「なまえおまたせー!帰ろー!」
「うん。……あ、」

部室で、男子更衣室から出てくるジロー達を待っていれば(勝手に帰ると煩いのだ。)背中がぞーっと疼き、私の心拍はけたたましく鼓動し始めた。こ…これは…あかん

「ご、ごめんね、ジロー。今日は帰り別にしましょう」
「A−!!」
「アーン?何でだよ」

怪訝そうに眉を寄せて訪ねてきた跡部に、私は咄嗟に耳打ちする。
跡部はひくっと顔を引きつらせて頷いた。
「早く行け」
「A−−−!!跡部ー!何でだC−」
「後で説明してやっから暴れんな、痛っ…樺地」
「うす」

騒ぎ声を背中に聞きながら私は部室をそっと抜ける。太陽は西の空に僅かな赤みを残して沈み、暗く陰ったコートの外側に目線を投げれば、コートの入り口付近にふたつの人影を見つけた。


(いた)


私は足音を忍ばせてそちらに向かう。近付く程に、あの甘ったるい香りが風に鼻腔をかすめた。(亜里沙って風上に立ったらいけないタイプの人だ。…速攻殺されるから)

「それでぇ、やっぱり私、ザンザス先生ともう一度お話したくてぇ…ず、ずっと…ずっと…ひっく」
「…」

そこにいたのは泣き真似でザンザスにすり寄る亜里沙と、血管破裂の危機に晒されながらもひたすら無視を貫き通しているザンザス。フェンスに寄り掛かる彼の後姿を見た時ほっとしたのと同時に、横の亜里沙に殺意が湧いた。


…仕返し、しーちゃお。


私は一瞬で部室の扉の前まで戻り、今度はそれなりに足音をたててそちらに向かった。胸のあたりを抑えて、俯きながらふらふらと数歩進む。立ち止まり、咳を二度。
――二人がこちらを振り返ったのが分かった。


「ごほっ、ごほ…」

深く深呼吸。俯きながら、ぜえぜえと息を乱し、また数歩進んで止まる。
「かぜ…ひきましたか、ね」
この呟きも恐らく届いていることだろう。
咳を繰り返しながらコートの入り口に向かい、その間亜里沙とザンザスの存在には気が付いていない振りをした。
入り口を出て(そうだな……このへんでいっか。)私はたったいま事切れた、というふうに自然に膝からくずおれた。地面に体が横たわる前に、支えられる身体。


「…おい!」


流石ザンザス。迫真の演技だ。
私は薄く目を開けて「ザンザス…せんせ、」と掠れた声で彼を呼ばわった。その途端ザンザスの表情が困惑、から、一転。苛立ちに変わった。(……アレ!?)

「…てめぇ」

やっば…
まじで心配させてしまったらしい。

冷や汗をだらだらかきながら、私はザンザスの腕の中で口パクで謝った。ザンザスは「後で覚えてやがれ」と目だけでそう訴えてきたから、やんなっちゃうよね。うん。しかし亜里沙が傍にいる今、演技は続行しなければ。


しっかり見てろよ、亜里沙



「け、ほっ……すいません、ありが…とう」
「…」
私はザンザスを突き放すようにして離れた。ザンザスから顔を逸らす。(恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい…!)
手で口元を覆いながらぺこりと頭を下げた。
「…では。」
「…」
踵を返そうとする私の腕を、ザンザスが掴んでぐっと引く。特に抵抗もなく傾いだ私の体は、ザンザスによって抱き締められる。
今私の目の先には、2、3メートル向こうで目を剥いているこちらを見ている亜里沙がいる。まだレギュラー達が部室から現れる気配はなく、コートに残った準レギュ達が整備の為にいそいそ動き回っているが、薄暗いこちらに気付いている様子はない。

つまり、ここは亜里沙。あなただけの劇場ってわけ。




「ざ、ザンザス…先生」
「ンなふらふらでどこ行く気だ。」
「…」
「保健室連れてく。掴まってろ」
「あ、きゃっ」女の子らしい声も上げちゃったりして。

ザンザスが私を抱え上げれば、亜里沙の顔がみるみる歪んでいくのが分かる。その豹変っぷりに少し鳥肌が立った。


(さて…)

今からやるのは演技。でも、演じない。
亜里沙が一番悔しがる私の表情は、演じていない、素の私のものだから。


「…先生」

簡単だ。――今この瞬間だけ忘れればいい。
亜里沙の存在を、
任務に関する全てを、

簡単だ。――思い出せばいい。
ザンザスのいなかった8年間を。
あの、冷たく苦しい、無気力だった日々を。

「…」


今。ザンザスの体温を、優しさを、愛おしさを、命を、この体全部で感じる事のできる幸せを思えば。
心からじわりとあたたかいものが溢れてくるんだから。

――ザンザスの首に腕を回し、弱々しく彼の首筋にすり寄る。




私は、微笑んだ。




「ありがとう、」


大好き…
だいすき、

大好きなの……!!


どこの誰が見てもそう察するであろう私の「演技」に、亜里沙は鬼の顔のまま踵を返した。コートに向かうその怨念を背負った背中を見送りながら、私はふっと息を吐く。

「ざまーみそずけ鮭茶漬け!」
「…」
「ほわぁっ!!」

ザンザスは私を抱えたまま疾走。疾走。疾走。目にもとまらぬ速さで校舎まで駆けていき、西校舎と東校舎を繋ぐ渡り廊下の真下まで来ると、私を壁に押し付けて低くすごんだ。



「解るな。俺が何にイラついてるか」
「わ、わかりまふ…」
「言ってみろ」
「と…鳥居亜里沙(15)にすりすりされたから」
「…」
「……わ、私が無駄な心配をさせてしまったから…!」
「…」
「………わ、わたしがすりすりしたから…!?」
「全部だ、ドカス」
「んんっ!…ざ、…っふぁ」

息をもつかせぬ深い口づけに背中を粟立てれば、ザンザスの指先がそこをついとなぞった。思わず震えたのを見逃さず、ザンザスは機嫌を戻したようだ。

「この俺を試すとは、テメェも偉くなったもんだ」
「っはぁ、ち、…ちが」
「まあいい。」


「帰ったら覚悟しとけ」
独壇場

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