今日の五時間目は現代社会の授業で、担当は退職間近の男性教員。この教師は大変鈍く、楽観主義者で、そして噂にも疎い。このクラスで起きている事など知るはずも無かった。
「おや?今日転校してきたベルフェゴール君は」
「ベル君は早退です」
「用事があるんだって」
「そうか。苗字さんはどうしたんだ?」
「さー」
「どっかでサボってんじゃないですかー?」
「あいつほんとクズだな」
「こら、そんな事言うもんじゃないぞ!では、そうだな。……向日」
「げ」


「この前のテストでクラスの平均を著しく下げた現社11点のお前には、彼女を探す任務を言い渡す!」


くたばれ、クソクソ教師!!



こうして俺は嫌々ながら苗字を探すために教室を出た。宍戸から、適当に時間潰して戻ってこいとメールが入った。
「…」
苗字を探すのは面倒だけど、それを理由に授業をサボれたのは純粋に嬉しい。
窓の外は春らしい暖かい陽気だった。
俺は自販機でパックの苺ミルクを買い、屋上へ向かった。




***


「…?」

扉の向こう側から微かに聞こえてくる声を耳にした向日は、取っ手に手をかけたまま動きを止めた。半瞬遅れて、もしやの予測が脳裏をかすめる。
息をひそめて扉に耳をたてる向日は、この時点で既に自分の存在がなまえに筒抜けである事など想像だにしていない。

(聞こえずらいな…)

向日は取っ手を静かに回し、扉を僅かに開けた。
すると先程よりも幾分かスムーズに会話が耳に入る。それどころかその隙間からは、フェンスに寄り掛かるなまえの様子をも確認することができた。

(…イタリア語、かな)

漏れ聞こえてくる言語は、英語とも違う異国のもので、向日には理解できなかった。
このままずっと分からない言葉を話されていたら聞き耳を立てている意味がない。
「…」
そもそも、何で俺はこんな事やってるんだろう。
クラスで省かれている苗字が、一人サボって外部の誰かに愚痴をこぼしているだけの電話に違いないのに。
そんなものを聞いたところで特に楽しくもなんともないのに。
「…ばからし。」
溜息混じりの独り言を口にした向日は、教室に戻ろうと戸を閉めかけた。

「……お母さん?」

躊躇いの序曲

なまえの口から震えたように溢された声を、向日は聞き逃せなかった。

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