「身体は、大丈夫なの…?」 校庭側に体を向けているなまえの表情はここからはよく見えない。 白にもよく似た銀髪が風でなびき、たまに、耳元に光る赤いピアスを陽光で煌めかせている。 ある時は自信に満ち ――「苗字なまえです。以後、お見知りおきを」 ある時は怒りに満ち ――「すいません、そこまで暇じゃないです」 ある時は優しく綻び ――「では皆さん、放課後にまた」 ある時は悲哀に満ちた ――「信じてもらえないのは、いたい、です」 一見無機質に見えてどこまでも感情豊かな彼女の声は、彼女が母と呼ぶその通話相手の前ではひどく機械的なものに思える。(俺の勘違い…か?) 向日が思考を巡らせている間にも、なまえの応答は続けられている。 「よかった。ごめんね、そっちにいられなくて。……うん、大丈夫」 …いや 「元気にしてるよ。うん、わかってる…ごはんも、うん。…うん」 勘違いじゃねーよな なまえが自然な動作で体の向きを変え、フェンスに背を預ける。一瞬バレるかもと身を固くした向日だったが、なまえはそのままするすると床に腰を下ろして目が合うことはなかった。 「学校?たのしいよ」 何の躊躇もなく彼女の口から紡ぎだされた言葉に向日は驚愕する。 「友達もできた。ベルも後から来たんだよ。…うん。寂しくないよ、たのしい」 そんなはず無いのに、苗字は嘘を口にし続ける。 俺の勘違いじゃない 苗字の口調はいつもの何倍も無感情だ。 「大丈夫。…うん」 (…仲、悪ィのかな) そうだとしたら、苗字のこの電話は母親にあてた業務報告みたいなもんか? 仮想に過ぎねえけど、それならこの冷めきった口調にも納得がいく。 亜里沙をイジめるような心の腐った人間が、まともな親に育てられたはずがないし。 「…」 向日は心で唱えながら、大きな違和感を感じずにはいられなかった。 ――なんかが変だ 「休みには帰るから、待っててね。」 苗字と母親の会話はさっきと変わらない。単調な。ありきたりの流れ。ここから見える苗字の表情はやはりどこか固い。 「…ん、また連絡するよ。 ゆっくり休んでてね。…うん……うん」 ここで終わってれば、と向日は後に思う。 「じゃあまたね」で通話が終わってれば…それか俺が、さっさと盗み聞きなんて止めて教室に戻ってたら 「……!!」 俺はこんなに頭を引っ掻き回される事にはならなかったんだ。 「ありがとう。……っお母さん」 最後の最後に苗字の表情が崩れた。それを彼女の母親が悟ったかは分からない。 苗字の顔が苦悩にまみれ、切なく、それでいてどこか愛おしそうに歪んだ途端に、苗字は携帯を折りたたんでしまっていたから。 「…っ」 それを両手で包み胸元にぎゅっと抱きしめる姿は、俺の知る強気な彼女の面影など微塵も感じさせなかった。 なんとなく分かってしまった。 苗字と母親の関係はこの上なく理想的であること。 一方通行にしか聞き取れなかった二人の会話が、自分の見えない所できちんと繋がっていたこと。 俺達が聞いたら一目瞭然の嘘をあいつが連ねたわけも。 母を強く想う彼女が、声に感情をのせなかった理由も。 なんとなく。 向日はそっと扉を閉めて階段を駆け下りた。鼓動は静かに、しかし着実に痛みを伴って凝収縮を繰り返している。 「…嘘吐き野郎」たまらずに吐き出した。 昨日部室で、苗字が、頭に触れた指先のあの温さが蘇る。 あいつを知るたび あいつと関わるたび 俺は苗字を、信じてしまいそうになる。 知りたくなかった でも、俺はあいつほど不器用な嘘吐き、見たことねぇよ ×
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