澤は床で寝ていた固い体を思いきり天井へ両手を向けて伸ばした。

20150803

[ 72/185 ]

[*prev] [next#]
[戻る]
[しおりを挟む]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -